つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

米寿記念出版

2024-04-13 | 
 一昨日、元岐阜女子短大学長の杉山道雄先生から米寿記念冊子「柳戸、桃林、桐野の記」が贈られて来ました。岐阜以外の方は分からないかもしれないです。これは、大学の所在地なのです。柳戸は岐阜大学。その後、桃林の岐阜女子短大学長を務められ、桐野の東海学院大学の学長も務められました。
 もともとは30年前に他界した父の教え子でした。とても長いおつきあいとなります。私ともご縁がありいろいろな交流が今も続いています。
 父が生前、岐阜大の教授であったころ、杉山先生は九州大学大学院生でした。父はある時期、頼まれて宮崎大学へ夏休みに非常勤講師に行っていました。その時父は九大に寄り励ましたようです。
 女子留学生日本語弁論大会に岐阜女子短大学長室に行き、協力をお願いしたのがきっかけでした。今はサンサンの会でお目にかかっています。あるページには、元岐阜県歌人クラブ会長だった故小瀬洋喜先生とのことも書かれてあり、その繋がりも分かりました。
 米寿での回想記ですが、世界をまたにかけてのご活躍の足跡がしのばれます。先生が研究発表された卵についての論文は世界でファーストでもセカンドでもなくオンリーワンだそうです。岐阜大学農学部には、家禽畜産学科が26年間ありました。これはオンリーワンの学科で世界中から視察があったようです。世界中に学者のお知り合いが多いのもそういうことからです。



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がんが自然に治る生き方

2023-09-24 | 

 最近友人から「がんが自然に治る生き方」という分厚い本を借りて読みました。著者は米国の女性医学博士。癌を医学に頼らず自分の意志で克服した1000人以上の人を世界中から聞き出して一冊にまとめられました。本を貸してくれた友人も、癌宣告以来この本に触発され生き続けています。医師に睨まれながらも。

 末期癌を放射線医療や切除によらず、食物療法や、ハーブ、鍼、などで克服するにはよほどの強い意志と決意が必要であることが分かりました。本の中には日本人も紹介されています。

 生きたい理由は、自分は絶対今死ぬわけにはいかないという固い決意です。そしてあらゆる方法を模索されます。まず死なないというプラス思考で生きることと、医師の治療を拒否することに始まります。

 霊性と言う言葉も見つけられます。瞑想をするとメラトニンの分泌が増えるそうです。免疫システムがじっくり時間をかけて細胞修復や排毒の作業にあたるのは、睡眠中だけです。癌患者のメラトニン分泌レベルは危険域といわれるほど低いそうです。瞑想などの実践が癌と戦うのを支援する仕組みが解明されるなもしれないとか。

 瞑想などの魂のエネルギーとつながるための実践を続ければ、健康を増進する遺伝子の発現はオンに、不健康を促す遺伝子の発現はオフにできるかもしれないと言うのです。

 本に登場する全員が一つの方法では治るものではなくて、九項目のうち、八つか九つの要素を実行して、中にはそれ以上の治療をされていたようです。多角的に癌に向かっておられました。身体・心・魂の三位一体システムも多角的な構造を持っているという訳です。(400ページ プレジデント社) 

 しかし、実際自分が癌にかかったと仮定してもここまで固い決意はできないような気がします。

 追記; 訳者の長田さんも癌を患っておられることから、和訳されました。これを訳する仕事が訳者としては最初の仕事でした。著者のDr. Kelly A. Turnerさんの開かれているサイトを参考までに記します。ここで検索しますと、癌の寛解事例が確認できます。

WWW.RADICALREMISSION.COM

 

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東京裁判はでっちあげだった

2023-02-07 | 

 最近ネットで知り合った女性が推薦されていたことから、「東京裁判はでっちあげだった」という本をアマゾンに注文しました。絶版になっているのが残念です。古書を取り寄せました。日本人に是非読んでほしい本です。あまりにも自虐的になりすぎているので。この著者(北岡俊明氏) のように気概を持ってほしいです。これを国民が読み、受け入れれば、韓国や中国に侮られることはないでしょう。侵略であることを受け入れる風潮が残念です。いかに米国が狡猾であることが理解できます。

 米国のある裁判官が原爆は国際条約違反であるという発言をしたのですが、この部分だけ米国側は日本語通訳を勝手に停止しました。後年内容が明らかになりますが、ずるい卑怯な国であることがはっきり証明できます。

 戦勝国が敗戦国を裁くのは世界史上、ドイツのニュンベルク裁判と東京裁判とが初めてであった。しかし、東京裁判は、ニュンベルク裁判の安易な極東版であった。すなわちナチスドイツと日本を同一視した東京裁判は、大きな間違いの始まりだった。(p2) 

 上海事変の発端は中国人であること。南京事件で日本人が34万人も殺したという嘘の情報も受け入れて、今日に至っているのが残念です。当時南京の人口が20万人であるのにそれ以上の数字があるはずはありません。

本文より

 左翼マスコミはしたり顔で言う。サンフランシスコ講和条約で、東京裁判を受諾したのだからこの裁判は正しかったのだと。しかし、これこそが負け犬や奴隷の発想であり、科学的、論理的な発想ではない。p3

 アメリカに日本を裁く権限も権利もない。日本を裁いたのは、欧米人のアジア人に対する偏見と差別以外の何物でもない。東京裁判は、アジアに対する蔑視の発想が、まだ色濃く残っていた、偏見の時代の遺物としての裁判である。p4

 有色人種インド人のパール判事は、この裁判の中に欧米人の偏見と差別を見たのである。だからこそ、日本無罪を主張したと、筆者は推測している。p4

 昭和20年8月8日、ソ連は中立条約を破って満州に侵略してきた。ソ連が東京裁判で判事や検察側になり日本を裁くのは笑止のかぎりである。日本の侵略戦争を非難し裁く権利も資格もソ連にはない。厚顔無恥とはこのことをいう。しかも60万人以上の日本兵を捕虜としてシベリアに抑留し、過酷な労働を強いた。その結果6万人以上の人間が飢えと疲労で無念の死をとげた。これは明らかな国際法違反である。捕虜の虐待である。p280

 サンフランシスコ講和条約の第11条は、昭和26年9月8日の締結から昭和33年12月29日の釈放までの期間を拘束するものであった。1000人以上の刑が執行された。不当であろうと、妥当であろうと、東京裁判の判決の執行はすべて終わった。この存在しないものを非難するのは頭がおかしいとしかいいようがない。中国人や韓国人は、思考力・考える力が欠けているか、頭脳や脳というものが欠落しているのに違いない。 

 法律上も実体もすでに存在しないA級戦犯が祀られているからと、靖国神社参拝を非難するのは、近代法を解せぬ野蛮人である。刑が終われば刑が終わりである。さらに時効という概念もない。中・韓は非近代国家であり、非近代国民である。  p290

 

 以下は、ネットでの知り合いで本を勧めてくれた、Mさんの記事の一部です。 

ナチスドイツの犯罪とは根本的に異なる
・・・ナチスの犯罪つまり人道に対する罪は、正確にいうと、戦争とは直接関係のないことであり、本来の戦争犯罪ではない。ある民族の計画的な絶滅的プログラムであって戦争ではない。第二次大戦という戦争を隠れ蓑にして、その計画を大規模に実行したのである。(中略)

 日本の戦争犯罪をドイツと一緒にしては間違いである。
  (中略)
ナチスの罪は言い訳が許されない残虐行為である。しかし、日本の行為は戦争によって発生したものである。日本だけでなく、古今東西の歴史の中で、無数に存在したものである。日本が犯したとされた犯罪は戦争犯罪であり、しかも、それは戦争に必然的に伴うものである。ゆえに、日本の戦争犯罪が問われるならば、連合国の戦争犯罪も問われなければ、正しい裁判とはいえない。
     P64~66
**********************

↑で何がそうすっきりした文言なのかというと。
日本人だけが特別に残虐で残忍で目も当てられぬような殺戮を犯したという非難を浴び、それに対して他国の偽情報であると強く抵抗する時、必ず返答されるのが<独りでもやったなら駄目なんですよ!>という言葉。
そう言われれば、そりゃ戦地及び国内においても、兵隊も一般国民も含めて、なにか起こっていた事は具体例を挙げられずとも全くもって皆無だったとは言えない。言わない。

ことさらに日本だけを非難し批判し、裁かれて、未来の天皇誕生日を処刑日に選定した連合国側の対応について、なぜにここまで、現代の今の今迄、ひたすら打ちのめされ続けなければならんのか!という事なのだ。

どこもみな同じだから日本も非難される必要は無い、そういう考え方ではない。しかし、戦争時における非常事態の発生を人間の弱さとして認識できるかどうか、それを正当に良くも悪くもどこででも起こる、だからこその非常事態であるという事が言いたい。

そして、日本の軍隊や国民含めて、日本人は日本国として皆で力を合わせて戦ったと胸を張りたいのだ。
誇りは揺るがない。
その思いを、間違って認識し苛まれている人たちに伝える文言を持ち得なかった昨日までの自分にようやく訪れた解放の喜び、これを今記し終えたということなのである。

302頁。総合法令出版株式会社発行

 

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あいちふだんぎ

2022-11-29 | 

 「あいちふだんぎ」は、東海地方に在住する中日新聞読者による文集です。この本の存在は新聞記事によって知っていました。表紙を見開いた第一ページに、五藤さんの版画作品が掲載されているため、彼にも贈呈されたようです。これを今借りて読んでいます。彼は発行者と同じ笠松町にお住まいのため、版画を依頼されたのでしょうか。さすが、版画作品もぴったり収まっています。

 ページをめくると、岐南町短歌会の伏屋さんの作品もありました。彼女に尋ねてみると、知り合いの愛知県の人に誘われ投稿されたとのこと。更にページをめくると、東海地方ばかりでなく、全国から投稿されています。恐らく提携している地方新聞を通じて全国に広がったのでしょう。北海道が最多。関東、東北、関西、四国、九州と続きます。

 編集者のモットーは「下手な文を書け!」とか。生活作文もそれぞれの人生があり、なるほどと思いながら拝読しています。驚いたことは、一人で数回に分けて投稿し、ガンに効く水のことを書かれていて、命がけで情報提供しているTさんのことです。Tさんご自身が63歳でガン宣告をされ、このゲルマニウム健康法により、90歳まで生き延びられているのです。癌患者に耳よりな情報でした。27年前の末期ガンから生還された記録です。

 「あいちふだんぎ」は、半年毎の発行で、今号は、NO87. 111頁。創刊は、1980年。投稿料は4000円。売価は1500円。申し込みは岐阜県羽島郡笠松町下柳川町67の堀j昌逸さんです。

 

五藤さんの版画作品

 

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80歳の壁

2022-11-22 | 

 英会話のエランガ先生の勧めにより、「80歳の壁」を読もうと、アマゾンに注文しました。翌日配達の便利さで、駅前の書店にゆくこともなくなりました。そのうちその店は閉店。岐阜市内の他の老舗書店もなくなってしまいました。

 この本を読むと80歳でも希望が見えてきました。先生はこの本は若い人にもよいと勧められていた理由も分かりました。いくら医師でも著者の若さでは、老いのことは分からないだろうという考えは間違っていました。

 著者は老人の患者を多く診られてよく理解されています。高齢者と書かず「幸齢者」と呼んでおられます。この年まで、何もトラブルもないとは、万歳という訳です。読んでいくうちに元気が出てきました。

 80歳まで寝たきりや、要介護にならなければ、血圧、血糖値の値はそのままでよいとか。いろいろな薬は飲まなくてよいそうです。闘病ではなくて、共病(with) にすればよいとか。Let it be という訳です。脳の前頭葉には刺激を与えた方がよいそうです。記憶力は年齢ではなく、使わないから落ちるのだそうです。運転免許証も返納しなくてよいそうです。

 80歳の壁は高く厚いが、この壁を超える最強の方法は、「嫌なことは我慢せず」、「好きなことだけをする」、「食べたいものを食べる」のだそうです。エランガ先生は、昔から好きなことしかしていないそうです。和田秀樹著。玄冬舎新書 。226頁。

 

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久野治記念歌集「白寿」

2022-05-09 | 

 今年99歳になられた著者の久野治氏から歌集「白寿」が、このほど送られて来ました。岐阜県歌人クラブ紙の知り合いで、著書多数。織部の研究家で、その方面の著書により賞も獲得されています。三菱重工退職後、文学の道に志され、短歌、作詞、それに絵もたしなんでおられます。

 夏の気温が日本最高である多治見市の地を離れ、近年琵琶湖畔の高層住宅に住まわれています。短歌は14歳から詠まれていて、陶芸関係の作品が最多です。下に順に挙げましたが、この他にクラシックコンサートを詠まれたものもあります。巻末には6曲の郷土の歌の作詞作品があります。これからも長生されることを祷ります。

一握の 陶土を柩に 入れしとう 天にて轆轤 まわし給うか     (陶芸家・加藤唐九郎)

蜩も 啼きつくしたると 思うとき 卒寿をまえに 母逝きにける

そのむかし 利休の首を さらしたる 戻り橋あと 春の雨降る

若き日に 征きたる東西 西ドイツ 既に貧富の 差はひろがりぬ

窯神の 供えの水・塩 こぼれけり 攻め焚き一気に 地ひびき立てる

高台の 下石小学校 そのむかし 田中邦衛 が教鞭とりたり  (俳優 田中邦衛)

窯の火は 冷ましに入りて ふと見上ぐ 染井吉野は すでに七分か (第3回岐阜県文芸祭文芸大賞)

そのむかし 佐藤一斎の 言よろし 「春風をもって 人に接す」と

頑張ったね と言ってやりたし 一人孫 われらが一族 少子にあれば

大比叡の 山の麓に 庵むすび われの余生は 歌詠み人か

 著者は、三菱重工にてゼロ戦の制作に携わっておられた昭和19年徴兵を受けられ、フィリピンに派遣される途中、米軍の攻撃にあい、船が大破。15時間漂流の後、友軍に助けられました。その後台湾で軍務をされ終戦となりました。中日出版発行。192頁。

下段の写真は昨日の母の日に届いた長男夫婦からのプレゼント

 

 

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午(うま)歳生まれは強運すぎる人

2021-10-28 | 

 「午(うま)歳生まれは強運すぎる人」の著者は勿論午歳。1954年午歳生まれの大和古流21世当主の友常貴仁氏です。香道、茶道、剣法、弓道まで文武百般を継承する家柄で著書多数。夫が知らぬ間に買っていて、断捨離の寸前で私が見つけて読みました。夫の干支は午でなくて、寅。私と長男が午歳であるため買っていたのでしょうか。

 確かによいことずくめが書いてあり、面はゆいです。午歳は、楠木正成、織田信長、大伴家持、藤原定家、日蓮、千利休、左甚五郎、関孝和、福沢諭吉、松下幸之助、本田宗一郎、田中角栄、チンギス・ハーン、カール大帝、ニュートン、ショパン、メンデル、ルーズベルト、レーニン、金正日と続きます。それに聖徳太子まで。

 考えてみればこれは全部男性です。でも著者は女性では秋篠宮紀子さま他を挙げておられます。わが家の長男と同じ年で、この年は丙午とかで、騒がれて、私は生むまで陰で「女だったらどうする気」とささやかれていたそうです。昭和41年(1966)年は、まだそういう時代でした。事実この年は出生数が低く、息子のクラスの人数も極端に少なかったです。この本によれば八百屋お七の丙午の話はいいがかりで何の根拠もないそうです。プラス思考で書かれているのがよいと思います。馬頭観音とか絵馬とかのいわれも詳しく書かれていて面白かったです。午歳の男性が読むと勇気が与えられます。

 一つ気がかりなのは、著者はまだ60代のはずですが、調べてみると、書かれいてるブログが4年前でストップしたまま。どうされているのでしょうか。

 

 

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食の世界

2021-05-30 | 

 旧知の岐阜大学名誉教授・前岐阜女子短大学長・前東海学院大学学長の杉山道雄先生から翻訳書「食の世界」―食料システムにおける産地、力及び由来ーがこのほど贈られて来ました。コロナ禍で先生を中心とした燦餐の会(食に関する学習会) が開かれなくなり、お目にかかれなくなってしまいました。著者はケヴィン・モーガン他2人。翻訳者は杉山先生他6人。亡き父の古い教え子の杉山先生から専門書を頂くのは面はゆいです。

 最初の方に、「農業食品流通チェーンには厳密な規制が敷かれている中で、一番劇的な変化が起きた国が英国で、牛海綿状脳症や口蹄疫・・・」という記事があり、このニュースを英国旅行中に聞きました。帰国したら狂牛病のニュースが流布していました。確か、mad cow diseaseと向こうでは言っていました。平成6年のことでした。(今ではBSE 日本での発生は平成13年)

 中ほどに読み進めると、トスカーナ料理のことが書いてあり、15年前、二度目のイタリア旅行の時、フィレンツェに行ったことを思い出しました。l料理にはオリーブオイルと豚肉が使用されます。オリーブオイルは、トスカーナ地方の伝統的産物より典型的な産物になっているということなど・・・

 豚肉の保存には地下貯蔵室の冷たい大理石が用いられるとは意外でした。豚の脂肪は、岩塩とピンク色のニンニクやコショウ、ローズマリー、ネズの実などさまざまなハーブの層で覆われますます。最高級の食材である「ラルド」はこうして作られます。塩漬けを始めるために小さな厚切りベーコンを上に載せ6-9カ月後に食べられます。大理石の中で熟成されるのです。

 半透明で白くピンクで冷たく縞模様のある柔らかな感触の最終製品は、最高級品質の大理石に似ているそうです。(ラルドはネットで日本でも取り寄せられるようです)。残念ながら旅行した時は、ラルドの存在は知りませんでした。本全体に多く見られた言葉は、オルタナティブでした。287頁、筑摩書房。

 

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Zooey's Diary

2021-05-12 | 

 リンクしている同名のブログが、今回書籍化されました。「Zooey's Diary」。副題は、「毎日何か面白いことを」。著者の白木淳子さんは、夫の姪にあたることもあり、コメント交換などしています。法事などでも会うこともありますが、ここで交流していることもあり、ご無沙汰のご挨拶もいりません。人気ブログだけにアクセスも桁違いに多いので、一冊にまとめる価値があります。彼女が自身のブログで本発行の記事を書いているのを見て、すぐアマゾンに注文すると、翌日配達。彼女に本を注文したことをコメントで伝えると「プレゼントする予定なので取り消して・・・」とショートメール。でもそれも面倒だし、取り消しの体験もないので、そのままにしていました。せっかくの好意でしたが・・・

 テーマ別に編集してあるので、ブログよりも、まとまりがあります。写真も多くて退屈しません。最初は東京散歩。私のように30年前少し東京にいた者と、30年以上暮らす彼女とは視点が違います。最後は夫君と愛犬タロウとの平和な生活のこと。二人の息子さんは都内で独立。海外旅行編は、ほとんど私たちも同じ国を訪問していて、30ヵ国。映画編は年100回も見られていて、これはついてゆけないです。共鳴したのは、「ティファニーで朝食を」くらい。読書量も半端でないほど。子供時代から本の虫でした。共鳴したのは、「100万回生きたねこ」くらいでした。能楽、歌舞伎、オベラやコンサートのことも。FBでの外国の友人との交流も書かれています。英語も堪能。記事はまだ地方の国内旅行もあるはずですが、省略されています。幻冬舎刊。216頁。

 

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奈良万葉の旅百首

2021-03-23 | 

 「奈良万葉の旅百首」というの本が、月見草会員の前田さまから送られてきました。今はあまり歌を出されていません。奈良にお住まいで元郵便局長。35年くらい前、万葉にゆかりのあるところに案内して頂いたこともあります。左上の記念切手は、平成20年洞爺湖サミットのもの。郵便局長であられたこともあり、嬉しい記念切手です。前田様の記事の紹介が遅れました。

 この本の監修は上野誠先生。先日(1/20) NHKEテレにも出演されています。著者は、奈良まほろばソムリエの会の方々。歌には、原文と書き下し文があり、遺跡の写真が出ていて、詳しい地図もあり、その解説者が異なるのです。60人くらいの方が原稿を書かれています。ご自分の得意とする個所を選ばれたようで、懇切丁寧に解説されています。なお、前田様は、NPO法人奈良まほろばソムリエの会会員です。創立10年を記念して出版されました。

 これを読むとまだ未訪の地点が多いことに気付きました。奈良のあちこちに犬養孝氏の万葉歌碑が見られます。その第一号が甘樫丘のものらしいです。采女の袖吹きかへす明日香風・・・(1-51) ですが、この歌碑が建立されていたかおかげで、8階建てのホテル建設計画が白紙に戻ったそうです。京阪奈情報教育出版株式会社発行。287頁。

 

 

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