つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

TGV

2007-08-31 | 海外旅行
 フランス新幹線TGVに乗って、スイスよりパリに向かいました。日本の新幹線の方が古いですが、日本が車両も駅もうんと綺麗です。窓の外の景色は遊牧地がつづき、まるで北海道でした。緯度は北海道より北。白樺もあり旅情豊かです。
 到着したパリ駅の汚さには驚きました。10年前パリへは空路でしたので、駅は初めて。ユーロで統一されているためか、ここも国境の検問はなし。しかし、スイスはまだユーロでなくて、スイスフランでした。
 教育者のペスタロッチはスイス出身。その銅像がチューリッヒにあると聞いていましたが、この度の旅行では、ベルンとユングフラウ中心で、見ることは叶いませんでした。
 また、セガンティーニの絵を思い出すスイスでしたが、セガンティーニ美術館にも行けませんでした。没後100年の年ですのに・・・
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アイガー 2

2007-08-30 | 海外旅行
 登山電車の終点は、高山植物のお花畑。これは、一見リンドウですが、咲き方から判断すると、ホタルブクロの仲間らしいことをドイツのブロガー(リンクしているpfaelzerweinさま) に聞きました。早速調べて見ると、やはりキキョウ科・ホタルブクロ属の「カンパニュラ・モレッティアーナ」らしいです。
 下の写真はエーデルワイス。日本名は、ウスユキソウ。20年くらい前、大阪の花博で見て以来です。キク科。
 この花についてもドイツ在住のpfaelzerweinさまのブログから知ったことですが、花は中心の黄色いところで、白い花びらのような部分は花ではないそうです。
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アイガー

2007-08-30 | 海外旅行
 ドイツ国境を越え、次はスイスです。パスポートのチェックもなく、バスであっという間に越えました。チェックされるかもしれないので、準備するよう促されていましたが・・・
 ユングフラウ登山電車で頂上が見えるポイントへ・・・目の前にアイガー南壁(写真)が立ちはだかるのを見て、さすが世界レベルの観光地は違う・・・しかし、同時に日本アルプスも決して捨てたものではないと思いました。新穂高ロープウェイも誇れるのではないかと・・・スイスの観光開発は100年前からという。古さでは負けますが・・・
 山頂は、時として吹雪となり、真冬の状態。前日(8/18)までのドイツも涼しくて、20度くらいだったでしょうか。
 スイス旅行の目的は、赴任している次男に会うことも視野に入れていましたが、予定が変わり、日本へ一時帰国となり、すれちがいました。一時帰国したときに聞くと、「まだ仕事が忙しくて、観光はしていない」とか・・・いつでも行けるからでしょう。
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ノイシュバーンシュタイン城

2007-08-28 | 海外旅行
 ドイツの山地の急峻な岩盤に立つ有名なお城ですが、悲劇的なストーリーにはっとさせられます。建設に17年を要しましたが、完成を待たず、城主のルードヴッヒⅡ世は、謎の水死をとげ未だに未解決のままです。誰かに湖に連行され・・・
 王は、聡明で長身の美男子。ワーグナーの信奉者で、城の名前もワーグナーのオペラの白鳥伝説に由来。名前の通り白亜の美しさです。ディズニーランドのシンデレラ城はここがモデル。
 城内もワーグナーのオペラの場面を描いた壁で埋め尽くされていますが、撮影禁止。
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ローテンブルグ

2007-08-28 | 海外旅行
 次は、古都ローテンブルグです。ロマンチック街道に入りました。中世の街に迷い込んだような特徴ある建物が並び、からくり時計も時を刻んでいます。一時間毎にからくりが時をつげ、人が時計の下に集まります。ロマンチック街道は、元はといえばローマ人がバイエルンの岩塩や泥炭を輸送したことに始まるとか・・・それと、どんどん高速道路が出来て、古都が取り残されるので、ロマンチック街道、ファンタスティク街道、ゲーテ街道、アルペン街道など、100以上の観光街道を作ったようです。
 この街の聖ヤコブ教会にある「聖血祭壇」は、有名な彫刻家のリーメンシュナイダーの作品。下段には「最後の晩餐」。早大教授で歌人だった今は亡き植田先生は、この彫刻家の研究をされ、著書もあります。著者にすすめられて本は読みましたが、もう20年も経ち忘却の彼方。もう一度読みたいと思いました。
 写真はマルクト広場の噴水。噴水の水面は、馬が飲みやすい高さに設定。人は樋から流れる水を飲んだとか・・・
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ハイデルベルグ 2

2007-08-27 | 海外旅行
 古城街道最大の町・ハイデルベルグは、ネッカー川を中心に、南北に広がっています。ネッカー川はライン川の支流です。ネッカー川に架かるカールテオドール橋は最古の橋。
 写真は、市内の聖霊教会のステンドグラスの1つで、広島原爆をイメージしています。文字は聖書の一節。右下に小さく1945.8.6と書かれています。大学の学部を象徴するデザインで窓を飾ろうというアイディアで、「物理の窓」が作られたのです。物理の定理も書いてあります。夫は専門ですので、なるほどと頷いていました。この赤は、愛でなく、暴力を表しています。
 この聖霊教会はゴシック様式で、14世紀の建築物。82mもの高い塔を持ち、大学の祭宴の場でもありました。ところが1693年の戦争で、55の墓碑があったのに、1つを残してフランス軍が破壊してしまいました。
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ハイデルベルグ

2007-08-26 | 海外旅行
 2日目は、フランクフルトからヴァインハイム、ハイデルベルグに向かいました。ここは、歴史的な街で、ハイデルベルグ大学はドイツ最古の大学。そういえば、高校の恩師の猿渡先生はこの大学の哲学の教授と親しくて、何度も訪ねられたと聞いています。
 ハイデルベルグ城は11世紀に建築が始まり、14~16世紀にかけて領主たちによって増改築が繰り返されてきました。そのため、ゴシックやバロック、ルネサンスなど各時代の建築様式が混在しています。フランス軍の攻撃を受け破壊され、改修。その後、2度の落雷以来、今のままになっています。
 写真はハイデルベルグ城のオットハインリッヒ城館。ルネッサンス様式。窓飾りにギリシャ神話の神々を飾る。上段と二段目は月から日曜日の女神達。窓枠だけ残り建物の内部は落雷で吹き飛ばされました。
 
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北京空港

2007-08-25 | 海外旅行
 利用した北京経由の飛行機は、途中北京からの乗客も乗せ、ドイツのフランクフルトに向かいました。たまたま隣席がドイツ人青年。夫と三人で英会話です。彼は、旧東ドイツに居て統一後西へ移住。中国にいる友人に会うため北京に行った帰りでした。私たちの15年前の中国旅行の話をすると、「その頃は東ドイツの建築現場で苦しい生活をしていて、中国旅行は夢のまた夢、本当に東西統一して幸せ・・・」と、嬉しそうでした。彼のように東から西に移った人は数知れないとか・・・東には仕事がなさそうで・・・
 「メルケル・・・」と切り出すと、??? 「首相です」と言うと、やっと「メアケルですか」と分かってくれました。日本の新聞はメルケルでなくて、メアケルと書いて欲しいです。「とても頑張っている首相」と彼女を讃えていました。
 中国は、2008年の北京五輪に向けてアピールしていました。あのマークは、象形文字から篆書、その次の金文文字になったころの形をヒントに作られたように思われます。
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関西空港

2007-08-24 | 海外旅行
 阪神震災後はじめての関空からでしたが、今年はヨーロッパに向かいました。8/2には第二滑走路も出来上がり、完全24時間運用。最初から24時間離着陸が出来る空港でしたが、二つあることにより、一方が改修時も使用出来るようになりました。開港までに地盤沈下が約9m。今も年間9cm沈下しているようですが、コンピューターで調整されているとか・・・
 この空港でしか見たことがないものは、22ヶ国語で、「ようこそ」と書いてある表示板です。(写真は、座席から窓外を撮ったもので、連絡橋を望む)
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悼・小瀬洋喜先生

2007-08-15 | 短歌
 岐阜県歌人クラブ代表であった小瀬洋喜先生先生が亡くなられ、明日神葬祭が営まれます。享年81歳。岐阜薬科大学名誉教授。長良川水質保全にも尽力なさいました。
 今年の新年歌会でご病後ながらも、リハビリで元気になられたお姿に接しているので、俄には信じられません。昨年の歌会では、即興の歌を箸袋に書いて下さったことをブログにも紹介しました。(2006.1.29)
 しかし、明日旅立ちますので、式には出られず申し訳ないことです。先生、御免なさい。合掌 (写真はシキミ。樒と書きます。シキミ科)
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