大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年01月11日 | 写詩・写歌・写俳

<131> 枯  野
        一面に乱るる軍旗なる
枯野
  芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」は『奥の細道』の平泉での作。 句は藤原三代の栄華の旧蹟に寄せて詠んだものであることは前文でわかる。 曰く、「三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。高舘にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は和泉が城をめぐりて、高舘の下にて大河に落入。 泰衡等が旧跡は、衣が関を隔て、 南部口をさし堅め、 夷をふせぐとみえたり。 偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打ち敷きて時のうつるまで泪を落し侍りぬ」 と。芭蕉の句は夏であるが、 私はススキの枯野を見ていると、芭蕉が思い巡らした軍兵の戦がそこに連想される。私の場合は地名にかかわらず、 立ち枯れているススキ自体が群をなす軍旗のように見え、比喩的情景にあることが思われる。 風があれば、ススキの軍旗ははためき勇み、風がなければ軍旗は静まり安らうというほどの眺めである。
              
 それにしても、 歴史を繙くと戦火のない時代はないほど人はみなよく争いをして来たことがわかる。 これは生きるということ自体が既に生存競争の争いの中にあることを示すもので、 その争いの最たるものが権力闘争であって、 この争いは多くを巻き込む戦火にも至る。そして、戦火は繰り返されて来たのである。
 これは、もちろん、我が国だけのことではなく、世界の国々、世界の人々にも言えることで、この闘争は何処も同じく、国家間にも及び展開されて来た。 ギリシャの破綻に端を発した欧州諸国の国状悪化はここに至って厳しさを増しているが、この状況を脱するのに何をもってなすかが問われるところである。思うに、 生存競争の力学に恃むのではないかということなども思われて来たりするわけで、ここが今年の注意点ではないか。 単刀直入に言えば、 欧州の打開策は何処かに戦火の犠牲を強いるという戦略、それを恃みにするのではないかという懸念があることが思われるのである。
 例えば、イラン辺りがその標的ではないか。 世界における戦火の歴史を見るに、これは十分に考えられることで、あり得ると言える。戦火によってどこの国が潤い、 どこの国が困るかであるが、当然のこと、戦場になる当事国は打撃を被るわけで、犠牲になる。 ならば、戦火によって潤う国はどこかということであるが、「特需」という言葉が頭を過る。この辺りが注意点と言えようか。果たして、龍の今年、世界はどのように展開してゆくのだろうか。
 枯野の風景から妙なほうへ思考が向ってしまったが、 私たちの暮らしはこのグローバルな生存競争の中にあって実に不透明な状況下にあることが指摘出来る。我が家のように慎ましく暮らしている者にもその状況は否応なく影響して来る。イランへの貿易封鎖という事態になれば、日本には原油高騰ということで、私たちには生活にも響いて来ることになる。これは、単なる戦火ではなく、 経済戦争の一面をも担うわけで、火の粉は戦場の周辺のみならず、世界に及ぶ。そして、 この状況は困る国と得をする国を生むことは歴史がよく伝えるところである。
 この想定が幻想であってくれればそれに越したことはないが、 この悲観的想定を荒唐無稽と断じることが出来る者はそう多くはないはずである。但し、タカ派の米国が存在するのに対し、一方には中国やロシアの存在があるという世界の政情バランスがこの想定の回避に働くことを一縷の望みとしてあることも、また、 思われて来る。ススキの枯野に風を起こすのはどういう力学の働きによるものか、影響を受ける私たちには見極める必要がある。