放送大学心理学セミナーの昨日の講師は、「大地の風」を30年前に上梓された玉田澄子さん。実は2015.10.19にも関連記事を書いています。4年ぶりに彼女のお話を聞きましたが、生死の分かれ目を切り抜け、満洲から引き揚げられた話は何度聞いても緊張します。昨日は同時に引き揚げられた妹さんも参席。辛酸をなめられた話を聞くと、8月9日に参戦したソビエトがやはり許せません。ロシア兵に襲われまいと逃げまどい、集団自決も決意されていたのに、お母上の賢明な判断で生き延びられたのです。事実短刀を日本から準備されていました。親切な中国人に助けられ、いり豆を貰い逃避行。日本の腐りやすいおにぎりはダメでした。終戦時、著者は7歳。妹さんは3歳でした。8月9日に誕生された妹さんは餓死。4人目出産の後、産褥のお母上の苦しみはいかばかりであったでしょうか。お父上は抑留されたままでした。
日本の関東軍の行為も許せません。自分の家族だけ終戦前に逃げて、ロシア兵を進軍させないために橋を燃やしてしまいました。玉田さんたちは浅瀬を探し上流まで歩きます。どれだけ多くの日本人の死者が出たかは数も分からないほど。満洲に渡航したのは、長野県が一位。二位が鹿児島。岐阜は七位でした。貧しい山村に政府は開拓に行くように勧め、日本人町を作ろうとしました。拓務省まで作って・・・次男三男は土地がないので、向こうに行けば何万坪もあると言い・・・政府に従った人はとんでもない人生になりました。愛知は少なかったそうです。
今は、本の印税や、寄付金を、中国に取り残された日系の子孫や中国人の学資として支援。微風の会と名付けられて・・・奨学金を携えて、何度も渡航。基金の名前は彼女の旧姓から、「大澤基金」。
奨学金を運ぶだけでなく、かつて日本軍が中国に与えた惨劇のあとも訪問。慰霊の祈りを捧げられました。731部隊陳列館、9.18歴史博物館、ノモンハンなど。25年続けられたのですが、最近は会員高齢化で訪中は打ち切られました。
毛糸店を営みながら、文化センターで、随筆の講師をしておられ、「小品」という随筆集を40年も発行。年一度発行は、わが月見草と同じ。11人の会員の作品を世に出しておられます。81歳とは思えないほどお元気です。歴史の事実を本や講演によって後世に伝えていかなければならないと言われています。
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玉田さん
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旧満洲の地図 今は中国東北部 北はシベリアで南は北朝鮮 西はモンゴル
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継続発行されている微風と小品
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推薦図書となっている大地の風
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14階のレストランでランチを同席