これは伊勢雅臣氏のメルマガからです。長いので1,2のみ紹介します。お正月に届いたもの。
■1.今上陛下のお言葉に見る初代神武天皇の祈り
あけましておめでとうございます。弊誌も本年は創刊25周年を迎えます。本年もよろしくお願い申し上げます。
新年にあたって、天皇皇后両陛下はビデオメッセージで国民にお言葉を述べられました。そこでは、次のように国民各層に思いを寄せられていました。[産経]
「亡くなられた方々に、深く哀悼の意を表しますとともに、大切な方を亡くされた多くの方々に、心からお見舞いを申し上げます」
「この新型コロナウイルス感染症の影響により、仕事を失ったり、苦しい生活状況に陥る方も多く、心が痛みます」
「(東日本大震災で被害を受けた)多くの方々が、困難な状況の中で今なお苦労を重ねておられることを案じています」
「昨年も台風や大雨により、多くの方が被害に遭われ、亡くなられたことに胸が痛みます」
国民の苦しみ、悲しみを御心に受け止められたメッセージでした。「大御宝を鎮むべし」(大切な国民が安心して暮らせるように)と述べられた初代・神武天皇の祈りが、脈々と第125代の今上陛下に伝わっていることが感じられます。
■2.神武東征は作られた説話だとした津田左右吉氏
いきなり神武天皇などと言うと、そんな史実でもない神話をまともに論じられるか、と左手の方向から物言いがつきそうですが、まず神話と史実の関係を考えてみしょう。
古事記・日本書紀(あわせて「記紀」)に述べられている神武天皇の物語を厳密に検討して、「歴史的史実ではない」としたのは、戦前の津田左右吉・早稲田大学教授です。津田氏の説は「津田史観」として今日の歴史学・考古学の主流とされています。
大正8(1919)年に刊行された『古事記及び日本書紀の研究』では、たとえば、遅れた熊襲(くまそ)の占拠地だったヒムカ(日向)が「どうして皇室の発祥地でありえたのか」などの諸々の疑問点、矛盾点を挙げて、こう結論づけています。
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神武天皇東遷の物語の意義は、・・・天皇が日の神の御子であられるという思想から形づくられた説話なのである。こう考えると、上に記した種々の疑問は、あるいは解釈し得られ、あるいは根本的に消滅し去ることになろう。約言すると、東進は歴史的事実ではない・・[津田]
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南九州の辺鄙な土地、歴史時代に入ってからも遅れた熊襲が跋扈(ばっこ)していた土地が皇室の発祥地だ、というのは不可解だ。しかし、皇室は「日の神の御子」なのだから、それを示すために日に向かう日向(ヒムカ)に天下られ、現在の大和に「東進」(神武東征)したという「説話」が作られた、というのです。
様々な矛盾や疑問点は神武東征が作られた「説話」である、と解釈することで解消する、だから神武東征は歴史的事実ではない、というのは、いかにも乱暴な議論です。
たとえば20年前に起きた殺人事件の容疑者が見つかったとします。アリバイを供述させると、あやふやでいろいろ矛盾が出てくる。だから、お前の話は全部でっちあげだ、と断定するのと同じ論理なのです。20年も前の話なら、記憶が薄れたり、思い違いが混じったりする事も当然あるはずですが、そういう可能性はいっさい無視してしまうのです。
記紀の神話が「歴史的事実ではない、作られた説話だ」という津田説は、こういう強引な論理から出てきているのです。後述するように、神武東征があったと考えなければ説明できない史実が一つでも出てくれば、崩壊する論理です。
実は、この問題の津田左右吉氏は岐阜県美濃加茂市出身です。
さて昨日の北京五輪では、以前紹介したことがある岐阜市の17歳の村瀬心 (木偏に花)(ここも) が、女子スノーボードビッグエアで銅メダルでを取得。冬季五輪日本女子メダル獲得最年少記録を打ち立てました。これまでの最年少は、19歳の浅田真央選手でした。昨日は、日本の女子スケート団体追い抜きで銀メダル。高木美帆選手は日本人女子最多の6個のメダルを取得しました。
2/16付け 中日新聞