同窓会には早めに着いたので、近くを散策しました。十八楼より5分ほど歩くと、岐阜護国神社がありますので、参拝しました。ここは、昭和14年内務省令により、明治維新以来の郷土、岐阜出身の戦没者の英霊をお祭りするために創建されました。天に金華山を仰ぎ、前に長良川の清流を臨む山紫水明の地にあり、この建設にあたっては、県市町村・各職域団体よりの浄財及び勤労奉仕が寄せられ、文字通り岐阜県民全体の護国神社として今日に至っております。
金華山を蓬莱山に、長良川を曲水に見たて、戦国武将が夢かけた歴史の興亡の地に創られた当園は、祖国平安を祈念し、我が日本の国生み創生の姿を造形した現代の名園です。
下の写真は庭園にあった巨大な石碑。大八洲(おおやしま)と読みます。これは日本の古称。八の字の中に蛙の隠し彫りあり英魂の児孫に生きてよみがえるの意。
なお、園内には、岐阜県フィリピン慰霊碑も建立されています。
金華山を蓬莱山に、長良川を曲水に見たて、戦国武将が夢かけた歴史の興亡の地に創られた当園は、祖国平安を祈念し、我が日本の国生み創生の姿を造形した現代の名園です。
下の写真は庭園にあった巨大な石碑。大八洲(おおやしま)と読みます。これは日本の古称。八の字の中に蛙の隠し彫りあり英魂の児孫に生きてよみがえるの意。
なお、園内には、岐阜県フィリピン慰霊碑も建立されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/60/88b7fe7e9e1cc26cb74e3750c881bc46.jpg)