つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

東濃の歌人 早川温

2005-01-30 | 短歌
 岐阜県歌人クラブ新年歌会が開催され、歌評会の後、中津川市のO先生による、早川温という早世の歌人についてのお話がありました。O先生は早川の高校時代の恩師です。早川は18歳で短歌を始め、平成13年、劇症肝炎によって、47年の生涯を閉じました。家族をこよなく愛し、子と妻に未練を残し、このような作品を残しています。

もう少し生かしてくだされ無為なれど子の成長を見たくてならぬ

恵那山が大好きなため東濃を離れることのない一生でした。歌集「ヌー」より恵那山の歌。

父よ父よああこんなにも恵那山の美しい日に死んでゆくのか
恵那山の澄みて聳ゆる秋の日をわれらのために子は生まれきぬ

遺歌集「青川」より。青川とは付知川のこと。コスモスの高野公彦氏が帯文を書かれています。まだ死の兆候がないころに詠まれた歌です。死後友人によって発行され、人徳がしのばれます。

通り雨過ぎてほのかに陽の差せり時または景は彼岸の如し

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英語でクッキング

2005-01-29 | 料理
 不定期に開かれる「英語でクッキング」に出かけました。日本人同士でも基本は英会話で、という企画ですが、いつも途中から日本人には日本語になってしまいます。日本では経験できない味が楽しめるため時々出かけます。スリランカクッキングは、食材から調味料までトロピカル。香辛料も10種類以上で、カレーも白、赤、黒と三種類あります。マンゴーも12種類もあるとか・・・ココナツミルクシチューが美味でした。同じテーブルだった、ルーマニアの若い女性と結構英会話も弾みました。モントリオールで活躍したあのコマネチももう41歳とか・・・彼女は5カ国語が分かるというのには驚きです。しかし母国語がラテン語ですから、スペイン語やフランス語はそれに似ているから楽なのかもしれません。
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眼科医の話

2005-01-28 | Weblog
 1/15の生活習慣病予防教室のつづきで、眼科医のお話がありました。先生は隣町のO先生です。専門は緑内障。しかし聞く方は高齢者中心ですから、白内障から眼全体の話に及びましたが、最近世界的に高齢者に多い眼病は、「加齢黄斑変性」とか・・・米国では1位だそうです。治療法はなく、予防するしか仕方がないそうです。これは見たい場所が見えないという厄介な病気のようです。
 それと眼病になったら、決して眼を不潔な手などでさわらずすぐ専門医に見せるのが基本のようです。先生は医学生のころ、友人の医師の卵がつぎつぎ「はやり目」になったのに先生は罹らなかったとか・・・先生のお父上も眼科医であったため、眼に決して触らないよう指導されていたためでした。先生は今でも研究を怠らず、府立医大に定期的に通っておられ、患者の中には東京から来られることもあるとか・・・
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スリランカの惨状

2005-01-24 | 料理
 今日の英会話は講師のErangaさんの母国、スリランカの津波被害の写真を見ることに始まりました。日本のマスコミで伝えられているものよりずっと痛ましいものでした。無造作に積み上げられた子供たちの遺体、土に埋められた妊婦の遺体・・・シートや土から出ている部分は無傷ですから、津波のショック死と思われます。子を亡くした親と、親の分からない孤児でパニックのようです。私たちが寄附したお金はミルク代にすると云われ、大変喜ばれました。
 毎年クリスマスでこの時期帰国されるのに、お母さまの信頼する占い師が、「今年は決して帰国してはならない」というので、疑いつつも守ったら救われたそうです。いつものクリスマス会の会場は跡形もなく津波で消えていたそうです。
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下垣さんの新春コンサート

2005-01-23 | 文化
 ソプラノ歌手でドイツ語講師でもある下垣真希さんのコンサートが愛知県大口町民会館で催されました。8/5,9/25にお目にかかってより、メル友になってしまいました。真希さんからチケットが送られましたし、我が家から車で40分ですので出かけました。歌を聴くたび3拍子揃った人とはこういう人のことをいうのかしらと思うのです。只歌うだけでなくその解説がまたいいのです。「雪の降る街を」の歌は中田善直先生がたった1日で作られたとか・・・NHKドラマに3分の穴があいたためそれを埋めるために作られたそうです。
 この写真はCDのサイン会のものです。私も一緒に撮ってもらいましたが、掲載は控えます。
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公民館短歌会

2005-01-22 | 短歌
 月1度の町の公民館短歌会も3回目となりました。文法を先月済ませましたので、短歌の歴史に入りました。万葉集から始めましたが、「あ、これ学校で習ったわ」とか賑やかに進みました。詠草も初めてとは思われない作品もありました。一部紹介しますと、

ダムダムと用水くだる音聞きて川遊びせし昔しのびぬ     Mさん
                    
ダムダムとは面白い捉え方です。文法は1度ではなかなかマスター出来ませんのでこれから逐次身につけて頂こうと思っています。未知の作品を拝見できるのも楽しみです。
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WFWP短歌会

2005-01-21 | 短歌
 この短歌会は、東京にいたときスタートしましたので、もう12年ほど続いています。ささやかなグループですが、継続は力なりと人から励まされここまで来ました。内容は万葉集のお話と百人一首を少しずつ読み解き、後半は皆さんから寄せられた作品を批評し、添削などしています。どこの歌会も同じようなものだと思いますが・・・高嶺歌会ほど厳しくはしていません。あくまでも趣味ですから、作者の意図を丹念に聞くことにはじまります。基本は文語文法に忠実であることですが、時には感性により、多少変化します。つまり、絶対・・・ではなくこうした方がベターという考えです。
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早川先生

2005-01-20 | 短歌
 早川先生は高嶺を昭和3年に創立されましたが、戦争中、鳥取に疎開された時、主宰を二宮冬鳥先生に譲られました。凡そ50年二宮先生が続けられ、平成8年に亡くなられた後は、現在の井上生二に引き継がれました。早川先生が早く譲られたのは、絵画などに専念したかったのかもしれません。画集は数万円する限定版です。いつ見ても飽きません。遺作展がご子息によって京都で度々開かれました。
 白洲正子さんの旧宅が町田市に記念館(武相荘)として公開されていますが、その展示室に早川先生の水彩画も掲げられ、2人の交遊を示しています。なお武相荘は茅葺でひときわ目立ち、庭も自然を生かして種々配置されています。
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高嶺

2005-01-19 | 短歌
 高嶺歌会は東京の他に、神戸、明石、大阪、久留米でも開催されています。入会当初は神戸歌会に出席していましたが、東京へ転居と同時にそちらに移り、岐阜へ帰ったあとも度々上京しています。
 高嶺創立者の早川先生は芸術新潮に「最後の文人」と紹介されたことがあります。短歌の他に、水彩画、琵琶、篆刻などもたしなまれ、小林秀雄氏や白洲正子さんからの雅印の注文も受けられていました。一昨日書き込んだ「無内容な歌」は当然マスコミから無視されることになります。しかし主宰者はかえってそれを望んでおられるのです。
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ふたつの短歌会

2005-01-17 | 短歌
 上京して二つの短歌会を済ませました。日曜日は高嶺東京歌会、月曜日はWFWP短歌会で、前者は70年以上続いています。今は3代目の主宰者、井上生二先生が毎年九州から上京されます。創立者は、早川幾忠先生、2代目は、二宮冬鳥先生で、一貫しているのは、「無内容な歌」。現代短歌は、あまりに余分なものを身に纏いすぎて、その重みに堪えかねている、「意味とか、観念とか、意識とか、思想とか」をどれだけ短歌に詠みこもうとしても、徒労でしかなく、詩としての言葉の韻きには到達しえない、言葉は理解されるためだけに存在するのではなく、韻律を与えられることによって、感覚の領域でしか把握しえないものとなる、と釈迢空も繰り返し述べています。
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