つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

第67回清流ぎふ国体

2012-09-30 | 岐阜県
 昨日は、第67回清流ぎふ国体の開会式でした。岐阜では47年ぶり。テレビの画面ばかりですが、備忘録としてupします。
 47年前のように、炬火は、乗鞍山頂で採火する予定でしたが、雨天のため叶わず、別の日に採火。47年前は、高校三年だった古田知事が、炬火の最終ランナーをされました。そして、今回は両陛下のご案内と、開会宣言、そしてまた炬火ランナーとして走られたのです。3役をこなされました。知事のエッセイは、日経新聞夕刊の「こころの玉手箱」に、9/10~14の5日間掲載。英語も仏語も堪能であることが分かります。

 由紀さおりさんも國光ともこさんも歌も衣装もどちらもすてきでした。美智子皇后陛下もこの二人も清流の色に合わせて、衣装は水色。國光さんの記事は、2006.6.28, 2007.4.28, 2010.7.25. 岐南町出身のソプラノ歌手。

 グランドの炬火ランナーは、ロンドン五輪の新体操7位の松原選手から、高橋尚子選手へ、その後知事が47年ぶり二度目のランナーを務められ、最終ランナーのインターハイソフトテニス優勝の高校三年安藤選手にに引き継がれました。

 実は本日わが町の体育館に両陛下を迎えるのですが、整理券がないので入れません。台風17号が近づいているのですが、近づくのは夕方ですから長刀の試合は出来そうです。
 最下段の写真は、3年前から閉館となっていた、岐南町の大松美術館。国体開催中は無料開放ということで久しぶりに覗いてきました。前田青邨、川合玉堂の作品の数々と、茶道具が素晴らしかったです。館長の節子夫人ともまたお話出来ました。ご夫妻の銅像が別室にありますが、いつごろの作品ですかと聞いたら、「私が60歳の時です」という返事でした。

追記; 本日午前10:20 町の体育館に両陛下を迎えました。2枚写真を追加。写真は、天皇陛下の手だけになってしまいましたが、皇后陛下もしっかり拝顔できました。昨日と別の色の衣装で深い紫。品位がありました。

     
      開会式前のイベント 由紀さおりの「ふるさと」

   
    宗次郎のオカリナの伴奏

         
          両陛下を案内する古田知事

   
   開会宣言の古田知事

       
        國光ともこの「君が代」 

   
    ロンドンオリンピック新体操の松原選手

        
         松原選手から高橋尚子選手に

   
    古田知事も衣装を変えて二度目のランナーに

            
               大松美術館 
 
    
     両陛下の車 菊の御紋がついています

         
          左側の建物が長刀会場
   
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母校での短歌指導

2012-09-29 | 学校
 母校の校長先生の意向で、子供達に短歌作りを指導して欲しいと頼まれ、昨日は、6年生2クラス(1組31人, 2組32人) の教壇に立ちました。母校へは民生委員のころ、卒業式などのイベントに呼ばれていました。大よそ5年ぶり。校長先生が変わるとこんなにも違うのかしらと驚きました。開校140年。(写真上)

 6年の教室は3階。階段が三カ所あるのですが、その段差に算数の公式(三角錐の体積の求め方など)や、世界の首都の名前、徳川15代将軍の名前、俳句、短歌などが貼られているのです。中学年の校舎の階段には、そのレベルにあわせたもの。低学年の校舎には九九などが貼られているそうです。毎日階段を昇降するたびに学べるようになっています。手作りで、ビニールコーティングしてあります。

 授業は私が短歌の概略を説明し、個別短歌指導は、3人に手伝ってもらいました。クラスのまとまりもよくて、素直に聞いてくれました。あらかじめ教科書を県総合教育センターで見せて貰っていたので、レベルに合わせました。まだ習っていないのに、「まんようしゅう」と漢字で書ける人は・・・と挙手を促したらどちらのクラスも正しく書ける子が一人あり、○をつけてあげました。黒板に書くのも48年ぶり。大学4年の教育実習以来でした。ゆとり教育で、ひところは絵本のような教科書でしたが、レベルが上がっているのも嬉しいことでした。

 2コマの授業が終わり、校長先生が校長室で謝礼を出されましたが、ボランティアということで辞退しました。 

       
        昔のままの二宮金次郎さん 68年の間に野口英世博士の胸像が・・・

   
    校長室の前の太陽光発電システムの表す数字

        
        短歌実作風景 担任の先生のTシャツの背には石巻と書かれています 夏休みには東北へボランティアに・・・(1組)

     
      作品を森の熊さんのメロディーで歌ってもらいます(2組) 

  
   廊下に貼り出されていた公民館短歌会のメンバー8人の作品(8月は夏休みのため7月のもの  9月は昨日持参)
   下段は学童の短歌作品  
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デイゴ

2012-09-28 | 岐阜県
 以前から岐阜県庁の庭にデイゴがあることは気づいていたのですが、なかなか撮影できずにいました。花の時期がもう終わりかけですが、何とか先月末撮れました。南方の花がどういう経緯で、この場所に植えられているかは知りません。もうかなり年数は経っているようです。今もわずかに咲いています。

 沖縄県の県木で、街路樹や庭木として植えられているインド原産の木です。沖縄ではちょうど入学式の頃、葉が開くより先に赤紅色の美しい花を咲かせ、とても目立つようです。しかし近年は台風やデイゴヒメコバチによる被害のため、デイゴの花を目にすることが少なくなってきて、立ち枯れも深刻な被害となっているそうです。しかし、この花は沖縄のものより小さめで、アメリカデイゴのようです。マメ科。カイコウズとも言います。千葉では庭でも育てているのが見られるとか・・・

    
    
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白根山

2012-09-27 | 国内旅行
 同窓会二日目は、白根山にバスで登り、志賀高原ルートで上越市から岐阜ひるがの高原を通り帰宅。この二日間の行程は、岐阜→長野→群馬→新潟→富山→岐阜というめまぐるしさでした。

 残念なことは、白根山は頂上に行くにつれて悪天候になり霧と雨で、全く火口湖(湯釡) が見えなかったこと。それに外気温は8度という冷え込みようでした。天候が良ければ、上の写真のような景色が見えるはずでしたが・・・この湖は世界一の酸性度でPH1,2。ロープウェイもある観光地で、冬はスキー場となり、双子の萩原兄弟はここで育ち、スキージャンプの選手となりました。
 標高2160mの活火山。高山植物もたくさん見られ、固定種、たとえばシラネアオイなどが知られています。

 中腹は下の写真のようにやや曇っていた程度でしたが、頂上では視界ゼロ。中腹も外気は酸性度が強く、バスから降りることは禁止されています。バスの中まで硫黄のようなにおいが立ち込めてきました。
 この二日間バスの運転手は、運転歴13年の女性。とてもうまくて男性陣も感心していました。美声でガイドしながらの運転でした。岐阜県で女性バス運転手第一号。

 旅の最初の休憩所で撮ったガの一種と思いますが、名前が分かりません。最下段に追加upしました。 

  
  白根山中腹

     
      本来はこのような景色のはずでした

  
   休憩所で撮ったりんご 

     
      バス運転手の女性

        
         ガ

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草津温泉

2012-09-26 | 国内旅行
 慌ただしかったのですが、かねてからの予定通り、同窓会のバス旅行で草津温泉に出かけました。最初の休憩場所は、信州の新田醸造。味噌蔵を見ながら説明を聞き、本醸造の味噌も購入。ここでの食事は、薬膳料理風でした。それが下の写真。左上の細長い揚げ物は、朝鮮人参の天ぷら。固かったのですが、健康によさそうです。真ん中のメーンの品は、牛肉の味噌漬け。左端は、みそ雑炊。右端のうどんにあるのは、天然しめじ。その上方のお豆腐に載せてあるのは、葱味噌。お茶はそば茶でした。上の写真は、みそ樽で、大正時代のもの。写真には写っていないのですが、隣にあった鉄のタガのものは明治時代のものでした。仕込み量は、6000kgです。杉材。

 曇天で浅間山は見えなかったのですが、無事宿泊する草津温泉に到着。ここははじめてです。
 最下段は、夕食。左手前のうす緑の豆腐は、笹入り。ここの名物だそうです。色から見て抹茶と思ったのですが・・・
 

 
 昼食の薬膳料理

             
              天然醸造の味噌

 
  草津温泉の夕食
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神戸からのお客様

2012-09-25 | わが家
 22日は、夫の友人のIさん一家を神戸から迎えました。お孫さん3人とともに総勢6人。双子ちゃんがかわいかったです。親族も区別できないほど似ているK君とY君。同じDNAでお顔はそっくりなのに性格は違うそうです。不思議なことに・・・下の写真の左は、双子ちゃんの弟のTくん。

 長良川鵜飼見物を楽しんでもらい、翌日は長屋門見学と世界淡水魚館アクアトトぎふへ。昼食後は、航空宇宙博物館に夫が案内しました。車の定員がオーバーになることもあり、私は同行せず、翌日は朝食を出した後、草津温泉に同窓会で出かけてしまい、ご無礼してしまいました。日程的にこの日しかとれなかったのです。鵜飼は10/15には最終となりますし・・・
 鵜飼船に乗る前には、岐阜公園内の名和昆虫博物館にも連れて行ったそうです。お子さんたちに満足していただけたようです。昆虫をあれだけ集めた博物館は、日本ではここだけです。

 Iさんは、明石海峡大橋の建設主任技師としてで大活躍をされ、完成時にはテレビにも出られました。お借りしたビデオに網羅されています。(写真上) 下にはビデオの一場面もupしました。橋脚の部分には230000立方メートルの土砂が埋められていたり、何もかも型破りのスケール。おかげで、阪神淡路大震災のときも橋脚部分は損傷もなく、1mほど移動しただけでした。
 おみやげの神戸ビーフには恐縮してしまいました。

 最下段は、留守の間に届いたアルベロベッロからの絵葉書。実際は写真よりずっと素敵で温かさを感じられたそうです。(記事は9/19)

     

          
  
   神戸ビーフ

  
   上の写真のビデオの一場面

      
         歓迎の花(シマススキとヤノネボンテンカ)

 
 Gさんからの絵葉書   
 
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公民館短歌会 79

2012-09-22 | 短歌
 8月はお休みでしたので、2ヶ月ぶりに公民館短歌会を開きました。残暑もようやく和らいできたのですが、日中は30度を越えました。 昨日の百人一首は、83番の俊成の歌。91歳まで生きた人ですが、27歳の時の作品。
 世の中よみちこそなけれおもひ入る山のおくにも鹿ぞなくなる

 俊成は、平忠度の歌の師でもありました。平家が滅びてゆき、一の谷での戦いの前に忠度は師の俊成に自分の歌を巻物にして渡します。「もう次の戦いでは死ななければならないと思うので、平和な世になり歌集が出来たらこれを載せて欲しい」と言い残して討ち死します。哀れに思った俊成は、自分が編纂した千載集にこの中の一首を載せます。よみびと知らずとして。源氏の世には名前が出せなかったのです。(平家物語より)
 さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山ざくらかな

 忠度は清盛の異母弟。母が歌人であったため歌になじんで来ました。41歳で亡くなったのですが、歌が俊成のおかげで残りました。キセル乗車のことを薩摩の守と言うのは、忠度(ただのり)が薩摩の守であったからです。上の写真は、庭の百日草。下は、昨夜咲いた二度目の月見草の蕾。出かけたり来客のため、2日ほど休みます。

今日の一首
週末の脱原発のデモ行進動かぬ民が動き始むる  Fさん

    
 
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生きること・死ぬこと 2

2012-09-21 | 学校
 昨日は、放送大学で7月20日に生死の話をされたTさんが、その続きの講義をされました。11月の予定が都合で早くなりました。前回と少し違い、科学的に考察された内容。遺伝子レベルの話までされました。生死の問題をここまで深く追求されているとは、想像していなかったです。

 私の場合は、少し異なり、科学的にもある程度の知識は必要ですが、霊界の存在を信じているので、ここまでは考えたことはありません。人間の死は、体は死滅しても、また別の形で生きると思っています。6/28に紹介した「天国からの手紙」を読むと納得できます。下の画面の「死とはどういうこと1」の疑問は、これで解決出来るはずです。臨死体験の本を読んでも別のアプローチが出来るかもしれません。最下段の写真は、我が家の白百日紅。

  
  
  
  
  

     
  
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松井先生追悼会 2

2012-09-20 | 学校
 昨日は、昨年につづき、岐阜市内のホテルで、教え子夫婦が、松井先生の奥様を囲んで思い出話をしました。お若い時の先生の写真を拝見しながら・・・ご存命なら96歳の先生は東大出でしたが、お父上も東大出。お祖父さまは江戸時代の藩の医師という家系です。ご子息は医師で、先生の最期を看取られました。

 先生の後に続いて米国に留学されたのが二人。その一人の元教授Yさんが、最下段の英文のプリントを持ってこられ、配布。内容はよく昔から言われていることで、「青春とは年齢ではない、心の持ち方である」という意味のことが書かれています。89歳の先生の奥様は、英文科教授でしたので、一目で判読。「50年これで食べてきたのよ」、と笑われました。上の写真は、口直しで出されたザクロのシャーベット。

   
    4夫婦が集まりました

 
   オードブル

      
       フィレ肉のグリル

    
    女性だけの6種盛り合わせのデザート しかも取り放題 (男性は5種)


青春とは・・・      
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イタリアみやげ

2012-09-19 | わが家
 友人のGさんがイタリア旅行から帰られ、昨日、おみやげを頂きました。アルベロベッロで買われたチョコと、トマトのクラッカー。チョコは、中に乾燥いちじくとナッツが入っていてとても美味しいです。日本人経営者Yokoさんによるもの。日本からメールを出せば、日本語での注文が出来ると言う案内が入っていました。(laerayoko@tiscalinet.it)
 アルベロベッロのトゥルッリを見てこられたようです。テレビでよく見るあのとんがり屋根の建物です。1996年に世界遺産に登録されています。上の写真は、トマトのクラッカー。下は、Y.LAのチョコ。どちらも初めていただきました。最下段は、トマトクラッカー。

   

      

  
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