つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

関市の遺跡

2013-10-28 | 岐阜県
 今年の岐阜県歌人クラブの吟行会は、関市の方が当番で詳しくご案内下さり、昨日は有益な一日でした。岐阜県に大規模な古代遺跡があったとは全く知らなかったです。国分寺跡より更に古い壬申の乱の時代のもの。国指定史跡弥勒寺跡です。今は廃墟になっていますが、奈良時代には、五重塔が聳え、金堂、経堂、正倉院までありました。正倉院は米蔵。その痕跡もみられます。仏像の一部も発掘されています。この場所に遺跡があるのは、672年壬申の乱のとき大海人皇子(後の天武天皇) に味方した天皇の舎人であったこの土地の豪族・ムゲツ氏の存在があったからです。

 円空は、この弥勒寺を再建しようとして境内に庵を結んでいたのですが、残念ながら焼失してしまいました。
 この遺跡に近い所に円空館があり、円空仏が展示されています。円空のお墓にもお参りしました。この地で入定されたのです。出生地は羽島市という説が有力です。上の写真は昼食。左上の四角いものは、鮎の煮こごりを裏ごしした一品。その右の四角いものはサツマイモのケーキ。どちらも美味しかったです。

 その後は、刃物会館とか、鍛冶伝承館、春日神社、関善光寺にも寄り帰宅の途につきました。関市にこんなに多くの見どころがあることを初めて知りました。明日より暫くお休みします。

追記; 昨夜午前3時、我が家の斜め前の路上で、競走馬とトラックが衝突する事故が発生。そこに軽乗用車も追突し、馬と軽乗用車を運転していた人が亡くなってしまいました。馬が散歩コースを外れたために事故になったのです。軽乗用車の人の仕事はトラック運転手で、職場に向かう途中でした。とんだ暴れ馬のおかげで傷ましいことです。中日新聞記者が様子を聞きたいと取材に来ました。 


   
    国指定史跡弥勒寺跡

             
              古代建築があったことを示す巨大な礎石

   
    関市円空館 (展示品は撮影禁止)


関鍛冶伝承館 毎月ここで刀がうたれます

   
    こういう衣装は儀式の時だけ

        
          春日神社の能楽堂 年一度演能されます

   
   関善光寺

            
             日本一と言われる鐘

   
    善光寺境内にある芭蕉の十哲の一人広瀬惟然記念館にて
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同窓会 12

2013-10-27 | Weblog
 今年も恒例の同窓会に出ました。場所はいつもの岐阜グランドホテル。下の写真は、昨年10/28にも紹介した加藤さん。昨年と少しも変わっておられません。「小ぎれいに年をとりたい」と言われています。和服姿からは想像も出来なくて、乗馬もされますし、自分で運転して会場に来られます。8年先輩。願わくはこうありたいものです。上の写真は、ホテル入口に飾ってあった青い薔薇。

 予報では、昨日が台風の接近する日になっていて、直前まで幹事さん達は大変だったようです。最終判断をするのは、杉山先生。先生は人徳に恵まれているようで、台風はそれて開催できました。85歳の先生は、パソコンを駆使され、絵葉書も作成。昨年は本まで発行されました。下の絵葉書の文字も書かれました。書道から歌道、茶道、謡曲も続けておられます。私はお稽古ごとのために学園に通い、大卒後一年しか在籍しなかったのですが、後に女子大に昇格しました。

            
             加藤さん

     
      右手前の料理は鮎のなれ寿司 塩と米飯とで発酵

     
      左はまいたけとしんじょう


杉山先生の書の絵葉書

            
             今年ものぶさまタクシーに乗れました

        
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公民館短歌会91、文化祭展示、伏屋さん出版祝賀会

2013-10-26 | 短歌
 ふたつの台風がそれて、昨日は公民館短歌会も、文化祭の展示も、伏屋さんの自分史「ふるさとの雛祭り」出版祝い食事会も予定通り行うことが出来ました。いつも第三金曜日ですが、不都合な人が多くて今月は第四になりました。毎年の文化祭展示に出向く日と重なり、おかげて一回で済みました。展示の飾りは年々工夫がこらされます。最初の年は、花が枯れて困りましたが、今はそれをクリヤー。秋の実などを並べています。
 上の写真は、町文化祭ポスター。短歌展示が載せて頂けました。

 先月伏屋さんから頂いた著書(記事は9/21)の感想を言いながら昼食。その前に花束贈呈しました。彼女は、主婦、母親、嫁の役割を完全にこなされているので、皆さん感心していました。私もごまめの作り方を参考にしたいです。今はお孫さんのお世話もされています。趣味も多いです。

今月の一首
テレビ見て子役が出る度かわいいと夫は孫持ち言ふやうになる   Kさん

          
           著者の伏屋さんに花束をプレゼント

      
      
      
       出版祝いの食事とデザート

          
           町文化祭短歌コーナー

          
          鈴木さんは短歌の他に油絵も出品
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歌集 雀舌記

2013-10-25 | 短歌
 所属している短歌結社・高嶺を主宰されている井上生二先生が、このほど、「歌集 雀舌記」(じゃくぜつき) を上梓されました。4年ぶりの発刊で、第五歌集。九州にお住まいの内科医師で、90歳になられます。この歌集名にされたのは、思いもかけずご高齢で舌癌に罹病され、手術を受けられたことによります。

 後記には、「舌癌術後のベッドにゐて、ふと思ひ出されたのは、幼く聞いた舌切りすずめのことであった。雀でも舌を切られたのだと思ひつき、その説話の由来の諧謔心にこころの安らぎを得ることができた。平癒への力があたへられた。雀にお礼をしなければといふ気になった。
 退院して漢和辞典をひらいたら、雀舌の語が目についた。上等の茶の別名。茶の芽のいたってやはらかいからといふ、と記されている。その佳き意に魅かれ歌集名として雀への報恩としたい」とあります。

 第四歌集「少頃歌」(しょうけいか) については、2009.6.28に書いています。次に好きな歌を挙げます。

妻をらず母もをらざる西の軒母屋といひて夕べに帰る

老いたれば冷えしみじみとしづむ足春きたまへな春は母の名

薔薇静脈植ゑられて吾に尚あらむ命は残りの時間のつよさ

職ゆゑに胸ポケットにつねにもつ死を瞳孔に見るペンライト

まだすこし間があると思ひゐし頃より躰あちこち切除されぬ

指さきに柔らにさはる蘭のはな今年うしなふ触覚ひとつ

雀の舌みじかかりけむ糊なめて切られしといふ雀舌あはれ

(注;薔薇静脈とは心臓バイパス手術の折切り取られる太ももの血管のこと 亡父もこの手術を受けました) 

           
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よし川

2013-10-24 | Weblog
 揚輝荘に行った日の昼食は、久しぶりにゆっくり名古屋でとりました。友人の案内で、近くの「よし川」へ・・・池下駅近くの「古川美術館」へは何度も行っているので、その隣にあるレストランは知っていました。目的はそのレストラン姉妹店「よし川繭の家」です。

 昼定食を注文してしばらくすると、店主らしい女性が挨拶にこられました。この人は幸枝さんと言い、テレビなどにも出られている有名人らしいです。友人の話によると、歩く100億円と言われるほどの宝石を身に付け、立志伝中の人らしいとか・・・
 噂をしていたら、本当に華やかな人が現れびっくり。とても昭和9年生まれには見えません。聞けばここ50年で、店を50店舗拡げたとか・・・そしてその日は、料理の先生。5歳で父親が亡くなり、13人兄弟の末っ子で住むところも追われ、母子でリヤカーを引いていたこともあるとか・・・

 一代で財をなし、億単位の収入があるのに、料理の先生をしたり、自身で描かれた水墨画を客に出す料理に敷いてみたり・・・
 とにかく超人的。お子さんは二人あるらしく、あの忙しさでどう育てられたのかということにも興味があります。厨房の料理人は何十年も勤めた人ばかりのようで、人徳が伺われます。「御夕飯はきちんと自分で作って下さい」という言葉が耳に残ります。

 岐阜から来たと告げたら喜ばれていました。隣席は千葉からのお客様。料理もとても美味しかったです。写真の左端に写っているのは、とろろの天ぷら。初めて頂きました。右端のひじきも、茄子の揚げ煮もほどよい味つけでした。

      
       むぎとろ定食

   
    デザート

             
              店主の幸枝さん

   
    幸枝さんの書と水墨画

         
          庭の蹲

     
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揚輝荘

2013-10-23 | 歴史
 昨日は、松坂屋初代社長の伊藤祐民(すけたみ)氏が、大正から昭和初期にかけて名古屋の覚王山に建設した揚輝荘を友人と訪ねました。完成時は、一万坪の敷地に三十数棟の建築物が建ち、威容を誇っていました。庭園も池泉回遊式となっています。上の写真は、聴松閣。
 戦争により一部焼失は惜しまれますが、近年名古屋市に寄贈され、修復も終わり、一般公開されています。
 建物はおおむね南園と北園に分かれ、南園は通常建物の内部も観覧出来ますが、北園は庭園のみ。内部は電話申し込みにより水曜日と土曜日だけ公開されています。

 伊藤氏は、特別に個人教育を受け、学識が高く、揚輝荘、聴松閣という呼び名も漢詩から採用。昭和9年、4ヶ月間に亘り仏教遺跡を巡る旅に出られ、部屋により、インド風、中国風の意匠も見られます。旅の膨大な記録は、16mmフィルムに納められ貴重な資料になっています。ルンビニの丘やアジャンターの壁画も・・・カメラマンも随行されていました。

 柱や階段の手すりは栗材。かんなではなくて、ちょうなで仕上げられています。各界の要人や文化人も招かれていました。
 自ら決めた55歳の定年で退職。その後の人生はボランティアに投入。留学生の受け入れもされていました。

        
         玄関の扉周囲の彫刻

    
     玄関天井照明

  
   二階から庭を撮影 丸い踏み石は八丈島から運ばれた椿油をひく石臼

    
     地下室(インド様式)の舞踏室の窓ガラスのヒマラヤの絵 地上から採光 


インド風の壁画                            中国風の窓枠

     
      北園入口の豆柿

   
    北園の伴華楼

      
       北園にある修学院離宮の橋を模した白雲橋 (よく似ています)

  
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地球温暖化を知る;そのリスク像 2

2013-10-21 | 学校
 2日目は、前日の続きで、海水面が上昇したときとか、地球温暖化が進めばどういうことになるかと言うことに言及されました。前回(5/20) の水の講話との関連もあります。
 このまま温暖化が進めば、まず生態系が変わってきます。動物も植物も適応できにくくなります。気温が1度上がると、南に400m移動したことになります。仮に100年で3度上昇するのに適応しようとすれば、毎年12kmの速さで北に生育地を拡げる必要があります。
 実際人がその植物を収穫するために北に移動すればよいのですが、まさかモンゴルの遊牧民のような真似は出来ません。

 温暖化が進めば、サケの生育地は北上し、オホーツク海を含む日本近海がサケにとって好適な場所でなくなることになり、我が国のサケマス漁は深刻な事態になります。21世紀末には世界の海の生物の生育地は大きく変化すると予想されます。
 このままでは、2050年までに世界で漁獲量が半減。水揚げ高が400億ドル(3兆6600億円)減少。漁民の収入が120億ドル減少するという試算があります。

 農業にも悪影響があり、熱波の頻度が高まり、家畜の死亡となります。干ばつや洪水は、家畜の飼料となる穀物の生産を阻害します。

 海水面が上昇すると、海水が川の上流にさかのぼってしまうことが考えられます。貝や魚が新しい環境に合わせて移動し、漁場が変わる可能性もあります。20世紀後半に海面は約10cm上昇したそうです。
 地下でも、真水と海水のバランスが崩れて、真水をくみ上げていた深井戸に塩水が混じる可能性もあります。小さい島や沿岸地域は注意が必要です。

 一酸化炭素増加の問題を解決する道の一つとして、3000mの海底にそれを埋没させる方法があるようです。その深さでは安定しているそうです。そういう提案をしている国際組織IPCC第38回総会が来年3月横浜で開催されます。4月にはドイツのベルリンです。(検索すると英文のページが出ます)

 20世紀では、領土、石油をめぐる紛争の時代でしたが、21世紀は、水をめぐる紛争の時代になりそうです。





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地球温暖化を知る;そのリスク像

2013-10-20 | 学校
 昨日から二日間の予定で、放送大学岐阜学習センターの面接授業に出ています。テーマは、「地球温暖化を知る;そのリスク像」。講師は清水宏晏先生。先生は理学博士で客員教授。太極拳の先生でもあり、俳句もすばらしいです。下の映像は、日本武術太極拳連盟30周年記念太極拳集団演武の600人。この中に6人の岐阜代表がおられ、その一人が先生です。
 ちなみに放送大学も今年は創立30年です。公募により、放送大学の標語が決まりました。「学ぶ、世界が変わる」です。

 受講したのは30余人で、この中で女性は数人。自己紹介の時間があり、分かりましたが、岐阜市やその周辺の私達より他地域が多かったです。富山県、滋賀県、三重県、愛知県、高山市からは4人。昨年まで日本一暑かった多治見市からも・・・この人たちは市内に宿泊。先生の講義は人気があるようです。先生は乞われて東京で講義されたこともあります。メタンハイドレードで著名なのです。

 テーマは、「地球温暖化を知る;そのリスク像」。地球温暖化に対する漠然とした知識が、より詳しく具体的に学ぶことが出来ました。地球温暖化により海面が上昇するのは、氷山が溶けることによるだけかという認識でしたが、もう一つあり、海水温度上昇のため、海水が膨張するためということ。50%ずつです。

 先生の水についての講義を、5/20に書いていますが、水は世界に不公平と結論づけられました。しかし、地球温暖化はトータルで数値が出るため各国が温暖化に協力しなければ解決されません。ところが米国と中国は全く協力の意志がなくて二酸化炭素を減らす条例に調印しません。米国と中国の二ヶ国が特別多く二酸化炭素を排出しているのに・・・大国のエゴですね。

 日本が世界のために打ち上げている二つの観測衛星のことをマスコミは、あまり伝えていません。水循環変動観測衛星「しずく」と、温室効果ガス観測衛星「いぶき」。後者の衛星は米国は失敗つづきで諦めています。その衛星から得たデータを日本は米国に提供しているそうです。
 (帰宅して夫に話すと観測衛星のことは知っていました。当然ですね。この衛星を作ったのは三菱重工ですから。夫は元社員でした)

 使われたテキスト(地球の温暖化はどれくらい怖いか)の副題を先生が解釈されると、「温暖化をこわがりすぎず、こわらなさすぎず、正当にこわがるための知識と考え方を共有しよう」ということになります。
 先生は、来年2/15、「環境・エネルギー・水・食糧」というテーマで、公開講演会をされます。当然申込みます。

俳句誌「郭公」掲載の先生の俳句より(俳句の記事は3/29)

畑焼くや見えざるものを呼び覚ます
つぎつぎに光散らして鳥雲に
童子らは神の掌にあり桃の花


    
    スライドは日本武術太極拳連盟30周年記念太極拳集団演武の600人


大国のエゴを表すグラフ


日本が打ち上げた二つの観測衛星「しずく」と「いぶき」


2/15の案内
    
       
        放送大学のあるふれあい福寿会館での岐阜ジュニア吹奏楽団の演奏(昼休みに撮影)
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教祖になった二人の女性

2013-10-18 | 学校
 昨日の放送大学心理学ゼミで、「神がかり」の意味ー教祖になった二人の女性ーというタイトルで、小山田先生の講話がありました。
 二人の女性とは、大本教開祖の出口なおと、円応教開祖の深田千代子。二人とも貧しい生い立ちですが、生真面目。それと共通するのは、お父上も夫になる人も、酒好き、遊び好き。この人たちは、普通の人が見られない霊的なものも見える資質の女性と思われます。学識とは関係がなくて・・・

 私は大本教の出口王仁三郎のことは、30年前に人から聞いて知っていたのですが、その人が開祖と思っていました。実は開祖は、なおさんで、王仁三郎はなおさんの娘婿で教祖。
 これも知らなかったのですが、大本教が生長の家、世界救世教、天理教にも影響を与えていたということ。開祖は、大正11年に、不敬罪と新聞紙法違反で弾圧されました。開祖になる人の行動は、凡人には理解できないので、こういうことになるのですね。イエス・キリストが十字架で処刑されたのも同じ理由によるのでしょう。

 いずれにせよ霊界のことが見える人がいることは、霊界が実在する証拠です。講話の後、一人ずつ感想を述べるのですが、大方の人は、神棚に手を合わせ、仏壇にもおまいりはするけれど、神の存在は否定するという考えでした。私は霊界も肯定しています。このことを話しはじめると長くなるので、発言は一般的なところに止めましたが・・・上の写真は、昨日撮影した庭の秋明菊。下の写真は、Fさんから頂いた絵葉書。ベニーアンダーソンの「花の天使の聖なる世界」



    

      
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中将の能面

2013-10-16 | わが家
 4/18 夫の友人のSさんに新作能面を注文していました。このほど完成され、届けて下さいました。中将のひとつらしいです。面だけでなく、奥様が母の古い帯からバッグまで作って下さいました。老母もびっくり。キルティングに仕立ててあり、反対側には、別の模様のある袋までついています。朱色の糸は古くて刺繍糸が擦り切れていたため補修までしてあります。

 更に明治11年生まれの祖母(与謝野晶子と同じ年)が使ったいた帯は、敷物に・・・とても100年前のものとは思えません。この帯は母もよく覚えていて、「外出時は結んであげた」とか・・・この布地で能面の袋まで作って下さいました。上の写真は、袋の上に載せて撮影したもの。この公孫樹柄の一部をあしらった敷物も作って下さり、これも感激。(最下段)

 昨日は、母校の岐阜大学付属中が全国合唱コンクールで優良賞を獲得。初出場でした。55年ぶりの出場とNHKニュースで言っていたのですが、これは開校以来初めてということ。私たちは第一回の卒業生でした。母校の活躍は嬉しいものです。

 午前7時現在、ここ10年で最大級という台風26号が、関東沿岸に接近しています。伊豆大島では、午前4時前の一時間、75年の観測史で最大の122mmの雨量。24時間では800mmとか・・・岐阜では青空が見えてきましたが・・・


母の帯地からのバッグ                  バッグの反対側

  
   祖母の帯地の銀杏の模様をあしらった敷物

     
     
      手みやげに岐阜名物の「いかだばえ」まで頂きました
      添加物なしで美味しかったです
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