大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年12月23日 | 写詩・写歌・写俳

<1455> 2015年 回 顧  (1)

         私たち国に飼はれてゐる羊かもね番号札を付けられ

 戦後七〇年の節目の年に当たる2015年を言い表す今年の漢字に「安」という字が選ばれた。今年は安保法制関連法の可決に始まり、円安、原油安と表題に「安」のつく出来事が多かったが、加えるところ、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の合意、シリア情勢に絡むイスラム過激派組織イスラム国(IS)による多発テロ事件、埋め立てによる中国の南沙諸島海域における人工島造成問題等々、まだあるが、こうしたグローバルな状況下、不安な要素が私たちに心理の上で重くのしかかり、「安」を選ばせた一年であったということだろう。

                                                             

  また、国内に目を転じると、消費税の軽減税率の成り行き、マイナンバー制の導入実施、東京五輪にからむ競技場建設やエンブレムのやり直し騒動、沖縄の米海兵隊基地普天間飛行場の名護市辺野古への移転問題等々、また、一般社会においては自然災害の多発、企業による不正行為の発覚、子供や若い女性が被害者となる殺人事件、それに、子供の貧困や下流老人、介護難民といった問題が噴出するということが次々に起こり、日本の根幹というか基盤が崩壊して行くような不安心理が私たちの気持ちを締め付けるような一年だったこと。これにもより、「安」の一字が選ばれ、浮き彫りにされたと言える。

  殊に、今年は政治色が際立ち、安倍政権の官邸の独走が目についたこともあって、今年の漢字が安倍の「安」ということも選に働いたのだろう。だが、選ばれた最も大きい理由は、これらの出来事に影響されて私たち国民の心理が不安に傾いたところにあると言ってよいように思われる。この国民の不安な心理に対し、安倍首相はことあるごとに安全とか安心という言葉を用い、その政策を推し進めて来た観がある。

 という次第で、この「安」を思うに、そこには安全と安心の反対語、即ち、これらの言葉の裏返しである危険と不安の意識が私たち国民の間の気持ちに横たわってあったことが言える。安全と危険は肉体乃至は物質的な面における言いであり、安心と不安は精神乃至は心的な面における言いであって、前者の状況は見えやすく、後者の状況は見え難いという特質があり、前者のそれは即刻見えて来るのに対し、後者のそれは漸次現れて来る傾向にあることが指摘出来る。

  政治家はこのことをよく心得、政治の手法に用いている。選挙が近づけば、票を集めたいために政権政党では前者の見えやすいところをもって有権者に訴える「ばらまき」という手法を用いる。所謂、政治は見え難いところよりも見えやすいところに手をつけたがるわけで、将来のことよりも目先のことに対処する傾向があると言える。政治家にはその方が自らの仕事において有利に働くからである。

 これは政治家に、後者の心的案件である国民の福祉よりも前者の物的案件である道路やダムなどをつくる公共事業の方に力を注がせるということになるわけで、これが一つの実例で、言い換えるならば、安全に応える方が安心に応えるよりも政治家には有権者に対するアピールの効果があるということになり、安心を求める国民に応え切れない政治が展開され、この状況が長年続いた結果、国民にとってそのマイナス面の現れとして福祉が十分に機能しないという現在の閉塞状況を生んだと言える。

  で、総じて言えることは、そんなこんなで、2015年の今年は「安」に関わる安心が得られない不安の中に私たち国民の気持ちがあって、その心理において「安」の一字が選ばれたということが出来る。という次第で、今年の漢字一字に選ばれた「安」について、この国が進もうとしている政治的方向に顕現する不安な面に焦点を当て、「基盤」という言葉をキーワードに考察してみたいと思う。 写真は京都・清水寺の森清範貫主によって書き上げられた今年の漢字「安」の一字(新聞記事の転写による)。  ~次回に続く~。