かなり前のことで、去年の11月、NHK「新日本風土記」の「名古屋大須」を録画していたのですが、なかなか見る暇がなくて、先日ようやく・・・特別愛着のある土地でもないのですが、名古屋大須の発祥が岐阜であることを、アナウンサーが説明するか確認したかったのです。
番組の終わりにそのことは説明されました。もともと鎌倉時代から岐阜県羽島市大須に古事記(国宝)があったのに、水害の心配があると言うので家康が、名古屋の大須観音に移しました。大須という地名も宝物も乗っ取ってしまいました。尾張は御三家の一つでしたので、横暴は許されました。事実水害は確かに多かったのですが、原因は愛知側を岐阜側より3尺低く堤防を作れと命令されていたため水害が岐阜ばかりになったのです。羽島市の大須はローカルな田園地帯。土地の人もこの経緯はあまり知りません。50年前は大須行きの電車がありましたが、廃止。すっかりさびれています。
大須観音ばかりでなく、蓬左文庫の国宝の文物も多くが岐阜より渡っています。岐阜の人も愛知の人も学者以外はあまり知りません。つまり尾張が御三家になる前は名古屋より岐阜の方が格式が高かったということ。岐阜城もテレビでは信長が建てたように言いますが、鎌倉時代からありました。名古屋城よりうんと古いのです。信長は山裾に居館を作り、増築しただけ。先ごろ斎藤道三が作ったと言われる石垣が発掘されました。名古屋城の石垣は近年作られただけです。
本日6月30日は、2004年このブログを開設して16年となりました。多くの皆様のご来訪に感謝します。下は昨日までの3日間のアクセスなどです。
大須観音