つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

新年会ランチ

2019-01-31 | ボランティア

 1月ももう終わりになろうとする昨日、遅い新年ランチ会をしました。久しぶりのピザ。15種類ほどありました。サービスがよくてお持ち帰りのケーキまでもついています。サラダも、飲み物もピザもバイキング。私が注文したパスタは、ヘルシーなシーフードスパ。他の店にはない苺ジュースも美味。お代わりした柚子ジュースも評判がよかったです。友人に頂いたこけしチョコも包装が可愛かったです。

 

お代わり自由でした

お持ち帰りのケーキ

頂いたこけしチョコ

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大坂なおみさん

2019-01-27 | Weblog

 昨日は、テニス4大タイトルの全豪オープンテニスに大坂なおみさんが優勝。女王となりました。息詰まる戦いで一時も見逃せない試合でした。優勝インタビューはどんな英語を話すのかと期待していたのに、「メモを書いていたのに忘れた」という短い謙虚な言葉にびっくり。謙虚さにまた人気が出ているようです。負けたチェコのクビトバ選手にもかけより、言葉をかけていたのも余裕でした。

 彼女は、3歳ころから米国に住み、日米二重国籍。日本を選んでいるのは、15歳の彼女のプレーにその才能を見た日本テニス協会女子コーチの吉川氏がケアしていたため。今回の試合を見た米国はなぜ米国籍でないのだ、と怒ったそうですが、もう手遅れ。何度も米国に支援を求めたのに断られていたのです。根室市の祖父の鉄夫さんも応援しすぎて血圧が上がったそうです。ハイチと日本とのハーフ。ハイチをWFWPが支援しているため、彼女はイベントにも来てくれます。写真はネットより。

 

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またまた告別式

2019-01-26 | Weblog

 今年度は3人目の老人会員の告別式です。23日亡くなられたSさんは、平成天皇と同年、同月、同日生まれ。宮内庁から記念のカップもいただいておられます。農業高校を出られて農業一筋。65年くらい前、昭和天皇のお母上の皇太后陛下が農業視察に来られることになっていたのですが、高齢のため何かの不都合がおこり、中止になってしまいました。亡母は、我が家の前をお通りになるからと草ひきなどしておりましたが・・・

 息子さんが町役場勤務のせいか、町長以下町会議員全員がお焼香しました。愛犬家で毎日散歩しておられた姿を思い出します。告別式にはお孫さんが何度もハンカチで涙を拭いておられました。30年間、誕生日は毎回祝祭日。平成が終わる年に亡くなられたのも象徴的です。奥様は、「私は美智子妃殿下のようには世話はできないわ」と言われていました。

 

ポートメッセ名古屋の「柱」は、デザイン博の時作られました。中の人形はボタンで動きます。

昨日いただいた上海みやげ

 

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税務の講演と中村雅俊さん

2019-01-25 | Weblog

 昨日は、ある会社の招待で税務の講演と中村雅俊さんのライブに行ってきました。会場は、金城ふ頭のポートメッセ名古屋。相続税に関する法律が少し変わります。驚いたのはこれまで舅の看病をした嫁に相続税は貰えなかったということ。明治時代の因習のままで、法律の世界はこんなにも遅れていたのかと驚きました。ようやく認められるようになるそうです。

 講演の後は中村雅俊さんのライブコンサート。彼は東日本大震災の被害の多かった女川町生まれ。被災地でのコンサートもよくされていました。石巻高卒後慶大に進学。もう学生時代から多彩な才能を発揮していました。母子家庭であったことも、日経新聞のコラムで見ました。60半ばであるのに歌唱力は衰えず、オーラが立ち込めていました。「半分、青い。」では仙吉おじいさん役でしたが、昨日は別人の若者。残念ながら公演中は撮影禁止でした。これまでに芸能人から色紙を貰ったことも握手をしたこともありません。ほんの一握りの人だけでしたが、色紙を頂き、握手出来たのはラッキーでした。

会場近くにはレゴランドジャパンのホテルが・・・

色紙サイン

 

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タイ報告

2019-01-24 | 海外旅行

 WFWPの若い会員のTさんがタイに行って来ました。日頃支援しているので現状報告です。タイの日本人里親は、一人につき一年に15000円支援。小学生で寄宿舎生活をしているある人の家に訪問されました。そこは、片道4時間も車に乗り、山岳民族の1つ、カレン族の集落でした。自給自足の生活で、テレビもありません。英語もタイ語も通じない現地語ですから、通訳つきです。日本人を歓迎してくれて、家族のように接してくれたり、為に生きていることがどんなに素晴らしいかを体験されました。

 一般観光ルートのワットやアユタヤにも行かれたり、タイマッサージや象乗りなどもされたのですが、この慰問で、福笑いなど日本独自のゲームをしたり、日本文化も伝えて来られました。でもメンバーの中では下痢をされたり大変なこともあったようです。

写真はネットより。

タイ国旗

 

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健康講演会と食事会

2019-01-21 | 料理

 久しぶりに名古屋での健康講演会に出かけたら、食事も用意されていました。いろいろ話された中で、記憶にあるのは、うつ病に悩んでいたリンカーンは、自分を好きになるよう、たゆまぬ努力をしていたこと。動物でも愛情をもって接すると病気は治ること。スキンシップをするのです。東洋人と西洋人とで、精神的なトラウマが治ることは西洋人は不可能に近く、日本人はスキンシップをするので、順調に恢復すること。おんぶやだっこの育児は良いそうです。西洋では、ずっと別々のベッドで寝るため、なかなか快癒は難しいとか・・・統計的に出ているようです。

 話の後はヘルシー食事会。手作りの料理の数々をいただきました。大根も金柑も圧力鍋で煮てあり、美味。トロトロでした。

 ところで昨日の大相撲初場所では、両陛下のご観戦があり、行司の口上がいつもと違っていました。いつもは最後の取組の前には、「この一番で打ち止め」。しかし、昨日は、「結びの一番でござりまする」でした。平成最後のご臨席。多くの観衆は、自然と「バンザイ」を三唱。お二人は何度も手をふり、それに応えておられました。皇后陛下は和服姿でした。

 

ローストビーフは絶品でした

右端の大根も美味

デザート

バイキング形式

 

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同窓会新年会

2019-01-20 | わが家

 今年も同窓会新年会に顔を出しました。隔月で集まっているので、それほど話はないように思われますが出る人が異なりますので、話は尽きません。欠席理由の1つに、「入歯が外れた」という人もあり、私たちの年齢を物語っています。

 画家のSさんとは年齢と関わらない話です。短歌にも共通点があるので話が弾みました。どちらも俳句はしていないのに、「プレバト」を見ていることが分かり、これにも共通している何かがあることが分かります。目指すものは同じなのですね。もう一人Oさんと言う画家がおられますが、席が遠くて今回は話せませんでした。

 嬉しかったのは、私がブログに出していることを話しているHさんが、その後のソテツの実の写真を持ってきて下さったこと。次第に実も赤くなって来ていました。

 学校時代は○○ちゃんとは決して言わなかったのに、今は抵抗なく呼べることも愉快です。老人らしく、健康とか病気や老人会の話題、それでもいいと思います。  

 

魚料理中心でヘルシーでした

 最近のソテツの実

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公民館短歌会 147

2019-01-19 | 短歌

 昨日も極寒の日でしたが、予定通り公民館短歌会(岐南町南町民センター短歌会)を開催しました。万葉の講話のかわりに、前回の万葉の植物の続きです。歌の添削と講評は、歌の数が36首ありましたので、時間はぎりぎりでした。

 万葉の花の中で樒は1首しかありませんが、気になる植物です。岐阜など一般にはシキミと呼ばれますが、或いは場所により、「ハナノキ」と言われると説明されていました。事実その通りであるらしく、Fさんの郷里の信州ではそう呼ばれるようです。

 奥山の樒が花の名のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ 大原今城

 樒は、亡父がお墓に植えていたのですが、今は枯れてしまいました。クリーム色の花が密かに咲いていたのを覚えています。下の歌のUNOは、ウノと読み、スペイン語で、1という意味。かつて孫たちと遊んだことを思い出します。

 

今月の歌

 ゲームUNO孫に教はり正月中夫と参戦負けつづく我       Fさん

 シキミの花(ネットより)

ようやく開花したクリスマスカクタス

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あけび短歌会 15

2019-01-17 | 短歌

 今年も高校の先輩の墨さんを通じて、歌誌「あけび」が送られてきました。今年度の表紙は、「蔵王」。昨年と一昨年は白馬村で、作者も変わりました。2017.2.13にその表紙をアップしています。

 下に挙げる歌は、昨年12月号に掲載された墨さんのものです。私もチュニジアに20年前に渡航していますので、どの作品にもあの時の旅を久しぶりに思い出すものばかりで、なつかしく拝見しました。下段の写真は、京都から帰宅した日に友人が届けてくれたもの。全部手作り。

遠き世にタイムスリップしたるかにチェニスの街のメディナ巡れば

見さくればオリーブ畑地平まで波打ちうねるチュニジアの野は

地中海渡れる風の爽やけしフェニキア人の集落の跡   (ケルクアン遺跡)

あの島もここだ港も遠き日にハンニバルらの眺めしままに

カルタゴの遺跡に佇み偲びたり滅びの時の惨劇のさま 

 

 

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妙心寺

2019-01-15 | 国内旅行

 京都から帰って思い出すのは、妙心寺に浴室を寄進した明智光秀のこと。コンサートの開始は夜なので、昼間に妙心寺と仁和寺を回ることしていました。どちらも30年以上行っていません。この二寺で充分でしたが、翌日は建仁寺。ここも30年ぶり。京都冬の旅はある程度の間隔をおいて同じ寺院を公開しています。

 京都の地名に○○丸太町というものが多くありますが、あの丸太の意味がようやく分かりました。妙心寺の法堂(はっとう) を建築するのに巨大な丸太を京都の街を引いて回ったことに始まり、命名されたそうです。海路から陸路になるとき、大木は角で曲がりにくいので、家まで壊して道を作ったそうです。その法堂の龍の絵は狩野探幽筆。撮影禁止。見る場所により龍の視線が違います。

 妙心寺の浴室は明智光秀により寄進されました。天正10年、信長を討取り、妙心寺で自刃しようとしたところ、貫主に説得され生きることにしました。いずれ山﨑の戦いで秀吉方に討ち取られるのですが、その前に資産を妙心寺に寄進すると言い残します。そのお金で浴室は建てられました。今の蒸し風呂ですが、とても合理的に設計されています。このパンフレットの左下です。なお、この寺の梵鐘は日本最古のもので、法堂の中に展示。今は二代目が鐘楼に吊り下げられています。最古の梵鐘の音色はCDで聞かせて頂きました。梵鐘は国宝。浴室(明智風呂) と法堂と、大方丈は重要文化財。

 ここもご多分に漏れず、応仁の乱で全焼したため再建です。なお、開祖の慧玄は美濃(岐阜)の伊深の人です。

 

 

 

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