<135> 茅原の大とんど
大とんど 焔に 善男善女かな
正月の風物詩で知られる奈良県指定無形民俗文化財の茅原の大とんど(左義長)が十四日の夜、御所市茅原の吉祥草寺で行われた。大阪や京都方面からの来訪者も見られ、三千人ほどが雌雄二基の大とんどを囲んで、境内は溢れるばかりの人出でにぎわった。
とんどは左義長とも呼ばれ、新年に歳神を迎えるのに用いた門松や注連縄飾りなどを持ち寄って燃やし、その炎とともに歳神を送るという習俗による行事で、お盆の送り火が仏さまであるのに対し、こちらは神さまで、主に小正月に行なわれる。とんどで出来た灰は持ち帰って家の周りに撒き、とんどで焼いた餅を食べて一年の無事を願うものである。
空地や田んぼなどに稲藁や竹で櫓を組み、それに火を点けて燃やすのが普通で、全国各地に見られる行事であるが、茅原の大とんどは歴史も古く、規模も大きく立派なものであることから大和のみならず、近畿では名を馳せたとんどである。
この大とんどは大宝年間(文武天皇の時代)に始まったとされ、千三百年の歴史があると言われる。修験道の祖、役小角(役行者)生誕の地として知られる吉祥草寺と深い関わりを持ち、修正会の結願行事として、毎年小正月前夜の十四日夜に行なわれている。
大とんどは、昼間に稲藁と竹で作られ、高さ六メートル、直径三メートル、重さ一トンの雌雄二基が本堂前の広場に立てられる。二基には大蛇に見立てた化粧縄の「はちまき」がつけられ、見上げるほど巨大なとんどである。
夜に入り、午後八時過ぎ、玉手、茅原の両地区の諸役が高提灯を先頭に境内に入り、手打ちをした後、不動明王の法灯より移された松明の火を雄雌の順に点火してとんどは始められた。今年は辰年で、方位で言えば南東で、吉方とされる明けの方角の北西からまず雄のとんどに点火され、次に雌のとんどに移って両方が約半時間燃え盛った。
火は徐々に勢いを増し、大とんどが完全に燃え盛るころには、炎の熱に堪りかねた見物衆が後ずさりするほどだった。炎が衰え、とんどが終わるころになると、火縄に火をつけて帰る人が多く見られた。これは京都・八坂神社の朮祭りの火縄に似ているが、昔はこの火で煮焚きしたのであろう。今は無病息災、災い避けの験となっているようである。
写真は左から昼間の全景、雄とんどの点火、燃え始め、雌とんどの点火と見物衆、盛んに燃える両とんど、とんどの炎、火縄の点火。