つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

8位でした

2004-08-27 | 岐阜県
 8/19の続きです。
 メダル獲得数が新記録となった今回のオリンピックの中で、日本女子ホッケーチームの8位は目立たないかもしれませんが、初出場で2勝したのですから、大したものだと思います。安田監督は岐阜女子商業高校の監督でもありますが、この高校は来年3月には他校と併合し、男女共学となります。有終の美を飾れたのではないでしょうか。監督は今後は男子生徒をも指導されることになるでしょう。
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山田耕筰の世界

2004-08-25 | 文化
 岐阜市の音楽ホールで山田耕筰コンサートがありました。くるる主催の昨年の宮澤賢治コンサートが好評だったため、満席でした。
 構成、伴奏、川口耕平氏(千葉大学名誉教授)、ソプラノ、川口氏の実妹、渡部千枝さん(名古屋音大講師)、テノール、日本シューベルト協会国際歌曲コンクール1位、北村敏則氏という豪華メンバーでした。北村氏はペーターシュライヤーの再来とか・・・ちなみに筆者は20年ほど前姫路市でのペーターシュライヤー独唱会に行ったことがあります。なお「語り」は数々の芸術賞に輝く、舞台女優のたかべしげこさんでした。
 山田耕筰は恵まれた環境に育った上、姉婿の外人宣教師に、西洋音楽の基礎を学び、今の東京芸大に入学、1910年にはベルリンに留学、50歳で、レジオンドヌール受賞、弟子の育成にも長けていて、團伊玖磨氏などが目立ちます。50歳ころ毛髪が薄くなったため、せめて名前の文字にケをつけようと、作を筰に変えられたことは余りにも有名です。
 プログラムは童謡の他に、歌曲、録音ですが、日本人が始めて作った交響詩「曼荼羅」も披露されました。ドビュッシーとストラビンスキーの影響が感じられます。
 鎮魂の月8月らしく、長崎の鐘の作者、永井隆博士の歌に曲をつけられた、「播祭の」も唄われました。
 最後は山田耕筰の親友であったという三木露風が作詩した「あかとんぼ」を我々聴衆も一緒に唄いました。余談ですが、三木露風の生地、兵庫県龍野市では、毎日午後5時になると、この歌がミュージックサイレンにのって町中に流れます。
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「わたしの絵手紙」その後

2004-08-22 | 植物
 7/25付け中日新聞の「わたしの絵手紙」「月見草」の投稿者の熊坂さんに、中日新聞を介して、月見草の種の入手先を問い合わせていましたところ、東京本社から返事がありました。種は熊坂さんの父君のお友達からいただかれたということでした。やはり殖えにくいためか、市販はされていないなようです。我が家の月見草も常に風前のともしびです。
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小さな町からオリンピック

2004-08-19 | 岐阜県
 ATHENSオリンピックで、日本選手は金メダルラッシュでありますが、この小さな町(岐南町)からも選手が1人出ています。その桜井選手が出場した女子ホッケー、対中国戦は敗退しましたが、チームは対ニュージーランド戦でオリンピック初勝利をあげ、準決勝に望みをつないでいます。
 メンバーに岐阜県人が目立つのは、岐阜女子商業高校にホッケー部がもう40年以上前からあって、その高校の出身者が多いからです。この高校は以前は、稲葉女子商業という校名でした。友人の1人がそこを出ていて、ホッケー部の話をよくしてくれました。今、40年の苦労が実ったという気がします。
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エリザベート

2004-08-13 | 文化
 ミュージカル「エリザベート」を名古屋・中日劇場まで夫と見に出かけました。数年前、オーストリアに旅した時、ハプスブルグ家の悲運の皇后「エリザベート」のことが何度も話題に上りました。肖像画の美しさも忘れられません。日本人が果たしてどこまで迫ることが出来るのかという考えもあり、チケットを求めました。
 想像以上の熱演で、出演者の息づかいも感じられました。内野聖陽さん、一路真輝さん、高嶋政宏さんたち、すべてが命をかけているようでした。役者が舞台に命をかけるのは当たり前の話ですが・・・
 ナチスの鈎十字の旗が吊り上げられましたが瞬時に引きづり下ろされました。オーストリアはヒトラーの生まれた国でもあるのです。
 そういえば、ドイツ人の知人の1人は自国の旗の話をあまりしたがりませんでした。米国のようにやたらと国旗はあげないようです。ヒトラーを思い出したくないらしく・・・
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名和昆虫博物館

2004-08-12 | 文化
 孫たちも夏休みとなり遠方から一家でやってきましたので、念願の岐阜市、名和昆虫博物館に出かけることにしました。この時季はいつも大変な人出です。
 博物館は、記念昆虫舘と昆虫研究所が併設されていて、研究所は明治29年創立で日本ではあまり例のない古さです。博物館の外観はギリシャ神殿風で、文化庁の登録有形文化財に指定されています。
 今の館長さんは5代目で、初代の名和靖氏は、ギフチョウの発見者です。ギフチョウは春を告げる蝶としてつとに有名です。
 3代目館長、名和英雄氏は、亡父の学問上(昆虫防除の研究)の友人でした。
 
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お盆が近づいて

2004-08-10 | 短歌
 お盆が近づいたので、例年通り墓地を一斉に清掃をしたのち、供物をそなえ、御縁様(当地方の僧侶の敬称)に読経をお願いしました。夫が自治会長の立場にいるため、墓地管理人も兼任ということで、御縁様と親しく話す機会があります。
 彼は外大出で、かって都庁勤務時代は、美濃部都知事の右腕で、海外へは同行し、通訳を務められていました。今は僧籍を継ぎ、英語のかわりにお経を唱えられています。とても澄み切った声で。

美濃部知事と渡米されにし日も遠し僧籍継ぎて墓に読経す

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岐阜県男女共同参画室研修会

2004-08-06 | 岐阜県
 時には行政にも参画してみたらどうかと、昨日コンサートに行く前、標記の会を覗いてきました。岐阜大学教授、小林月子氏の講演は有益でした。日本は国際的に見て、女性の地位が低く(44位)とりわけ政治、経済の分野で意思決定をする立場の者が少ないと、国連から指摘されているそうです。戦後随分女性が強くなったはずですが、まだまだ弱い立場のようです。
 私は、インドでは持参金が少ないと新妻は焼殺されることとか、中国では、女の子が生まれると密に間引きされるため、異常に男の子供の比率が高いこととか、ネパールでは、女親の教育があまりなされていないため、娘をインドに娼婦として売るということも聞いていましたので、日本の女性はましだと思っていました。意外な数字でしたが、世界的に見ると、格差が極めて高いということでしょう。
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下垣真希さんのチャリティコンサート

2004-08-05 | 文化
 名古屋市のザコンサートホールで、「平和の祈り、命かがやいて」というイラク支援のためのチャリティコンサートがありました。岐阜県出身の歌手、下垣真希さんの歌を中心として、沖縄の三線、ヴァイオリン、ピアノの独奏もあり、バラエティ豊かでした。
 下垣さんの伯父様は「長崎の鐘」「この子を残して」原作者である永井博士の弟子で、長崎原爆投下の時、長崎医大の学生でした。奇跡的に即死は免れましたが、間もなく原爆症のため17歳で他界されたとか・・・永井博士とともに暮らされていたことから遺品の色紙が彼女のところにあるようです。
 彼女の「さとうきび畑」の歌も素晴らしく、流行歌手とは全然違います。日本の芸術大学卒業後、ケルン国立音楽大学で学ばれたのですから・・・
 プログラムのフィナーレは勿論「長崎の鐘」。CDも出されています。なおアンコール曲は「アメイジンググレイス」でこれもまた絶品で、全体のトークもなかなかのものでした。鎮魂の月、8月にふさわしいコンサートでありました。
 夫の勤務する大学で彼女がドイツ語講師をされていることからチケットが手に入りました。 
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小瀬洋喜先生のこと

2004-08-03 | 短歌
 歌人クラブの事務局長、後藤左右吉氏(元岐阜市教育長)から短歌大会の写真が送られてきました。中央の男性は歌人クラブ代表の小瀬洋喜先生(薬学博士)です。先生の御尊父様(農学博士)が大正末ヨーロッパに留学された時、先生が誕生されたので、洋行の喜びを記念し、洋喜と名付けられたことを亡父から聞いていました。亡父はご尊父様の弟子でした。先生のご尊母様は歌人でした。
 亡父は、小瀬先生宅に遊びに行った時、幼かった洋喜先生を膝に乗せてあやしたそうです。
 親子二代の御縁を感謝しています。(筆者は先生の左)
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