つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

一足早いお盆帰省

2023-07-30 | わが家

 昨日は次男一家が一足早いお盆帰省で東京からやってきました。彼らは都合で父子別行動。次男が前日鉄道で来ましたので、何かと移動に不便ということで、長男も出張帰りで寄ってくれて、岐阜羽島駅でいつものレンタカーです。昨日の昼食は長男、次男、夫と4人で喫茶店でワッフルを注文。

 次男は一昨日名古屋で仕事があり、その後京都と米国の旧友とも会い、京都みやげとアメリカみやげをこちらにくれました。よく知られている阿闍梨餅は美味しかったです。米国のビスケットはボリュームがありすぎました。次男は10年前に外国勤務もあり、外国人の友人もいます。

 午後は次男の妻子も到着。長男が岐阜羽島駅に迎えに行ってくれました。孫娘は、小1と小5です。今年の入学式の写真も見せてくれました。東京の小学校では、背の高い順には並びません。これは5年前と変化したようです。いいのか、悪いのか。

 上の孫は私立中に入るために塾に行っています。クラスの7割も私立中に入るため準備しているとか。都立中がガラガラになるらしいのも問題とは思うのですが・・・孫は塾に行きながらもバレエと水泳は続けているようです。下の孫と一緒に。

 午後はトランプをしたり、墓参りをしてくれたり、庭に水やりをしてすごし、夕食は出かけるのも暑いので、長男が持ち帰り寿司を取りに行ってくれました。帰りも岐阜羽島駅まで送ってくれて、慌ただしい帰省第一陣は終わりました。

 今日は土用。生協から冷凍うなぎを取り寄せていますので、今夜はそれをいただくことにします。

 ところで本日付けの日経新聞「私の履歴書」で、伊東豊雄氏は、岐阜市立図書館「ぎふメディアコスモス」設計について書いておられます。8年前のこの年に、栄えあるプリッカー賞を受賞されたのはよいですが、岐阜市立図書館完成の後、脳梗塞で倒れられてしまいました。退院後ご自宅で転倒され、いまはステッキをついておられるそうです。でも幸いこれまで通りお仕事されているそうで安心しました。

 

阿闍梨餅

米国みやげのビスケット

ワッフル

東京みやげ

小1の孫の入学式

おじさんと水やり

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自殺大国

2023-07-27 | Weblog

西鋭夫氏のメルマガより


日本は「転落」したのではない。

日本が毎年1兆3000億円を
出資するのは多すぎる。

日本国内で年間3万人強の
働きたい人たちが
仕事もなく家族を支えきれず、

「俺の生命保険で生活してくれ」
と自殺をしてゆく。
(3年間で、9万3419名)



30万人が自殺未遂である。
(『実業界』2002年7月号)

自殺者が年間3万人を超えたのは
平成10(1998)年で3万2863人だ。

統計の出ている平成13年までの、
4年間の自殺者総数は12万8910人。

40代、50代、60代の男性が
圧倒的に多く自殺している。



失業者も戦後60年間で
最悪と言われるほど多い。

10%が正確な失業率であろう。

まず、税金を納めていた
その人たちを救済するための
「国内ODA」を実行するべきである。


援助外交の行方

この悲惨な国内の実情は、
もはや「経済的な問題」ではない。

国民の幸せを忘れ、
勇気という精神力もなく、

信念に支えられた誇りもなく、
使命感もなく、責任感さえもない
派閥政治家たちと、

「政治の貧困」

ともいうべき官僚行政のおごりが
引き起こした日本の悲劇なのだ。



日本の実情に照らし合わせて見た時、
日本の海外援助金が異常に多額であるのは

「世界の貧困を救済するため」と
美しい看板が付いているため、

国民は反対もできずに
出資をしているからだ。



国民の好意を乱用して、
その甘い大金に政治家と
企業と官僚が群がっているから、

総額が少なくならない。

ODAも美味しい利権の皿なのだろう。

それ故か、毎年、日本政府は
海外援助金(税金1兆3000億円)を
「金」ではないかのように
海外へばらまいている。

これでも友達・同盟国を買えない。

世界中で、
日本の真の友達はどの国なのだろうか。


国連分担金

日本で湯水のごとく浪費を重ね、
国民の生活を苦しめているのは
ODAだけではない。

毎年、別の管を通って
日本のお金(莫大な税金)が
国外へ流れ出している。

ニューヨークの名所の1つ、
長方形の高層ガラス張りの
国際連合(国連)へ
納める巨額な「会費」だ。



国連は、第二次世界大戦が
日本帝国の降伏で終結する
1ヵ月半前の1945年6月26日、

戦勝諸国が日本とドイツを
押さえつけておくため、

アメリカが主導者となって
サンフランシスコ会議で
設立された機関である。



敗戦日本は、国連に加盟を申請しても、
ソ連に「拒否権」を発動され
加盟させて貰えなかった。

アジアの悪い国としてさらし者になっていた。


写真は咲き始めたヤノネボンテンカ



コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元民生委員と 3

2023-07-25 | わが家

 昨日は元民生委員3人と2ヵ月ぶりに近隣の茶房でティータイム。パッチワークの先生のNさんのカバンをまた撮影させていただきました。今回は彼女の先生の作品二点。先生は80歳を越えられるのに、睡眠時間3時間というスーパーレディ。断捨離をしたいということでお弟子さんに気前よく配られているようです。この作品は手縫いでなく、ミシンで縫われています。生地はフランス製のものもあるとか。

 Nさんの息子さんは、頼まれて今年の岐阜まつり、つまりキムタクの来た信長まつりに馬に乗り参加されたとか。Nさん一家は米国滞在の時、彼は小学生だったこともあり、乗馬を楽しみ、慣れていたとか。30年位前、一家は米国にご主人が日本人学校の教師として赴任されていたことから、長く滞在されていました。パッチワークもその時修得されました。

 相変わらず、Sさんの御主人は車いす生活。胃ろうと普通の食事を併用されています。施設に入れると胃ろう100%の生活になるので、自宅で看護されています。自分の口でも食べさせてあげたいので。美味しいようですし。彼女は働き者で早朝時間があると畑仕事。昨日はお野菜を頂きました。中央付近にある長細いものは、16ささげ。岐阜県独自の野菜です。他県ではみられない野菜が他にもありますが、とりあえずこれを。茹でて生姜醤油でいただきます。あとは、ミニトマト、キウリ、ゴーヤ、オクラです。感謝の一日でした。

 

 

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まくわ瓜

2023-07-24 | 岐阜県

 まくわ瓜の原産地は、岐阜県。本巣市真桑です。万葉の時代からありました。万葉集にも「うりはめば子ども思ほゆ栗はめばまして偲ばゆ・・・」に始まる長歌に対して、次のよく知られた反歌があります。「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」。この瓜は、まくわ瓜を指します。これを毎年皇居内の農園で美智子上皇后さまが栽培されています。

 地元岐阜では、50年位前までは、私たちにもおやつとして提供されていました。でも今はいろいろ改良され、甘みが増した、新品種におされ、滅多にお目にかかることはありません。

 このまくわ瓜は、戦国武将の信長も、秀吉も、家康も好物だったようです。たまたま昨日NHKBSの新日本紀行「東京の野菜」を見ていますと、このまくわ瓜が今、東京都府中市で栽培されていると報じられていました。この時あわててカメラを構えたらピントが外れました。ところが今年は不作で収穫がないようで、上のものは過去の写真らしいです。

 

今年のまくわ瓜

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公民館短歌会188

2023-07-22 | 短歌

 梅雨も明けて猛暑の日々が始まりましたが、昨日は188回目の岐南町南町民センターでの短歌会を開きました。白内障の手術で二カ月お休みされていたHさんも元気になられ参加されました。10月末には今年も町文化祭が開かれますので、次回の9月歌会には提出作品を決めていただく必要があります。8月は夏休みです。

 ところで会員は北海道、九州、信州と出身は日本各地に及びます。クマゼミの鳴き方が岐阜や、九州では、シャーシャーと表現されますが、長野県では、ワシワシと聞こえるようです。北海道はクマゼミはいなくて、聞いたことがないそうです。

 写真の一部(手前) は韓国に旅行されていたKさんの韓国みやげのお菓子。娘さんと孫さんと女三代で旅してこられました。レンタルでチマチョゴリを着て、散策を楽しまれたようです。世界中からの観光客があったようです。次は彼女の歌。

韓服にて娘と孫連れ散策すあまたの人種のるつぼの中に

 

今月の歌

梅雨の晴間夏布団ほす忙しさ汗だくの吾一息吐けり      Hさん

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不快な「ティファニーで朝食を」

2023-07-21 | 映画・TV・演劇

 「ティファニーで朝食を」は昔見たときあまりよい気分でなかったので、二度目は見たくないと思いながら、先日NHKBSで再放映を見てしまいました。日本人としては気分の悪くなる場面が多すぎです。

 あの映画監督は、日本を全く理解できていないように思います。あの出っ歯の俳優のだらしないゆかたの着方には失望しました。あんな短いつるつるてんの浴衣は日本では誰も着ません。茶道具の扱い方も滅茶苦茶で、あの役者は何のために出てきたのか理解に苦しみます。茶道について無知であるばかりでなく、冒涜しているように感じます。あのような映画は日本で上映すべきでないと思いました。

 確かにヘプバーンは魅力的ですが、最初の主演予定者はマリリンモンローだったそうです。どちらが主演になっても、構いませんが、あの下品な黄色人種の役者により、日本のイメージを下げるシーンが多くて、日本人の誰もが批判しないことが不思議な映画です。残念ながら映画全体の品格も貶めていると思います。無知な監督により作られた映画が世界中に蔓延していると思うといたたまれない気がします。

写真は、郡上で染められている藍

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が国の食料を支える配合飼料ビジネスの現状

2023-07-19 | 講演会

 昨日、市立図書館メディアコスモスで開催されたサンサンの会は、急遽講師の東大卒の鈴木宣弘氏の事情で次回に変更。代理で頼まれられたJA全農OBの横山氏の講演でした。急遽依頼されたのに11ページに及ぶ資料も準備され内容のあるお話をされました。テーマは、「我が国の食料を支える配合飼料ビジネスの現状」でした。

 まず被爆体験から。講師は昭和19年長崎生まれ。生後9カ月で、お母上が爆心地に行かれました。当時国民は原爆とは知らされておらず、後に知りびっくり。昭和49年に被爆者健康手帳を交付されました。講師はお母上におんぶされ、被爆されたのです。でも今もお元気で活動されています。終戦記念日のたびに、今年も「もう78年」でなく、「ほんの78年」と思われるそうです。

 日本の食料自給率は、40%くらいと言われていますが、これは嘘で実際は10%程度のようです。家畜の飼料も輸入に頼っていますが、これはデータに入っていないようです。このことは、次の講師の鈴木氏の著書にも書かれているようです。勧められた本は、「世界で最初に飢えるのは日本」。これにも詳しく書かれているようです。講師と著者の鈴木氏とはお親しいようです。

 話題はガットウルグアイラウンドからアニマルウエルフェアからさしの入った「培養肉」のことに及びました。砂漠で育つトウモロコシの開発についても。でも人工卵は気が進みません。最後に岐阜の誇りである杉原千畝を褒めて頂き嬉しく思いました。

 日頃の健康管理についても詳しく話され、心の健康の大切さも述べられました。浄土真宗8世の蓮如さんの言われた「我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず・・・」で締めくくられました。岐阜も長崎も浄土真宗が多いようです。

 いつも世話役さんからお菓子が配られますが、昨日は手作りアンパンでした。

 

 

手作りアンパン

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

義姉の49日法要

2023-07-17 | わが家

 昨日は予定通り、先月92歳で亡くなった義姉の49日の法要が当主宅で営まれました。読経の後は、バスで市内の食事処へ案内されました。料理もゆっくり運ばれてくるので、遺族が久しぶりに話し合う機会が持てました。

 隣席にお葬式の日に昏倒した義姉がいたので、聞きますと、あの日はいつも打つインシュリン注射を忘れたので、一時的なものだったようです。もう何年も毎回食事前はその注射を自分でしていたようです。今後もそれほど心配することはなさそうで安心しました。

 我が家の前を通られるので、義姉の息子、つまり、甥に往復とも乗せて貰いました。前日車が届いたと言われびっくり。BMWの新車です。電気自動車で、それも自動運転。音も静かで快適でした。

 料理も美味しくて、猛烈な暑さの日でしたが、快適に過ごしました。亡くなった義姉の弟は81歳。たまたま私と大学の同級生です。義姉が私のブログを見たいと言い、その弟から見方を教わっていたとか。思わぬ人からの情報で驚きました。姉弟の仲がよいのも好ましいです。何しろ58年のおつきあいですから、当初から見たら皆さん、お年を召されました。勿論私もです。元気でこの場に参列できたことを感謝しています。代代わりの家も当然あります。当主の甥は、私の歯科医。日頃治療を受けながら、動向をうかがっているのに、「あの方はどなた」などと聞いたりしました。

 

僧侶を待つ部屋

法事があった夫の実家

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謙虚で美しい日本の言葉 2 呉善花

2023-07-16 | Weblog

13日のつづきです。

■5.「~させていただきます」と「~して差し上げます」

 受動態とともに、呉さんを驚かせたのが、「~させていただきます」という「使役受け身」の敬語です。
__________
 読者の方から「あなたの本を読ませていただいています」と初めて言われたとき、私はかなり驚きました。私から、「本を読んでください」とお願いしたわけではありません。それなのに、なぜ「あなたの本を読んでいます」ではなく、「読ませていただいています」とおっしゃるのかと、混乱してしまったのです。[呉、p31]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「~させていただきます」に相当する韓国語での言い方が「~して差し上げます」だそうです。
__________
 韓国では、企業の担当者が大事な顧客に商品を説明するときは「説明をしてさし上げます」と言いますし、ガイドさんが旅行客を観光地に案内するときも「案内をしてさし上げます」などのように言います。・・・

日本人にとっての謙虚さとはへりくだって自らを下に置くことですが、韓国人の謙虚さとはあくまで上の立場にいる人々から、下の立場にいる人々に恵みを施すというものです。そうした発想が、「~してさし上げる」という言葉にも垣間見えています。[呉、p31]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 呉さんはスピーチなどで「お話しさせていただきます」という言い方には抵抗感を感じていました。そういうと、なぜか「私には力がありませんけれども」という意識になり、自分の存在感がなくなるような気がして落ち込んでしまったそうです。しかし、それも気持ちの持ちようで変わってきました。
__________
 時間はかかりましたが、強く意識をしながら「話をさせていただきます」と使っていくうちに、「こんな私にも話をする機会を与えてもらい、本当にありがたい」と、気持ちが大きく変わりました。[呉、p32]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「~させていただく」というのは、相手に対する感謝の気持ちの表れだったのです。


■6.「支援させていただく」は韓国人には卑屈に見える

 この美しい言い方も、日韓関係では悪影響をもたらします。日本はいままで多大な援助を韓国にしてきました。しかし、日本人の美意識として、その恩を売るような言い方は好みません。それで、「ちょっと協力させていただきます」という感じの対応になります。
__________
 この日本人の態度がとても卑屈に見えて、「そんなみっともない日本人がかつて韓国を踏みにじった」ということが韓国人には耐えられなくなってしまうわけなのです。・・・

 韓国から見ると、「支援させていただく」という日本の態度は卑屈に見え、罪意識があるからなのだ、とかえってマイナス評価や、反日感情を呼び起こしてしまうのです。[呉、p34]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 どうも日韓の文化的差異は、両国関係がうまく行かないように、行かないようにと働いているようですね。


■7.「あなたと私は『ありがとう』を言うような間柄じやないでしょう!」

「ありがとう」という感謝の言葉も日韓では使い方に大きな違いがあります。韓国語では「ありがとう」は「カムサハムニダ」と言いますが、これは公の場で使ったり、深くお礼を言う言葉で、家族や友人の親しい間で、頻繁に言う言葉ではありません。

 ある韓流ドラマで、姪が叔母に対して「カムサハム二ダ」と言ったとき、叔母は「あなたと私は『ありがとう』を言うような間柄じゃないでしょう!」と怒っていました。これが韓国人の普通の感覚だそうです。

 ですから、呉さんも日本に来たばかりのときは、親しくなった人に助けられても「ありがとう」とは言いませんでした。すると、相手から「ありがとうくらい言ってよね」と言われて、ドキッとした経験があるそうです。日本では、夫が妻にお茶を入れてもらうだけでも、「ありがとう」と言います。

__________
 私は来日当初、「頻繁に『ありがとう』と言ってしまうと、心がこもっていないと思われるのではないか」と疑念を感じていました。しかし、無理をしつつも「ありがとう」と言うようにすると、不思議なことに、すべてに対してありがたい気持ちが湧いてきて、日本人の気持ちがわかってきたのです。
 やはり言霊の力には、すごいものがあります。[呉、p60]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 このあたり、韓国は日本の援助に関しては、「日本は私たちにひどいことをしたのだから、日本が韓国に経済援助をするのは当たり前」という意識があると同時に「経済援助に対してあまりにも『ありがとう』と伝えると、かえって両国の心理的距離が離れてしまう」との思いもあるそうです。

 それに対して、日本は「せっかく経済援助をしてやったのに、韓国は『ありがとう』のひと言も言わない」と感じているのです。感謝の言葉一つにも、こういう行き違いがあるのですね。


■8.「済みません」は、自分の心が「澄んでない」

「すみません」という謝り方も、大きく違います。慰安婦問題にしろ徴用工問題にしろ、韓国側は何度も謝罪を求めます。一方、日本政府の方は、今まで何度も謝罪を繰り返してきました。これは日本側の謝罪を、韓国側は「心のこもった謝罪」だと受けとめていないからのようです。

 日本語の「私が悪かったです」に相当する「ザルモッテスムニダ」という情緒的な言葉を、天皇か首相が何度も繰り返して、土下座をし、涙を流さなければ、韓国人の心には届かないようです。

 一方、日本語の「済みません」は、「澄んでいない」、つまり、自分の気持ちの深い所が、罪悪感で濁っているという意味です。損害を賠償したり、相手が許してくれていても、自分の心はまだ「澄んでいない」。清明な心持ちを大切にしてきた古代日本人の心ばえが、「済みません」という言葉に宿っているようです。

 外形的なオーバーアクションをしないと謝罪と受け取らない韓国人と、心のありようを問題にする日本人。ここでも重大な行き違いがあります。

 こういう日韓の行き違いをどうするのか。国家間の交際は近代欧米社会が育ててきた国際ルールが基準となっています。日本人も韓国人も、あくまで国際ルールに従って、付き合っていくほかはありません。

 日本としては、国際ルールを踏まえて、国内では当たり前の思いやりは国際政治の場では控え、かつ韓国の国際ルールに外れた行いについては、冷静に批判する、という態度が必要でしょう。それを繰り返しながら、互いの行き違いを少しづつ縮めていくことが必要です。

 日本社会は他の地域よりもはるかに平和かつ安定的な状態が長らく続いてきたので、相互の思いやりについては、数世紀ほど国際社会より先に進んでしまいました。そのため、国際社会で振る舞うには、戦国時代くらいの常識に戻らなければならないのです。
(文責 伊勢雅臣)

写真は美濃和紙の里会館で 和紙の猫



コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新日本紀行 郡上

2023-07-15 | 岐阜県

 昨日何気なくNHKBSを見ていると、過去の番組の再放送と現在の様子が放映されていました。新日本紀行郡上です。現在は郡上市。48年前は郡上郡でした。何度も行きましたが、地ビールのことは知らなかったです。

 変わらなかったのは、藍染め。渡辺さんは今も伝統工芸を守っておられます。48年前は御父上が、今はそのご子息が受け継いでおられます。。

 昭和60年日本名水100選第一号に、郡上の宗祇水が選ばれました。宗祇水の宗祇は平安時代の連歌の師匠飯尾宗祇のこと。この地で庵を結んだことに由来しています。このことは、過去にも書いています。(2021.11.11 2013.8.6 2008.6.20)

 48年後に変わったことは、岡山から移住した方がこの地で結婚し、郡上のビールを作られていることです。お子さんも継ぎたいようで、応援したいです。水のおいしさにより、ビールを思いつかれました。

 

48年前、藍染めをされる渡辺氏

御父上の藍染めを引き継ぐ渡辺氏

作品

平安時代から変わらない宗祇水

地ビール

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする