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つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

岐阜のイタリアン「ピアッジオ」

2025-05-01 | 料理
 息子が手伝いをしてくれるのですが、なかなかはかどりません。法事には仏壇の中の飾りも少し変わります。仏壇の蝋燭は普段は白ですが、法事は赤色。来客へのおみやげ、料理店への最終報告とか。仏花やお墓の花も。それに今日は、父の祥月が五月ということで、永代経がありお寺に出向きます。
 昼になり、友人から聞いていた岐阜市内のイタリアンの店「ピアッジオ」に乗せて行ってくれました。ここの料理もとても美味しくて、30年前、イタリア旅行で食したものより数段上でした。もうイタリアに行くこともないのですが。この店には古いピザ釜もありました。入口の装飾はボッティチェリの「春」の一部を切り取ったものもありました。勿論イミテーションですが。






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八宝茶

2025-04-29 | 料理
 亡父の33回忌の法事を連休にする予定のため、早めに長男がやってきていろいろ手伝ってくれています。古紙、分別ゴミの処分など、断捨離すべきものもかなりありました。昨日は歯科医にも乗せてくれた帰り、昼は中華料理店で食事。普通のランチを注文して、飲み物を八宝茶にしてくれました。いつも入る店ですが、これは初めて。中国では珍しくないはずですが、昔中国を旅した時、これは出なかったです。複雑な味のするコクのあるお茶で、中身は、ナツメ、龍眼、松の実、クコ、冬瓜、などなど。メイン料理も美味しかったです。40年前の中国の旅では、お茶はまずくて辟易しました。もうあの国に行きたくないです。無灯火の自転車も危険で怖かったし、北京ダックも固くてまずかったです。


左が八宝茶


メイン料理
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阪神惜敗

2025-04-28 | わが家
 昨日のプロ野球巨人阪神戦は、阪神が惜敗。巨人に五連勝していたのに残念ながら負けました。吉田元監督が亡くなられ、追悼の意味か、全員背番号23で臨んだのですが、2:1で負けました。9回、セーブするべき岩崎が打たれてしまいました。甲子園球場に、あの勝利の「六甲おろし」は聞けませんでした。テレビ朝日で見ていると、途中からBS朝日に切り替わりました。こちらではあまりタイガースの試合は見られないのです。関西にいたころは、サンテレビで全試合を見られたのに・・・
 この日の試合ではないのですが、始球式に江夏が登場してびっくり。あの剛腕の投手が、車椅子とは、別人の様。あの不死身と思われた選手も、50年後はああなるのかと・・・調べてみると、2019年に脳梗塞をおこし、それからファンに感謝をこめて、リハビリ姿を見せているとか・・・

写真は庭の満天星(どうだんつつじ)


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ヒメトレ体操・長屋門修復

2025-04-27 | わが家
 昨日は友人に乗せて貰い、いつものようにN先生のヒメトレ体操の指導を受けてきました。少しだけ腹式呼吸にも慣れてきました。でも意識していないと難しいです。骨盤底筋を意識しながら呼吸します。指の運動も教わりました。これはいつでも家でできるので、続けたいです。
 昨年から長屋門漆喰が一部剥落したため、修理を頼んでいて、暖かくなり工事が開始。先日東半分だけ修理が終わりました。工事の都合で、続きは連休の後になります。壁が落ちた部分の修復は済んでいるので、法事が終わってからで大丈夫です。西半分は見た目は分かりませんが、20年の間に浮いてしまいました。この時の職人さんは高齢で頼めなくて、今回頼んだのは友人の親友。すごく腕がよいので、助かりました。しかし、御多聞にもれず、ここも息子さんは後を継がれません。近隣にも左官屋さんは昔ありましたが、後継者がいなくなったのです。長屋門は、一応町の指定文化財ですので、放っておけないのです。


修復中


仕上がりました。
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中学生と考える東京裁判

2025-04-25 | Weblog
伊勢雅臣氏のメルマガより

■1.坦々と事実だけを紹介して、東京裁判の本質を中学生にも分かりやすく抉(えぐ)り出す授業

 伊勢雅臣: 清田直紀先生は公立中学校のベテラン社会科教師です。現在、横浜にて4回シリーズの講演会を開催中で、その第2回目の東京裁判をテーマにした講演を聴講しましたが、坦々と事実だけを紹介して、見事に東京裁判の本質を中学生にも分かりやすく抉(えぐ)り出す授業の見事さに舌を巻きました。

 その一部を、清田氏の著書から(弊誌の限られたスペースに合わせて少し省略と再構成をしながら)引用させていただきます。こちらも中学の先生と生徒との対話で授業が進められているので、氏の学校での授業の様子が、かなり窺えると思います。

__________
清田直紀『先生、ニッポンは悪い国だったの? : 中学生と一緒に考える「東京裁判」』★★★
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B0DSV6MJNS/japanontheg01-22/
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■2.「『東京裁判』って何ですか?」

ミチさん(中学生): 岩吉先生、質問があります。「東京裁判」って何ですか? 歴史の教科書を読んでいたら、大東亜戦争後の「占領下の日本」のページに極東国際軍事裁判(東京裁判)と書いてあって気になったんです。

岩吉: 東京裁判とは、「極東国際軍事裁判」の通称です。東京で開かれたので「東京裁判」と呼ばれます。昭和21(1946)年1月19日、GHQのマッカーサーの命令で設立された「極東国際軍事裁判所」が日本の戦争指導者に対して行った裁判です。裁判は同年の5月3日に始まり、昭和23(1948)年11月に終わったとされています。

 東京裁判は、敗戦国・日本の「戦争犯罪人」を裁く裁判でした。カタチとしては「刑事裁判」と同じです。刑事裁判を構成するのは次の四者です。

(1) 被告人:罪を犯したとして起訴された人
(2) 検察官:被告人の罪を明らかにし刑の執行を求める
(3) 弁護人:被告人のために無罪・減刑の主張を行う
(4) 裁判官(判事):検察官・弁護人の意見を聴き、 法律に基づいて判断し判決を言い渡す


■3.検察官も裁判官も戦勝国11カ国から

岩吉: 「東京裁判は刑事裁判」という点を踏まえ、「正しくない裁判」を考えましょう。ミチさん、「こんな裁判は正しくない」と言える条件には、どのようなものがあると思いますか?

ミチ: まず、パッと思いついたのは、「裁判官が中立の立場じゃない」裁判です。裁判官が弁護人や被告人の知り合いだったら、被告人が罪を犯していたとしても無罪になったり、刑が軽くなったりしそうです。その逆の場合もあるから、裁判官は検察官とも無関係な人じゃないとダメです。

岩吉: アメリカを筆頭に、戦勝国11か国の代表が検察官を務めました。11か国とは、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、オランダ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、中華民国、インド。

 さらに信じがたいのは、判決を下す裁判官(判事)も戦勝国11か国の代表だった事実です。つまり、東京裁判は戦勝国が検察官として日本の罪を声高に指摘し、戦勝国が裁判官として日本に判決を下す「中立の原則」とはほどとおいものでした。

ミチ: そんなことが許されていいのでしょうか!? これでは、まったくフェアでじゃないし「正しい裁判」なんて呼べません!

岩吉: 日本は戦争には敗れました。しかし、戦争の勝敗は「犯罪」とは別の問題です。「戦勝国=検察官=裁判官」という不公正な人員構成では、もはや「裁判」とは言えません。東京裁判は、連合国が憎き敵・日本へ報復するために仕組んだ「復讐劇」だと見られても仕方ありませんね。


■4.「事後法禁止の原則」を破った

ミチ: それから、もし裁判官や検察官が「個人的な思いや考え」で被告人を裁くとしたら、それも「正しくない裁判」だと思います。基準はあくまでも法律です。被告人の犯罪が残虐なものでも、法律に照らして判断してもらいたいです。

岩吉: 確かにそうですね。個人的見解に基づいた裁判ではなく、「法に基づいた裁判」が求められます。これも「正しい裁判」の条件ですね。

 法律は、禁止事項を「犯罪」として設定し、それに違反すれば逮捕され「罰」を受けるという社会のきまりです。逆に考えると、次のように言い換えられます。新たに制定された法律によって「その法律の制定以前」にさかのぼって、新たな法律によって犯罪と見なされるようになった行為は取り締まれない、と。この原則を「事後法禁止の原則」とも呼びます。

 日本国憲法第39条では「何人も、実行の時に適法であつた行為……については、刑事上の責任を問はれない」と規定されています。この考えは19世紀はじめにヨーロッパで主張され始めましたが、その淵源は13世紀のイギリス・マグナカルタの制定です。

 マッカーサーを中心とした連合国は「平和に対する罪」という大東亜戦争開戦当時になかった「罪」を後からつくり、「事後法禁止の原則」を破って日本を罰しました。

ミチ: そこまでして「日本が悪い」って決めつけるなんて、あまりに一方的でひどすぎます…。しかも、歴史の教科書にはこういった事実が書かれていません。「真実」が意図的に隠され、国民に知られないように、コントロールされているのではないか…と疑いたくなります。


■5.ブレイクニー弁護人の主張

岩吉: 占領軍の一員だった法律家でもあるベン・ブルース・ブレイクニーが弁護人として、次のように主張しました。

「戦争は犯罪ではない」 なぜなら「戦争のルール」について定めた「戦争法規」があること自体が「戦争は犯罪ではない」、つまり戦争の合法性を示しているという主張です。戦争の開始、戦闘の方法、終結を決める法規も存在しているのだから、戦争は非合法ではないという考え方で当時の世界各国は同じ認識に立っていたと言えます。それなのに、日本だけを裁けるのかという疑問です。

 そして、もし日本の戦争が罪ならば…という前提で次のような内容を法廷で主張しました。それは…
__________
「真珠湾攻撃による殺人が罪になるなら、私たちは、広島に原爆を投下した者の名を挙げられる。投下を計画した参謀長の名前も、国家元首の名前も知っている。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいないだろう。私たちもそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、日本の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからだ。

 どのような罪で、どのような証拠で戦争による殺人が違法と言えるのか。原爆を投下した者、投下を計画した者、投下の実行を命じた者、これを黙認した者がいる。その者たちが日本を裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか」[清田、p49]
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ミチ: ブレイクニーさんの主張、ズバッと本質を捉えていてスカッとしますね!! 被告人として出廷していた日本の指導者たちもこの発言には勇気づけられたのではないですか?

岩吉: ところが、そうなりませんでした…。東京裁判では、英語と日本語で発言が聴けるように通訳された言葉がイヤホンで聴けるはずだったのですが、ブレイクニーさんの発言の時に、同時通訳が故意に停止され、しかも日本語の速記録にもこの部分のみ「以下、通訳なし」と記載されていたからです。

ミチ: イヤホンが壊れたわけではないんですね!? とすると、わざとブレイクニーさんの発言を日本人に日本語で聴かせたくないと考えた人がいる…ということでしょうか?

岩吉: 残念ながらそれが真実かもしれません。ブレイクニーさんは、この発言の他にも、日本が交渉に最後まで望みをかけていたことや、日本の真珠湾攻撃をアメリカは日本の電報を傍受して知っていた事実を指摘しました。
 ̄ ̄ ̄

■6.インドのパール判事の合掌

岩吉: 裁判官にも、日本人全員無罪を主張した方がいました。インド人のラダ・ビノード・パール判事です。

 パール判事は独自に判決文を作成しました。英文で1200ページを超える大作で、第一部~第七部に分類されています。判決文の内容は膨大、緻密で、要約は大変困難ですが、簡単にまとめてみますね。

【第一部「予備的法律問題」】
 裁判官の構成が戦勝国の判事のみでよいのか?という疑問や、当時の国際法に照らして考えると戦争自体を不法行為とは言い切れないにも関わらず、事後法をつくってまで、日本に罪を着せられるのか?という疑問を述べています。しかも、敗戦国の日本だけに罪を適用できるような方法は、どんな根拠を持ってこようと正当化できないとも書いています。

【第二部「侵略戦争とは何か」】
 侵略戦争は認められないが、国家を守る自衛戦争であれば認められるという考え方があります。しかし、そもそも「侵略戦争と自衛戦争の区別」はあいまいで、きっちり分けられません。そして、日本が大東亜戦争に突入したのは、当時の国際社会や拡大する共産主義の問題、対日経済封鎖の重圧など多様な要因があったからであり、今回の戦争を日本の一方的な侵略と判定できないと結論しています。
__________
清田直紀『なぜ、日本は戦争したのか? ~17の質問から読み解く歴史物語~』、アメージング出版、R06
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4910782931/japanontheg01-22/
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【第三部「証拠及び手続に関する規則」】
【第四部「全面的共同謀議」】
【第五部「裁判所の管轄権の範囲」】(以上省略)

【第六部「厳密なる意味における戦争犯罪」】
 起訴されている日本の指導者たちが、捕虜を虐待したり、非戦闘員の大量殺戮を命じたりしたという証拠は提出されていないとも指摘しています。逆に、連合国のアメリカが実施した原爆投下による非戦闘員の大量殺戮こそ違法であると述べています。

【第七部「勧告」】
 この裁判は「法律的外貌はまとってはいるが、本質的には、ある目的を達成するための政治的裁判」にすぎないとし、裁判に名を借りた連合国による日本への復讐にすぎないと指摘しています。

ミチ: パール判事の考え方はとてもわかりやすいですね。要約文でもこんなにスッキリした論理が伝わるなら、実際の判決文はきっと完璧だったんだろうなぁ~と感じました。

岩吉: そうですね。この判決文は長い時間と労力をかけて書かれました。パール判事は東京裁判が行われていた約2年半、日本の政治体制や戦争、国際法などの法的根拠の調査と執筆に専念しました。参考書籍はインドから取り寄せたり日本中でも集めたりして、約3000冊にもなったと言われます。まさに「心血を注いで書き上げた判決文」です。

ミチ: パールさんは日本を守ろうと一生懸命に弁護してくれたんですね…!

岩吉: パール判事は入廷時、日本人の指導者たちに向かって合掌してから席についていたと言われています。言葉は交わせなくても、態度で敬意を示してくれていたと考えられます。

 パール判事は日本人の味方であるだけでなく、国際法学者として法の真理や国際法による秩序を大切に考え行動していました。パール判事は、11名の裁判官のうち唯一の国際法学者であり、その誇りを持って裁判に臨み、「日本人全員無罪」の結論を堂々と出しました。

ミチ: パール判事にとって東京裁判は、国際法学者としてのプライドをかけた戦いだったんですね…。私がパール判事の判決文によって東京裁判への認識が深められたように、パール判事の存在や判決文は、今生きる日本人、未来の子孫たち全員に知ってもらいたいと思いました!
__________
JOG(59) パール博士の戦い
 東京裁判のインド代表判事として全員無罪を主張。「日本の子弟が 歪められた罪悪感を背負って卑屈・退廃に流されてゆくのを、私は見過ごして平然たるわけにはゆかない」
https://note.com/jog_jp/n/n4fff60140cb1
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■7.日本には「A級戦犯はもういない」

岩吉: 昭和26年(1951年)にサンフランシスコ講和条約が結ばれ、翌年に日本が独立を果たすと、「苦境にある同胞を救いたい。名誉を回復させてやりたい」という国民の願いが大きなうねりとなり、日本中に広がりました。そのうねりは署名運動へと発展。署名運動が始められると、戦争受刑者釈放運動は大いに盛り上がります。集められた署名は4000万人分に達しました。

 このような国民の願いを受けて、政府は国内で服役中の戦犯の仮釈放及び諸外国で服役中の戦犯を送還する措置について各国と交渉をスタート。そして紆余曲折を経て、服役中の人たちは釈放。戦争裁判で死刑になった人たちは国会決議で「公務死」となりました。 死刑になった人たちの死は、戦争における「戦死」として扱われることになります。

 この事実は、当時の日本人と国会が東京裁判を「一方的で不公正なもの」として否定した意志の顕れです。国会の議決により「A級戦犯」という汚名はすでに晴らされています。このような事実を私たちは知らねばなりませんし、絶対に忘れてはいけません。先人たちは「A級戦犯」というレッテルをすでにはがしています。だから日本には「A級戦犯はもういない」のです。

「事実を知り、先人の想いを想像し、自分の頭で考える」という姿勢で歴史を捉え直せば、歴史は私たちに勇気と 元気を与えてくれる「物語」になります。 歴史を物語として大切にすれば日本人としての健全な自尊心、自国愛が育まれ、自己肯定感も高まります。
(文責 伊勢雅臣)

写真は庭の白椿


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アミガサユリ

2025-04-23 | 植物
 ろくに世話もしないのに、今年もアミガサユリが咲きました。別名「貝母」(バイモ) 。短歌教室の生徒さんから20年位前に頂きました。彼女は10年前に95歳で亡くなられ、これは思い出の花になりました。質素な色でおまけに極小輪。茶花によい花です。いろいろ枯らしましたがこの花は元気です。奥ゆかしかった彼女の遺品に思えます。



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第11回 岐阜版遊会 木版画展

2025-04-21 | 文化
 五藤さんが出品されている岐阜版遊会木版画展を、最終日の昨日、各務原市中央図書館まで見に行きました。もう11回目。とても80歳を越えている方の作品とは思えないです。今年はご夫婦で中国の九寨溝までテーマを求めて旅されました。かつて旅されたと言うベルギーのブロージュの作品もよかったです。そして難しそうな円空両面宿儺座像も。毎年欠かさず作品を出されることも素晴らしいです。今年も作品を一点頂きました。4人でいつものように食事し、茶房での話もはずみました。コロナで長く籠っていたこともあり、その反動かもしれません。



頂いた作品


ベルギーのブルージュ


九寨溝


円空像



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春の院展

2025-04-20 | 文化
 先月、春の院展の入場券を頂いていたので、最終日の前日になりましたが、昨日、友人と久しぶりに名古屋の松坂屋美術館に行ってきました。院展を見るのは15年ぶりくらいでしょうか。平山郁夫さんも他界され、ご無沙汰していました。松坂屋も一部リニューアルされ、江戸時代からの史料もある企画展も催されています。松坂屋は、1611年、呉服の伊藤屋でスタート。410年もの歴史があります。史料室が院展と同じ7階ということもあり、覗いてきました。史料室はリニューアル前はなかったと思います。隣のビルの8階で食事をしました。ここも数年ぶりでしょうか。コロナで長く隣県にご無沙汰していました。
 今朝のアクセス数にびっくり。いつも100単位ですが、なんと閲覧が3600余で訪問者が1000越え。短歌テーマはいつも少ないのに、どうやらgooブログ終了には関心があるようです。ご訪問ありがとうございます。



リニューアルされ7階にはステンドグラスも



史料室で


院展カタログの表紙とチケットになった作品


楠木正成の息子の正行


リアルな猫にくぎづけ



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公民館短歌会 207

2025-04-19 | 短歌
 岐南町南町民センターでの月毎の短歌会も207回目。2004年からスタートして、20年が過ぎました。ブログも20年。毎回ここに紹介してきました。しかしこのgooブログは不況のためか、今年度で閉鎖されます。歌会の皆さんにも伝えましたが、残念なことです。外国人が管理するFBなどは経済が好調なのか、終了になることはありません。ブログを開始した最初の理由が、短歌会を記録することが目的でした。趣味人倶楽部というサイトにもFBにも同じ内容を書いているため、さして影響はないと雖も、突然の閉鎖予告にはショックです。書籍化することも考えたいです。

今月の作品
「おばあちゃん帰らないで」と抱きついて吾を離さず帰りは辛い   Hさん

写真は廣拯院のトサミズキ



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7年ぶりの日本語セミナー

2025-04-18 | 学校
 昨日から放送大学の日本語セミナーが7年ぶりに再開されました。岐阜大教授の山田先生はお変わりなく講義を進められました。ズームと同時進行。7年前のメンバーとも再会。ズームで受ける方も多くて、人気の高さにびっくり。ご自身の著書「日本語のしくみ」により、授業が進められました。日本語の「ん」は、外国人には難しいらしいです。次に来る言葉により発音が変わるからです。千円は、「せねん」のように聞こえるらしいです。雰囲気は、「ふいんき」、原因は「げえいん」と書いてしまう小中学生も多いとか。スマホの辞書によるともう「ふいんき」は認められているとか。先生はイタリアで日本語を教えておられた経歴の持主ですが、世界各国の言語に詳しくて、昨日は韓国語にふれられたし、終わりの挨拶は「アウフ・ビーター・ゼーエン」と、ドイツ語で締めくくられました。現在、中日新聞に岐阜の言葉(美濃ことば・飛騨ことば)を連載しておられます。地方紙の購読は止めていることから、短歌教室の生徒さんにコラムの切り抜きを頼んでいます。飛騨ことばにある「・・・してたもれ」は1000年前の日本語とか。

写真左は山田先生の著書のテキスト。右は放送大学図書室で借りた本。下は中日新聞のコラム。




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