つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

公民館短歌会 185 思わぬ救急車

2023-04-29 | 短歌

 昨日の短歌会は会員さんの都合で一週間遅れで開きました。会も後半に進んだところで、公民館の前に救急車が停車。騒然となり歌会は中断。この岐南町南町民センターを使用して、17年。初めての事態です。昨日は私たちのほかに保育園の園児たちが使用していました。やがてタンカが運ばれましたが、救急隊員の腕に園児が抱えられて目の前を過ぎました。そして、20分ほど経過して発車。

 歌会終了後管理人に聞くと、園児の持病の腹痛らしく、心配はいらないとのこと。大事をとられたようです。それにしても発車するまでの時間があんなに長いとは知らなかったです。行先の病院を決めるのに時間がかかるそうです。会員のKさんは急病の時、娘さんが病院に搬送され、処置が早く助かりました。

 

 歌会は歌批評と添削にプラスし、今川氏真(うじざね) について話しました。今川義元は桶狭間では、信長に負けたのですが、息子の氏真は生き延びて、多くの短歌を作り、蹴鞠などで活躍し、家康とも懇意にして77歳まで生き延びました。そして、幕末まで子孫は脈々と伝えられました。江戸時代には寺子屋の教材にも今川家の家訓が用いられました。今も子孫が健在されているようです。東京都杉並区に今も今川の地名が残ります。時代により氏真の生きざまは否定されたこともありましたが。

今月の一首

スマホ撮り孫に転送苺狩り「いいな」の返事やり取り楽し  Kさん

写真は今年のボタンですが、もう散りはてました

 

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音楽療法6・サンサンの会

2023-04-28 | 文化

 昨日は午前中は、濱島先生のバイオリンミニコンサート。午後はサンサンの会に出かけ、岐阜県の農産物について、ぎふ農協代表理事組合長の岩佐氏の講演を聞きに、岐阜市立図書館のぎふメディアコスモスに向かいました。

 バイオリンの方は、前回と同じ方も参加されましたので、また「カノン」をリクエストしました。この曲は17世紀に作られていたとは知らなかったです。そして、春の海。初めて参加されたOさんは、ベートーベンの「春」を希望されました。これまでこんな名曲の名前が浮かばす、うかつでした。長さも丁度いし、軽快ですし・・・先生からは、この時期にふさわしい曲ということで、「ハナミズキ」を提案され、弾いていただきました。

 午後は友人に乗せて貰い、市立図書館へ。「岐阜県の農業事業とJAぎふの目指すもの」というテーマで話され、これまでの内容と重複する部分もありましたが、知らないことが多かったです。県内の伝統野菜の一つにに、まくわうりがあります。これは、美智子上皇后が皇居で育てることを希望しておられます。県としては気持ちに沿いたい意向ですが、献上品は例えば米の場合、ピンセットで一粒ずつ調べなければならないそうです。そんな理由から今は返事を保留にされています。そのうちなんらかのお達しがあれば考えるそうです。

 私が想像するには、美智子上皇后は、万葉集の山上憶良の歌の「うりはめば・・・」の「うり」が「まくわうり」であることをご存知ゆえに希望されたのだと思います。「まくわうり」の「まくわ」は岐阜県本巣市真桑で最初に栽培されたことによります。

 県内で生産される苺は3種類あり、収穫時期により味が変わるそうです。最初に1月に収穫したものが最も甘く、その後酸味が増すそうです。3種類を試食用として、「濃姫」「美濃娘」「華かがり」を頂きました。味の違いは微妙でした。有機農法についても話されましたが実現は大変困難なようです。コストもあわなくて。この日は珍しいハスカップのお茶も提供されました。

 

 

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A級戦犯 松岡洋右のスピーチ

2023-04-25 | Weblog

ルネッサンス編集部よりのメルマガです。

アメリカが70年以上隠し続けた 
日本人外交官の“感動のスピーチ”

現代の日本人には忘れられてしまった、
しかし戦前の日本人の記憶には深く残る
1つのスピーチがあります。

それは太平洋戦争の5年前、
日本人小学生に向け語られたもの。

このスピーチをおこなったのは、
「日本を戦争に導いた極悪人」と呼ばれ、
A級戦犯になった外交官でした。

彼は一体何を語ったのか?

そんな彼の“生の言葉”が記された
講演録を復刻しました。



今日は、この書籍から抜粋して、
実際の“生の言葉”を
少しだけお届けしようと思います。


From:松岡 洋右(まつおか ようすけ)

どうして我が日本という国は、
今日のような世界三大国の一つ、

アメリカ、イギリス、日本、
こういう国になったのか。
ということを話してみたい。

やがて段々大きくなって、
今後はあなた方が日本というものを
背負って行かなければならないことについて、

また背負っていかなければならない
人間になるについて、
参考になるじゃろうと思う。

(中略)

わずか四十年あまり前は、
日本はどこにあるかさえ
欧米では知らなかった。

その国が四十年後の今日は、
世界の三大国の一つ。

たった四十年、夢の如き感じがする。

それで今日は欧米人はいよいよ以って
訳が判らぬことになってきた。

日清戦争で驚いた。

今度は団匪事変(=義和団事件)では
日本人が我々と肩を並べていける
という感じを持った。

日露戦争ではびっくり仰天した。

それから世界戦争に加わったが、
五大国から叩き落とそう、
袖にしようとした。

しかし瞬く間に
三大国の一つであるということを、
誰いうとなく世界を通じて
認めるようになった。

しかも日本人は白人でない。
奇妙な奴が東洋に出てきた。

白人からこれを見れば
不思議千万である。

そこで以前はどういうことを
言っておったかというと、

ちょうど日露戦争を境にいたしまして、
欧米では日本人は戦が強い、
あれば戦の好きな奴なんだ。
こう言うていました。

いくら日本人でもみな死にとうはない。
そう戦争をして死にとうはない。

やたら戦争をして死にとうてならない
という者はいない。

欧米人には日本人が判らぬのだ。

彼らはあたかも我々を
半野蛮人のように思って、

むやみに戦が強い奴、
あれは戦が好きなんだ、
好戦国民なんだと言った。

これは甚だ迷惑至極な話であります。

ところがその後
日本の偉くなるに従って、
日本の歴史を研究し出した。

そして日本に深い文化のあることを、
それが一日で出来上がったことでは
ないことを知るようになった。

ヨーロッパ、アメリカの文明を
採り入れたけれども、
それだけで偉うなったものではない。

それを採り入れて、噛み砕いて
自分のものにすべきものはする、
すべからざるものはしない。

ちゃんとこれを巧く採り入れて、
こなすだけの素質が日本人にあるんじゃと
いうことが段々分かりだしてきた。

日本人はただ戦が強い、
戦が好きということではない。

これは深く研究しなければならない
世界の大問題である、
ということになってきた。

東京の私の宅を欧米の
かなり偉い学者や政治家が、
幾人も訪ねて来られましたが、

欧米人が盛んに日本に
研究のために来られる。

そうして日本の国、
日本人の研究を熱心にやります。

否、私がすでにアメリカを通ったときに、
アメリカの大学に寄ってみますと、実に驚いた。

アメリカの学生らのあるものは
日本の大学生よりかもっと真剣に
日本および日本人というものを研究している。

それから東洋というものを研究している。

独り大学生だけではない。

他の偉い人たちが本国でも研究し、
そうして日本にもやって来て、
一生懸命に研究しておりますが、

今日、日本および日本人というものは
世界の一番大きな研究題目、
研究されるものになっている。

何故こう偉いのか、
始めは先ほども度々いったように
薄っぺらな観察をしておったが、
そんなことでは説明がつかぬ。

どこかに本当の原因があるに
違いないといって研究している。

その中でもアメリカ人でありますが、
メーソンという人の如きは、
三十何年か日本の神道を研究して、

我々普通日本人が恥ずかしい程度まで
日本の古代神道を研究して、
これが日本人の力の源だ、
とかいうことを言っている。

西洋人があべこべに日本に来て
古代神道の講演をして歩く、
少々恥ずかしい話であります。

これでは日本人自身が
目が覚めずに行きよると、

もう五年も経ったら
日本および日本人というものは
どういうものであるか、

それがこう偉くなる真の原因は
何処にあるかということを
西洋人が研究して掴んで、
私共に教えてくれるんじゃないかと思います。

それほど一生懸命に研究している。

写真は庭のハナニラ

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遠藤伸子さんのミニライブ

2023-04-23 | 文化

 昨日は五ヵ月ぶりに遠藤伸子さんのシャンソンを聞く機会を得ました。会場は、OKBふれあい会館14階のレストラン「楮」。このレストランは息子さんが経営されていて、味の方も抜群です。

 不思議とこのコンサートで知り合う人は波長の合う人が多く、これも遠藤さんの御人徳によるものでしょうか。前回親しくなった方は用があり欠席。今回隣席のHさんは、来年80歳というのに現役ドライバー。近々更新もされるとか。仕事もバリバリという方でした。私は説明する代わりに「月見草」最新号を名刺代わりに渡しました。同席した89歳のIさんのかくしゃくとされているのには驚きました。伸子さんと古い知り合いのようでした。

 伸子さんは、手描きの華やかなドレスでシャンソンを歌われました。もうすぐ80歳とは思えないです。こういう席に200人も満席になるのは、すごいことです。ジャズ歌手の娘さんの川鰭さんも、ご夫君も、息子さんも、お孫さんも、一家総出で見守られていることも素晴らしいです。

 インシャラーを歌われるときは、反戦の思いを吐露されました。作者のアダモを思って。このタイトルはアラビア語で、神の思し召しのままに、という意味らしいです。彼女のトークも楽しみです。今世界の人口は80億ですが、お互いに名前を知るのは3000人、顔も分かるのは300人、話せる友達は30人、親友となると3人ということでした。

 食事も美味しくて、この時期の穀雨にふさわしい内容でした。以前も別の時期にこの24節気の料理を頂いたことがあります。まだ2節気しか味わっていないことになります。やや肌寒い一日でしたが、好天であることも幸いでした。

 

 

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60+X歳のモデル

2023-04-20 | わが家

 先日はいつものように夫の甥の歯科医院に行きました。甥のすすめで義姉と同じ日時に予約し、車に便乗させていただくことになり、姪のWちゃんの運転で3人で出かけました。車中での話は尽きず、あっという間に到着。診察をすませ、義姉の治療が終わるのを待つ間、久しぶりに診察室に隣接する甥のすまいにも案内されました。

 前回は玄関に甥の妻のAさんの習っている画家の100号の日本画作品が掲げてありましたが、今回はAさんの肖像画。丁度作品が到着したところでした。大きさは15号。洋画家に頼まれモデルを務めたとのこと。五カ月、毎週通い完成したのです。

 20分モデルとして椅子に座り、10分の休憩。2時間じっと座ると腰も痛くなるそうです。Aさんは自分で着物が着られることからモデルを頼まれたとか。自分で着物が着られないモデルには、画家は着付け料も支払わねばなりません。自宅から着物姿で1時間運転できることも必要です。アトリエでは画家の弟子たちも彼女を描き、学んでいたそうです。写真は光線が入り、近くのものが反射してしまい、うまくいかなかったです。

 額縁は、Aさんの亡くなられたお母上の物。母子とも絵の趣味があります。Aさんは趣味を越えて、プロに近く、院展に入選して日本橋三越にも展示されたこともあります。もう15年も前のことですが。その時の作品は私たちの海外旅行出発のとき、成田に行く途中で鑑賞しました。

 この日はWちゃんより「兄から渡してと頼まれて」と、義兄の法事の席で紹介された、医師で僧侶の小笠原先生の本を頂いてしまい恐縮しました。本を取りよせると宣言したのに雑事にかまけて、まだだったのです。

 

 

 

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中国はなぜ世界中の嫌われ者になったのか

2023-04-18 | Weblog

林建良氏のメルマガより

「もう耐えられない。
 たとえようもない怒りがこみ上げています」

こう怒りを口にしたのは
アルゼンチンの大学教授。

これまで何年も、
太平洋の反対側の南米沖まで
大漁船団を送って違法操業を行っている中国。

一向にやむ気配がないことに対して、
アルゼンチンの憤りは高まっているのです。

というのも、アルゼンチンの領海内に
現れる中国船の数は、、
1隻や2隻ではなく、

多い時は300隻を超える「船団」が
押し寄せ、違法の乱獲を行っているのです。

南米諸国の漁業関係者が
「水産資源が枯渇してしまう」と
心配するほどの乱獲を繰り返しているようです。

「地球の裏側」にまで大規模な
漁船団を送り込んでくる中国ですが、

このような国際法を無視した事例は
他にも見られ、、、

・2021年、突然の台湾産パイナップルの禁輸

・2021年、コロナ発生源の独立調査を
主張したオーストラリアに対し、
ワインやロブスターなど輸入を凍結した。

・また2010年には
中国の民主活動家にノーベル平和賞を
授与したノルウェーへの報復として、

中国はサーモンの禁輸を行い、
放置されて腐ったサーモンが
山積みになった。

他にも…
・突然、建設中止になった
太平洋の島国パラオの
ビーチリゾート施設など、、

世界は中国に振り回されていますが、

これは今に始まった話ではありません。

85年前の日本人が書き、
GHQに禁書指定されてしまった1冊
『裏から見た支那人』によると、


“確かに支那は謎の国であり、
魔の国であり、
東洋のスフィンクスでもある。

欧州に偏在する国際連盟が
支那問題にいかにも認識不足であり、
またいかにもアヤフヤであったのは
マダしもであるが、

お隣りの日本人も、また
支那の実体を究明することが、
不十分ではあるまいか。”


今も世界を困惑させ続ける
中国独特の行動原理とは何なのか?

写真は雲南黄梅

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尾張国分寺と国分寺跡

2023-04-16 | わが家

 昨日は長男が関東に出張し、また岐阜に寄ってくれましたので、かねてから予定していた稲沢市にある尾張国分寺と国分寺跡に乗せて貰いました。国分寺から1キロ離れている国分寺跡には、礎石があります。礎石は、美濃国分寺跡のように完璧には残っていなくて、4個だけ雑木林の中に散在しています。

 国分寺は今は禅宗寺院として機能しています。宝物館には鎌倉時代の仏像もあり、国指定の需要文化財。あらかじめ拝観予約の電話をいれますと、雨天のため湿気をよぶので、短時間にしてほしいという要請があり、早々に切り上げました。でも鎌倉時代の仏像の他に円空仏も安置してあり、見どころのあるお寺で、国分寺でここまでのものは他にないと思いました。照明がなくて写真はうまく撮れなかったのですが、まずまずの半日でした。

 名鉄一宮駅(JRは尾張一宮駅) の駅ビルで、夕食を共にすませてから帰宅。長男も帰りました。ここは名鉄とJRが同居していて乗り換えに便利で、乗換駅として使うだけで、駅ビルは、初めて。駅構内に図書館もあり、友人もよく利用されることを聞いていて、いつか行きたいです。岐阜県図書館より便利なのです。

 

礎石

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米国のPさんご夫妻を迎えて

2023-04-14 | わが家

 昨日は娘の友人の米国から来たPさんご夫妻を迎えて、夫とともに英語漬けの3時間を過ごしました。娘は彼らを我が家に送り届けて3時間後に迎えに来ました。まず長屋門展示室を観覧。次は床の間に並べてあるものを説明。離れ座敷の茶室もざっと見ていただき、お琴の入門の曲を手ほどきしました。前日60年前のお琴の埃を払い、譜面を見て復習しました。譜面の記号はあらかじめ訳しておきました。尺八と笙は説明だけにとどめました。夫は、学生時代に邦楽部に所属。でも尺八は60年も吹いていなくて、割れ目ができてダメになっていたのです。

 お琴は「さくら」から。奥さんはフルート奏者ですから、微妙な音の変化も分かります。半音上げる場合は弦を抑えます。呑み込みがよかったです。「荒城の月」は知られていないらしく、パス。「さくら」だけではつまらないので、「六段の調べ」に移りました。半音下げる技術は教えるのに少し苦労しました。応接間のピアノも少し弾いてもらいました。「小さな恋のメロディー」の主題歌とか。幸いポピュラー曲集の楽譜も備えていました。娘さんもフルート奏者らしいです。彼らのご先祖はデンマークでした。私たちのデンマーク旅行の話もしました。もう20年も前のことですが。

 笙も展示室にあるので、組成を説明しました。これは1300年前、大陸からきたもので、琴の歴史より新しいです。琴は3000年の歴史があり、日本の古典音楽の花形。結婚する前に習っていました。娘にも勧めたのですが、友達がいないということで、拒否。そのころ関西に住んでいたからです。岐阜では先生も簡単に見つかりました。

 P氏は元エンジニア。夫も大学の教壇に立つ前はエンジニアで話も合いました。夫は何度も海外出張して英語は大丈夫。P氏は小麦アレルギーらしく、カステラは残されていました。道理でスリムなはずです。パンが食べられなくて朝はヨーグルトとか。彼はヨガをされているためか、すっと正座。これには驚きました。あちこち撮影され、そのカメラはニコン。日本製が嬉しかったです。

 夫の能公演の「羽衣」の写真を見せて、英訳を示しました。羽衣も天人も米国人には理解不能ですから、詳しい英訳が必要です。お香をたいて歓待しました。奥さんは日本に過去に滞在しておられ、お香もご存じでした。奥さんが琴の練習をしている間は、夫君は庭を散策。好天で幸いでした。灯篭の説明もしたかったのですが、時間がなくなりました。

 この日は、北朝鮮が北海道に向けてミサイルを撃ち込んだニュースで騒々しかったので、この話題にも触れたのですが、残念ながら彼らにはあまり関心はなさそうでした。

 

お菓子は娘が持参

長崎カステラはその日の朝偶然頂きました

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第9回岐阜版遊会展

2023-04-12 | 文化

 昨日は昨年に続いて、友人のご主人の五藤さんが出品されている岐阜版遊会展を見るため、各務原市中央図書館に出向きました。コロナ禍の中でも毎年開催されていました。出品者の作品を一点頂けますので、今年も五藤さんの作品を所望しました。飛騨の合掌造りを緻密に彫られています。いつもながらの素晴らしさです。出品作品の一つ、オランダの水車風景はとても細かく彫られていて、写真でも忠実に表せません。

 作品テーマはいろいろな分野ですが、今年は山の作品を中心に紹介します。いずれも旅先で仰いだものばかりで懐かしい山容です。上った山は御嶽山くらいです。それもロープウエイでした。

 版画を堪能した後はいつものように茶房へ。話は尽きず、再会を約束して別れました。それにしても五藤さんの制作意欲には驚かされます。汲めども尽きずです。製作者は高齢者ばかりですが、皆さん、とてもお元気です。16日まで。

 

 

オランダの製材風車(五藤さん)

飛騨の風景(五藤さん)

蝦夷富士(羊蹄山)

御嶽山

利尻岳

剣岳

谷川岳

 

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夫の能公演「羽衣」

2023-04-10 | わが家

 昨日予定通り、夫は岐阜市文化セーターで、能「羽衣」を演じました。もう年も年ですし、舞台に立つのは最後だと思いました。謡曲を始めて40年。最初は会社の上司にすすめられたことがきっかけです。

 会社の仕事が忙しく、時には、お稽古を休んでいる間に一曲が終わっていたこともあったそうです。定年後岐阜に越してきてからはH先生についています。京都から岐阜に指導に来られているH先生とのご縁も30年になりました。これまで仕舞と謡曲の二本立でお稽古してきましたが、今後は年齢を感じたので謡曲だけにするようです。

 これまで、7年前に「敦盛」、一昨年は、「鵜飼」今回の「羽衣」、と演じてきましたが、限界と思ったようでした。何しろ85歳ですから。

 私は招待した多くの友人と会え、楽しく過ごしました。先日の法事で倒れた義姉もあれからすぐ回復して、娘たちと一緒に来てくれましたし、草月流の生け花を出品していた義姉も来てくれました。受付やお花の運搬などすべて長男夫婦がしてくれました。

 県歌人クラブの会長さんまできて下さり親しく話せたことも嬉しいことでした。歌手の遠藤伸子さんまで、来ていただき光栄でした。学生時代の友人とも10年ぶりに再会。食事も一緒にとりました。心残りは、せっかく神戸から来ていただいた夫の友人のSさんを見逃してしまったこと。客席は暗いし、私はお顔も知らず、探せなかったのです。奈良のFさんとは夫は会えたようでした。私は20年前一度会ったきりでお顔を忘れてしまいました。元同じ大学の教授仲間だったOご夫妻も見逃してしまい、申し訳ないことでした。英会話のエランガ先生まで鑑賞していただき恐縮してしまいました。

 夕食は、1月に行ったイタリア料理店のフェリチタに又、長男が予約してくれていました。前回はお肉コースでしたので、今回はお魚。今回も絶品の味でした。シェフの野田さんと嫁の会話は、イタリアのこと。嫁は父親が仕事で滞在していたイタリアに高校生の時、遊びに行ったそうです。シェフの修行は、フィレンツェ。そこへは私たちも旅しています。

 

デザート

Nさんからのコチョウラン

姪のWちゃんからの花束

 

 

 

 

 

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