高見山
知立神社の次は豊田市の重要文化財の喜楽亭を見学。最近文化財指定されたことを夫の友人の建築家・Kさんから聞いていたのです。徳川園カフェも指定と聞き、食事がてら出かけました。徳川園でランチの後、重要文化財の隣のカフェでコーヒーブレイク。どちらのお味も上々でした。徳川園オープンの記事は、2004.11.27.
ここまで来たら徳川美術館にも、10年ぶりに入館しました。10年の間に蓬左文庫も美術館内に移動。まとめて拝見きるようになっていました。初音の調度はこれまで何度も観たのですが、全体は初めて。胡蝶の調度も加えられ豪華絢爛。殆ど国宝に指定されています。香道のお道具は特に素晴らしかったです。
K先生からの葉書
喜楽亭のちらし
喜楽亭の欄間彫刻
喜楽亭の茶室の窓
徳川園のちらし
食事を待っていると眼下では挙式後の新婚カップルが・・・
前菜
メーンの肉料理
デザート
コーヒー 夫は紅茶
カフェの天井部分
美術館入口のフタバアオイ 他は撮影禁止
昨日は先週に続いてまた、三河地方に出かけました。知立駅に近い知立神社。三河八橋とは離れています。花菖蒲のシーズンにあわせて。花菖蒲を見に行ったのは30年ぶり。三田市の永沢寺(ようたくじ)以来でした。知立神社は歴史深いところで、鎌倉時代の舞楽の面や、室町時代の能面があります。また、2年に一度山車文楽と山車からくりが催されます。境内には重文の多宝塔もあります。花菖蒲には少し早かったのですが、見るべきものが多かったです。
多宝塔
石橋の向こうに見える本殿
山車模型
鎌倉時代の舞楽の面
室町時代の能面
一昨日、夫の友人のKさんが窯場に行こうと私達を誘ってくれました。窯の名前も言わないでとにかく可児市方面へ。途中の美濃加茂市には、坪内逍遥生誕地の標があります。山道に車で入って行きますと、突然現れたのは、安藤日出武親子の窯。丁度窯に赤松の木をくべられるところでした。6日間昼夜を問わず、5分毎に薪を投入。1200度に保つために・・・以前備前焼と丹波焼の窯元には行きましたが、焼成中は見たことがありません。やがて先生は近くにあるお住まいにも案内。親しくお話を伺いました。黄瀬戸茶碗に点てて下さったお茶は美味しかったです。
毎朝墓所に参り、般若心経の写経をしてから仕事に入られます。上の写真は頂いた般若心経。本宅は多治見市。荒川豊蔵と同じく桃山時代の志野をめざしておられます。NHKにも出られました。
タモリの番組にもでられ、その日は多治見市が41度の日。タモリは、「窯の温度が1200度だから、1241度ですね」と冗談を言ったそうです。
この日は窯場を新聞記者が取材していました。北の湖も稽古場に飾りたいとここを訪れ注文。妙心寺官長も、東大寺の清水公照氏とも親しかったそうです。安藤先生は、伝統工芸展に入選され、息子さんは日展特選。Kさんは、先生と40年のつきあいとか・・・
窯に薪を入れる息子さん
窯の蓋を閉じて5分待ちます
登り窯でなくて穴窯といいます 左端の煙突からは黒煙が・・・
作業場
窯場近くのご自宅
玄関の絵は古川元県美術館長作 置物も安藤先生作
応接間にある作品 志野 黄瀬戸中心
茶碗は黄瀬戸 お皿は別のガス窯で焼かれたもの 卓は栗の一枚板
昨年九月に噴火した御嶽山が家の二階から見えたはずですが、なかなか捉えられなかったです。余りにも遠くて・・・望遠を最大限にしてみると、朝日が昇る直前に朝焼けに浮かびました。微かに写っていますが、噴煙は垂直に上がっています。肉眼では全く見えないです。逆光だから捉えられたのでしょう。5時前撮影。
東南東と言いましょうか、明治生まれの祖母から聞いていた富士山の見えた木曽川上流方向です。でもいろいろ調べて見ると、愛知、三重では見えても岐阜からは決して富士は見えないので、御嶽と勘違いしていたようです。
行方不明者の捜索は夏から再開されるようですが、いたましいことです。 合掌
玄関のバーベナ
夏が一足飛びに来たような暑さが続いていましたが、ここしばらく涼しいですね。昨日も快適でした。日にちの変更で欠席者もありましたが、短歌会を開催。いつものように万葉集から皆さんの作品批評に移りました。万葉集はようやく五番歌の解読が終了。この歌では、ぬえ鳥が「トラツグミ」であることを知りました。また、藻塩の海藻はホンダワラであることを説明。今でも万葉時代のままの製塩法、つまりホンダワラに海水をかけて焼いて塩を作られているところがあるようです。瀬戸内海地方で・・・五番歌の舞台は香川県坂出市です。
今月の歌
若き日をふり返りみれば消しゴムで消してしまひたき事のありたり Mさん
昨日届いた歌人からの葉書 源氏物語紅葉賀の巻のうた
先日美容院で撮らせてもらったスミダノハナビ
これも美容院で
美容院のクジャクサボテン
放送大学心理学セミナー昨日の講師は、中国文学の安東先生。テーマは当然論語。その中でも、「仁者」、「知者」、「君子」に絞られました。2014.11.21の続きです。話題の一つは、1972年の日中国交の場面にまで遡りました。中国は前からしたたかだったのです。
論語 子路篇 二十章の中の一節 「言必信行必果」 (言えば必ず信・・・)を、周恩来は色紙に書いて、中国訪問した田中角栄に贈呈しました。でもこの後に続くのは、「硜硜然小人也」 (硜硜然として小人なるかな)。田中首相の側近は漢文に無知な人ばかりで、これを喜び、有難く頂いてきました。向こうは試すつもりではなかったかと思われます。拒否すればまた別の色紙が用意してあったかも・・・漢文の素養のある側近が一人でもいれば、侮蔑されたことを見破ることが出来たのに・・・
当時中国は、ニクソンの率いるアメリカとも仲良くせねばならなかったし、日中外交もどちらも必要な時代でした。田中首相と大平外相は、必ず調印しなければならないという使命が、日本側にもありました。このような時代に、周恩来は田中角栄を蔑視していたのです。論語も知らないのかと・・・
テキストの一部 8頁あります
花束贈呈のあとで
食事会 先生は前列右から3人目
放送大学の友人Kさんの奥様が東海伝統工芸展に出品されていて、チケットも頂いたので、最終日の昨日高島屋に出かけました。人形部門に出品されていると聞き、まずそちらから・・・とてもすてきで欲しくなり値段を見たらなんと、12万円。趣味の域ではありません。とても無理でした。人形部門では岐阜県ではただ一人。後は愛知、三重の人でした。
Kさん作のお人形「春が来た日」
鉄線で編んだお皿 はじめて見ました
〆るのがもったいないような帯〆
陶器の染付の手順
杉皮の箱もすてきでした
昨日は、長屋門展示室に思いがけない来客があり、ともかく在宅していてよかったです。夫の友人のOさん御夫妻。頂きものの多い日でもありました。Oさんからはケーキ。Wさんからは、去年に続いて皇居の清掃奉仕に行かれたそのおみやげも・・・信州にも行かれたようです。菊の御紋の入ったお菓子と、小風呂敷。タイミングよくこのお菓子は抹茶とともにOさんにお出ししました。
昨日紹介を忘れた名鉄ラッピング電車を最下段に・・・三河の岡崎は、家康没後400年で盛り上がっているのです。
皇居清掃のおみやげ 信州も行かれたようです
三河八橋に行く道で撮った花々
見事なブラシの木
ハクチョウソウ (ガウラ)
花菖蒲
マツバギク
名鉄ラッピング電車
昨日は、20年ぶりに伊勢物語ゆかりの地であり、かきつばたで知られる三河八橋を訪ねました。20年前と比べて花は激減し、時期もは終わりに近づき人もまばらでしたが、前回行かなかった業平供養塔と、在原寺、そして鎌倉街道にある根上がりの松も見ることができました。史跡保存館では、これまで知らなかった方巌売茶翁のことも学びました。少しがっかりしたことは、観光のためでしょうか、大きな業平の銅像が庭園に建てられていたこと。周囲の景観とあっていないような・・・前はなかったのに・・・
方巌売茶翁によって煎茶が日本に広められ、その原点が八橋でした。煎茶文化のふるさとでもあったのです。売茶翁の遺品も展示。売茶翁は伊勢物語を読んでいたようです。
着いたときかわいい巫女さんが舞っていました
業平池 石碑が傾いていました 右端の屋根は茶室
業平井戸
業平銅像と歌碑
在原寺の業平竹 鎌倉街道の根上がり松
業平供養塔