我が家の5本の梅の2本目が咲き始めました。早咲きの白梅(青軸)はもう散りはじめました。紅梅を3本植えていますが、南側のこの梅が最初に咲きます。北側のものはまだ蕾が固いのに・・・一昨日うぐいすの初鳴きを聞き、寒い中にも春の訪れを感じます。白梅にはじまる我が家の梅は晩生の淡いピンクが3月中ごろに散って終わりを告げます。
赤羽刀
2005-02-27 | 文化
昨日書きかけました、赤羽刀は戦時中、お国のためと国民が供出した刀が、全国から赤羽に集められていたことからそういう呼び名になりました。平成7年、政府広報により、その刀を返還するということが伝えられ、運良くその広報を見た人は、政府に申請し、返還の恩恵を受けました。私どもはそんな広報を見ていなかったため、没収されたままになりました。たとえ見たとしても、父はすでに没していましたし、供出した証拠書類がないため、返還は無理でしたが・・・名品は国に保管され、各地の博物館で展示するとき貸与しているようです。山のように無造作に積まれた刀の横で、得意気なアメリカ人の写真を見ると、敗戦国の無念さを感ぜずにはおられません。昨日の展示は名品揃いでした。
亡父の話では、マニアの人なら涎の出そうな備前長船の刀を供出したとかで、惜しまれます。
亡父の話では、マニアの人なら涎の出そうな備前長船の刀を供出したとかで、惜しまれます。
神馬
2005-02-26 | 動物
三重県の四日市市立博物館で赤羽刀の展示を見たついでに、多度郡にある多度神宮に寄りました。数々の神社にお参りしましたが、本物の神馬をこれまで見たことはありません。この神社では、5/4-5に上げ馬祭りの神事があるため、飼われているのです。ここの祭りは勇壮に馬が駈け、天下の奇祭といわれています。小さい本殿は山の中腹にあり、かすかに滝の音がします。
赤羽刀というのは戦時中、国に没収された刀のことで、一部返還されたようですが、大方は国で保管し、時々展示しています。この中には亡父が国に供出したものもありますので、見に行きました。
赤羽刀というのは戦時中、国に没収された刀のことで、一部返還されたようですが、大方は国で保管し、時々展示しています。この中には亡父が国に供出したものもありますので、見に行きました。
新任民生委員の研修会が終日開かれました。大正7年に発足して以来、年々社会の情勢によって内容も変わってきているそうです。民生委員法、生活保護制度から体験者の話に至る広範囲のものでしたが、基本は「自分がその立場になって考える」ということでした。守秘義務については、家族どころか夫婦でも漏らしてはならないと言われ、そこまでは、ちょっと・・・
25年も民生委員をしている男性の話には皆さんからため息が漏れました。お葬式に立ち会ったのが10回ほどで、亡くなった独居老人の親族かと、お寺や葬儀屋から何度も間違えられたそうです。ここまでの人は稀ですが・・・なお今は都市では民生委員の欠員が多く、つまり昨年12月の任期満了の人の後任がないのです。(東京では300人不足)理由はアパートに訪ねても返事もなく、世話のしがいもないとかで・・・
生活保護家庭の割合が多いのも大阪、東京などで、最も少ないのが富山、次が愛知、その次が岐阜だそうです。
25年も民生委員をしている男性の話には皆さんからため息が漏れました。お葬式に立ち会ったのが10回ほどで、亡くなった独居老人の親族かと、お寺や葬儀屋から何度も間違えられたそうです。ここまでの人は稀ですが・・・なお今は都市では民生委員の欠員が多く、つまり昨年12月の任期満了の人の後任がないのです。(東京では300人不足)理由はアパートに訪ねても返事もなく、世話のしがいもないとかで・・・
生活保護家庭の割合が多いのも大阪、東京などで、最も少ないのが富山、次が愛知、その次が岐阜だそうです。
昨日の交流会の直前に撮った、織部羊羹です。多治見市の久野先生から贈られました。先生は織部研究家で、岐阜県が制定した織部賞の特別功労賞を受賞されています。織部に関する書の他に、「中部日本の詩人たち」など20冊以上執筆されています。
羊羹は昨日のお茶会に使わせていただき、我が家の菓子器も織部焼、茶碗も水指も織部焼ですので、織部のオンパレードになりました。留学生にも織部を説明しました。なお、お味は白っぽい方はあっさりとして、黒っぽい方は黒砂糖の風味でこってりとしています。焼物の織部も白っぽい部分と濃い色との対比が目立ちますが、そのイメージをお菓子に再現したのでしよう。(写真をクリックしていただくと拡大されて織部の文字が読めます)織部は焼物については一般に知られていますが、茶人としての古田織部は久野先生の著書によって最近知られるようになりました。織部は岐阜県本巣市生まれです。
羊羹は昨日のお茶会に使わせていただき、我が家の菓子器も織部焼、茶碗も水指も織部焼ですので、織部のオンパレードになりました。留学生にも織部を説明しました。なお、お味は白っぽい方はあっさりとして、黒っぽい方は黒砂糖の風味でこってりとしています。焼物の織部も白っぽい部分と濃い色との対比が目立ちますが、そのイメージをお菓子に再現したのでしよう。(写真をクリックしていただくと拡大されて織部の文字が読めます)織部は焼物については一般に知られていますが、茶人としての古田織部は久野先生の著書によって最近知られるようになりました。織部は岐阜県本巣市生まれです。
昨年10/24のWFWP留学生弁論大会に出場した人を中心に昨年につづき、留学生交流ひなまつり会を開きました。写真は大会1位だった劉洋さんが会員からお琴のレッスンを受けているところです。着物の着付けとお茶会も彼女にとっては感動的だったようです。「お抹茶は苦いと思ったら飲まなくていいのよ」と言って飲み方を教えましたが、「おいしい」と言って全部飲みました。「日本の文化ですから」と付け加えて・・・
娘に親から貰った37年前の雛飾りですが、15人の人形の役割やお道具の説明をしたら熱心に聞いてくれました。なんと琴も一曲弾けるようになりました。彼女は今年卒業し、京大の大学院進学予定です。
娘に親から貰った37年前の雛飾りですが、15人の人形の役割やお道具の説明をしたら熱心に聞いてくれました。なんと琴も一曲弾けるようになりました。彼女は今年卒業し、京大の大学院進学予定です。
昨年11/26に書き込んだ標記の展覧会に出した作品が返却されてきました。船便ですから、忘れたころに到着です。「領海を越えて」の中の10首がスペイン語訳され、バトリョ邸に展示されていたものです。荷物の中には展覧会の様子を撮った写真も入っていましたが、果たしてこれを見たスペイン人は日本の短歌をどこまで理解してくれたことでありましょうか。
お正月の活花の残りのオーニソガラムがまだ枯れず、順に咲きのぼっています。まだ捨てがたく、下の方は切り捨てて、瓶に挿しています。花の部分だけ切り取り、カーテンをバックに遊びで撮ってみました。この球根は園芸初心者向けらしく、最初に園芸店に行った40年前、店主から栽培を勧められたことがあります。
晩白柚
2005-02-19 | 植物
バンペイユと読みます。大牟田市の歌人から送られて来ました。直径18cm重さ2.5kgのみたこともない巨大柑橘類で、ざぼんと同じだそうです。この重力をどのように枝が支えていたかは想像することも出来ません。八代産というラベルがありますから、熊本のハウスもののようですが・・・味はあっさりとして、美味です。皮は指示通りに茹でて砂糖煮にして瓶づめにしています。もう1個を近々開催するWFWP留学生交流会に来る人たちに見せ、驚かせてあげたいと思います。
ネパールのシャラダさん宛のメールはリターンしてしまいました。リターンまでが3日もかかりました。前に航空便を出した時、返事は4ヵ月後に船便で届きました。つまり、彼女が投函するまでが2月以上経っているのです。偶々日本人の知人からネパールたよりが来ましたので、紹介します。
前略「2/1にこの国は民主政権から王政権になりましたと、王様から重大宣言がされまして、議員が不正に得た土地や財産は没収されるなど、一般の国民にとって希望が見えてきたようです。」後略
なお私たちWFWP会員は基金を出しあって、洋裁を学びたい人のための「ネパール女性自立センター」を、建設中です。
前略「2/1にこの国は民主政権から王政権になりましたと、王様から重大宣言がされまして、議員が不正に得た土地や財産は没収されるなど、一般の国民にとって希望が見えてきたようです。」後略
なお私たちWFWP会員は基金を出しあって、洋裁を学びたい人のための「ネパール女性自立センター」を、建設中です。