岐阜県歌人クラブ新年歌会が開催され、歌評会の後、中津川市のO先生による、早川温という早世の歌人についてのお話がありました。O先生は早川の高校時代の恩師です。早川は18歳で短歌を始め、平成13年、劇症肝炎によって、47年の生涯を閉じました。家族をこよなく愛し、子と妻に未練を残し、このような作品を残しています。
もう少し生かしてくだされ無為なれど子の成長を見たくてならぬ
恵那山が大好きなため東濃を離れることのない一生でした。歌集「ヌー」より恵那山の歌。
父よ父よああこんなにも恵那山の美しい日に死んでゆくのか
恵那山の澄みて聳ゆる秋の日をわれらのために子は生まれきぬ
遺歌集「青川」より。青川とは付知川のこと。コスモスの高野公彦氏が帯文を書かれています。まだ死の兆候がないころに詠まれた歌です。死後友人によって発行され、人徳がしのばれます。
通り雨過ぎてほのかに陽の差せり時または景は彼岸の如し
もう少し生かしてくだされ無為なれど子の成長を見たくてならぬ
恵那山が大好きなため東濃を離れることのない一生でした。歌集「ヌー」より恵那山の歌。
父よ父よああこんなにも恵那山の美しい日に死んでゆくのか
恵那山の澄みて聳ゆる秋の日をわれらのために子は生まれきぬ
遺歌集「青川」より。青川とは付知川のこと。コスモスの高野公彦氏が帯文を書かれています。まだ死の兆候がないころに詠まれた歌です。死後友人によって発行され、人徳がしのばれます。
通り雨過ぎてほのかに陽の差せり時または景は彼岸の如し