つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

彩雲 53号

2019-12-30 | 短歌

 今年最後の歌の記事は、短歌誌「彩雲」53号、2019年冬号です。月刊では慌ただしいし、年刊では間延びがするので、季刊がちょうどよい発行間隔かと思います。秋の植物図鑑の写真も好ましいです。主宰者の田中さんが、巻頭に柿のことを書かれていることからこの写真になったようです。紀行文は、馬籠宿と新橋駅と若山牧水の旅から。美術館紹介は静岡市美術館。田中さんの歌から。

狭みゆく心に仰げばあますなく空は標せり雲の漂泊

舞ひ落ちしひと片桜にゆっくりと影随ひてゆく澄みたる浅瀬を

若草の気をしぼりあげ一点に空高くして雲雀さへづる

カーテンの隙間をぬひ来て「詩」を照らす書斎の朝の光を愛す

樹下を来る得も言へぬ風身に受けてこころのままに五七を辿る

 明日記事を書けるかは未定ですので、一言ご挨拶申し上げます。今年このブログに訪問頂きありがとうございました。日々平均200人の方に見て頂いています。来年もよろしくお願いします。皆様よい年を迎えて下さい。

 

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高嶺その後

2019-12-29 | 短歌

 短歌誌結社「高嶺」は、昨年1月、90年の歴史の幕を閉じました。そのまま解散は惜しまれるので、一部の方は別の結社「冬雷」に投稿されているようです。私も誘われたのですが、「月見草」の編集も忙しいので、お断りをしています。岐阜県歌人クラブの会員でもあり、かけもちも大変なのです。でもこの世界はかけもちの人もけっこうあるのです。会費さえ払えば加入は歓迎されます。

 一応親しい人には、2.3人ですが、「月見草」を贈呈しています。先日その一人から、お礼状と彼女が「冬雷」に取り上げられていることから一冊、送られてきました。お菓子も添えられています。他の皆さんの作品も懐かしく拝見しています。さすがに高嶺とよく似た雰囲気の歌誌を選ばれたものだと感心しています。主宰者がお若いので、ホームページもあります。これは高齢の高嶺会員では叶わないことでした。友人もそこで大活躍。高く評価されています。

 しかし、「高嶺」から「冬雷」へ移籍した人は1割もありません。多分それぞれの地元の結社で発表されているのか、事情で辞められているのかもしれません。どこかで発表の場を持ちたいという気持ちは分かります。この世界では、どこにも属さなくて新聞などに投稿している人も多いのです。

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微風の会

2019-12-27 | ボランティア

 先日放送大学で講演をされた玉田さんにその日のブログ記事をプリントして送りましたら、微風の会の最新号が送られて来ました。私の短歌誌も見て欲しくて送りました。別の人を通じてエッセイ集も頂いていることから。

 微風の会報を読むとまだまだ知らないことが多くて少し紹介したくなりました。中国へ奨学金を送り続けられ、訪問も続けられていましたが、どうやらこれが最後となるようです。一面の写真は、9.18記念館前。少し記事を転載します。中国に奨学金を送られている理由も分かるような気がします。

 「9.18記念館の見学」

 日本では満洲事変というが、中国では、1931年9月18日であることからこのように表記される。日本の関東軍は、東北地方に勢力を張っていた中国軍閥張作霖を、1929年、乗車していた列車を爆発して殺害した。(昭和天皇の逆鱗に触れた満洲某重大事件) その二年後に息子の張学良の兵站(北大宮) 近くの柳条湖の満鉄線路を中国人が爆破したという口実で報復の進軍を始めた。一般の日本人は戦後になって、「関東軍の自作自演だった」ことを知った。ー中略ー日本は国際連盟を脱退し、世界の孤児となり、敗戦への道をたどることになった」

 今ても世界各地で起こっている紛争はすぐには分からないということです。会報の写真は、この記念館の前でのもの。建築デザインは当日のカレンダーになっています。

 

 昨日は部分日食でしたが、当地はあいにくの曇天。新聞の写真は、4000m上空のヘリから撮られました。

 

微風の会最新号

中日新聞12/27日付け

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奈良だより 170

2019-12-25 | 短歌
 今回の奈良だよりは、奈良ではなくて富山・高岡の写真です。昨日の前田様からのメールを紹介します。知り合ったのは昭和の終わりですから、30年を越えました。月見草31号に、高岡に関する短歌を紹介したのです。このシリーズはその年訪問した場所に関連する歌を取り上げているのです。
 
 私が前田様に最初に会ったのは、昭和の終わり頃、姫路郵便局に勤めていた友人が、前田郵便局長を「万葉に詳しい人がいる」と紹介してくれた時です。その後二人を奈良の万葉遺跡をご案内下さいました。ご自宅にも伺いました。お礼に東京案内を平成4年に致しました。その頃、夫の勤務の関係で兵庫県にいました。その後、東京に住み、また夫の勤務で郷里の岐阜県に戻りました。
 
以下はメール。
 
 「令和元年の月見草をいただきました。平成元年の創刊と伺えば、懐かしさもさることながら、<wbr />時の隔たりも感じます。松原様に初めてお会いしたのが、<wbr />平成になる直前の昭和の終わりごろだったと思います。以来、月見草を発刊される度に毎回送付を受け、<wbr />時たまメールに書いていた短歌も掲載して頂くなどしていましたが、<wbr />最近は歌を詠むのも忘れ、時たま万葉集を紐解く程度になりました。それでも、大和はどこを歩いても万葉故地があり、<wbr />万葉歌碑がありで、やはり万葉集と離れることはありません。31号で家持の歌が紹介されています。<wbr />平成9年の4月頃に出張で富山に行きましたが、車で行きましたので、高岡へも回りました。高岡の二上山ドライブウエーで、歌碑巡りをしていましたが、<wbr />中学校の校庭に家持の歌碑を見つけ、拓本の採拓を申しこんだら、<wbr />すぐに許可してくれました。丁度季節的に良い時期ですので、<wbr />先日掛け軸を掛け替えたところでした。高岡万葉歴史館館長の坂本先生は、奈良女子大学名誉教授で、<wbr />お住まいも奈良ですから、先生が案内されるウオークにも何回か参加し、<wbr />身近でお話をすることもできました。写真は高岡で採拓した家持の歌碑です。」
 
家持の歌碑の拓本
 
昨日のイヴでは、友人からの頂き物・ドイツ菓子シュトレンを・・・
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公民館短歌会 157

2019-12-21 | 短歌

 昨日は今年最後の短歌会を開きました。いつものように万葉集に入る前に、ようやく出来上がった月見草31号の話題にしました。平成元年に創刊したこの歌誌も令和に入り感慨深いものがあります。今年は表紙絵の都合で発刊が多少遅れました。Fさんからは今回も手作りカレンダーを頂きました。

 以前玉田さん著書「大地の風」は会員の皆さんに渡してありますので、その話題にも触れました。微風の会の知り合いから著書を頂いていたのです。Sさんがはからずも引き揚げ者。彼女は生後間もなかったのですが、ロシア侵攻前年の帰国で一家は無事でした。軍部にお父上がおられたため、情報が早く入ったようです。でも道中は大変で、おしめを海に捨てながらの帰国だったようです。洗っている暇はありません。

今月の歌

神宮に寄りて慄く人波を歩きつかれる境内の広さ    Hさん

 昨日の午後は、今年最後の放送大学英語セミナー。オーストラリア人講師は、真夏のクリスマスの話をしてくれました。昨日のオーストラリア・アデレードの気温は46度。豪州殆ど40度以上でした。英国からきた風習ですから、サンタの衣装は同じ。料理はもちろん七面鳥。プレゼントは靴下に入れなくて、ツリーの下のようです。米国では暖炉の横の靴下のようです。帰り際、Hさんから手作りカードを頂きました。白い紙に凹凸をつけ、文字は特殊なペンで書かれています。印刷に見えますが装飾文字で、HAPPY HOLIDAYSと書かれています。

 夕刻には千葉から今年も落花生が届き、ありがたく賞味させて頂いています。Iさん、ありがとうございます。

 

月見草31号

伏屋さん作のカレンダー

手作りカレンダー

頂いた手作りカード

今年も届いた落花生詰め合わせ

友人から頂いた大柚子 明日お風呂に入れます

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「大地の風」著者の玉田澄子さんの講演会

2019-12-20 | 講演会

 放送大学心理学セミナーの昨日の講師は、「大地の風」を30年前に上梓された玉田澄子さん。実は2015.10.19にも関連記事を書いています。4年ぶりに彼女のお話を聞きましたが、生死の分かれ目を切り抜け、満洲から引き揚げられた話は何度聞いても緊張します。昨日は同時に引き揚げられた妹さんも参席。辛酸をなめられた話を聞くと、8月9日に参戦したソビエトがやはり許せません。ロシア兵に襲われまいと逃げまどい、集団自決も決意されていたのに、お母上の賢明な判断で生き延びられたのです。事実短刀を日本から準備されていました。親切な中国人に助けられ、いり豆を貰い逃避行。日本の腐りやすいおにぎりはダメでした。終戦時、著者は7歳。妹さんは3歳でした。8月9日に誕生された妹さんは餓死。4人目出産の後、産褥のお母上の苦しみはいかばかりであったでしょうか。お父上は抑留されたままでした。

 日本の関東軍の行為も許せません。自分の家族だけ終戦前に逃げて、ロシア兵を進軍させないために橋を燃やしてしまいました。玉田さんたちは浅瀬を探し上流まで歩きます。どれだけ多くの日本人の死者が出たかは数も分からないほど。満洲に渡航したのは、長野県が一位。二位が鹿児島。岐阜は七位でした。貧しい山村に政府は開拓に行くように勧め、日本人町を作ろうとしました。拓務省まで作って・・・次男三男は土地がないので、向こうに行けば何万坪もあると言い・・・政府に従った人はとんでもない人生になりました。愛知は少なかったそうです。

 今は、本の印税や、寄付金を、中国に取り残された日系の子孫や中国人の学資として支援。微風の会と名付けられて・・・奨学金を携えて、何度も渡航。基金の名前は彼女の旧姓から、「大澤基金」。

 奨学金を運ぶだけでなく、かつて日本軍が中国に与えた惨劇のあとも訪問。慰霊の祈りを捧げられました。731部隊陳列館、9.18歴史博物館、ノモンハンなど。25年続けられたのですが、最近は会員高齢化で訪中は打ち切られました。

 毛糸店を営みながら、文化センターで、随筆の講師をしておられ、「小品」という随筆集を40年も発行。年一度発行は、わが月見草と同じ。11人の会員の作品を世に出しておられます。81歳とは思えないほどお元気です。歴史の事実を本や講演によって後世に伝えていかなければならないと言われています。

 

玉田さん

旧満洲の地図 今は中国東北部 北はシベリアで南は北朝鮮 西はモンゴル

継続発行されている微風と小品

推薦図書となっている大地の風

14階のレストランでランチを同席

 

 

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奈良だより 169

2019-12-16 | 国内旅行

 一昨日、奈良の前田さまから「かぎろひ」の連続写真が送られて来ました。冬の早朝で、寒いのにたくさんの写真を撮られました。以下はメール。

「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」柿本人麻呂の有名な歌ですが、画家の中山正光さんが、「阿騎野の朝」と題して、この歌に基づいて軽皇子が父草壁の皇子が行った阿騎野の狩りを再現する絵を描かれています。中山画伯は気象台に照会する等して、この歌が詠まれた狩りの日を、陰暦の11月17日と突き止めました。
地元、奈良県宇陀市のかぎろひの丘では、毎年この日の朝4時から焚火を焚いて、かぎろひの出現を待ちます。
今では、ツアーバスで訪れる人もあって沢山の人が訪れます。
 今年は12月13日がその日で48回目を数えました。私は、その日を待たず、快晴が予測される12月10日に、かぎろひの丘ならぬ葛城山麓道路に出掛け、大台ケ原から高見山まで見渡せる位置で夜明けをまちました。期待した程のかぎろひは見れませんでしたが、夜明け前の時の移ろいと風景の変化を目の当たりにして、素晴らしい夜明けを体験しました。

写真①6:16右大台ケ原から高見山までの稜線。
②6:21山の稜線付近に雲がでてくる。
③6:30吉野川に川霧が発生している。
④6:51吉野川の川霧もはっきりし、
手前の工場の煙も見える。
⑤6:56稜線が明るんでくる。
⑥7:01日の出寸前。この時の光をかぎろひと言うのかも
しれない。
⑦7:07日の出の瞬間。
 
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たまにはステーキ

2019-12-15 | わが家

 娘が車に乗せてくれると言うので、昨日は又、夫の次兄を見舞いました。以前から癌を患っていて、一応切除したものの、喉からタンをとらねばならないことになり、母の入院していたA病院にて加療中。3日前にも、夫と自転車を連ねて見舞いました。多少寒くても、天気もよいので、10分ペダルを漕いで・・・でも喉を切開しているため会話は不能。もう88歳ですから、やむを得ないでしょう。栄養もチューブから取っています。若い頃は元気で、岐阜県立農業高校校長会長も務め、今問題になっている例のさくらを見る会にも招待されました。手術は近くのH病院で済ませたのですが、その後病状が思わしくなく、最近A病院に転院していました。意識はあるので、話しかけたらうなずいていました。

 顔色もよいので、義姉としばらく話し、約束通り、近くの店、「宮」で娘とステーキの昼食をとることにしました。「どうせ毎日こういうものは食べていないんでしょ?」と、娘の発案です。言われた通り、久しぶりのステーキでした。そういえば同窓会も老人ばかりですから、和食中心です。

 

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ストラディヴァリウスとグァルネリウスの調べー奇跡の二大名器で聴く名曲コンサート

2019-12-13 | 文化

 昨日は友人にチケットを頂き、ストラディヴァリウスとグァルネリウスの調べー奇跡の二大名器で聴く名曲コンサートに出かけました。会場はいつものサラマンカホール。曲目は、エルガーの愛の挨拶に始まり、カサド、グリーグのヴァイオリンソナタ、ハイドンのピアノ三重奏曲、最後はバッハの無伴奏チェロ組曲で締めくくられました。ストラディヴァリウスのヴァイオリンを弾くのは、中澤きみ子さんで、グァルネリウスのチェロを弾くのは、中木健二さん。司会はクラシックの水先案内人、朝岡聡さん。

 司会の話によると、ストラディヴァリは、本人とその息子二人の名前で、ストラディヴァリウスは、その3人の作ったヴァイオリンのこと。同様に、グァルネリは、本人とその息子と孫の名前。グァルネリウスはその3人の作った楽器のこと。いずれも300年以上前に作られました。この楽器は30分くらいは本来の音が出ず、ある時間演奏すると本来の素晴らしい音色になるそうです。いずれも息も詰まるほどの力のこもる演奏で、ヴァイオリンの弦が一本切れました。白馬の尾も耐えきれなかったのでしょう。アンコールは、メンデルスゾーンの歌の翼に。これもよかったです。帰り道、令和元年最後の満月で、コールドムーンと聞いていたこともあり、何とか撮影しました。冷え込んだ夜でしたが、車に往復載せていただき有難いことでした。

 今月は日本人にとって嬉しいニュースがあり、27人目のノーベル賞を吉野彰氏が授賞されました。化学賞は8人目。日本はアジアでは抜きんでています。中国では日本の10倍の人口があるのに今年も受賞者ゼロ。嘆きが伝わるような・・・

 

プログラム

演奏中は撮影禁止なので

コールドムーン

 

 

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中国の日本属国化シュミレーション

2019-12-10 | Weblog

 動画の中に、「中国の日本属国化シュミレーション」と言うショッキングなタイトルがあり、驚いて視聴することにしました。トータル6時間に及び、ギブアップしてしまい、一部を紹介します。動画発信は「チャンネル桜」。会談形式で、司会は代表の水島氏。メンバーには、河添恵子さんもおられます。外国人ジャーナリトの顔もあります。

 まず北海道。もうかなり中国人が道内の土地を買い、買収予定は進んでいます。ところが同知事は500万の人口を倍化したいとうことで拒みません。その事実も北海道新聞は書きません。書くのは全国紙の産経新聞のみ。中国は、食料と水資源と森林を狙っています。すでにススキノの3/4は中国のもの。アイヌの代表に中国思想を教育しています。

 次は沖縄。これも表面には出ないよう着々と水面下で中国は土地を買っています。トカラ列島の一部の島を20億円で買っています。海底資源の掘削も進めています。日本の中国化政策を進めているのに、国会はどうでもよいシュミレーターとか、さくらを見る会の話題ばかりです。マスコミも報じません。NHKには中国メディアが入っているため、中国に不利な情報は流さないのです。それともメディアは中国の手先なのでしょうか。

 大阪のあいりん地区では、戸籍が盗まれ、中国人のものに一部なっています。海外ではオーストラリアでも中国化が進んでいるようです。中国の軍拡はすさまじく、対応は出来ないようです。

 早くスパイ防止法を作らねばならないし、外国人に土地売買を禁止しなければならないのに・・・政府は一体どうなっているの? 6月に訪問したスリランカは、外国人に土地を売買することは法律で禁止されています。400年の間植民地であったため、当然のこととして法律は出来ました。日本は幸いこれまで植民地にならなかったのはよいのですが、平和ボケに陥っています。日本の先端技術が中国に盗まれているのに・・・

 正に中国は孫子の兵法に書いてあるように「戦わずして勝つ」を実行しています。武力を使わず土地の買い占めで属国化をもくろんでいます。

 

 

サザンカ

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