つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

日独ひとと文化論

2004-09-25 | 文化
 夫の勤務する大学で記念講演がありました。講師は8/5に紹介したソプラノ歌手の下垣真希さん。統一前のドイツのケルンに留学されていたことから、ドイツと日本の共通点や違いなど興味深い内容でした。同じ敗戦国ということから親しみ深いという話は以前から聞いておりました。名古屋空襲と同じようにケルンも空襲に会い、市街地は壊滅状態だったとか・・・但し名古屋城は焼失しましたが、英国軍はケルン大聖堂は爆撃しなかったようです。なんと名古屋弁とケルン訛はそっくりだそうです。
 子供の躾には大変な違いがあるようで、ドイツ人は徹底的に言葉の躾をするとか・・・「お願いします」とか「ありがとうと」か基本的なことを言わないと何も貰えないそうです。子供は半分は動物であるから完全躾けないと社会には出せないという考えです。日本の子供ももっと躾けを厳しくしたら、これほど少年犯罪はおこらないでしょうね。躾けをするどころか、したいようにさせるというとんでもない考えを提唱する人があり、将来が案じられます。
 講演の合間にシューベルトの鱒をドイツ語で歌っていただいたり、日本の曲も23・・・かってない贅沢な講演会でした。
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かなだつとむさんの書

2004-09-25 | 文化
 先日名古屋に行ったついでに、ツインビルの中にある、東急ハンズに寄ってみると、作務衣を着た人が、指先に墨汁をつけ、和紙に手際よく文字を書いておられました。1人ずつ書いて貰えるようなので、暫く待つことにしました。順番がきて、「一期一会」という私の好きな言葉を書いていただいたことに満足し帰宅しました。頂いた名刺にあるHPを開くと、「かなだつとむ」さんという書家であることが分かりました。指と爪で面白い線が表現され、堅めの面相筆でメッセージも加えられています。
 もう20年ほど経ちましたが、関西にいたとき出会った、さとう勝彦さんを久しぶりに思い出しました。あの作務衣を着た自由奔放な書家は今頃どうされているであろうか。
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ありがとうございます

2004-09-20 | 植物
 7/25中日新聞「わたしの絵手紙」、熊坂弘子さんの作品「月見草」を紹介し、種の出自など尋ねておりましたところ、種はお父上様からのものであるという返事が届きました。そしてこのほど中日新聞東京本社を介して、お父上様からなんと月見草の種が送られて来たのです。本当に有難いことです。実は筆者宅の月見草は2本にまで減っていたのです。曼珠沙華が咲く今が播き時です。早速播いて、残りは毎年月見草誌の表紙絵を描いて下さる東京(今年神戸市から転居)の谷さんに送ることにしました。
 熊坂さん、中日新聞の宇田川様、どうもありがとうございました。
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襲名披露

2004-09-19 | 文化
 夫につきあい、名古屋の御園座に出かけました。相変わらず大変な盛況です。明治30年に創立、全国的に見ても相当古く、初期の歴史的な建物は模型にして残されています。東京にいた頃、東銀座の歌舞伎座に行きましたが、そこで公演されたものが遅れて御園座に来ます。
 11代目市川海老蔵(7代目新之助改め)の襲名披露の口上は東西東西に始まって型どおりの台詞ですが、NHK大河ドラマの主役「武蔵」を演じたこともあり、アドリブが2回あり、「公私とも多忙・・・」というところで場内は笑いにつつまれました。
 海老蔵が演じた「助六由縁江戸桜」の主役の助六は江戸時代、吉原に通ったいい男ぶりを余すところなく伝え、襲名後ぴったりの演目でした。歩き方や衣装も江戸時代の「粋」を表現しています。
 武蔵を演じた時はテレビドラマにしては台詞が大袈裟で目つきが鋭く感じられましたが、目つきは「にらみ」という歌舞伎独特の演技から来るものなので、やむをえないと思いました。
 江戸時代、歌舞伎役者は河原乞食などとさげすまれていて、近くには遊郭もあり、このような所によく来ていただいたというお礼の気持ちが強く、現在、口上の折、役者が観客の前に並んで正座し、ひれ伏すのはその名残といわれています。他のどの演劇でもこういう場面はありません。しかし今は美的に昇華され、10月にはパリ公演が予定され、日本の伝統芸能をパリ市民に伝える役割を果たすことになっています。
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悼・島田修二先生

2004-09-17 | 短歌
 歌人、島田修二先生が他界されました。同じ結社でもないし、直接おめもじした訳ではありませんが、1度だけ朝日歌壇に私の歌を選んで下さいました。(1996.7.29)それまで10回ほど入選していましたが、選者は、なぜかいつも近藤先生でした。今は朝日新聞を購読していないため、もう出詠することはありません。
 島田先生は今年の宮中歌会始の選者であったし、数々の賞も受けられ、歌誌も主宰されていました。しかし、少しお気の毒に思ったのは、その死を3日間ほど誰も気付かず、最初に発見したのは、ご長男か、知人か新聞によってまちまちだったということです。        合掌
 
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ゾルゲのドラマ

2004-09-07 | 映画・TV・演劇
 もう1週間以上前のことですが、NHK総合TVでスパイ・ゾルゲのドラマが放映されました。本木雅弘の演ずる尾崎秀実(ほつみ)とゾルゲ役の外人俳優の演技は鬼気迫るものがありました。岐阜出身の篠田正浩監督は、尾崎の出身も岐阜であることから、その人間像を描きたく製作されたとか・・・わずかながら監督自身も出演されていました。
 篠田監督の出身の加納高校は筆者の母校でもあります。早大卒後、映画「松川事件」の助監督としてデビューされ、そのことは高校の校内ニュースで全校に知らされました。余談ですが、筆者の東京での住まいは監督宅のごく近くでありました。
 日比野克彦も輩出していますが、母校に作品はありません。先日用があり、校長先生にお目にかかりましたが、作品がないことを残念がっておられました。あの若い校長先生はあのドラマをご覧になっただろうか。
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災害お見舞い申し上げます

2004-09-06 | 災害
 昨夜7時過ぎと午前0時ころ地震があり、後のものが余震にしては大きすぎると思ったら、それが本震のようでした。マグニチュード7.4とか・・・前のものはM6.9。この時は雷が轟いていました。それと台風まで近づいています。当地は震度3。しかし揺れが相当長かったので恐怖でした。きっと震源に近い和歌山ではもっと怖かったことでしょう。

 思い出せば平成7年の阪神大震災の3年前に東京へ夫が転勤していて、私たちは震災を免れました。25年も関西にいたのに・・・すぐまた当地に転勤したので、地下鉄サリン事件も免れました。夫は地下鉄で通勤しておりました。

 ここは濃尾震災の激震地。阪神震災以上の7000余人の犠牲者がありました。東海地震か叫ばれている今、今度きたら覚悟しておかねばならないかも・・・
 
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今年も行けず

2004-09-03 | 短歌
 8月末、私の所属する短歌結社「高嶺」の前主宰者、故二宮冬鳥先生の冬鳥忌歌会が九州で開催されました。平成8年8月19日、鬼籍に入られて以来毎年久留米市で開かれます。
 先生は古武士の風格がありました。どんな有名な人の作品でも間違いは間違いと厳しく糺され、妥協を許さない人でした。
 古賀政男作詞作曲のある歌に「月にやるせぬわが思い・・・」という一節があります。先生は決して「やるせぬ」などとは活用しないので、文法的には誤法であると指摘されていました。
 このような厳しい方でも、私の送った月見草の種を播き、慈しんで育てておられました。       合掌
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