昨日は、元文部大臣の赤松良子さんの講演会と、彼女が制作した「ベアテの贈りもの」の上映会があったので、JR岐阜駅のハートフルスクエアに出かけました。
赤松さんは、83歳とは思えないほど、矍鑠(かくしゃく) としておられます。労働省局長時代、男女雇用均等法の立案をされ、著書もあります。彼女は退職を機に、映画を作ることを発案。親友の故高野悦子さんにアドバイスを受け、ドキュメンタリー映画を制作。これが「ベアテの贈りもの」です。
赤松さんは、播磨の守護大名だった赤松家の出身。ご先祖は、室町時代の嘉吉の乱(かきつのらん)で知られています。赤松家は代々小柄で、高野悦子さんは大柄。お互いに「大蛇」と「小蛇ちゃん」と呼び合っておられたそうです。
ベアテさんは、ピアニストのレオ・シロタの娘。オーストリア生まれのレオ・シロタは、楽友協会でも演奏会を開くほどの腕前でした。(ここは10年前に行きました)。やがて一家で来日。日本では芸大教授でしたが、大戦となり、シロタがユダヤ人であったため迫害されるようになり、ベアテさんは米国に留学。
日本は敗戦となり新憲法が決められることになりました。そのメンバーの一人にベアテさんが選出。彼女は軍属として帰国していました。帰国したとき、父は行方不明でしたが、ラジオで演奏を聞き、NHKに問い合わせ軽井沢に幽閉されていることを知り、会うことができました。
憲法を作るにあたり日本側からの反対事項が多くあり、ことごとく削除されたのですが、第14条と第24条だけは譲りませんでした。日本側は、最後まで男女平等の箇所を削除せよと激しく抵抗したのに驚かれたそうです。この時ベアテさんは22歳でした。
ベアテさんは、昨年暮れ89歳で他界されました。 合掌。
後で調べると、赤松さんは、著名な画家・赤松麟作の次女。講演中一言も言われなかったことでした。画家は良子さんを溺愛し、作品も残されています。
レオ・シロタは、楽友協会でも演奏
演奏会プログラム
ベアテさんは幼い頃東京で暮らしていました 父は芸大教授
ベアテさんが創案した日本国憲法14条と24条
赤松さんは、83歳とは思えないほど、矍鑠(かくしゃく) としておられます。労働省局長時代、男女雇用均等法の立案をされ、著書もあります。彼女は退職を機に、映画を作ることを発案。親友の故高野悦子さんにアドバイスを受け、ドキュメンタリー映画を制作。これが「ベアテの贈りもの」です。
赤松さんは、播磨の守護大名だった赤松家の出身。ご先祖は、室町時代の嘉吉の乱(かきつのらん)で知られています。赤松家は代々小柄で、高野悦子さんは大柄。お互いに「大蛇」と「小蛇ちゃん」と呼び合っておられたそうです。
ベアテさんは、ピアニストのレオ・シロタの娘。オーストリア生まれのレオ・シロタは、楽友協会でも演奏会を開くほどの腕前でした。(ここは10年前に行きました)。やがて一家で来日。日本では芸大教授でしたが、大戦となり、シロタがユダヤ人であったため迫害されるようになり、ベアテさんは米国に留学。
日本は敗戦となり新憲法が決められることになりました。そのメンバーの一人にベアテさんが選出。彼女は軍属として帰国していました。帰国したとき、父は行方不明でしたが、ラジオで演奏を聞き、NHKに問い合わせ軽井沢に幽閉されていることを知り、会うことができました。
憲法を作るにあたり日本側からの反対事項が多くあり、ことごとく削除されたのですが、第14条と第24条だけは譲りませんでした。日本側は、最後まで男女平等の箇所を削除せよと激しく抵抗したのに驚かれたそうです。この時ベアテさんは22歳でした。
ベアテさんは、昨年暮れ89歳で他界されました。 合掌。
後で調べると、赤松さんは、著名な画家・赤松麟作の次女。講演中一言も言われなかったことでした。画家は良子さんを溺愛し、作品も残されています。
レオ・シロタは、楽友協会でも演奏
演奏会プログラム
ベアテさんは幼い頃東京で暮らしていました 父は芸大教授
ベアテさんが創案した日本国憲法14条と24条