<1448> 時の移ろい
今日にして昨日思ひし今日の今 あらゆる常に棹差しゆく身
時の移ろいは容赦しない。老いゆく姿はさびしいが、これは生きとし生けるものの定め。昨日は思いもしなかったことが、今日、起きて失意を被るということがある。これについては個々さまざまな様相にあるが、みな同じ道筋の歩みの条に起きる。人の死はその最たるものである。
つゐにゆく道とはかねてきゝしかどきのふけふとはおもはざりしを 在原業平
いつかは死ななければならないのは理であるが、誰も昨日今日とは余程のことがなければ思うことではない。しかし、年齢を重ねて老いの域に達すれば、気丈な言葉を発したりしても、多少はその老い先が気になることは否めない。後わずかになった人生を楽しもうというような御仁もあるには違いない。しかし、どんなに対処しても時の移ろいは容赦なくすべての上にそれこそ平等にあり、影響して来る。
そこで諦観というようなことも言われたりするのであるが、如何ようにも、ことが過ぎてしまえば、すべては納まるところに納まるということになる。何であろうが、過ぎ行く時には勝てるものではない。では、時の移ろいをひしひしと感じる老いの立場を思いながら以下に短歌五首を。 写真はイメージで、道を行く人。
おーいみな老いてゆくべくある身なり悩みは誰もその身に負へる
汝(な)は一人にはあらぬなりこの道は老いて弱はりてみなゆける道
つゐにゆく道とはなどかほととぎす今日は鳴かぬをさびしさにゐる
不意に旅立ちたる作家の訃報聞く足じんじんと冷ゆる日の朝
老いゆくは衰へゆくにほかならぬ如何にあれども哀れの定め