大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年01月19日 | 写詩・写歌・写俳

<139> 氷 柱 ( つ ら ら )
         事態に際して 始末に負えないことは
       為すべきではない いや 為してはいけない
       それを否応なく為すならば 為す者は
       全面的にその責任を 負わなくてはならない
       それが出来ないならば その者に為すべき資格はない

    日本列島はカラカラ天気が続き、いろいろなところに弊害が出ているという。このニュースを聞いてなるほどと思っていたら、三日前から咽もとがおかしくなって、昨日の午後、三十八度九分もの熱が出た。で、掛かり付けの医者に行ったのであったが、即座にA香港型のインフルエンザという診断を受け、薬をもらって帰った。
   どこでどのようにA香港型のウイルスに感染したのか、これは私の最近一週間ほどの履歴によるのであろうが、カラカラ天気の影響にもよろうか、それにしても、どこでどのように感染したかとんとわからない。これは私にウイルスを見抜く能力がないことによるが、まさにまき散らされた福島第一原発事故の放射能の状況に等しいもので、あの放射能を思い浮かべることになった。
   ウイルスの場合はどこに発生源があるのか、定かでないけれども、放射能ははっきりしている。人類は科学によって未来を切り拓いて来た。原子力もその一端であるが、結果は私たちに都合のいいことばかりではない。これが今回の福島第一原発の事故であり、私たちの状況を言うものであることを私たちに教えたのであった。
  私たちの生は自然のバランスの上に成り立っている。その自然を探り、いじくるのが人間の知恵、科学であって、それは概ね人類に効果をもたらすものであると考えられるのであるが、そこには私たちにとってマイナスの半面が潜んでいることも福島第一原発事故の惨状は示したのである。
   あの事故の惨状は自然に対する科学の未熟において表面化したことであり、人間の奢りの一端を露呈したものと受け止められる。そして、この事故は、自然という大きな器の中に人間が関わる人工というものも含まれ、この事故のあたふた状況もその中の出来ごとで、自然の本来的な姿は何も変わっていない自然の大きさというものを私たちに改めて認めさせたのである。
   私たちは生きて行く上で、都合のいいことを押し進め、不都合なことには目を瞑って来たきらいがある。これは以前にも述べたが、自然における真理には両面がある。そして、この真理は私たちの輻湊する生活状況の中で、見え難くあるのが現状で、事故や事件や病気でもそうであるけれども、そこのところが不明瞭なことが多々に及ぶ。この不明瞭のままに事が流されてゆき、真理がいよいよ見えなくなって事態を問題化に向かわせるに至る。
   東京一極集中などは現代日本の典型的事例であるが、真理の片面が見えていない状況と言えるのである。合理主義的米国に追随してゆくのであれば、政治のワシントンと経済のニューヨークを分離しているような面こそ見習うべきで、一極に集中してすべての欲求をそこに叶えようとするやり方は、自然の真理(例えば、明暗、良悪ということ)を見ない愚かなやり方であると言える。ましてや、私たち日本人は災害多発の列島の上に日々を営んでいるのである。
   まあ、しかし、これは、理想を言うもので、政経などは成り行きに任せなくてはならないのかも知れない。で、もっぱら対処療法ということで、あたふたすることになる。その事に当たってであるが、真理を求めて諸因を断つのがよいとして、それがなかなか難儀なのはウイルス一つをとってみてもわかる。見えないゆえに対処は難しい。ましてや、放射能のごときは事態において対処出来ないのであるから何をかいわんやである。しかし、それがいまもって発生元である原発に対する判断が出来ない。ここで知識力とか想像力とか叡智というものが問われるところとなるが、人間の業とでも言える欲求が正しい思考を見失わせることになる。
    私のインフルエンザは、とにかく、病名がわかり、対処の方策が出来ることになった。これも人間の知恵、科学の進歩に負うところであるが、人間の知恵、科学で負うことが出来ないものについては、私たちにそれを用いる資格はないということではなかろうか。で、今日は処方してもらったタミフルを飲んで、一日中寝床の中にあり、冒頭の詩句を得たのであった。

                      
   インフルエンザは相当急速に流行しているようで、私の後から診察室に入った幼稚園児くらいの年齢の患者二人とも検査を受け、A香港型の宣告を受けた。やはり、カラカラ天気が影響しているのであろうか。以前に袢纏の効用を記した身には言い訳し難いところであるが、インフルエンザについては袢纏に関わりのないように思われる。
    山ふかみ春ともしらぬ松の戸にたえだえかかる雪のたまみづ                                  式子内親王
   今日はこれだけの文章が少ししんどかったが、何とか書いた。これからが寒さの絶頂期であるが、蒲団の中で、ふと、この歌が
思い浮かんだのであった。この歌のよいところは、自然に対する素直な目が覗えるところで、たまみづ(玉水)に春の訪れを待つ心持ちがよく伝わって来る。で、写真は、ぴったりのイメージではないけれども氷柱(つらら)を用いることにした。
  自然のバランスの上に流行の兆しをみるインフルエンザウイルスのようなものは暖かくなれば消滅してゆくが、自然のバランスを壊して発生させた放射能というようなものは厄介な存在で、始末が悪い。自然の一員として生を得ている私たちには自然の真理に基軸を置き、自然に向かい合う必要があろう。教訓に学ばない者は愚かである。教訓:インフルエンザの予防には嗽と手洗いの励行。いよいよ寒さ厳しき折柄、諸兄、諸氏にはご自愛のほどを。