大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年01月08日 | 写詩・写歌・写俳

<128> 淡竹(はちく)の天日干し
        淡竹干す 茶筅の里の 冬景色
  体調が回復し、図書を返却に行くついでに、茶筅の里高山(生駒市高山町)の辺りを歩いた。高山は生駒市の北東部に位置する町で、茶の湯に用いられる伝統工芸品の茶筅作りで知られる。この一帯で茶筅作りが始められたのは室町時代中ごろのことで、 茶の湯の創始者とされる称名寺(奈良市)の村田珠光と親しかった高山城主の次男鷹山宗砌が珠光の依頼によって始めたのがきっかけだと言われる。
  その後、茶の湯の隆盛とともに高山の茶筅は全国に名を馳せ、製法が秘伝とされ、 一子相伝、男子のみによって戦前の時代まで引き継がれて来たと言われ、今も全国シエアの九割を占めるほどで、ほとんどの茶筅がここで作られている。
  現在は二十軒が工房を持ち、 表千家の煤竹(百年ほど保存した煤を被せた竹)、裏千家の淡竹、武者小路千家の黒竹など六十種以上の茶筅を作っている。 また、柄杓、茶台、茶器などの茶道具や毛糸の編み針など竹製品の開発にも力を入れ、産地として知られるに至っている。

                       
  高山は里山に囲まれた棚田が広がる鄙びた町で、 冬になると茶筅の原竹の天日干しがそこここに見られる。 天日干しは一月から三月ごろの穏やかな日射しでなければ竹が傷むので、 この時期にしか見られず、その光景は冬の風物詩になっている。
  ところで、時代の移り変わりは何処も同じで、高山の茶筅作りにもその影を落としている。その一は茶の湯に親しむ人が減少傾向にあること、 その二は中国や韓国の製品が入って来るようになったこと。 茶筅のような伝統工芸品にも外来やグローバル化の波が押し寄せているわけである。