つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

受贈歌誌

2019-06-28 | 短歌

 定期的に発行される短歌誌を毎回交換している結社がいくつかあります。年刊、季刊、月刊とまちまちですが、発行者には時には会ったこともあります。「あけび」は、月刊ですが、表紙絵は一年同じのため割愛。

 「彩雲」は季刊。主宰者の田中さんの体調が思わしくなかったせいか、3期分まとめて到着。51号では回復されたらしくたくさんの作品が見られます。病気中も作られたことが素晴らしいです。50号は記念号でした。

 「池田歌人」は年刊。主宰者の小川さんはご主人を亡くされた後もお元気です。京都の小野小町ゆかりの小野寺、三室戸寺、上賀茂神社まで吟行もされ、会員さんの作品も多いです。

彩雲・田中伸治さんの作品から

褐色の胸美しく肩白き鳥待つのみのひと日が昏れ行く

窓見れば小枝にアトリ眼の高さ南へ渡らむ身づくろひする

耕せし田に見え隠れ餌のなか冬の鶺鴒寂しく帰る

 

池田歌人・小川恵子さんの作品から

有無を越えどくだみの花いつせいに十字を切れば生るる初夏

切りし髪柩にをさむる眠る夫来世もあるかいついついつか

裂傷も清くおほはれゆくものか夜をこめて雪はわたくしに降る

 

あけび6月号の墨林衛さんの作品より

紺碧の海掻き分けて浮上せる鯨の肌の黒く光りて

白き腹見せて跳躍わき立てる海面しばし泡立ち消えず

近ぢかと寄りて次つぎ吹き上げし汐に一瞬虹のかかれり 

 

彩雲 49号と50号は同じ図柄

池田歌人

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がんばっ展 4

2019-06-26 | 文化

 隣町の笠松町エルパンドールで開催されるがんばっ展も4年目となりました。短歌会の会員の伏屋さんも出されているので、初日の昨日出かけました。昨年は1月でしたので、一年半ぶり。着々と作品を作られています。お孫さんに対する愛情が感じられる手作り絵本。手作りアルバム。つい面倒でCDとかに入れてしまいがちですが、ビジュアルなものはいつでも見られ、記念になります。彼女自身の水彩画も着実に向上しておられます。

 手作り絵本は二人のお孫さんにそれぞれ作られています。主なモデルはご自宅で飼われているネコ二匹。手作りアルバムも個性的。ここでお嫁さんへのメッセージがあることに、さすが・・・お孫さんを生んでくれてありがとうと。

 どうやらお子さんにも手作り絵本を作られていたらしく、古いけれども来年はそれも展示予定があるそうです。7/7まで。 

 

 お孫さんのための猫の絵本

二人目のお孫さん パステル画 残念ながら反射してしまいました

お嫁さんへのメッセージ 生んでくれてありがとう

お孫さんのための数の絵本 布表紙です

反射が残念ですが猫をよく捉えられています パステル画

畑の玉ねぎ管理はご主人

 

絵手紙作品

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歌集 聖餐

2019-06-25 | 短歌

 私たちの歌人結社「高嶺」は令和を待てず、平成30年に終刊したのですが、高橋亭留子さんは、その後他の結社で歌を続けられ、この度私にまで、元高嶺会員ということから歌集が贈られてきました。スリランカ旅行前に送られて来ましたので、少し紹介が遅れました。

 タイトルは、「聖餐」。表紙絵とともにタイトルからキリスト教信仰者であることが理解できます。彼女は神戸に住まわれ、飛松先生から短歌を誘われたことは私と同じです。彼女は早くからスモン病に罹患され、さらに今は癌を併発されています。幸い進行は遅いようです。仕事は翻訳業をされているらしく、知的な作品が多いです。好きな作品を挙げて見ます。北羊館 174頁。

あめに濡るる沓脱石のひとところ孫と花火をせし跡のこる

子の腰に今年も結べる角帯を一つ叩きて雑煮に坐る

癌を病む内なる願ひを声にして伏して祈れる十字架のまへ

玄室の石の隙より洩るる光ありて即ちのぞく現し世

タクシーを止して電車とバスにする人に触れたくけふ車椅子

赴任して倅が独りで住む筑波の文字太く見ゆけさの新聞

痛き日を木陰によけて翻訳す列なしてゆく蟻の言葉を

山よりの夫のみやげ遠出せぬわれに小枝の蓑蟲ふたつ

キリストのたとへし葡萄といちじくにまた指よごす故ある如く 

病み継げる身にある一つの慰めは生きに固執のなき事とせむ

 

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公民館短歌会 152

2019-06-22 | 短歌

 昨日の公民館短歌会では、君が代の話題とスリランカのことから始めました。以前、君が代が古今集の中の一首であることは取り上げましたが、その後に入られた方もあるので、確認のためでした。渡航した方の中でも知らない人があったため、気になっていたのです。

 曲は明治時代に作られたもの。江戸時代は鎖国だったため、国歌は必要ありませんでした。他国の国歌の歌詞を見ると、独立戦争の血のことが歌われていて生々しいものが多いです。英国は女王を称えていますが・・・日本は歌詞も曲もおだやかでよいと思います。

 万葉集は閑話休題として、日本書紀の同じ時代の天武天皇8年、5月5日の吉野行幸の作品を取り上げました。その中には十干十二支のことが多く記されていましたのでその表も配布。甲子園の由来なども話しました。壬申の乱も、戊辰戦争もここから採られています。

 この日は明治神宮春の大祭で入選されたKさんから、その日の選者知りたかったので見せて貰いました。顧問には岡井隆さんとか岡野弘彦さんの名前もあり、さすがと思いました。

今月の一首

草引けば伸びて縮みて逃げてゆく蚯蚓かわいく土かぶせやる  Hさん

 

(本来は短歌会151とすべきでしたが、5月は記事の中に短歌会のことを書き込んでいますので、152としました。)

 

作品集

 

 

十干十二支  今年は乙亥です

 

Kさんからの信州みやげ 

 

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スリランカ紀行 6

2019-06-21 | 海外旅行

 そろそろ記事をまとめようかと思いながら、まだ書いていないことがあることに気づきました。スリランカは果物が豊富であること。そして固有種もあります。ジャックフルーツの巨大さには驚きました。庭にゴロゴロなっているのです。味も甘くて上々でした。

 小鳥も多いらしく、バードウォッチングにも出かけました。でも1時間では限界がありました。

 パパラッチと言われるピンクのサファイアの原石を産出するので、宝石の店も多かったです。

 ある日、1回目に書いた、日本を分割から救ったジャヤワルダナ元大統領を記念する建物に案内されました。日本人が彼に感謝をこめて、寄付した建物で、建築に協力した日本人の名前が掲げてありました。そこでは、スイカジュースやココナツジュースを頂きました。日本政府は彼に感謝をこめて、最初の高速道路を造りました。世界中に日本はお金をばらまいていますが、こちらは、妥当と感じました。

 コロンボ空港を発つまでは、VIP。貴賓室に招かれフリーパス。そこへ行く通路も限られた人しか通れません。普通のゲートで並ばず、貴賓室までパスポートは届けられました。発つときと同じく梅雨の中を、成田から中部国際空港に帰着しました。

 

 昨日は予定通り、年一度の放送大学短歌講話をしました。テーマは、令和について。スリランカ旅行のことも交えて話しました。君が代が短歌であることも・・・

 

固有種の果物 ジャンブ?

固有種の赤いバナナ

カシューナッツ

ランプータン

ジャックフルーツ

フルーツの盛り合わせもきれい パインは日本より甘い

バスの窓から象の移動も見えました

ジャヤワルダナ元大統領記念館にあったピンクサファイアの原石

ココナツジュース

バードウォッチング

最後の日の朝は先生の部屋で朝食 ダイアナ妃やエリザベス女王も宿泊した部屋

 

暗い写真ですが思い出深い月の光の下でのディナー 松明の下では管楽器が演奏され君が代も奏でられました

美味しかったのはエビ

お茶もふるまわれたコロンボ空港貴賓室

どの看板にも英語とシンハラ語とタミール語の3種類で書かれていました 丸っぽい文字がシンハラ語 新聞も3種類発行

滑走路と道路と鉄道と海岸線が平行に走る世界で唯1カ所のところ

 

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スリランカ紀行 5

2019-06-20 | 海外旅行

 スリランカで著名な仏歯寺は、文字通り仏陀の歯が収められています。ここも靴をぬいで裸足か靴下のまま。国中の人が早朝から訪れ、10時には閉まるので、早朝に出発しました。聞きしにまさるところで、お釈迦さまの歯の収められているまばゆいばかりの金のストゥーパは、初めて見ました。長い行列に並び、合掌し、次の人に譲ります。先生のご先祖は白い傘を代々奉納されるので、私は傘を持って並び、納めました。

 ここでもVIPの待遇で特別の貴賓室に入れてもらい、そこで最高責任者の僧に、老眼鏡を寄付。贈呈式の後、お茶もいただきもてなされました。普通の人は入れません。まばゆい宝石に飾られた仏像が安置されていました。

 仏の歯がインドよりこの地に渡った経緯も絵になり額縁に入れ、掲げられています。3階は博物館になっていて撮影禁止。過去の王の冠などが展示されています。宝石を産出する国であるせいか豪華です。

 この寺の高いバルコニーから大統領は就任演説をします。この場所にも特別に案内されました。ここにも普通の人は入れません。

 途中司令室にも寄り、老眼鏡を寄付。贈呈式があり、後、国独特のおつまみや美味しいマンゴージュースがふるまわれました。 

 

 左右にあるのは仏歯がセイロン島に渡った経路の絵。

 

仏歯寺の貴賓室

老眼鏡の贈呈式

大統領が就任演説されるバルコニー(3階)

司令官室にも訪問し老眼鏡を寄付

 

司令室のおつまみ マンゴージュースが美味

ある日のメーン料理の白身の魚 美味しく頂きました

 ある日のディナー前菜 サケは抜群の味

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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スリランカ紀行 4

2019-06-19 | 海外旅行

 まだ観光のことを紹介していません。贈呈式ばかりでなく、お寺も廻りました。その間もずっと空軍の車に先導され申し訳なかったです。食事の時も彼らは遠慮して遠い席に座るのです。大抵現地の料理で辛いものが中心です。中華もあり、けっこう美味しく頂きました。ホテルのディナーはフルコースでした。

 最初に訪問したカラニヤ寺院は、私たちは蓮の花などを捧げただけでしたが、この寺は一日中、周囲にゴザを敷いて座り、礼拝している人が多くて、仏教国であることを思わされます。寺庭も内部も靴は禁止で、裸足か靴下のまま。寺院の外周は信者の捧げる花で埋めつくされ、ハスやジャスミンの香りが漂っています。小乗仏教の国は日本とかなり違います。

 翌日行ったのは世界遺産の要塞都市ゴール。オランダ統治時代に作られたもの。町全体が世界遺産。海辺には牢獄の跡もあります。スリランカは、最初はシンハラ国(セイロン島) でしたが、ポルトガルに植民地にされ、次はオランダ。さらに宝石の産地であることから英国が狙い、植民地となりました。過去に諸外国の支配で、辛酸をなめていますので、今は、外国人に決して土地は売りません。日本では一部外国人名義の土地になっているようで、土地売買も自由で心配です。無防備状態にあります。法律を作り何とか守ってほしいです。

 

カラニア寺院入口

祭壇の花

葉が赤くなり白い花の咲く「ナー」は国花

プルメリア この花のレイが何度も懸けられました

2日目もレイ 白花の人もありました 

随所に咲いていたジャスミン

要塞都市ゴールは世界遺産

国会議事堂

 

バスの窓より見たヒンズー教寺院

サプライズで頂いたワンピース 夫は白いシャツ

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スリランカ紀行 3

2019-06-18 | 海外旅行

 なぜVIPか、という理由が希薄と思われますので、先生のことを少し書きます。夫君が、日本の古い車椅子を修理して地雷で手足が不自由になったスリランカの人たちに送るボランティア・「蘭花の会」を15年位前にスタート。その時、私たちは幾何かの基金を出しました。

 その後、近隣の市町から買い替えのため不要になった消防自動車や救急車も寄付され、船便で送られるようになりました。更に老眼鏡や奨学金を、何度も贈呈するうちに国から文化勲章の話が持ち上がり、夫君は受賞。奥様の先生も当然貰えたのですが、いろいろ会議があり、時間も取られ、煩わしいので拒否されています。でも夫君の資格があるので、VIP扱いとなります。それに私たちも便乗している形で参加しました。老眼鏡代として少し援助しています。

 先生はNHK外国人日本語弁論大会に総理大臣賞を受賞された時、梶原岐阜県知事から秘書を依頼されました。今の古田知事は語学が堪能のため通訳はいりません。2000年のWFWP女子留学生日本語弁論大会でも東海一の賞を受けられ、賞金は母国に寄付されたようです。全国大会は特別賞でした。NHKの場合は300人の応募があり、予選から本選まで何度もハードルをくぐりぬけられています。今はNHKの大会はありません。さらに文部科学省の高額奨学金が貰える難易度の高いテストにもパスされていました。日本語検定試験には、最初から1級をパス。普通は3級から始め、2級がやっとで、1級の挑戦には諦めます。

 当時は内戦が激しく母国にいては学問もままならないので日本に渡航。京都大学から岐阜大学の留学生になられました。もう学生結婚されていたため、博士論文提出と出産とかさなり大変な時でしたが、クリヤー。その後各方面で通訳され大活躍。伊勢湾サミットでも通訳。オバマ大統領とも近い位置でした。来年のオリンピックでも通訳の予定があります。

 先生のご実家は、50エーカーの紅茶畑を持つ資産家のため、賞金は寄付されてしまいます。そして今も国に貢献。家の一部をスイス大使館に貸しておられます。

 ところで昨夜は満月。6月の最後の満月の日、スリランカでは、仏教伝来の記念日として祝賀行事があったはずです。紀元前3世紀、仏教が伝来し、各地に遺跡があり、国民の大半が仏教徒。大統領も仏教徒でないとなれません。あちこちに日本の七夕のような飾りが見られました。この日のためにムードを盛り上げているのです。

 

5つ星ホテルの玄関より プールの向こうは海

このプールには水着で浸りました

ハスの花束でお迎え

スイカジュースで乾杯

ダイアナ妃宿泊の部屋と似ています

バブルバス

窓の外のサル 窓を開けるのは禁止

花嫁さんたちに遭遇 Congratulations!と声をかけて撮らせてもらいました。ところが帰宅して調べると花嫁に言うべき言葉ではないと知りました。道理で嬉しくない顔でした。これは失敗でした。

結婚50年のサプライズには感謝です 私たち二人にはお洋服まで・・・ 

 

 

 

 

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スリランカ紀行 2

2019-06-17 | 海外旅行

 1泊目はヒルトンホテルでしたが、2泊目からは、スリランカの名建築家・ジェフリー・バワが設計したホテルのスイートルーム。特に先生の部屋はダイアナ妃やエリザベス女王も宿泊したところで、一般の写真には公表されません。二つのホテルにそれぞれ二泊したのですが、海辺のプールがすてきな景色になっています。どちらも同じ人が設計してして雰囲気が似ています。

 予定より遅れたのですが、消防自動車、救急車、老眼鏡、奨学金の贈呈式が空軍本部で挙行されました。日本でいえば防衛省でしょうか。トップは、総司令官。日本でいえば防衛大臣です。ご夫妻で歓迎頂き、立食パーティでは奥様とも少し話しました。先生のようでした。総司令官の命令は、時には大統領さえ凌ぐそうです。入口には赤い絨毯が敷かれて、楽団の演奏で迎えられました。計画変更は、当日インド首相が訪問したからです。国民の皆さんはインドはそれほど歓迎しないそうです。

 この日の様子はテレビでも放映されたので、ある店で買い物をしていると店員からテレビを見たと先生に声をかける人もありました。これはビデオに収録され後日送られて来るそうです。民族舞踊二種が披露された後、両国の国歌が歌われ、私たちは「君が代」を斉唱しました。

 モニターにはローマ字と、英訳が出ました。「君が代」が短いということをスリランカでは言われているらしいので、「あれは短歌ですから31文字なのです 二番はありません」と説明しました。短歌講師という立場で参加しましたので・・・スリランカ国歌は軽快でした。夫は元教授という肩書。君が代の英訳ははじめて見ました。 異国での君が代は感動的でした。

 奨学金を受け取った少女は社長のGさんの足元にひれふしていますが、この国のマナーのひとつのようです。エランガ先生は地方から受け取りに来た少女に、交通費と幾何のお小遣いを上げられました。めったにコロンボのような都会に来ることはないので、家族から買い物を頼まれているはずという先生の配慮です。

 

宅急便で昨日届いたスーツケース 初体験のVIP 夫は二度目 亡父も体験

赤い絨毯が敷かれ楽団に迎えられました

民族舞踊の披露

 奨学金の贈呈式は学童が感謝をこめて挨拶

モニターには君が代の字幕も出ました

贈呈した消防車

返礼品の空軍ネクタイ

コロンボヒルトンホテルにて

 

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スリランカ紀行 1

2019-06-16 | 海外旅行

 8日から15日まで、英会話を習っているエランガ先生の母国・スリランカに行ってきました。前から誘われていたのですが、なかなか実現しませんでした。直通便は中部国際空港から出ていないため、成田に前泊。日本からの消防自動車や救急車、老眼鏡、奨学金などの贈呈式にも出て、観光も兼ねた実りある旅でした。世界遺産がたくさんあります。メンバーは、6人。先生と東京の会社社長、私たち夫婦、友人2人です。

 成田からスリランカの首都コロンボまでは9時間です。時差3時間。空港ではVIP扱いで、ゲートも別です。大臣の迎えもあり、プルメリアのレイを懸けられました。安倍首相も入られた貴賓室に招かれ大臣と懇談しました。これは、先生ご夫妻が長きにわたり、国に貢献をされているからです。私は戦後日本が分割されようとしているところをこの国の第2代大統領・ジャヤワルダナ氏が「恨みを持って解決してはいけない愛を持たなければ」と大国を相手にしてスピーチし、日本を救ってくれたお礼が言いたかったのです。大統領旧宅のその博物館にも先生は案内下さいました。

 1週間の旅は空軍の車に先導され始まりました。常に前方を走り、白い手袋をはめた兵士が後ろ座席に座り、誘導するのです。私たちの特別車にも3人の男性が乗り観光案内もして頂きました。先生の執事もおられます。つまり6人のメンバーに、警護が6人の旅でした。先生のご夫君は若くして文化勲章を受賞。先生も貰えるのですが断れています。でも彼のおかげで特別待遇です。空軍の車を邪魔すると罰せられます。渋滞すると無線連絡で原因が分かるらしく、迂回路で逃れます。時には逆走をして、4月のテロの現場も見せて貰いました。ひどい荒れ方で修理中でした。

 旅の間は日本の天気が心配で、NHKワールドニュースを見ていました。幸いの雨。これまでの旅行では鉢物の水やりを母に頼んでいたのですが、今はもう頼めません。でも枯れていなくてほっとしました。旅の前日、鉢物を木の下に運び、寒冷紗をかけました。

 

伊豆大島の上空らしいです 中部国際空港から日本航空で

前泊の成田東武ホテル

スリランカ航空チケット

スリランカ航空のフライトアテンダント 孔雀柄のサリーがユニホーム

VIP専用の空港内のバス

大臣と懇話 空港内の貴賓室

4月のテロの現場跡を通過

ジャヤワルダナ第2代大統領の資料

6人のメンバー コロンボのヒルトンホテルで

 

1000ルピー札 500ルピーも1000ルピーも似ています

 

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