つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

枝垂さくら

2006-03-31 | 岐阜県
 この枝垂さくらは我家より500mくらい離れた民家のものです。咲く時期が早いため、いつも写真を撮りそこね、やっと今年はup出来ました。路上にはみ出して咲いています。樹齢も古そう・・・

 ところで高校野球、なんと岐阜代表の城北高校が今日も勝ち進み、準決勝に挑むことになりました。春夏を通して47年ぶりです。初戦負けが多くて試合を見ることはありませんでしたが、今年は違います。当地は岐阜城の南方ですが、この高校はその校名通り岐阜城の北方にあります。あるサイトによれば城北高校のユニフォームは他校に比べ斬新だそうです。
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辛夷

2006-03-30 | ガーデニング
 辛夷に雪が積もることも珍しいと思います。春の雪ももう午後には解けましたが・・・「こぶし」という名の由来を知りませんでしたが、実を見て納得しました。人の拳そっくりの不思議な形です。モクレン科。
 岐阜県各務原市にシデコブシの群落があると聞いていますが、まだ見ていません。
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土佐水木?

2006-03-30 | ガーデニング
 思いがけず今朝の岐阜は春の雪です。土佐水木に雪が積もった姿ははじめて見ました。沈丁花にも、馬酔木にも、辛夷にも、連翹にも、椿にも・・・
 土佐水木か、日向水木(別名伊予水木)か今1つ判然としません。いずれもマンサク科なのですが・・・

 今朝のニュースは岐阜の雪ばかり・・・春の選抜高校野球で岐阜代表がベスト8に残ったのは29年ぶりです。代表校の城北高校校庭の桜に雪が降るシーンも・・・
 なお、3月下旬にまとまった雪が降ったのは、岐阜では80年ぶりだそうです。
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礎石?

2006-03-29 | わが家
 岐南町歴史民俗資料館主催の町の歴史講座に初めて出ました。というのも今日のテーマは当地薬師寺の地名由来の講義の日だからです。一日だけ出て終了後我家の庭を案内しました。
 亡父は大学を退官してから町と我家の歴史について考察し、三冊の本にまとめました。その一部が今日の教材になっていました。
 それによれば、当地には数百年前、薬師寺という大伽藍がありましたが、木曽川の流れが変わったりして流失し、礎石だけ残り、それが我家の庭にあると言い伝えられています。この石(140cmx100cmx40cm)は300m南東から村人によりここに運ばれたそうです。
 なお、この講義録は町制50年を記念し、秋に出版されます。
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地鎮祭

2006-03-28 | わが家
 予定より一年遅れて長屋門改築の地鎮祭を執り行いました。神主さんは500m位離れた所にお住まいで、代々神職を営んでおられます。勿論ご自宅は神棚だけで、仏壇はありません。
 一年も遅れたのは、この地区が木曽川に近く、堤防が国有地になっているため、国土交通省の工事許可が下りにくいからです。もともとは個人の所有でしたが、明治政府が召し上げてしまいました。皆敷地の一部が堤防にかかっているため些細な工事でも許可がいります。殆んどが1/10ほどはかかっているため泣かされています。複雑な書類が必要で河川法何々条によると云々と書くと「この法律はこちらだから」と書き直すよう命じられます。防災の面から慎重さは必要ですが、何しろスローなのです。
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歓送会

2006-03-27 | わが家
 この時期毎年夫の教え子の大学生を呼び、研究室の歓送会を開きます。老人3人が住むこの家がしばし賑やかになります。
 私は出身地を聞いてその土地の話を聞いてみることがあります。中部地区の人が大多数ですが、今年は、松江市、広島県廿日市市、福井市、長野県飯田市・・・私は概ね全都道府県を訪れていますので、話は延々と続く場合もあります。うるさいおばさんだと向こうは迷惑かも・・・
 解体新書を刊行した杉田玄白がお隣の福井県出身であることを知りませんでした。小浜駅前に銅像があるそうです。でも水上勉を福井出身でも若い人は知らないとは・・・流行作家はすぐ過去の人になるようです。
 余談ですが、解体新書の訳者の1人・前野良沢の弟子の大槻玄沢の銅像が出身地・東北の一関駅の前にあったように記憶しています。
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木版画なずな会展

2006-03-26 | 文化
 今年も岐阜のふれあい会館で、笠松町在住の森先生門下のなずな会版画展が催されています。友人の夫君が出品されているので、見に行きました。背景はどれも品のいい中間色ですし、木版の技術もすばらしいものばかりでした。指導者の森先生の作品は昨年と同じ「ふくろう」でした。私は梟は知恵を象徴する鳥であることから選ばれたのだと思い、尋ねてみました。すると先生は詳しい梟の分類の話、ご自身で飼われていることなど熱っぽく語って下さいました。作品はすべて梟を忠実に表現されていて、頭を横に傾けた姿が一番かわいいとか・・・ポッポ、ポッポと鳴くそうです。餌(チキン)も食べてもよいと言わないと食べないし、犬より賢いようです。
 なお、正しくはフクロウ目のオオコノハズク(大木葉木菟)だそうです。
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マザーテレサの贈りもの

2006-03-25 | ボランティア
 WFWP主催、千葉茂樹監督の「マザーテレサ」の講演、ソプラノ独唱、琉球太鼓演奏が大垣のソフトピアジャパンで催されました。千葉監督は5年前にも岐阜に来て頂きましたが、その時の感動が忘れられず本日の企画となりました。
 監督はまだ日本のマスメディアが知らなかったマザーテレサを1974年、ヨーロッパでその名を聞かれ、2年後、ご夫婦でインド・カルカッタに行かれ、対面されました。マスコミに写真さえも撮らせないというテレサの映画を作るのは並大抵でなく、製作をを許されたのは日本人では千葉監督1人とか・・・たぐい稀な偉大な人の生き様はとても2回では話し尽くせないように思いました。 
 講演会の後、スタッフとともにお茶の時間にもつきあって下さり、他の映画についてのお話も伺えました。新藤兼人監督のもとで「裸の島」という映画をご一緒に製作された時の裏話も、はからずも今回聞くことが出来ました。50年前に見たあの無声映画がまざまざと甦りました。
 監督さん、ありがとうございました。
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町立南保育園卒園式

2006-03-24 | 学校
 地元保育園の卒園式に、民生委員にも案内が来て出かけました。ほぼ昨年のように式は粛々と行われ、中に双生児姉妹のお揃いの衣装、おさげも同じ長さというほほえましい姿もありました。
 町長さん(今年は代理)に1人ずつ卒園証書を頂く訳ですが、最敬礼して「ありがとうございました」と言うのも町立独特のものかもしれません。
 昨日の小学校での式と共通のことは、ご両親のビデオカメラ放列です。しかし、これはここに限ったことではなくて、全国共通のようです。
 感心したのは、毎年手の込んだプログラムを先生方が作られることです。去年も手作りでしたので保存していますが、今年はピアノ形で三つ折になっています。
 去年頂いたマーガレットの鉢植えは今も健在です。今年は黄色いミニ薔薇が来賓者に配られました。大切にしなくては・・・
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岐南西小学校卒業式

2006-03-23 | 学校
 地元の小学校で卒業証書授与式がありました。毎年自治会長に案内が来ますので久しぶりに今年は夫の代理で出ました。
 驚いたことは卒業生の1人が和服を着ていたことです。先生も1人だけ朱色の着物に袴すがたがありました。きっとご両親やお祖母さんがすすめたのでしょう。今の子はものおじしないところがいいようです。
 1人ずつ証書を授与されるため、彼女の出番を待ち、来賓席から写しました。
 校長先生の祝辞は英語も入れて、never give up & never too late そしてdream come true together と締めくくられましたし、PTA会長は松井秀喜の座右の銘にふれられ、祝電はWBC優勝を交えていたし、どれも時勢にあったものでした。
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