つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

山の音

2025-04-03 | 映画・TV・演劇
 川端康成の小説「山の音」が映画化されていたのに見ていなかったので、先日NHKBSで録画しました。小説を読んだのは60年以上も前。時代にはあっていなくても微妙なニュアンスの違いは想像できたと思います。ラストシーンは舅役の山村聰とヒロインの原節子が、新宿御苑を散歩するところ。冬枯れの新宿御苑のプラタナスの並木が効果的に思いました。冬の新宿御苑を思い出しました。原節子の着る長いコートも素敵でした。若夫婦と老夫婦の複雑な人間関係には驚きましたが。あまり幸福とは思えない家族の物語です。

写真は岐南町図書館前のローズマりー

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玉井屋

2025-04-01 | わが家
 27日、JR岐阜駅のASTYが新装開店しました。その中にリンクしているZooeyさんの親戚の玉井屋も入っていると聞き、昨日行きました。玉井屋の創業は明治41年。彼女は夫の姪ですから、こちらも遠縁にあたります。社長のひろ子さんは、能楽師で人間国宝。
 目的は夫の能公演に際しお祝いを頂いた方に対する返礼。これまで玉井屋は岐阜高島屋にあったのですが、閉店になり困っていました。満員の店内で、新製品の「下剋上鮎」にしました。このデザインは彼女の息子さん。棚の上段には、創業時のお菓子の木型が飾られています。記念の鮎菓子も配られ有難く頂いてきました。開店祝いの胡蝶蘭もいっぱい。




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GHQと憲法9条

2025-03-31 | Weblog
伊勢雅臣氏のメルマガより

■1.「もう1日でものびたら、大変なことになります」

 昭和21(1946)年3月5日午前10時、閣議で幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)首相は「もう1日でものびたら、大変なことになります。ほんとに大変なことになりますよ」と言って、涙をポロポロとこぼしました。

 翌々日、極東委員会の実質的審議が始まる予定で、そのメンバーとして「天皇を東京裁判の被告にせよ」と主張しているソ連が入っていました。憲法改正となれば、当然、天皇制廃止を要求してくるでしょう。

 そんな事態となれば、「日本の最終的な政治形態はポツダム宣言に従い、日本国民の自由に表明する意思によって確立される」とする連合国側の約束違反として、各地でが反乱を起こり、占領政策は崩壊してしまうでしょう。日本占領を成功させ、米国大統領へのステップとしたいマッカーサーはそれを防ぐ戦略を考えました。

 それは、極東委員会が動きだす前に、日本政府が民主的平和的な憲法改正案を発表してしまい、それによって極東委員会の口出しを封じる、というアイデアでした。そのために、マッカーサーは次の3箇条からなる「マッカーサー・ノート」をGHQの民政局に提示して、これに基づく憲法草案を大至急作成せよと命じました。

 (1)天皇は国家の元首である。
 (2)国の主権的権利としての戦争は放棄する。
 (3)日本の封建的制度は廃止される。

 これに基づく憲法草案の発表で、日本は自ら平和的民主的な国家として歩み始めたと国際社会を印象づけようとしたのです。これが「日本国民の自由に表明する意思」として示されれば、極東委員会はなんら文句を言うことができません。

 そのために、GHQは2月4日から12日までのわずか9日間で草案を完成し、13日に日本政府に提示したのです。その後、日本政府は修正案を提出しましたが、3月4日、GHQは拒否。GHQの原案を徹夜で日本語訳し、この日の閣議となったのでした。


■2.「すべてのものを犠牲にしても、天皇制の護持だけは守らなければならない」

 政府はこの憲法草案を閣議決定し、昭和天皇の裁可を得ました。翌日午後5時、日本政府は憲法改正草案要綱を発表。その1時間前に、GHQのスタッフが英文の憲法草案13部に首相のサインを貰い、そのままワシントンの極東委員会に届けるべく、米軍機で出発しました。この時の幣原首相の腹は次のようなものでした。
__________
 ほかの点はどんなものでも、日本が独立を回復した暁には自分たちで変更することができる。しかし、皇室だけはいったんぶち壊してしまったら取り戻すことができない。だから、すべてのものを犠牲にしても、天皇制の護持だけは守らなければならない。
 天皇制の一点さえ、マッカーサーが極東委員会に対して承諾させてくれるなら、あとのことはすべて犠牲にしていいとさえ思っている。[塩田,p451]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 いわば、「戦争放棄」を謳った憲法9条は皇室を守る為の「代償」でした。9条の条文は平和国家としての国際的なアピールさえできればそれで良いと、マッカーサー以下、9条のもとでの自衛のための再武装も容認していたのです。以下、その過程を見ていきましょう。


■3.「個人に人権があるように、国家にも自衛権がある」

 もともとマッカーサー・ノートでは、次のように自衛のための戦争の放棄まで求めていました。
__________
 国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
 日本が陸海空軍をもつ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。[鈴木、p137]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 これに対して、民政局次長で憲法草案作成の実質的な責任者であるケーディス大佐は、こう修正しました。
__________
 重要な変更は、草案を数力所カットしたことです。それは私がやりました。自分でやったのを覚えています。
 まず、〈自己の安全を保持するための手段としての戦争をも〉という部分をカットしました。さらに、〈日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる〉の部分もカットしました。あまりにも理想的で、現実的ではないと思ったからです。[鈴木、p137]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

〈自己の安全を保持するための手段としての戦争〉とは自衛戦争のことで、マッカーサー・ノートではそれをも「放棄する」と謳っていましたが、この部分をカットしたことで、自衛権を認めたのです。


■4.「個人に人権があるように、国家にも自衛権がある」

 ケーディス大佐はその理由をこう語っています。
__________
 自衛権の放棄を謳った部分をカットした理由は、それが現実離れしていると思ったからです。どんな国でも、自分を守る権利があるからです。だって個人にも人権があるでしょう? それと同じです。自分の国が攻撃されているのに防衛できないというのは、非現実的だと考えたからですよ。[鈴木、p138]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「個人に人権があるように、国家にも自衛権がある」。ハーバード大学の法科大学院を出て、弁護士を務めていたケーディス大佐にとっては、これが法律家としての常識でした。

 この修正はケーディス大佐が独断で行ったものですが、それはマッカーサーも賛成する、という読みがあったようです。憲法草案は発表前に、すべてマッカーサーに報告がなされ、承認を受けているのですから。後年、マッカーサーもこう書いています。
__________
 戦争放棄の条項は、もっばら外国への侵略を対象としたものであり、世界に対する精神的リーダーシップを与えようと意図したものである。・・・ 第九条のいかなる規定も、国の安全を保持するために必要なすべての措置をとることを妨げるものではない。[鈴木、p139]
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 マッカーサー・ノートにある「今や世界を動かしつつある崇高な理想」とは、まず第一次大戦の反省から「紛争は平和的手段により解決すること」と規定したパリ不戦条約です。この条約をアメリカは批准していましたが、それは自衛戦争は禁止されていない、という解釈のもとでした。

 さらに当時発足したばかりの国際連合でも、国連憲章第51条で加盟国には「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を認められています。さらに自衛戦力がなければ、国連の平和維持軍への参加ができず、それでは国連加盟に支障がでる可能性さえありました。

 マッカーサーの狙いは、日本が平和国家として再出発したと国際社会にアピールすることでしたから、自衛権まで禁止する、というよう国際法的に非常識なことまで言い出して、余計な論議を呼ぶ必要はなかったのです。そしてその狙い通り、日本が表面上「自主的」に発表した平和憲法に、極東委員会は有効な口出しをすることはできませんでした。マッカーサーの作戦勝ちでした。

 マッカーサーはこの「平和憲法」戦略で皇室を守ってくれたのですが、それはもし皇室を守れなかったら、日本全土で反乱が起こり、自らの日本占領は失敗する、という恐れからでした。彼の脳裏には、大戦末期の玉砕戦や特攻で命を捧げた英霊たちの戦いぶりが焼き付いていたのでしょう。マッカーサーを後押しして皇室の危機を乗り越えることができたのは、英霊たちのご加護でした。


■5.芦田修正

 GHQの草案は、その後、衆議院の憲法改正案特別委員会で各条文の審議が行われました。ここで行われた最大の修正が、委員長の芦田均による「芦田修正」です。当初、提出された第9条の草案内容は、以下でした。
__________
第9条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては永久にこれを抛棄する。
陸海空軍その他の戦力の保持は許されない。国の交戦権は認められない。[西、p337]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 これが、種々の議論を通じて、以下の条文に改められました。
__________
第九条 <日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し>、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2) <前項の目的を達するため>、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

<>部分が、主な修正点です。<日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し>とは、戦争放棄を詫び証文ではなく前向きな理想を持って進めるのだ、という姿勢を示す表現でした。<前項の目的を達するため>は、その後の議論を呼んだ点です。芦田は後に、昭和32年の憲法調査会で次のように説明しています。
__________
『前項の目的を達するため』という辞句を挿入することによって原案では無条件に戦力を保有しないとあったものが一定の条件の下に武力を持たないということになります。日本は無条件に武力を捨てるのではないということは明白であります。[西、p340]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 前項で「侵略戦争は放棄する」と述べ、そのための「戦力は保持しない」とすると、自衛のための戦力は持てることになります。


■6.「それがどうした? 君はよい考えだとは思わないかね!」

 この抜け道を、GHQ側は明確に認識していました。ケーディス大佐はこう語っています。
__________
たしか、七月の終わりころだったと思います。芦田氏が一人で、戦争放棄の条項を修正したいと相談に来ました。その〈日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し……〉という文章と、〈前項の目的を達するため〉という文章を入れたいと言いました。
 文章は、固く、何となく曖味な感じがしましたが、その意味するところはわかりました。・・・個人に人権があるように、国家にも自分を守る権利は本質的にあると思います。
 そこで、私は、私の責任でOKを出しました。すると芦田氏は、ホイットニー(伊勢注:民生局長)、マッカ―サーと相談しなくてもいいのですかと聞きました。私は、まったく問題ないと返事をし
ました。[鈴木、p353]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 このやりとりを聞いていた部下二人がホイットニーに「この修正は、『自衛の軍隊』を持つことになると思うが、どう思われますか?」と尋ねました。すると、ホイットニーは「それがどうした? 君はよい考えだとは思わないかね!」と答えたそうです。

 このあたりは、日本を平和国家として国際社会にアピールするのに、「戦争放棄」をどう表現するか、という点については、マッカーサー、ホイットニー、ケーディスの間で、しっかりと頭あわせができていたのでしょう。

 マッカーサーも上述のように、「戦争放棄の条項は、もっばら外国への侵略を対象としたもの」「第九条のいかなる規定も、国の安全を保持するために必要なすべての措置をとることを妨げるものではない」と考えていたので、ケーディスは自分の判断で自信を持ってOKを出したのです。ケーディスはこうも述べています。
__________
 芦田が第九条の修正案を提案をしてきた時は、むしろうれしく思いましたね。というのは、あの修正によって、独立国としての立場が明らかになったからです。使われている言葉は重苦しいものでしたが、それによって、たとえば日本が国連加盟国になる場合の助けになると思いました。[鈴木、p355]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■7.多くの憲法学者は「憲法評論家」に過ぎない

 ただし、芦田はこの修正の意図を国会や委員会で明確に説明しておらず、そのため芦田修正をもって、自衛のための再軍備は可能とする解釈を、現在も日本政府はとっていません。そのかわりに、九条一項の「戦争」は、侵略戦争を否認したものであり、また2項で憲法が否認する「戦力」については、それに至らない「自衛のための実力」は認められるとの解釈によっています。

 ここから、自衛隊は軍隊ではない、というアクロバット的解釈が行われているのです。しかも、憲法学者へのアンケート調査では118人中77人、65%が自衛隊は「憲法違反」ないし「その可能性がある」と答えています。それでいながら、「憲法改正をする必要がない」と答えている学者が、107人中99人、92.5%です。[朝日新聞]

 自衛隊が憲法違反というなら、憲法を改正するか、自衛隊を解消するか(その場合、国家の自衛をどうするか提案する責任があります)どちらかを主張しなければなりません。憲法違反と言いつつ、その状態を座視しているのでは憲法学者というより「憲法評論家」です。医者が患者がガンにかかっていると診断するだけで、どうすべきか言わないのと同じ無責任です。

 西修教授は昭和59年から60年にかけてGHQの憲法草案起草者の何人かにインタビューを行いましたが、ケーディス氏を含め、彼らは日本国憲法がいまだに改正されていない事に驚いていたと記しています[西、p173]。

彼らにとっては、日本国憲法は極東委員会でのソ連などの口出しを防ぐための急拵えの「仮設憲法」であり、日本が独立すれば、当然、自分たちで自前の憲法をつくるはずだと考えていたのです。それが国際的な憲法常識です。その憲法常識がなぜ国内で実施されなかったのでしょうか?

 その一因は「憲法評論家」のみ多くして、憲法のあるべき姿を国民に訴える真の「憲法学者」が少なかったからでしょう。
(文責 伊勢雅臣)

写真はこれもわが家のシンビジウム


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悼 篠田正浩元監督

2025-03-29 | 映画・TV・演劇
 25日未明、篠田正浩元映画監督が94歳で肺炎のため亡くなられました。知られている「心中天網島」、「瀬戸内少年野球団 」もまだ見ていなかったことに気づきました。岐阜県立加納高校の11年先輩。同窓会総会の折、壇上でスピーチされたのがつい昨日のようです。お話もうまかったです。平成4年東京在住のとき、同じ大田区にいたこともあり、自転車で家の前を通りかかると、正方形の表札には、篠田、岩下と書かれてあり、すてきな鉄筋のお住まいでした。大田区主催のイベントで講師をされたので、聞きに行きました。この時のお話もよかったです。奥様の岩下志麻さんは私より一年上。ご夫婦の年齢差は10歳ということに今頃気づきました。早大では箱根駅伝に出られたようです。書道家の篠田桃紅さんは従姉。ご冥福を祈ります。   合掌
 ところで昨日のプロ野球初戦で、阪神タイガースは勝利しました。岩下志麻さんもタイガースファンらしいです。      

写真は玄関のシンビジウム


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久しぶりの岐南町図書館

2025-03-27 | 岐阜県
 地元の岐南町図書館に数年ぶりに行きました。歴史民俗資料館も併設されています。整体師の中村さんがイラスト展に出品されているから3月中に行きたかったのです。他に町役場と地元ホテルと町民バスに展示されています。彼のテーマは、家康。イラストの解説もあります。徒歩で15分。散歩にもよいので、これからは歩こうかしら。途中ミモザのある家もあったりします。
 歴史民俗資料館の地元関係の書架に私の著書の歌集「領海を越えて」(2004年発行) と短歌通信「月見草」も陳列されていて感謝です。



中村さんの作品


イラストの解説


他の作家の作品


郷土関係の著書
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弱腰外交

2025-03-26 | Weblog
株式会社リアルインサイトのメルマガより

「台湾有事」は、
日米安全保障条約において
第6条の極東事態に該当し、
日本有事(第5条)ではない。
そのため「台湾有事」が起こっても、
自衛隊は出動できません。
アメリカが「内戦」状態ならば、
米軍も手がまわらない。
その隙をついて、
中国は必ず台湾を取りに行きます。
そして次に狙うは
沖縄県の「尖閣諸島」
なぜなら、1968年に尖閣諸島周辺に
石油資源の埋蔵が推測されると
中国も台湾も「尖閣は自国の領土だ」
と主張し始めたからです。
また、「台湾有事」が起こり、
台湾空軍機が沖縄に
逃げ込んできたらどうするのか?
領空侵犯として台湾へ帰すのか?
中国人民解放軍と事を構えるのか?
日米で事前に
取り決めなければなりません。
そして、
有事の対応を事前に公表することで
「抑止力」にもなります。
しかし、いまだに“それ”はありません。
いえ、“それ”をすることができないのです。
どうしてでしょうか?
史上最弱の日本外交
国力が低下し続ける日本に
待ち受ける未来とは?
あなたの大切な人を守るためにも
この真実から目を逸らさないでください

極東事態でも、
自衛隊が在日米軍らとともに
出動することを表明すれば、
中国は台湾への武力侵攻を
躊躇(ちゅうちょ)します。
ですが・・・
「中国を刺激するな」「中国様に逆らうな」
との声が上がることでしょう。
どこから、上がるのか?
日本国内の政界や経済界からです。
居丈高になる必要はありません。
日本は独立国として、
“あたりまえ”の態度を見せれば良いのです。
ところが・・・
「言うべきことは言わない。
取るべき措置は取らない」
と日本外交の劣化を嘆く人物がいます。
前駐オーストラリア特命全権大使の
山上信吾先生です。
2022年にも、
米国議会下院議長のペロシ氏が
台湾と日本を訪問した際、
中国は日本のいわゆるEEZ(排他的経済水域)
に弾道ミサイルを撃ち込みました。
それにも、関わらず、当時の外務事務次官は
抗議を電話で済ませてしまいました。
通常の国々では、中国大使を呼びつけて
本気で怒らないと抗議として伝わりません。
それどころか、中国大使からは
「台湾独立に加担すれば
日本は“火の中”に連れ込まれる」
との恫喝(どうかつ)を受けています。
台湾独立の加担ではなく、極東の平和を
維持する行動に出るだけなのです。
然し、そんな恫喝に腰が引けてしまってる。
山上先生は
「どこかから“中国と事を荒立てるな”
という指示が下りてきてるとしか思え
ない」と憤(いきどお)ります。
中国の「戦狼外交」と
日本の「弱腰外交」
その衝撃の実態を知ってください。

国際政治評論家の
『宮崎正弘先生』は【米国内戦の可能性】
元航空自衛隊空佐の
『潮匡人先生』は【安全保障の無知】
前駐豪大使の
『山上信吾先生』は【日本外交の劣化と再生】
日本を守るために
日本をより良い国にしていくために
3名の賢者からの警鐘は
合計458分にもわたります。

写真は庭の山茶花


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岐阜の近藤正臣

2025-03-24 | 映画・TV・演劇
 先週、岐阜の郡上八幡に住む近藤正臣のことをNHKBSで放映していました。岐阜に彼が住んでることは知っていたのですが、理由を知りたくて見ました。京都生まれで東京住いの彼が何故? 番組を見て納得しました。まず風光明媚で自然に溢れていることがよいこと。これは亡き奥様の願望のようでした。それと彼は40年も鮎釣りを岐阜で楽しんでいました。郡上踊りは見るだけらしいですが、その曲の器楽演奏奏者を自宅に呼び、聞くのです。小学校同窓生だった奥様を最近亡くされ、自炊し、愛猫と自然の中で楽しく暮らされています。岐阜人としては大歓迎です。




猫ちゃん


郡上八幡城


宗祇水



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「岐阜県歌壇史」と「鮫の体温」の出版祝賀会

2025-03-23 | 短歌
 昨日はようやく春らしくなり暖かい一日でした。JR岐阜駅に近いじゅうろくプラザのレストランで「岐阜県歌壇史」と「鮫の体温」の出版祝賀会が開催されましたので、出席しました。著者の小塩氏と後藤さんからも著書を頂いたり買い求めているからです。桐山岐阜県歌人クラブ会長の挨拶から始まりました。美味しいランチを頂きながら、二誌の高評や花束贈呈が終わりかけたころ、誰かが床で滑り転倒し動けなくなり、救急車を呼ぶ事態になりました。高齢者ばかりですからありうることです。痛いという女性の悲鳴もあり、一瞬緊張したのですが、すぐ担架で運ばれました。後から聞くと、骨折のようでした。
 偶然前の席に高山から来られた横山さんが座っておられました。彼女からは歌集「ひかりの梯子」を贈呈されブログにも記録しています。(2023.12.10) 初対面ですが話が弾みました。高山は大雪だったようです。小塩氏のお話もよかったし、実のある祝賀会でした。尚、「岐阜県歌壇史」は、2024.10.24に、「鮫の体温」は、2024.12.7のブログに書いています。



歌人クラブ会長桐山先生の挨拶から






右が横山さん、中央は小塩氏

小塩氏の挨拶


花束贈呈
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公民館短歌会 206

2025-03-22 | 短歌
 昨日もまだまだ寒い日でしたが、岐南町南町民センターでの短歌会を開催しました。これまで県歌人クラブ紙には月見草会員の作品は掲載されることはなかったのですが、初めて出ました。クラブ紙の編集者の選ぶ歌も見てほしいのでコピーして配布しました。このクラブ紙の歴史もかなりあります。30年前、兵庫県歌人クラブにも籍をおいたことがありますが、機関紙を見た記憶はありません。岐阜は戦後紙が不足していた時代を除いて、順調に出されてると思います。
今月の歌
「月見草」短歌小冊子十一冊十一年の吾の歩み詠む  Kさん

月見草は、二重カギカッコで囲むべきですが、このパソコンにその機能がありません。Kさんは途中入会のため11冊となりました。古参の3人は20冊。


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杜若

2025-03-21 | 文化
 「杜若」こう書いて「かきつばた」と読みます。昨日夫は岐阜市文化センターの能の舞台に2年ぶりに立ちました。もう87歳ですから恐らく最後になるかと思います。何とか無事「杜若」が終わりほっとしています。これを演ずるには、謡、鼓、小太鼓とか多くの脇役の方の協力が要ります。能面と衣装は借ります。これまでに、敦盛と羽衣を演じてきました。杜若の精になり、小面(こおもて) という能面をかむります。物語の舞台は三河の八橋。この歴史ある名所には毎年シーズンには多くの人が訪れます。
 知り合いにも来ていただき、中には高校の同級生のMさんも。彼女のお孫さんは、世界的ピアニストの亀井聖矢くんです。感心したのは、奥様と共に高校生の娘さんを連れてこられたKさんのこと。放送大学の友人のKさんは、日本の伝統芸能を若いうちに見せたかったようです。私が最初に能を見たのは、岐阜大付属中から団体で、岐阜市公会堂で、でした。(今は岐阜市民会館)。妹は付属中にクジで外れて行けなかったです。従って一生能は見ていないようです。
 胡蝶蘭の鉢植えまでいただき恐縮してしまいました。





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