大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年01月04日 | 写詩・写歌・写俳

<124> 凧 揚 げ
           悲しみも 怒りもすべて 点景と なるところまで たこたこ揚がれ
  原っぱに出て、子供たちが揚げる凧をまぶしく見上げていたら、 何か心の安らぎを得るようで、自分も子供たちと一緒に凧を揚げたいような気分になった。なぜ青空に揚がる凧に安らかなものが感じられたのか。それは高く揚がる凧までの距離にあった。
  距離というのは、私たちにとって心を和ませてくれるところがある。言ってみれば、私たちの悲しみや怒りといった心持ちを距離は含羞と懐旧のやさしさへ導き、心を癒してくれる働きがある。距離とは空間的距離であるとともに時間的距離でもある。
  凧は悲しみや怒りを抱く者、つまり、私たち自身を受け入れてくれる象徴としてあり、私たちはこの気持ちの因子である地上のさまざまな様相がすべて点景となるところまで凧が高く高く距離を延ばして揚がることを望んでやまない存在と言える。
  この凧に安らかなものが感じられるのは、地上の悲しみや怒りを持って立つ者、 つまり、 その悲しみや怒りから脱したいという願いに凧が距離をもって応え、心がそれに向って開かれたからに違いない。

                                                     
  心の存在であるこの凧を高く高く霞むまで揚げたいという心持ちは果たして私だけのものであろうか。 誰にも大なり小なりこのような心持ちになることがあるのではなかろうか。冒頭の歌は、まさに、地上の私と空高く揚がる凧との距離にあって生まれたものである。何か気分の重いような出来事があったりして心が塞がれたような状況に陥ったとき、 よく「時が解決してくれる」というのを聞くが、 これは、時間的距離が効用となることをいうもので、時間と空間の違いはあるけれども、私が空高く揚がる凧に感じたのと等しく、 そこには距離というものが関わり、作用することが思われる。では、以下に、関連する詩一篇と短歌一首を付す。
      あなたの
      わたしの
      ありある思い
      こころに風を
      こころに歌を
      たこたこあがれ
      天まであがれ

      地に歩み 天に思ひの 詩が一つ たこたこあがれ 天までとこそ 
                *                       *                         *                 
  以上は、随分前の記事であるが、私のノートの中の一頁に残る感懐である。 この正月、 久しぶりに凧を揚げる光景に触れてこの一文を思い出した。 それにしても、 凧揚げの光景を見ていると、 何か昔と違う感じがある。 凧揚げは数組見られたが、 子供の数が少なく、みな親に付き添われ、 親と一緒に揚げていて、 子供たちだけで揚げているグループは一つもなかった。 違いはこの点に起因しているように思われるが、これも時代の流れというものだろうか。