つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

岐阜護国神社

2009-09-30 | 岐阜県
 同窓会には早めに着いたので、近くを散策しました。十八楼より5分ほど歩くと、岐阜護国神社がありますので、参拝しました。ここは、昭和14年内務省令により、明治維新以来の郷土、岐阜出身の戦没者の英霊をお祭りするために創建されました。天に金華山を仰ぎ、前に長良川の清流を臨む山紫水明の地にあり、この建設にあたっては、県市町村・各職域団体よりの浄財及び勤労奉仕が寄せられ、文字通り岐阜県民全体の護国神社として今日に至っております。

 金華山を蓬莱山に、長良川を曲水に見たて、戦国武将が夢かけた歴史の興亡の地に創られた当園は、祖国平安を祈念し、我が日本の国生み創生の姿を造形した現代の名園です。
 下の写真は庭園にあった巨大な石碑。大八洲(おおやしま)と読みます。これは日本の古称。八の字の中に蛙の隠し彫りあり英魂の児孫に生きてよみがえるの意。
 なお、園内には、岐阜県フィリピン慰霊碑も建立されています。
     
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十八楼 3

2009-09-29 | 岐阜県
 一昨日、長良川畔の十八楼での同窓会に出席しました。十八楼は、鵜飼船の乗船場の隣です。夕刻には大勢の観光客が船を待っています。早めに着いたので、屋形船の出帆準備をしているところを撮影。(写真上) 鵜飼は5月から10月までですからあと1ヵ月です。十八楼の歴史などのことは、2006.1.30に書き込んでいます。

 46年ぶりに会えたY子ちゃんと親しく話せて、嬉しいことでした。大学を卒業して初めての対面でした。昔通りの上品さで変わりがないこともうれしかったです。ご両親が東京出身ということで、なるほどとうなづけました。小学生の時、およばれしたことも懐かしい思い出です。おもてなし下さったお母様も他界されたとか・・・  合掌
 下の写真はデザート。プリンとフルーツポンチと葛饅頭です。
     
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オクラ

2009-09-28 | 植物
 野菜のオクラの花です。ムクゲやハイビスカスのように一日花。この花も昨日の酔芙蓉と同じ畑にありました。1度撮りたいとも思いながらなかなか・・・人様の畑に無断で入ることも叶わず・・・自分で栽培すればよいのですが、聞けば毎日収穫しないとすぐ固くなり、どんどん実がなるとか・・・そんな暇はありません。この畑では常に収穫されているようなあとが見られました。アフリカ原産。名前は英語の「okra」から。原産地の地名らしいです。アオイ科。
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酔芙蓉 2

2009-09-27 | ガーデニング
 2007.8.7にupした細江さんの歌集「酔芙蓉」のモデルなった花です。彼女の経営する美容院の窓から見えます。畑の持ち主に電話して頂き撮影させて貰いました。私の髪は早く終わりましたので、母のパーマを待つ間に・・・
 我家は、酔芙蓉を二度も枯らしてしまいました。諦め気味です。

 芙蓉とほとんど同じ形の花ですが、朝開花したときは白花で、夕方になるにつれてだんだん赤くなるという珍しい花。酔って赤くなることで、 この名前になったのでしょう。ピンク色の芙蓉を夕方に見ただけだと普通の「芙蓉」と「酔芙蓉」は見分けがつきにくいかもしれません。これは昼頃撮影。まだ白いです。下のピンクに萎んでいるのは前日の花。アオイ科。
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奈良だより 32

2009-09-26 | 国内旅行
 前田様からも奈良だよりも32回目となりました。今回は奈良ばかりでなく、富山への旅の報告もあります。以下はメールです。

 「秋の大型連休も終わりやっと静かな秋が楽しめそうですね。連休前の17・18日に富山の五箇山へ世界遺産の合掌造を観に行きました。白川郷の合掌造は世界遺産認定前に見ていますので、今回は割愛して、風の盆で有名な八尾の昼の街並みを観てきました。

 八尾の近くに棚田百選に選ばれたところがあったのですが、富山ではすでに稲刈りが始まっていましたので諦めました。ナナカマドの葉はまだ紅葉していませんが真っ赤な実をつけていました。家持が万葉集に沢山歌を残した高岡では前回の旅で見落としていた高岡大仏を観に行きました。奈良・鎌倉に次いで大きく日本三大大仏に数えられているとのことでした。

 連休中は地域の行事等があって何処へも行かず、連休明けの今日は観光客も少ないだろうと思い明日香の棚田へ彼岸花と案山子コンクールの写真を撮りに行ったのですが、予想に反して凄い人出で道路の片側はギッシリ車が駐車し、交通渋滞が起きていました。昨日テレビで放映されたようで、テレビの力の強さを思い知ることになりました。」


 




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従兄の来訪

2009-09-25 | わが家
 思いがけず、父方の従兄夫婦の来訪を受けました。年の離れた従兄で子供の時は話をすることもありませんでしたが、冠婚葬祭には必ずお目にかかっていました。

 父がわが家の歴史を3冊に分けて書き残していますので、それを見本としたいということでした。従兄は岐阜市の自分史研究会の仲間に入り、本格的に自分史を執筆し始めているようです。84歳の今も現役の公認会計士。資料も集めて書き始めたのはよいが、他人の税金のことは個人情報に関わることとなり、どこまで公開してよいか悩むところとか・・・昨年の目の検査にも合格し、自分で運転して・・・

 写真は頂いたお菓子。大垣槌谷の栗きんとんと「紫芳寿」(写真下)。 本物の葡萄の周囲に粉砂糖がまぶしてあります。葡萄の皮も食べられて、果汁の酸味と糖分が絶妙のバランスで口の中に拡がります。種には注意して・・・
      
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鮫島有美子 ソプラノリサイタル

2009-09-24 | 文化
 友人から鮫島有美子ソプラノリサイタルのチケットを頂きましたので、9/22、愛知県芸術劇場に出かけました。ソプラノは下垣真希さんの歌を聴いて以来です。
 ハイドン、ベートーヴェン、シューベルトに始まり、山田耕作から武満徹、最後はフォーレ、ドビュッシー・・・アンコールは、「花嫁人形」と「おぼろ月夜」。盛り沢山の内容で満足して帰りました。伴奏者である夫君がドイツ人のためかドイツ語の発音もきれい。「菩提樹」は最高でした。今回の伴奏は小川典子さん。何と前夜にロンドンから名古屋に来られたところとか・・・そのタフなことに驚きます。彼女のピアノ独奏もありました。ドビュッシーの「月の雫」や武満徹など・・・日ごろはロンドンで活躍。鮫島さんは、ドイツで活躍されています。鮫島さんは余りにも小川さんのピアノが素晴らしいので伴奏を頼まれたようです。共演は殆ど初めてというのに、素晴らしいハーモニーでした。上の写真はステージ。公演中は撮影禁止のため、始まる前に・・・下の写真は、帰りに友人と寄った店の杏タルトとコーヒー。Gさん、ありがとう。
      
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敬老の日 2

2009-09-23 | わが家
 また母に敬老の祝いが京都の妹から届きました。今度は国産の松茸です。柚子も入っていたので、早速豪快に焼き松茸としました。香りも高く、母も上機嫌です。
 もう国産は何年もいただいていないような気がします。昔は毎年食していたのに・・・どうしてこんなに激減し、高価になってしまったのでしょうか。
 西洋人は松茸の美味しさは分からないようです。同様に、私たちはトリュフの美味しさが分かりません。13年前パリで出された時、うすくスライスしてあり味も香りも思い出せません。食習慣の違いと言えますね。
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敬老の日

2009-09-22 | わが家
 老母はおかげさまで健康で88歳を迎えました。町からは多少の敬老祝金を頂き恐縮しています。いつものように長男、つまり孫から叶匠寿庵の和菓子(写真下)が届きました。今年は米寿ということでアンリ・シャルパンティエの洋菓子も追加。(写真上) 甘党ですから大歓迎です。
 米寿祝いは? と聞くと、「ああいう祝賀会をすると死期が早まるのでお断りよ」、と言うのです。そう言えば、姑は米寿の祝賀会のあとしばらくして亡くなりました。
      
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白い鯛焼き

2009-09-21 | わが家
 今はやっている白い鯛焼きを頂きました。鯛焼きが出来て、今年は100年目だそうです。白い鯛焼きは、タピオカのでんぷん粉を使っているせいかもちもちしています。不況のため節約志向で、単価の安いたい焼きが伸びているようです。

 鯛焼きは、1909年に開業した東京の浪花家総本家が元祖。今、3代目の神戸さんの話によると、鯛は庶民の高級魚、せめて形だけその真似をして気持ちを豊かにしたいという思いがあったのだそうです。
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