つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

フットセラピー 5

2013-07-31 | わが家
 昨日で、藤田先生のフットセラピーを受講して5度目となりました。5度とも内容が少しずつ異なります。それもその筈、先生は愛知県にある藤田保健衛生大学の聴講生。足ばかりでなく、体についてもいろいろお詳しいのです。それについては、2009.11.26, 2010.8.2, 2011.12.21, 2012.8.24 に書いていますが、今回はまとめのプリントも頂きました。5年も指導を受けたのに、年一度ということもあり、まだ自分で全コースは、出来ません。昨日は足底筋のお話から・・・この日は、左足を施術したのですが、終わってみると、左右足の色が違います。左が白っぽいのです。これが通常とか・・・右は、黒ずんでいます。足ツボは奥が深いです。岐阜市内に先生は教室を開き、多くの人を指導しておられます。

 お若い頃、銀行員をされていて、お子さん3人が幼いのに、ご主人に預け、単身赴任のような生活をされ、ストレスがたまりどうしようもなくなったとき、このフットセラピーで恢復。それからこの道の指導者となられました。



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奈良だより 101

2013-07-30 | 植物
 前田さまからの奈良だよりも前回から三桁となりました。今回は花。我が家はクレオメもユウスゲも育てたこともないですし、蓮も今年は撮影に行きませんでした。以下はメール。上の写真はユウスゲ。

 「各地で未曾有の豪雨とか大変な被害がでています。奈良県も大雨の予報はでるのですが、畑を潤すだけの雨は降らず作物は悲鳴をあげています。酷暑の中でも花はきれいに咲いて潤いを呉れます。」






クレオメ
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夢の子 ネルル

2013-07-29 | わが家
 友人のFさんの家には、4歳の女の子がいます。彼女が遊ぶ人形のネルルが、いかにも現代風のおもちゃで驚きました。胎内にはいろいろな装備がしてあるらしく、何通りもの言葉を話し、歌まで50曲も歌えるのです。愛情をかけてやらないと死んだようになるのは、以前流行した「たまごっち」に似ています。

 この人形は子供ばかりでなく一人暮らしの人に人気が高いそうです。話し相手になって退屈しないし、外出する場合も連れて行く人もあるとか・・・乳母車に載せて。
 帰宅して誰もいない時、このネルルは、高いトーンで声を掛けると返事もするし、振動にも反応し、お話しするようです。
 オナカの中にいろいろ装置がしかけてあるので、重いです。玩具も進歩していきますね。孫は男ばかりでようやく生まれた女孫は、まだ一歳。しばらく人形とはご無沙汰でした。

     


だんだん眠くなってきたようです
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チェコの集い

2013-07-26 | 岐阜県
 昨日は、岐阜県チェコ友好協会主催の、チェコ大使との交流会に誘われ、8年前に訪問したチェコを懐かしく思い出しました。スタートは、大使の講話から。パワーポイントで日本とチェコとの関係を学びました。日本人が最初にチェコに居住したのは、よく知られる青山光子さん。クーデンホーフ光子さんです。オーストリア・ハンガリー駐日大使と1893年に結婚。日本最初の国際結婚と言われています。ボヘミア(チェコ)に広大な土地を持つ伯爵だったのですが、夫君は急死。多くの子を残し、その後苦労された話は、どこかで読んだことがあります。確執はいろいろあったようですが、お子さんの一人は、EUの先駆けである汎ヨーロッパ運動の創始者。

 これまで知らなかったことは、あの原爆ドームがチェコ人のヤン・レツルによって設計されたことです。
 東京五輪のチャスラフスカは、記憶していますが、長野五輪でチェコのホッケーが優勝したことは忘れています。今でもチェコでは、「ナガノのホッケー」と称えているようです。

 一時間後、食事会。大使に私が8年前書いたチェコ旅行のブログの記事(2005.9.5~9.10) を見て頂きました。拙い英語で話しながら・・・彼女は、日本語は全く話されません。スライドは日本語でもスピーチは英語。通訳者つきです。
 友人の画家が描いたチェスキークルムロフの絵も見て頂いたらとても喜ばれました。渋谷区広尾の大使館に新幹線で帰られる時刻のこともあり、二時には発たれ、慌ただしかったのですが・・・岐阜の他にチェコと交流している地域は15あります。

 似たイベントが、2009.4.19にもあり書きこんでいます、岐阜にハンガリー大使を迎え、知事ご夫妻も出席されましたが、あいにく昨日は所用で欠席。代理は県職員でした。

 この日、同席した岐阜大学のチェコ人留学生Eさんとも交流。彼女は渡航前に独学で、英語の教材を使い、日本語を習得。奨学金を貰い、日本の歴史を学んでいます。なぜか古代史が好きで、奈良を訪問して、感動したのだそうです。自分でも思うし、周囲からも「変わっているね」と言われるとか・・・今後も日本の大学院で学びたいそうです。
 チェコから3人同期生が留学していて、一人は大阪弁を学ぶため、阪大、一人は京都で日本文化を学ぶため京大とか・・・あなたは何故岐阜大? 聞くと、関ヶ原の戦いの場所であり、信長がこの辺りを統治し、戦国時代にも関心があるから、という返事でした。


カテジナ・ファイアルコヴァー チェコ大使 領事も女性です

       
        モダンな洋装姿のグーデンホーフ光子さん

 
 食事会での挨拶
      
          
          季節の野菜とアボガドのテリーヌ
          
          岐阜ならではの鮎料理 鮎のコンフィ炙り焼き 百合根のソース

     
      デザート

 
 誘って下さったI氏とともに 左から二人目がEさん
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絵手紙 10

2013-07-25 | わが家
 二十日の謡曲会に来て下さったHさんから、お礼の絵手紙が来ました。早速懐紙に描いてあった歌舞伎の隈取をうまく取り入れられ、さすが~と、うなってしまいました。80を越えられているのにこの迅速さ・・・白い花は、ムクゲだと思います。

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日洋会中部作家展

2013-07-24 | 岐阜県
 昨日から始まった日洋会中部作家展にYさんに誘われ、岐阜県美術館に出かけました。高校同窓生の彼女はもう20年も洋画を描き、毎年岐阜と東京に出品されています。日展系のようです。
 たまたま12年前に訪問したチュニジアの絵があり、旅を思い出しました。彼女の作品はいつも赤を主調とした絵で、今年はアフリカのイメージ。題して、「大地の夢を想いつつ」。アフリカ大陸では、チュニジアと、エジプトを訪問しているので、共感を呼びました。28日まで。

 チュニジアの絵を描いたNさんの義弟と偶然知り合いでした。また会場で偶然会ったKさんからお菓子まで頂き、恐縮してしまいました。絵が好きな人同士は、出会いが不思議とあるものです。


Yさんの「大地の夢を想いつつ」                   Nさんの「チュニジアンブルー」

        
         会の若きホープOさんの「想」

       
        美術館庭の作品 ステンレスに周囲の景色が写り、回転しています。言わば立体のモビール

       
        モビールの作者とテーマ「七つの積木」

  
   たまたま友人に会い、頂いたお菓子

          
          中津川の栗のお菓子 きんとんが葛でくるんであります
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受刑者教育

2013-07-23 | 社会
 放送大学岐阜学習センター心理学サークルでは、教授の講義の合間に生徒の講話があり、内容は多岐に亘っています。先週の講師はKさん。彼女は、もう20年も岐阜刑務所の受刑者の教育に携わっておられます。

 最初は刺青に内心ドキッとしながらも態度に見せず、平静さを装いスピーチをしたのだそうです。もう40年も服役している人もあり、刺青も珍しくありません。声をかけるとき、受刑者は名前を呼ばず番号でいいそうです。でも彼女は、名前を呼んで、「○○さん、あなたのお母さんはどんな人でしたか」と順に尋ねていくと、ひとりずつ答えてゆき、最後は全員泣き出してしまったそうです。
 これは女性しかできない教育です。最初ある場所で、所長さんは彼女の講義をきいて依頼されたそうです。男性では限界があるらしく・・・この判断は間違っていなかったようです。

 お隣の笠松町にも日本で数カ所しかない女子刑務所があります。とても高い塀で世間と隔絶されている感じです。更正品の販売会がありますが、前を通るだけで、入ったことはありません。そんな場所に何年も教育のため通われているとは、すごいことです。
 写真は、アーモンドの実。花はたくさん咲いたのですが、実はこのあとすっかり落ちて一個だけになってしまいました。花は、2013.3.28に、実は、2011.10.14.にアップしています。

         
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夏の謡曲会

2013-07-21 | わが家
 新年謡曲会だけでは物足りないと言うことで、今年から夏にも開くことになりました。昨日はゆかた会というタイトルですが、皆さん洋服です。ご高齢のためか、病欠がありメンバーはいつもの半分。でもお元気なお声が家いっぱいに広がりました。そのあとは、昼食。お取り寄せです。話がはずみ、2時半終了。来年の新年謡曲会の日取りも決めました。上の写真は頂いた、川上屋のお菓子。

     
     

  
   お取り寄せ

     
      先日歌舞伎を見たことから使いたくなった隈取の懐紙(暫)
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公民館短歌会 89

2013-07-20 | 短歌
 先週は、焦熱地獄のような日が続きましたが、今週になり比較的過ごしやすくなりました。昨日の短歌会も、出やすくてほっとしました。皆さんの旅行のおみやげも美味しくいただきました。伊賀上野、富士山など・・・写真右は、Hさんの伊賀上野みやげのかたやき。

 いつも万葉集と、百人一首を一作品ずつ取り上げているのですが、昨日はもういよいよどちらも終わりに近づき、百人一首は93番目となりました。

世中はつねにもがもななぎさ漕あまのをぶねの綱手かなしも   鎌倉右大臣

 鎌倉右大臣とは、鎌倉幕府三代将軍実朝のこと。28歳のとき、甥の公暁に鶴岡八幡宮の大銀杏の下で、夜陰に紛れて暗殺されます。頼朝の次男。頼朝の長男は二代将軍ですが、この人も暗殺。もともと文学少年だったので、12歳で将軍となった実朝は、実権は北条氏が握っていたこともあり、歌の道に精進。定家に教わっていました。京都まで手紙を出して和歌を学ぶのですから、なかなかはかどらず独学みたいなもの。28歳で殺された時は弟子の死に、60歳だった定家も大変嘆いたようです。

 短歌会も89回目となり、毎月8月は休みますので、9年目に入りました。メンバーの平均年齢は、60代。先月増えたのですが、病欠もあり、変わりません。先月入られたKさんは、行動的。車でよく国内旅行をされ、何回か福島にボランティアにも行かれているようです。今月の作品の中にそれらしい歌があり、質問すると、「夫と二人で瓦礫の片づけを手伝っていると、ある時は手作りのケーキを持ってこられたりして、現地の人に感謝されます」という返事。皆さんもすっかり感心してしまいました。

今月の歌 

高虎の築き上げたる高石垣円弧描きてそそり立ちをり    Hさん

   
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義経千本桜 2

2013-07-17 | 映画・TV・演劇
 昨年7/15に続いて、今年も歌舞伎好きの夫につきあい、「義経千本桜」と「毛抜」それに市川亀治郎改め四代目市川猿之助襲名披露を観に、長良川国際会議場に出かけました。松竹大歌舞伎の全国公演で、7月は北海道から愛知までの東日本を一巡し、別の月に西日本を周ります。

 昨年と岐阜市内でも会場が違うので、緞帳も岐阜市民会館は金華山の信長居館跡でしたが、こちらは長縄士郎さんの鵜を中心とした絵柄です。長縄士郎さんは、岐南町出身の日本画家で日展作家。
 もう一枚の緞帳は福山雅治さんから贈られた歌舞伎の隈取のもの。猿之助さんの説明によると、父、祖父、伯父の3人の隈取を重ねたもので、3色からなり、DNAを表現してあるのだそうです。
 猿之助さんと言えば、平成19年の大河ドラマ「風林火山」武田信玄役を思い出します。書画骨董にもお詳しく、最近ではお宝鑑定団の番組にも出られたとか・・・
 沢潟屋(おもだかや)ということから、舞台には、水草である沢潟のデザインの襖絵。口上も見事なものでした。

 歌舞伎18番の内、「毛抜」ははじめて見ました。俗に得意なものを18番とかオハコと言いますが、語源は歌舞伎からきています。7世市川団十郎がこれを決め、このころから歌舞伎に能楽も取り入れられるようになったらしいです。300年程前の事です。

 「毛抜」は、平安時代、小野小町の子孫である小野春道のお家騒動を背景に使者が、謎解きをしながら悪事を暴く話。時には髪が逆立ちしたり、大きな毛抜きが踊りだしたり・・・忍びの者が持つ磁石が、羅針盤という奇抜な発想に驚きます。

 義経千本桜は、去年と同じ出し物ですが、演者が違うとまた感じが違います。忠信役と狐忠信役は、襲名された市川猿之助さん。これも江戸時代から18番のもの。最初は人形浄瑠璃でした。これと菅原伝授手習鑑、仮名手本忠臣蔵については亡き舅から何度も説明を聞いていました。舅は自分が好きだったこともあり、よく夫たちを連れて出かけたのでしょう。
 狐忠信役は当然身軽でなければなりませんが、天袋のあたりの高さから飛び降りたり、欄干の上を歩いたり・・・若さに溢れていました。 


長縄士郎作の緞帳


福山雅治さんからの贈りもの


プログラムより
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