Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

貝毒なんかに負けてたまるものか

2010-02-10 | 料理
昨日、貝が安くなっていたので買ってきた。今日までの期限で三割引である。昨日は疲れていて貝毒にあたりたくないので今日に伸ばした。

貝類に限らず魚介類を自宅で食することは少ないのだが、貝のリースリングぶっかけとトマトソースのボンゴレがやりたかった。ネットのレシピーを読むと、調理そのものよりも貝洗い点検改めに時間が掛かり、一仕事と書いてある。

もちろん真空パックの北海で獲れて五日間経っているものなので、塩水に浸けても潮を吹くようなことはない。それでも二三度水を替えて歯ブラシで貝を丁寧に擦った。フェルトサラダの掃除のように髭の掃除が面倒である。

「だから私は貝料理をしない」と言われ、「あとで、生きているかどうか電話しようか?」と言われた。貝毒というと、馬鹿な友人の馬鹿な話を思い出した。私を差し置いて中央スイスにスキーなどに行くものだから、前夜に食した毒にあたって、一本目のゴンドラで気分が悪くなった。二本目は世界最初の廻るロープウェーでティトリス峰三千メートルの高峰頂上へと一気に登るものである。流石に彼は何度かそこを私と訪れていたので、中間駅で降りて雪の上で胃の洗浄をしたようだ。もし知らずに乗っていたなら、廻って360度ロープウェーの回転盤を汚しまわっていたに違いない。

さて私は、美味しく初日を食べたので明日はボンゴレである。そして貝の殻は既に水に浸けてスープを取る準備をしている。そうやすやすと貝の毒に負けてはいられない。

超辛口のキーゼルベルク2008年度産が良くなって来ている。フランスのミュスカデなどとは、やはりワインの程度が違う。フランスの白ワインはやはり話しにならない。ドイツワインは買い得だ。
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チヤホヤされる世界の陰日向

2010-02-09 | 雑感
新聞に音楽畠の話題が一つ二つ載っている。一つはここでも取り上げたザルツブルク音楽祭やメトロポリタンなどでのパトロンとして名を馳せたキューバ生まれの米国人の話である。背任横領で起訴されていたが、この度九年間の禁固刑が決定され収監されるようである。

結局、投資家から金を集めて世界中で金満家としてチヤホヤされて一等席でオペラを観ていただけとなるのだろうか?この手の犯罪人の豪遊や金融市場を含む賭けで金を磨ってしまうと言うよりもなんとなく哀れみがあって面白い。幾ら合衆国の牢屋といっても劇場の王座ほどには快適な椅子はないであろう。

もちろんはじめは金子に余裕があって世界の歌劇場に寄付することで芸術のパトロンとなろうと思いついたのだろうが、一度いい格好をしてそのような活動をし出すと、金を取る方も放っておかない。通常のパトロンでも止めると電話を掛けてきて無心する。春のカラヤン財団の復活祭音楽祭で音楽祭幹部に背任事件が発覚したのは今年のことである。表面は良くても芸能の世界はヤクザな産業である。英国の支払不能に陥ったEMIも今その渦中にある。

もう一件もヤクザではないがなんとなく裏の事情を垣間見せる報道である。指揮者ティーレマンがドレスデンのポストに2012年シーズンがらつくと発表があったのは先日のことであるが、今度はそれまで任にある前任指揮者ルイージが即時辞任を申し出たと言うのである。もともと事務当局と具合が悪かったようだが、任期を勤め上げないのは比較的珍しい例である。それに対してティーレマン氏は、「ミュンヘンで任期最後まで遣らせて頂く」と点数を上げて、 「トラブルにあるドレスデンをなんとか手伝いたい」と申し出ているようだ。

背景には、独第二放送がベルリンのそれに代わって毎年年末ドレスデンでのジルフェスターコンツェルトを放映すると発表があり、今年からルイージ指揮ではなくティーレマン指揮で事務当局と契約したことに前任者は反発したようである。当然の事ながらラトル指揮ベルリナーフィルハーモニカーよりも視聴率を取れると思い気やルイージ指揮では話が違う訳である。
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世界のさくらが一斉に散るとき

2010-02-08 | 
承前)凍てつくような冷たくぞっとする空気、血の臭い、池畔の月と来れば、どうしてもビュヒナーの原作「ヴォイツェック」を思い出してしまう。しかし作曲家カール・オルフが「犠牲」の五音音階のメロディーで始めるプロローグは、ほとんどドュビッシー作曲メーテルリンク作の「ペレアス」の象徴劇である。それが、聡明な子を生贄に差し出す夫婦に我々が共鳴する胸騒ぎでもありそれを予言とすれば、シェーンベルク作曲の「期待」であるかもしれなく、もしかするとシュトラウスの「ザロメ」かひょっとするとヴァーグナーの「神々の黄昏」かも知れない。

忠義に背き、忠孝ゆえに松王丸夫婦に実子諸共犠牲として贖罪を果そうとさせるその摂理への覚醒、これは当夜の二本立てのカール・オルフの処女作と白鳥の歌「時の終わりの劇」で示されたものであった。第一部として上演された「犠牲もしくは田舎の学校」における社会の摂理は、殆ど島尾敏雄「接触」の夜の笑い―第二部「接触」―の世界であるが、18歳の帝国ドイツの青年にとっては異なる意味合いを持っていた。同じように戦前の創作を破棄したベルント・アロイス・ツィンマーマンのようにこの作曲家も1930年以前の作品を破棄した。その理由の一つが、この処女音楽ドラマにとっては、そこにある。

江戸幕府が政権安定のために朱子学を巧く利用して、本来ならば心理的に結びついている侍の主従関係を経済性や道徳として社会秩序に利用したのは周知の事実である。そうした流れが開国以降も異なった形で大日本帝国の精神を形成した。その宋学自体が変形させられて庶民の支配に利用されたのは、現在においては丁度「議会制民主主義」という都合の良い言葉の連呼と非常に良く似ている。その寺子屋は教育そのものなのである。

武士社会におけるその本来の気質と江戸の太平記における官僚としてのそれが大きく異なるのは当然であり、一方においては丸山真男の論文を待つまでもなく、朱子学、徂徠学、国学として発展して、一方では極端な「葉隠れ」精神としてこれまた後年再び顧みられる事になる。

青年作曲家が日本で人気のあるこの劇「寺子屋」にカール・フロレンツの独訳から見出したのは、ヴァーグナーの楽劇に示されている贖罪と救済だったのである。そしてそれが誤まりだと気がついてこの音楽ドラマ自体の公表を取り止めた。それは間違いなく正しい仮説の一つであって、今回の上演において、それ故に一層作曲家が最晩年に試みていた「我々を突き動かすもの」への鳥瞰が得られるような形となっていた。

それは、演出家としての質の良さからはじめてなし得たもので、日本の能を参考に様式化して尚且つ直截的な感情表現としたことで、劇場の壁を越えた。歌舞伎の所作のみならず、その眉を強調した化粧は文楽人形のそれであり、感情表現の様式化は、第二部における官僚化した社会の姿と強い対照をなし、紀元前五百年頃のアニミズムから一神教への殆ど乾いたロゴスの世界へとの流れを浮き彫りにさせる。観衆から「第一部の方が良かった」との声が聞こえていれば大成功であろう。

第二部の神学者オリゲンスの「世の終わりのため」のロック紛いの打楽器を多用した舞台作品がザルツブルクにて1973年にフォン・カラヤンの指揮で初演された事は大変興味深く、こうした作品が知的な理解によって話題となっていても、たとえ大衆性を得意とした作曲家と言えどもなかなか本質的に共感されるようになるまでの期間を思い知らされる。

我々を突き動かす根源的な宇宙の摂理、それは昨日から明日への重なったヘルダリンの詩の通時制の理解によるのか、それともアニミズムを司る巫女アメマーのそれなのか ― 今丁度その辺りを走り抜く間寛平のギャグではない!、はたまた「つぎつぎになりゆくいきほひ」なのか? ― そしてそれが対位法で、マルチリンガルで示される時!

当然の事ながら、「ニーベルンゲンの指輪」の神話の世界の犠牲死から救済とされた文化と、葉隠れに代表される表面的な社会性を越える本物の忠誠心への憧憬に、近親感があるのは間違いない。その差異はそこに明確であるにも拘らず、ジャポニズムの一層にこの音楽劇にもさらにドュビッシーにも、ついでに「蝶々夫人」にも愛用されていた記号論的意味合いを持った「さくら、さくら」の陰が世界に強く落とされていることに注目して措きたい。「神風」はなにもイスラムのためにだけあるものではないのである。



参照:
犠牲 (ショット出版)
ジョン・デュへのインタヴュー (HR2)
「ある若き詩人のためのレクイエム」 2005-01-30 | 文化一般
スッキリする白いキョゾウ 2007-12-11 | マスメディア批評
印象の批判と表現の欠如 2006-03-11 | 文学・思想
「つくる」に近い「うむ」の具象 2010-01-18 | 歴史・時事
欠けて補われる存在 2008-09-28 | 文学・思想
多極性文化土壌を求めて 2008-09-23 | 文学・思想
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待ってました!日本一!成田屋!

2010-02-07 | 文化一般
梅は飛び 桜は枯るる 世の中に なにとて松は 情なかるらむ

「ヴォイツェック」の作家ビュヒナーの故郷の国立劇場で観たものは、この神楽の物語である。文楽もしくは歌舞伎で有名な菅原伝授手習鑑の 「寺子屋」の段を1913年に作曲家カール・オルフが十八歳で作曲した音楽劇「犠牲」であった。この未出版遺作作品をオルフシリーズ上演を敢行する支配人兼演出家のジョン・デューが作曲家の未亡人の許可を得て、ショット社が編集出版、先月末に百年近くの歳月を経て初演された作品である。

上の一節が語るように京都芹生の隠れ里の寺子屋に匿われ、政敵より求められる菅原道真の遺児の首の代わりに、造反したこれまた家来である松王が自らの子の首を差し出す話である。原作の詳しい内容や背景はご教授願うとして、細部に触れていくと限がないので先ずは一般的な感想をその全体像として紹介しておく。

定期会員も少なくない筈の大劇場であるが、天候もあまり思わしくなく、初日に続いて第二夜目の金曜日は三割程度の入りであったろうか。その殆どの聴衆はロビーで開かれた作品案内に熱心に耳を傾けていたのはその珍しい作品内容や初演ゆえに当然だろう。

作品解説においては原作のみならず平安の史実も詳しく紹介されていたが、平安時代の「舞台背景」と本自体が江戸時代それもフランスではルイ十五世の時代であることの二重構造は明白に認知されていなかったのか十分な説明がなかった。要するに舞台となっている寺子屋などは典型的な江戸の近世社会である事が全く説明されていなかった。しかしこれは日本学の専門家にも江戸と中世を混同する傾向があって、ある意味絶対主義の欧州にも見られる近代への認識の特徴でもある。更に言うと保守主義・伝統主義とか呼ばれる近代思想がそうした誤まった歴史観に立脚しているのだから仕方がない。

監督ジョン・デューの名前は知っていたが、その演出を始めて体験して、大変バランスが取れていて予想以上であった。本人自ら、偶々二年ほど前に日本の友人を訪ねる際に、歌舞伎のみならず文楽の原作を鑑賞して、能も体験して、原作の独訳を研究したらしい。それは、舞台化に活きていて、背景を作曲家の劇場空間としての具象化の予定から一歩進めて野外劇としての能舞台を舞台背景とした効果は大きかった ― 前述した二重構造がこうして幾らか暈かされている。端的に言えば、象徴劇としてドュビッシー作曲「ぺリアスとメリザンド」の徹底研究から生まれたこの舞台劇をややもするとヴァーグナーの劇場劇から救い尚且つそれを示した功績は、その細部を語らずとも明白であった。

それによってはじめて、歌舞伎の名場面である子を寺子屋に預ける母親に縋り付く小太郎に、観衆が涙がちょちょ切れになる田舎芝居の情景が本当の芸術効果を生むのであった ― 当夜のプログラムによると、この芝居が大成功した時ちり紙が売れて供給不足から価格高騰したと言う。(続く



参照:
VIDEO「菅原伝授手習鑑」寺子屋の場
文化・芸術 (愛知県)
08土佐絵金歌舞伎寺子屋 小太郎 (YOUTUBE)
舞台写真 (州立劇場、ダルムシュタット)
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百年も続かないということ

2010-02-06 | 歴史・時事
久しぶりに歌芝居を観てきた。前回はフランクフルトでの三島原作ヘンツェ作曲「午後の曳航」公演だと思う。その内容は改めて纏めるとして、車中のラジオでのニュースが色々と多彩であった。

最も盛んに伝えられていたのはスイス銀行の口座の漏洩問題で、連邦共和国のみならずシュツッツガルトの当局にもその情報が売りに出されたと言う話である。もしドイツ当局がこれを購入するとなればスイスの国策である脱税・節税援助業務の営業妨害になるので対抗処置に出るというものである。電話インタヴュ−のベルン大学の経済学教授の話が面白い。「商売に倫理を当てはめるのはちょっと危うい話である」と。

二つ目はトヨタ騒動であるが、これも改めて考えるべき内容であった。そして何よりも関心を引いたのは1931年創立のEMIが支払い不能に陥っていると言う話である。違法ダウンロードやコピーなどでいよいよ音楽メディア産業崩壊は最後の時点へと向っているようである。持論である一産業は、企業は、百年が限度であると言うのがここでも実証されそうだ。



参照:
暁に燃えて、荒れ狂う 2005-08-30 | 歴史・時事
海の潮は藍より青し 2005-08-28 | 文学・思想
スッキリする白いキョゾウ 2007-12-11 | マスメディア批評
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燻し銀の音楽談義の一時

2010-02-05 | 
土曜日午前中に車の中で聞いたラジオの内容を掻い摘んでおこう。ゲストはベルリンのソリストとしてまたその楽器の名手として多くの後進を育てたヴィオラ奏者ヴォルフラム・クリストであった。

指揮者バーンスタインがベルリンのフィルハーモニーに初登場した時の生き証人としての話しに続き、最も影響を受けた指揮者としてアーノンクールを挙げていた。ご本人は、器楽奏者から室内管弦楽団の指揮者として活躍を始めているようで、その指揮者としてのノウハウに興味が特に強いのは理解出来た。残念ながらその楽器名手でありまたヴィオラダガンバなどを弾き始めた作曲家ヒンデミットの話は全部聞けなかった。

氏の演奏を最後に聞いたのは数年前だったと思うが、恵まれた体格からボーイングの妙はその時でも素晴らしかったが、左手の音程などは些か峠を越えて仕舞った印象を受けたのだった。一方アーノンクール氏はもともとヴィオロンチェロを奏する音楽家であり通じるところがあるのは当然であろう。

古典音楽にあるべき発音が、そのもの弦楽の極意であり、子音を正しく発音する演奏を徹底的にオーケストラに要求して、尚且つ声部間のバランスを取りながら紡ぎが見通せる正しい古典音楽語を話していたと言う説明にはなにも付け加える必要はないであろう。アインザッツの弾かせ方だけにでもそれが表れるのは当然であろう。

それに対してフォン・カラヤンのモーツァルトなどを母音で押し通すと定義すると、なるほど子音を無視してモーツァルトを歌っているようなものを具体的に想像させて、殆ど笑ってしまうのである。何一つ批判をする訳ではないが、こうした技術的な説明は試聴者を自ずから啓蒙するほどの大変意義がある内容だと感じた。

あくまでも弦楽奏者の音楽実践解釈でしかないのだが、それが示唆する事は、芸術の奥義に通じるようなものである。なるほど薫陶を受けた彼のお弟子さんや生徒などにもそれが生きているのを知っているが、ヴァイオリンのクスマウル氏などとはまた一味違うまさに燻し銀の音楽談義であった。
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水も滴らせる良い男とは

2010-02-04 | 料理
今日の大成果は水漏れ直しであった。バスタブの水の出が悪かったので久方ぶりに吹き出し口を引っこ抜いたらパッキングが完全にお釈迦になっていまった。その手の安ホテルの不良バスを経験した事がある者は分かるかも知れないが、あそこから水漏れがすると言う事は激しくバス中を水浸しにするような水圧と水量が飛び散るということなのである。

パッキングの位置や構造を詳しくみるのだが、未だにその流体力学が認識出来ないでいる。形状とかにそれほどの必然性が感じられないほど、パッキングが壊れただけでどうしようもなく具合悪いのだ。走り回っていた一日の束の間、日曜大工店に寄って、先ずは水を圧し止める金具を物色した。その内径やネジのピッチも分かり難く、丁度良い長さの物などはなかなかないと気がついた。そこでパッキングの方へと視点を変えた。

パッキングも壊れてしまっているので径などもあまり分からず、仕方がないので水漏れ直し詰め合わせのようなパッキング小袋を買った。皮状やゴム状のどちらかというと大きめのワッカやストップが二十五本ほど入っている。

翌日もその辺りに行く予定があるので、先ずは構造研究を兼ねてあれやこれやとパッキングを入れて、水が止まりそうな場所にワッカを入れてみる。金具二箇所とバスタブの側に一箇所収まったが、なかなか漏れが止まらない。

そうなれば本来パッキングが入っていただろう場所にはこだわれない。一箇所に集中的にパッキングを投入して少なくとも吹き出してくるのを止めた。しかしこれを書きながら気になるのは、排水口へと流れてしまう水はないのだろうかという心配である。そのあたりがこの不可解なバスの吹き出し口の機能の重要な点だと気つき出した。

兎に角、泡風呂にするには通常の出水口から流すよりもシャーワーで落とした方が良い事は分かっており、この不可解な口を使う必要はないのである。それでもやはり風呂場で新聞を読んだりする時はしぶきの発たない大人しい口が欲しい。なにも日本の風呂のような滝口とか豪華風呂の金のライオンの口が欲しいと思っているのではない。

いずれにしても本格的に直す時はそこまで投資しなければならないのだろう。今は、ただ泡風呂には入れるだけで良しとしておこう。水漏れ直しの濡れるどうしようもなく惨めな気持ちから解放されて今日はぐっすりと眠れるに違いない。叶うならば、絶世の美女と豪華ジャグジーに浸かる夢でも見ながらである。
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揺らぐ「ものつくり」への信頼

2010-02-03 | 文化一般
トヨタのリコール問題は、日本の「ものつくり」への信頼を揺るがしているとアジア版「ウォールストリートジャーナル」がトップで大々的に伝えている意味の解析をFAZが試みている。これは事実だと思う。新聞はドイツに駐在しているトヨタのメカニックの若者にインタヴューしているが、彼らにとっては青天の霹靂だろう。そのような教育しか受けていない日本のエンジニアーにとっても、そうであるように。

ここで日本のアカデミズム批判をしようとは思わない。しかし、企業哲学、市場、経済、技術を論じるとやはり途轍もない隔たりをそこに感じる。要するに、世界観の相違もしくは欠乏である。それは社会広範に通じるもので、時の最高権力者小沢何某が給うような無教養振りそのもののなのである。

敢えてここでジーメンス叩きをやってみよう。ご存知のように近代ドイツを代表するジーメンス博士の会社である。掃除機の塵パックがなくなりかけたので買い足した。Gタイプと呼ばれるもので、他の安い商品が出ていても、オリジナルの商品に拘って買い足した。急いで買い足した理由は、塵のたまり方よりも、パックの周りに塵が飛び散る現象に閉口して、掃除して改めて新しいパックで機械温度が高まるのを防ぎたかったからである。

そうして一パックあたり送料込み五ユーロもするものを購入したのだが、新製品は五パックでなくて四パック箱になっていて一パックだけ付け添えられていた。まるでおまけのように付け加えられているそれを使っているうちに結局以前ような不都合が起きた。良く見るとパックの入口の穴がパイプのそれよりも小さくて、塵が周りに飛び散っている事が判明した。要するに純正品が不良品である事が判明したのである。これをミュンヘンに送り付けてクレームを付けるよりも先ずはこうした御粗末な商品をここに記しておきたかった。

上に書いたようにキャノン商法顔負けの高価な消費付属品で商売をしようという魂胆のようだが、少なくともキャノンのインクカートリッジやトナーは質が良い。それでは一体、ジーメンス商法とはなんぞや?

そうである。つまらないトランスラピッドを中国にプレゼントして、多くのシナ人をひっきりなしにドイツで接待して、キックバック式に中共幹部への賄賂が廻るシステムである。それはジョン・ラーベの時世から一向に変わらない。ようするにそれがジーメンス商法なのだろう。

シナ人の口泡飛ばす宴会のために、此方が落とした金から接待費や賄賂に廻るのは解せないが、朝鮮人の企業などはさらに腹立たしい。LGとは一体どんな会社か知らないが、市場において甚だ迷惑で無責任な企業体である。その商品のパッケージの必ず壊れているおそらく韓国製のダンボールだけでも腹立たしい。伝統を誇るジーメンスや百年近い歴史をもつトヨタでさえその程度であるから、急に勃興して来た韓国企業のそれに腹立てていても仕方ないのかも知れない。全く禄でもない。



参照:
Toyotas Konkurrenten koennen frohlocken, Carsten Germis, Roland Lindner und Christoph Ruhkamp,
FAZ vom 30.01.2010
TOYOTA 大丈夫? (ドイツ日記 Les plaisirs et les jours)
日本車に信頼性が無い理由 2010-01-29 | テクニック
独・ユダヤ・シナ・日本の愛憎 2009-04-14 | 歴史・時事
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核融合へと舵を切るエネルギー政策

2010-02-02 | 
メルケル首相が今日マックス・プランク研究所を訪問すると御触れがあったが、研究所は予算を確保出来たのだろうか?核開発それも核融合にエネルギー政策の重点を移して行くということだが実現化への道筋はついているのだろうか?

ドイツでは放射性廃棄物のコンテナが抗のなかで水浸しになっていて、腐食から恐らく一次冷却水などが漏れ出しそうになっている大問題がある。先日の議会ではこれらをより安全な所に移動させるという世界でも例を見ない放射性廃棄物の埋め直しが議論されている。

技術的には、コンテナが錆びて移動が適切かどうかがリモートコントロールで審査されて、可能となった場合はロボットなどが動員されるのであろう。しかし、この大作業の費用は電力会社が負担すべきとする社会主義者の声があり、如何に死の灰を創出する原子力発電が経済的にも割が合わないかが改めて示される。

メルケル首相の政治力は黄昏にあるので、余計に将来への軌跡だけは築いておきたい所だろう。
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ハイデルベルクの親方の地所

2010-02-01 | 試飲百景
お土産に持ち帰った鹿のフィレ肉を温めて食した。ワインは、敢えて先日合わせたベルクシュトラーセのものに手を出さず比較のためにギメルディンゲンのクリストマンVDP会長のシュペートブルグンダーSC2005年を開けた。

2005年産は決して飲み頃ではないのだが、2003年に続く良い年でこのクラスのピノノワールでもかなり潜在能力を持っている。印象は一言で言うと、堅さの割りに甘みが気になった。要するにタンニンが柔らかくなっている分ミネラル質の堅さにジャム風の果実風味が乗っている印象は免れない。また獣臭みのようなそれに本当の獣集の鹿肉は余りにもくど過ぎる。そのような印象をもつようになったのもベルクシュトラーセのゼーガー醸造所のワインにその印象が少なかったからである。

セメント工場の横を走りぬけ、正面にワイン地所を見ながら街道筋に開いているの店を訪ねた。赤ワインで大変有名な醸造所である。ヘシッシェ・ベルクシュトラーセのそれは良く知っているのだが、それよりも南のバーディッシェ・ベルクシュトラーセの北端に位置する二キロの間に転々とする地所で高品質のピノノワールを醸造している。

前日の電話に続いて奥さんに一寸したインタヴューをして、リースリングから試飲を始める。この家族経営の小規模醸造所は試飲と称して次から次へとコルクを抜くようなお店では無い ― カードを受けつけないばかりか領収書すら出さない。続いてやって来た街道に逗留中の若夫婦に、「週のうちに開けて、週末に飲みこすことなど出来ないから、合わない」というのである。もしかすると家庭では取っておきのブルゴーニュを飲んでいるのか?それは上のクリストマン会長であった。

驚くべきことに雑食砂岩の地所も上部にちょっと出ているというが、下に行くに従って黄土になる典型的なオーデンヴァルトの土壌である。そして貝殻石灰土壌。先ずはこの三種類で最低の種類の土壌は確保していると言えるだろう。

六ユーロから二十五ユーロに至る五種類のリースリングの中で最も単純なそれは典型的なベルクシュトラーセのそれであるが、州立醸造所の癖のあるテロワーの出し方とは異なる丁寧な作りが一種のエレガントさに繋がっていて、六ユーロならばと思わさせる。しかし、ナーヘのシェーンレーバー醸造所のそれの個性には及ばない。土壌の差異である。

二つ目にヴァイスブルグンダーを試すが、30%−70%の比率で新しいバリック樽を使っているらしい。次ぎのグラウブルグンダーと合わせてなかなか厳しい糖を落とした作りは平野の向こう側のレープホルツ醸造所を髣髴させる。

いよいよその厳しさが炸裂するのは本命のシュペートブルグンダーであるが、単品で飲むとすると2008年産はタンニンも強く口が直に麻痺をしてくる。しかし、そのハーブ香なども夕飯に予定されている鹿との相性がどうしても気になるものであった。そうこうしているうちに若い夫婦連れがやってきたので、此方はせっせと口をシビラセルのだが、奥さんの対応がちょっと違うのに気がついた。

はじめは分からなかったのだが、なるほどと思った。要するに、「ホテルで聞いて」とか言いながら、「クニプサーが」どうだとか如何にも評価本の熱心な信奉者のようである、こうしたお店を訪れる高級なワインスノッブであることが匂ったのだろう ― 私もこの二人に最初からそのように感じたのだがそれはなぜか?。その証拠にちらしにリストアップされている評価本アイヒェルマンの説明を読み出してこれはあるとかないとか言い出したのである。

そのちらしは、私が指定したお土産のプレゼントの箱に私には分からないように隠してあり、もちろん私はそれをこっそっと抜いて自分のために持ち帰った。一体、どこでこの私が前日から血圧を上げながら「評価本などを見て情報などとはなんたる事」と嘆き、怒鳴っていたのを見ていたかのだろう。

それは冗談としても、こちらもある程度経験を積んで発言や行動に無駄がなく結論へと近づく事が出来る訳で、最初から手洗いを借りて、蔵を一見して質問する事がやはり違う。あちらは此方以上に接客のプロであり、乗ってきた車のナンバープレートから前日の話の持って行きかたから何から何まで一瞬で察知するものがあるのだろう。此方は正真正銘のとうしろうなのだが、まさに評価本の隠密のような小喧しい客と思われたのには違いが無い ― VDP内偵、もしくは自称私設秘書の面目躍如である。

なるほど若夫婦への客扱いを見ているとまるで油が指したようにすんなりと上手に勧めているのである。その意味では最後まで鴨扱いされなかったのと同時に警戒感も滲ませていた。

偶々開栓されていた上級のSクラスを試飲出来て、その石灰成分も感じることが出来た。そしてバリックの使い方も自由自在のようで感心した。キュヴェーの女性向き「アンナ」のレンベルガーにもそれは感じられて、クニプサーより上手だと感じさせた。

シュペートブルグンダーのジャム臭さはアールのマイヤーネッケル醸造所などよりもなく、全くああしたものとは違うエレガントさと男っぽさは大したものである。レップレヒト醸造所のそれも先日感心したが、恐らくゼーガー醸造所のシュペートブルグンダーは、アスマンハウゼンの分厚さはないとしても、現時点ではドイツ最上質のものである事は間違いない。まさに、赤ワインにおけるレープホルツだと感じた。ハイデルベルクの地所ヘーレンベルクが必ずしも上級の地所で無いにも拘らずこうした高品質のワインを醸造する腕は大したものである。そして、赤ワインに感じる膨張するような酔い心地がないのが何よりも素晴らしい。スマートなピノノワールである。



参照:
本来はピノ系に強い生産者だそうです。 (saarweineのワインに関してあれこれ)
マヴィのランチでお口直し (新・緑家のリースリング日記)
鹿肉を食らって朝の二時まで遊ぶ 2010-01-30 | 料理
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改訂コメンテーターリストIII

2010-01-31 | BLOG研究
承前)改訂コメンテーターリストII

2006年8月から2009年12月までの間(追加リスト)

ワイン大好き〜ラブワインな日々〜 ― 若いころはビールコップ一杯で赤くなっていた下戸ですが、今やとくにおいしいものならワインボトル一本あけるまで進化しました。ワインの秘密を探究していきたいです。


saarweineのワインに関してあれこれ ― このブログはドイツはモーゼル河の支流であるザール地域のワインをこよなく愛する男がワインに関して色々適当に書き込みします。


NEXT DREAM 記憶と記録 ― Ken Funahashi Blog


visionaer ― visionarの社長(柴犬・オス)とチーフたち(実務担当)の日常などをゆる〜い感じで綴っています。肩の力を抜いてお楽しみ下さいませ。


あとりえ・チビッコ ― ★ ★ ★ 絵の中で遊ぼう、君はアーティスト ★ ★ ★      


Weiβwein Blog ― +++ テンカワのワイン日記 +++
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索引 2010年1月

2010-01-31 | Weblog-Index



鹿肉を食らって朝の二時まで遊ぶ 2010-01-30 | 料理 TB0,COM0
日本車に信頼性が無い理由 2010-01-29 | テクニック TB0,COM2
根雪となりそうな畝を歩く 2010-01-28 | アウトドーア・環境TB0,COM0
ネットだけでも通じて良かった 2010-01-27 | 生活 TB0,COM0
バイオウェザーではたとえ底でも 2010-01-26 | アウトドーア・環境TB0,COM3
雪中行軍で全身に汗を掻く 2010-01-25 | アウトドーア・環境TB0,COM0
なにもかもが安物臭い経団連 2010-01-24 | 文化一般 TB0,COM0
環境、ただそこにエゴがあるだけ 2010-01-23 | マスメディア批評TB0,COM4
心配になるポップコーンの臭い 2010-01-22 | 生活 TB0,COM0
それを味という、ばらつきの趣 2010-01-21 | マスメディア批評 TB0,COM0
心配になる加速する時間の環 2010-01-20 | 生活 TB0,COM0
保存資料の感情移入する名技性 2010-01-19 | 雑感 TB0,COM0
「つくる」に近い「うむ」の具象 2010-01-18 | 歴史・時事TB0,COM0
万世一系、無窮のいきほひ 2010-01-17 | 歴史・時事TB0,COM0
エコと呼ばれる遺伝子工学食品 2010-01-16 | アウトドーア・環境TB0,COM0
森の中の雪中夜間歩行訓練 2010-01-15 | アウトドーア・環境TB0,COM0
レタスに美味しいアヒルの子供 2010-01-14 | ワイン TB0,COM0
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鹿肉を食らって朝の二時まで遊ぶ

2010-01-30 | 料理
木曜日の夜はお呼ばれであった。猪肉か、鹿肉かと尋ねられると、後者と即答える。前者の肉も嫌いではないが後者となるとレストランでも必ず見つかる訳では無い、特に家庭ではあまりありつけない。もちろん家庭でとなるから、ワイン選びが余計楽しくなる。やはり前者の肉よりは特徴が明確である。

その特徴とは獣臭さ以上の苦味やヤニのような香ばしさであって、それだけ挙げれば如何にピノノワールの選択に力が入るかが分かるであろう。

あとから知ったのだが、スーパーでも最後の一つが底に残っていたぐらいで殆ど季節終了だったようである。そのお蔭でフィレ肉が楽しめた。肉の部所が良かったので、ソースで中まで色がつかずに白い色が美しかった。

さてワインは、ベルクシュトラーセのヴァインハイムの近くでお呼ばれであったので、いつも探し続けている嘗て楽しんだあの地方のシュペートブルグンダーの一つとして友人から推薦を受けていたゼーガー醸造所へと出かける。

前日の夜中は吹雪で荒れて、訪問も危ないかと思ったが比較的穏やかな日となった。ハイデルベルクの南にあるヴィースロッホは、自宅から見るとオーデンヴァルトの山が低くなる場所にある幾らかは馴染みのある土地であるが、醸造所に近づくにつれてハイデルベルクのセメント工場などがあって不安になるのである。そこで、試飲をして、お土産に二本、食事に一本を三種類調達した。

食事に選んだのは最も単純な2008年産で早飲みなのだが、それにしてはタンニンも強く結構手強いワインであった。黄土の変哲無い土壌からの葡萄でステンレスで作っている割りに結構良いのである。単品で飲んでいては辛いが鹿の肉の特徴に合わせると最高に繊細さも際立って強さもあり素晴らしかった。あの価格であれほどのワインならば国際競争力満点である。

食事前にMP3プレーヤーのPC接続などを手伝って、自らもはじめてそのような物を手に取って学んだ。印象は小さくて使い辛いというだけだろうか。所詮必要無い。扱い難いウインドウーズヴィスタを夜中過ぎまでいじって帰ってきたら朝の二時であった。



参照:
鹿フィレ肉のクリーミーな香り 2004-11-25 | 料理
ドナウエッシンゲン 2004-11-25 | 料理
豪快に飲みたい赤ワイン 2008-06-28 | ワイン
猪の思い出あれこれ 2006-02-08 | 雑感
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日本車に信頼性が無い理由

2010-01-29 | テクニック
トヨタ車のリコールが話題となっている。欧州にもそれが適用されそうな雰囲気であるが、技術的にはどのような問題があるのだろう。詳しい記事を読んでみたい。

現在乗っているドイツ車も足マットを敷いていて、注意書きにある固定金具を敢えてつけていない。支店のマイスターがなにかを言うかなと思ったが、ご免であった。その結果も十分に想像がついていた。それほどに危険性がないと確認できるからであり、マイスターも私のことを知っている訳で、「あれほど神経質な男が、安全管理に関して見逃している訳が無い」と思っているに違いなく、「何か起こるような状況の前に本人が十分に対処できるだろう」と思っているに違いないからである。一種の信頼関係がここに成立している。

もちろん、事故などの想定外の事象を考えれば、完全にアクセル噴射事故を防げる訳ではないが、ドイツ車と比べると特にトヨタ車などは信用おけないのも事実である。例えばBMWにおいても一度踏んだアクセルが戻らなくなった事がある。その時は偶々隣にディーゼルエンジニアが乗っていたのだが、ミッション車だったのでクラッチを踏んでからキーを廻したと記憶する。アウトバーンのサーヴィスエリアだったので大事には至らず、夜中で暗闇にも関わらず、ミニライトで原因を認定する事が出来た。

アクセルから伸びているケーブルが関節部分でささくれ立っていて引っかかっていたのだ。だからササクレを取り除いてケーブルが抵抗無く戻るように直した。帰宅後の翌日にはBMWの支店で修理させたと思う。その時のケーブルが関節で動かす燃料の絞りの機構は記憶に残っている。かなりの強さで大きなアクションを呼び起こすようになっていたように記憶する。

もう一つの経験は、トヨタ車の試乗での印象であるが、レクサス車が赤信号でなかなか止まって呉れなかったので慌てた覚えがある。その時の印象は、ブレーキがBMWのように直截に効かないこと、メルセデスのようには絞りが旨く行っていない印象と、オートマチックのギアの惰性重みのような如何にも日本車でしか聞かない踏み切り事故の雰囲気を味わえた事である。ディーラーの次ぎの角であり試乗中であったからボンネットを開けて確認するような事はなかったが、扱い難い車だと感じた。

新聞にも書かれるように品質が売りのトヨタ車であるが、適当な価格で万人向けに客観評価が高くなる品質の車と言う印象で、それ以上に素晴らしいとは未だに感じていない。上の件においても、減点法的に機械機構を薄く軽くして、如何にも運転手にメカニックさを感じさせないつくりになっている事は想像出来るのだが、それだけにこうした事故はトヨタ車自体の基本に潜む問題であって少々の修正では解決し難い問題だと考えている。

機械としての信頼性はないとというのが、日本車に乗らない理由である。トヨタの一株株主としては大変困るのだが、事実は事実である。



参照:
Toyota stoppt Verkauf von Autos in Amerika, FAZ vom 28.01.10
緑のシンプルライフ推奨 2007-03-04 | 女
自由や世界観の体臭 2008-04-17 | 生活
新幹線の国際的競争力 2008-05-08 | テクニック
安定と静粛の乗り比べ 2008-05-09 | 雑感
自宅よりも快適な車内 2005-02-14 | 歴史・時事
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根雪となりそうな畝を歩く

2010-01-28 | アウトドーア・環境
電話は開通した。原因はまだ分からない。少なくとも10時間以上は不通であったから日割で料金を還付してもらいたい。

今日は天気になったが、その分気温は低下して久方ぶりに摂氏マイナス二桁へと再び突入した。買物に歩くと底冷えして来た。

道路の雪は凍りついていよいよ歩き難くなってきた。今晩から二晩ほど雪が降るらしい。温度はあがるが根雪があるので、量によると本格的な積雪となるかも知れない。

天気が良いうちにと思って散歩に出かけた。ストックは持たないものの暖かい格好をして歩いた。結局、滑る足元でいつもより時間が掛かって一時間歩いた。

轍の跡は完全に凍結しているので恐ろしくて歩けないが、畝に積もった雪も日が経っているのであまり潜らない。どうしても足元が気になってワインどころではなかったが、音がするので周りを見ると丁度枝切り作業をしていた。
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