<1450> 春日若宮おん祭の最終日
底冷えの 奈良にしてあり 御祭
春日若宮おん祭は十七日の「還幸の儀」と「遷幸の儀」が行われ、神をお迎えする時代行列とお旅所での各演目による催しがあった。最終日の十八日は奉納相撲大会と能の舞台が行なわれ、これを見に出かけて、春日大社界隈を歩いた。寒波の影響により冷え込みが強い一日だったが、歩くに支障はなかった。おん祭は大和の一年の最後を飾る祭りとして知られ、十七日の行列がハイライトで人出も多く、今日の午前零時には神も宮に戻られ、祭りは昨日でほぼ終わっている観がうかがえた。
昔、京都の祇園祭りに際し、次のような句を得たが、春日若宮おん祭の冷え込む最終日に、ふと、その句を思い出し、冒頭の句を作るに至った。祇園祭りは夏の祭りで、厳しい暑さを凌がなければならない時期に無病息災を願って行なわれる。これに対し、春日若宮おん祭は厳しい寒さを凌がなければならない時期に同じく無病息災を願って行なわれる。
巡行の 果てたる町の 日照りかな
これが祇園祭りの際の句で、巡行とは七月十七日に行なわれる山鉾巡行をいうもの。長刀鉾を先頭に山鉾は午前中予定のコースを巡り、各町内に還り着き、巡行は果てる。このころの京都は猛烈な暑さに見舞われ、巡行の終わった午後はなお暑さを募らせる日照りで耐え難いほどになる。ということでこの句を得たのであった。
この夏の暑さに対し、冬の寒さがおん祭の特徴で、冒頭の句が生まれた次第である。これは四季の国日本の祭りの一つの姿として捉えることが出来る。日本人にとって夏と冬は暮らすのに厳しく、両方の祭りとも、言わば、日本の風土に則っていることを暗には示していると言える。 写真は春日若宮おん祭のフィナーレを飾る相撲(左)と能の一場面 (いずれも春日大社表参道脇のお旅所前で)。