つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

岐阜県文芸祭 2

2017-02-26 | 岐阜県

 昨日は第25回岐阜県文芸祭短歌部門に伏屋さんが入選されたので、表彰式に付き添いで出かけました。一昨年(2015.2.22) は鈴木さんが入選。月見草短歌会からは二年ぶり二度目。1時間半に亘る入選作の歌評も勉強になりました。一昨年と違うところは、チェロ演奏があったこと。文芸大賞の詩の朗読に合わせての演奏は素晴らしかったです。短歌会からは彼女の他に大垣のMさんも入選されたのですが、式は欠席。

 その席で意外な人と再会。同窓会でご縁がある谷汲にお住まいの和裁のT先生です。短歌部門で入選。偶然入選作品集に伏屋さんの隣に掲載されていました。3年ぶりにお目もじかないました。いつものように和服姿でした。

 歌を批評した3人は、いつも県短歌会で会う人ばかりです。短歌部門で文芸大賞を獲得された人は高知県の人。毎年出詠されていると聞き驚きました。わざわざ四国からお越しになりました。作品は

長男に山の境を教えんと竿竹を伐る柄がま振りつつ  徳永さん

 小説部門も県外。大阪府です。随筆は静岡県。短歌とこの二部門以外は岐阜県の方でした。なお、10部門があり、小説、児童文学、随筆、詩、連句、短歌、俳句、川柳、狂俳、美濃飛騨じまん賞に分かれます。連句部門だけは入選者の過半数が県外。関東が多いです。狂俳については、県が発祥地であることから、入選者全員が岐阜県の人です。

 

チェロ演奏者と詩の朗読者

喜びの伏屋さん

歌評者席

 

 

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スリランカ料理 6

2017-02-24 | 料理

 昨日は、半年ぶりにエランガ先生のスリランカクッキングがありました。場所は羽島市の小規模施設。メニューはサフランライス、ポークカレー、タンドリーチキン、チャパティ。それと当日食材が家にあったとかで、レンズ豆とココナツミルクのシチューを印刷メニューに追加。前回と似ていたのですが、普段作らないのでリフレッシュできました。チャパテイというのは、インドのナンに似ていますが、牛乳やバターや卵に、茹でマッシュルームの裏ごししたものまで入っているのでなめらかです。食材は一般にはなかなか手に入らないので、自分では作れません。

 いつも先生は自宅でたくさん作って出来上がりを提供。昨日もタンドリーチキンと、サフランライス二種類の持ち込み。限られた時間内であれだけの料理は出来ません。生徒は食べきれないので持ち帰り。いつも大きな容器を準備していきます。当日は夕食準備不要。翌日の分までありました。カレーも大量に余りました。チャパティを焼くお国のフライパンも持ち込まれるので、車に積まれた荷物は生徒が手分けして教室に運び込みます。

 

 母のいる病院へは相変わらず毎日ように出かけていますが、昨日は医療保険から介護保険に変わるのに伴い、面談がありました。主治医、ケアマネ、薬剤師、リハビリ師などから説明を受けました。症状も安定したようで、病室も介護棟。主治医はこれまでは院長でしたが、若い女医さん。同じ姓ということは、院長先生の息子さんのお嫁さんかも。とても美しい方でした。

 

レシピの一部

手前はレンズ豆 食材の一部

チャパティ実演 手前はスリランカの専用フライパン

タンドリーチキンも先生持参

 

 

 

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加納天満宮

2017-02-21 | 岐阜県

 今年は孫のひとりが大学入試。センター試験が終わり、25日から本番です。年寄りに出来ることは、せいぜい合格祈願のお参り程度。雨の中、昨日JR岐阜駅に近い加納天満宮に出かけました。中心部で便利なところにあるある神社ですがこれまでご無沙汰していました。境内には立派な神輿がガラスケースに収まっています。関西に住む男孫のために祈願してきました。発表は3/10. お守りが早く着くようすぐ投函。東京に発つまでに間に合いますように・・・雨天で駐車場は空いていました。

 創建は500年前でそれほどの歴史はないのですが、山車が9台もあったのに、岐阜空襲で本殿とともに焼失してしまいました。残っていたら世界遺産になったかもしれないのに惜しまれます。加納城(廃城) は家康の長女の亀姫が嫁いでいたので、手厚い保護があり、城下町にこの天満宮が創設されました。

 

絵馬

本殿 雨のため人影はなし

みこし この倍の高さですが反射して・・・

 

頂き物

 

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がんばっ展 2

2017-02-20 | 文化

 一昨年6月以来、一年半ぶりの「がんばっ展」に短歌会の伏屋さんが水彩画を出されているので、見せていただきました。彼女は短歌の他に、俳句もされ、多彩な趣味の持ち主です。自分史も出版。水彩画の腕もますます上がり、こういう展覧会は励みになると思います。一回目は、2015.6.3.会場は前回と同じで、笠松町米野のエル・パンドール。26日まで。

 この喫茶店の近くで関ヶ原合戦の前哨戦である米野の戦いがあり、それを示す杭が一本立っています。戦国時代の遺跡。これは多くの人に忘れられているのですが、もうこの戦いの時点で東軍優勢という気配がありました。最下段の「米野の戦い」は、前日の講演会の会場で買い求めました。著者は、新聞記者を経て、フリージャーナリスト。NPO法人「笠松を語り継ぐ会」代表、高橋恒美氏。

 1600年の関ヶ原の戦いの一か月前のこと。家康側(東軍)の先鋒隊が木曽川を渡り、米野地点から上陸。これを迎え撃つ三成側(西軍)と戦闘。東軍が西軍を圧倒し、戦いはさらに一気呵成と岐阜城を攻め落とし、東軍圧勝に終わりました。三成に木曽川攻防の戦略が描かれていなかったのです。木曽川畔に首塚もあります。

 

 

春らしい土筆とふきのとう

初孫のKくん

Y先生の作品 うど

木工の作品も・・・

切り絵のネコ 

会場内の茶房にて

 

米野の戦いリテラシー

 

 

 

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川並衆 2

2017-02-19 | 岐阜県

 予定通り、隣町での講演会「下羽栗と川並衆」を聞きに出かけました。講師は、郷土史研究家の舟橋氏。新聞記者を経て、ミニコミ雑誌の創刊、郷土資料の出版もされています。著書多数。講演会の基となった「武功夜話のふるさと」も出版されています。

 川並衆だけでなく、信長、秀吉の話もされ興味深かったです。信長はその土地を征服すると、拠点を次から次へと変えてその都度城を築いています。清須から、小牧、犬山、墨俣一夜城、そして稲葉山城(岐阜城)、さらに安土へと。そんな大名は珍しいこと。井の口村を岐阜と改めたのは信長ということが定説になっていますが、実際は軍師の僧侶だったとか。それに以前から岐山とか岐陽とかの地名があったのでそこから取られたという説もあります。岐阜の阜は丘という意味があります。軍師はドラマにも出ないし、公にはないとされていますが、いたようです。

 知らなかったことは、江戸時代の中期まで太閤記は禁止されていたこと。家康にとって下克上はまずかったのです。水呑百姓という言葉は、明治までなかったので、それまでは太閤記で秀吉は中村の村長の子ということになっていたこと。中村は今の名古屋市中村区。

 武功夜話はけっこう面白いようです。先祖の川並衆は、秀吉などの権力者には従わず独自に動いていました。愛知岐阜の境界にいて、戦争が起きたら有利な方に味方しました。当時は生き残るためにはやむをえないことと思います。まるで昨年の大河ドラマの真田幸村みたいに兄弟でも敵味方となり、家系を守りました。それを小説化 した松原清史氏も誘いましたが、83歳で高齢になられたためか連絡がとれずじまいでした。「木下藤吉郎と松原内匠」は絶版。10年前、ネットで東京から取り寄せました。 新人物往来社発行。先祖は亘利城を建てたのですがいまは廃城。竹やぶになっています。

 昨日の講演の基となった武功夜話は、昭和34年の伊勢湾台風の時、旧家の土蔵が浸水した折に発見。500年近くその家に保存されていたのに、「開けてはならない」という子孫への戒めがあり、人目に触れませんでした。それまで信長記以外の記録がなかったのですが、新しい事実が公になりました。このことは、小説家の松原氏から聞いていました。戒めの理由はクリスチャンだったこともあるようです。

 

舟橋氏

500年前の木曽川 (点線は現在の流れ)

3人の川並衆

 

 

 

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公民館短歌会 128

2017-02-18 | 短歌

 あいにくの雨でしたが、東日本でも西日本でも、もう春一番が吹いたという昨日、いつものように公民館短歌会を開きました。でも今日は一層寒くなるという予報です。万葉集も16番歌に進みました。会員のSさんのご主人がついに亡くなられてしまい、覚悟をされていたこととは言え、悲しいお知らせをせねばなりませんでした。病気ながらも旅行などされていたのですが、癌の進行が早まりました。 合掌。

 昨日の歌会では、Fさんの歌から珍しい病気のことを知りました。「頭位めまい症」。めまいのため耳鼻科に行くと、そう宣告され、耳石が離れたためであるらしく、投薬治療が必要とのこと。今は恢復されています。一同、はじめて聞く病名であることから、いろいろ学ばせて頂きました。

 帰宅すると郵便物が二通。ひとつは前に提出していた論文がまとめられて届いていました。放送大学学生ふれあい論文集。内容は、2017.1.18に書いています。もう一通は、中国文学の安東先生から。以前Iさんに頼まれていた尾張藩の藩主に指導されていたご先祖の作られた漢文の読み下しが出来上がり届きました。感謝です。解読のいきさつは、2016.12.13に書いています。あれから先生に解読を頼んでいたのです。 

今月の歌

如月の陽は玄関のガラス越しシクラメンへとやさしく注ぐ    Mさん

 

論文集

漢文集

解読文書

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歌集「ひとりしずか」

2017-02-17 | 短歌

 年に何度か心理学の小山田先生の講義を、放送大学で聞きます。昨日は、詩歌に救われた人びとのシリーズの、ー妻を亡くした老年期の夫の事例ーとして、夏坂周司著、「ひとりしずか」を取り上げられました。いわゆる有名歌人でもなくて、自費出版でもなく自家出版。小山田先生の著書を読んで感動し、最後の一冊が贈呈されて来たそうです。歌集の中には、奥様が生前描かれた絵がカラーで散りばめられています。

 最愛の妻を癌で無くして悲壮感に襲われた日々、立ち直るにもかなりの日数が必要だったようです。著者は、「妻が死んだその日から悲しみは日毎に増していった。そばにいた人が居なくなるということがこんなに悲しいとは初めて知った。短歌を詠むことで心の叫びを表し、慰めを求めた」と言われています。歌の技術はともかく読む人の心を打ちます。

吾を生かしひき替えのごと失いし君が命を何もてつぐなわん

なにせんと思い立ちては涙するともにする君のなきを思えば

「奥さんは?」と旅の終に訊く問いは悪気ないほど胸をつきさす

すれ違う老夫婦をつと眺めればただおいおいと涙流れる

 おいてけぼり喰らった子供のように哭く遺影の妻はかすかに笑みて

 

 

頂き物

友人宅で 米国みやげの塩チョコ

ささやかなバレンタイン

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川並衆

2017-02-16 | 岐阜県

  我が家の500年前の先祖のことを話題として、隣町でフォーラムが開かれることは大変光栄に思います。亡父から60年前に聞いていた川並衆のことです。父が生きていたらどんなに喜んだことでしょう。県外の人には分かりづらい言葉です。秀吉と蜂須賀小六の時代ですから・・・木曽川の利権にからんでいました。

 

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あけび短歌会 9

2017-02-13 | 短歌

  あけび短歌会からの贈呈は一年の約束で、昨年限りと思っていたら、今年も配送されました。今年度の表紙は、「こぶし咲く白馬村」。どうしても美智子妃殿下の記事に目がゆきます。妃陛下の御成婚後も短歌のほかにいろいろ指導されていた五島美代子先生の軽井沢の別荘に、浩宮様、礼宮様を連れて訪問されていたこと。それが昭和53年の亡くなられるまで続いていたということ。その年癌で入院されていて、見舞いをされた妃陛下は次の歌を残されています。

いまひとたび朝山桜みひたひに触れてわが師の蘇らまし

この歌に対して五島美代子先生の夫君の茂氏(歌人) も歌を詠まれています。妃殿下が見舞いをされて8日後に亡くなられています。妃殿下からは桜の花の見舞いがあり、その桜に美代子先生は、「こんな美しい桜は見たことがない」と言われたそうです。 

 

今年の表紙

 

友人とティータイム 

 

頂いたチョコ

 

 

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奈良だより 135

2017-02-12 | 国内旅行
 昨日は、大和にも雪が降ったようです。昨夜、前田様から奈良の雪だよりが届きました。岐阜の雪は一日で溶け、今日は快晴です。西日本は記録的な大雪。怪我のないようお過ごし下さい。写真説明の稲渕の勧請綱が分からないのでネットで調べました。次はメール。
 
 「今日は建国記念日でした。不思議と2月11日は雪が降ることが多いです。久し振りに雪が積もりましたので、明日香へ写真を撮りに出かけました。案外明日香の雪は少なく、石舞台古墳も石室の上には雪が積もってなかったです。
大口の真神の原に降る雪は いたくな降りそ 家もあらなくに 舎人娘子」
 
以下は、奈良の方のブログ(山の辺短信)より
栢森の綱掛神事(かやのもりのつなかけしんじ)

綱掛神事は、栢森と稲渕両大字に伝わる神事で、毎年正月11日に行われる。カンジョ掛神事ともいう。子孫繁栄と五穀豊穣を祈るとともに、悪疫などこの道と川を通って侵入するものを押し止め、住民を守護するための神事といわれている。栢森大字の神事の特徴は、全体を仏式で行うことである。福石(陰物ともいう。)と呼ばれる石の上に祭壇を設け、僧侶の法要の後、飛鳥川の上に陰物を形どった「女綱」を掛け渡す。一方、飛鳥川下流の稲渕大字の神事は神式で行うことが特徴で、「男綱」を飛鳥川に掛け渡しをする。 (栢森大字の看板より)

 

栢森の綱掛け神事の翌日(1月12日)も飛鳥へ。稲渕の綱掛け神事の第2弾です。

明日香村の稲渕地区では毎年一月の成人の日に「飛鳥川にかかった勧請綱の掛け替えがおこなわれるます。子孫繁栄、五穀豊穣を祈り、悪疫が村に入ってこないように祈る。飛鳥川にかかる巨大な注連縄で、勧請綱掛け行事です。稲渕には男綱がかかり、2キロ上流の栢森(かやのもり)には女綱がかかる。(栢森の綱掛けは毎年1月11日とのこと) 稲渕は神式で行われ、栢森は仏式で行われる。いずれにしても古代から受け継がれた、雄大で心豊かな伝統行事で 

 

http://yamanobe.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-1651.html?cid=139482591#comments

 

著者は奈良まほろぱソムリエ協会会員(検定合格済み)

 

雪の積もった玄関

 
 
 
 稲渕の勧請綱
 
 稲渕の棚田
 
 雪の降る飛鳥の里 
 
 雪の棚田
 
 天武天皇・持統天皇陵
 
 文武天皇陵
 
檜寺前に復元された竪穴式住居
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