つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

日本の文化

2023-01-31 | 学校

 昨日の英会話の先生の話から。日本語の通訳者は、日本文化は必須らしいです。日本語は自動車に例えられ、ボディは日本語で、車輪は日本文化。両方並行して通訳しないと通じないということ。こんな言語は世界にないそうです。日本だけの特殊事情ということです。つまり、日本語だけマスターしても不完全ということ。それほど日本文化は重要であり、それを知らないと通訳は務まらないのだそうです。この日は朝、少し雪がちらつきましたが、みぞれとなり、夕方は止みました。

 午後は、老人会の会員さんが89歳で亡くなられたため、会長はお悔やみをすることになっているので、みぞれの中、夫の代理でIさん宅に向かいました。故人の写真に合掌し、決められたお香典を供えました。奥様の話によれば、室内で転ばれて圧迫骨折され、肺炎も併発。二日床に伏しただけで亡くなられたようです。長患いでなく、幸いだったと思います。コロナ禍の中、家族葬を済まされていました。故人のお父上は68歳で亡くなられ、それに比較すると長命だったことも幸いでした。好天の日は車で畑まで出かけ、農作業ををされる日々。つまり、生涯現役でした。

写真は我が家で収穫した甘夏。下段は頂き物の飛騨のお餅。

 

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地図から消えた日本の地名

2023-01-30 | Weblog

三輪真喜さんのメルマガより

灘・麻布・慶応で学ぶ日本のエリートほど
日本嫌いになってしまう
理由を暴露しています。

この画像は、
実際に教科書検定を合格し、
学校で使用されている
歴史教科書の地図。



パッと見た感じ不自然な様子ありませんが、
日本周辺をアップしてみましょう。


(引用:「ともに学ぶ人間の歴史」)

北京・南京・武漢・ソウル・慶州など
大都市の名前だけでなく、
寧波・天津・開城など... 
あまり耳なれない中韓の地名もたくさん... 

それに対し、
日本の国名・地名は1つも
見当たりません...

日本の子どもたちが学ぶ
教科書で日本の地名がなく、
中国や韓国の地名ばかり記載があるのは
なぜなのでしょうか?

日本の子どもたちに、
日本の地名ではなく
中国や韓国の地名を
刷り込みたいのでしょうか?

実は、この世界地図の問題、
教科書を読み進めていくと、
序章に過ぎないことがわかります。

なぜなら、この教科書、
日本人が代々受け継いできた
和暦や皇室の歴史など、

私たちが大切にしてきた価値観を
歪めて伝えようとする
思惑が見え隠れしたからです。

エリートが左翼化する理由とも考えられます。



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エニグマ暗号とハニートラップ

2023-01-28 | Weblog

渡辺惣樹氏のメルマガより

かつて“世界最強の暗号”と呼ばれた
「エニグマ」という暗号をご存知でしょうか。

第二次世界大戦のとき、
ドイツ軍が使用していた暗号です。

多くの国が暗号解読に挑むも、
長らく破ることはできず、
この暗号は“解読不可能”とされていました。

しかし、この暗号を解読する者が現れます。

イギリスの天才数学者:
アラン・チューリングです。


アラン・チューリング

アラン・チューリングによる
エニグマ暗号解読の物語は有名で、
2014年には映画化もされました。



ところが、この物語には裏があります…

多くの国が解読に挑んでも解けなかった暗号が
なぜ天才数学者一人の手によって解けたのか?

そこには「超」がつくほどの美人スパイ:
ベティ・パックによる裏工作があったのでした…


ベティ・パック

彼女は一体どんな工作を仕掛け、
世界最強の暗号解読に貢献したのでしょうか。

近現代史研究家・渡辺惣樹氏による
解説をご覧ください。


**********


From:渡辺惣樹(近現代史研究家)

※現在制作中の新講座から一部抜粋してお届けしています


英国の諜報機関:MI6が
ベティ・パックに指示したターゲットは、
ミカル・ルビエンスキ伯爵でした。

彼は、ジョセフ・ベック外相の
首席顧問だっただけに
ポーランドの外交機密をよく知っていました。

彼女は、伯爵をたった一日で虜にしました。
それほどの美人でした。


彼女は慎重でした。
ただただ伯爵のしゃべる言葉を聞きました。

帰宅すると聞いた内容を
細大漏らさずメモにして上司に伝えました。

1939年初めには、彼女から、
ポーランドはドイツの誇る最高度の
機械式暗号エニグマの解読の端緒をつかんだ
との情報を得ました。

それを知った英国は
ポーランドからの亡命者などを通じて
解読のヒントを獲得しました。


一般の歴史書では、ロンドンの北西160kmにあった
英国暗号解読施設フレッチリーパークの
専門家集団によって解読されたとされています。

とりわけ数学者であった
アラン・チューリングの活躍が知られています。


しかし、実際には彼単独の力ではなく、
MI6が張り巡らせたスパイ網を使って
収集された情報が重要な役割を果たしていました。

CIAの論文ではベティ・パックらの活躍は
次のように書かれています。

「数学の利用でエニグマ暗号の解読が
 可能であることに最初に気づいたのは
 ポーランドだった。
 ポーランドの暗号解析者は
 1939年には初期のエニグマ暗号を解いていた」

「1939年9月、ドイツはポーランドに侵攻した。
 逃亡したポーランド人解析者は、
 それまでに得ていたエニグマ暗号解読情報を
 フレッチリーパークのアラン・チューリングらに伝えた」


こうした事実は歴史の細部です。

そうした歴史の細部にこそ、
合理的な歴史解釈を可能にする
ヒントが隠れているのです。

私たちが知っておくべき
細部は多岐に渡ります。

そのうちの一つが、
一般の歴史書ではほとんど現れない
女性たちの存在です。


連合国のために体をはって、
ハニートラップをしかけた女スパイたち。

共産主義こそが人類の理想の政治形態だと
愚かにも信じ込んだ女性たち。

そうした女性たちの未熟な理想主義が
世の中をどんどん悪い方向に進めていきました。


私たちは、彼女たちがいったい何を考え、
何をしてきたかを知ることで、

私たちの現代社会までも
歪められていることに気づかされます。

女性もけっして優しくはありません。

男と同様に、強か(したたか)で
ずるい存在であることも知るでしょう。

歴史の細部ではありながら、
そうした事実が私たちの生きる
今の時代に重大な影響を与えています。

現代の諸相を理解するには
本当の歴史を知らなくてはなりません。



<重大発表>

歴史の分岐点となる
重要な局面で密かに暗躍し、

自らの美貌や話術を武器に、
戦争指導者たちを狂わせた存在…

それが“女スパイ”だ。

歴史を狂わせてきた女スパイたちの
6つの物語が解き明かされる!


真珠湾攻撃を作った英国MI6の美人スパイ…

ソ連スパイを束ね上げた赤いスパイクイーン…

ホワイトハウスを狂わせた大統領夫人…

米国を戦争に引きずり出したチャーチルの娘…

中国共産党に尽くした毛沢東の愛人…

首相の母としてカナダを赤く染めた女…


あの大戦の真相は、
“女スパイ”を知らなければ分からない。


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月見草34号

2023-01-26 | 短歌

 今年も何とか短歌誌「月見草」を刊行することができました。平成元年創刊。34年目の34号。今年は表紙絵の仕上がりが最近とても早くて助かっています。毎年のことですが、なかなか白い花どれにするかを悩まれているようです。今年は「たますだれ」。東京のご自宅でずっと育てておられます。表紙絵作者で、短歌も詠まれるTさんとのお付き合いも40年になろうとしています。

 新しい会員が二人。ブログでの友人Sさんがコメントに短歌を書いて下さり、よいものでしたので、掲載することにしました。12年前、やはりブログで知り合ったIさんと二人で来てくださり、3人で各務原市航空宇宙博物館などに連れて行ってもらいました。どうやらわが家で抹茶の接待をしたらしいのですが、古くて忘れています。

 平成28年に旅先の台湾で知り合った三重県のIさんから思いがけず6年ぶりに電話がかかり、ラインで歌が届き、再登場。彼女は新聞に投稿したり大活躍されています。サンサンの会で知り合ったMさんもこれまで作られた歌の作品を見せて下さり、会員になられました。でも昨年新会員となられた神戸のKさんはご高齢で亡くなられてしまいました。

 新年に入り原稿を仕上げ、発送し、印刷・製本がまもなく完了することは分かっていましたので、ここ数日発送準備をしていました。原稿を送り、半月で仕上げていただきました。収集していた記念切手を貼り付け、準備完了。中段の切手の写真は、平成18年岐南町町制50周年記念の式典でいただいたもの。当時民生委員をしていたので、招待されました。当地特産のネギをデザイン化したものです。

 

 

 

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明治神宮の森

2023-01-25 | Weblog

葛城奈海さんのメルマガより

大都会:東京の中心に存在する
「明治神宮」 


鳥居をくぐると、あっという間に
都会の喧騒を忘れるような空間が広がります。


渋谷、代々木、新宿の一等地に、
東京ドーム15個分もある森林が、


実は、人工的に作られたことを、
あなたはご存知ですか?


この、明治神宮の森を
設計したのは
「本多静六」という男



現在の埼玉県出身の本多は、
林学を学ぶために、ドイツに留学。


ドイツ人でさえ、4年以上かかると言われていた
博士号試験に、わずか1年半で合格。


帰国後、
日本初の林学博士として、


日比谷公園や偕楽園などの
数多くの公園設計に携わり、


「日本の公園の父」とも言われています。


そんな本多が、
明治神宮の森を作る時に設計したのが、
この図↓



よく見ると、上から(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)と書かれ、
森林の設立から、完成に至るまでの構想が、
描かれています。


最初は、すぐに成長する針葉樹が、
次に時間をかけて、ゆっくりと成長する広葉樹が伸びる...


本多は、150年かけて、
植物がどのように遷移していくかというのを計算した上で、


天然の森かと見間違えるような
森を作るという計画を立て、実行しました。


実際に写真を見ると、
設立当時に比べて、遥に生い茂った森林が、
広がっていることがわかります。


(写真左:設立当時 右:現在)



人が手を加えなくても、
森が自然と循環していき、
未来永劫続いていく
という計画は、順調に進み、


1920年に建設された明治神宮は、
すでに100年を越え、
今なお、循環していく森へと
歩んでいます。

写真は雪をすこし被った椿。積雪1cmでした。

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ペリーが来航した真の理由

2023-01-24 | Weblog

これは、西鋭夫氏からのメルマガです。

あなたは明治維新の裏の立役者とも言われる
ジョン万次郎という男をご存知だろうか?

この男がいなければ、
坂本龍馬、福沢諭吉、岩崎弥太郎といった
幕末の大物は出てこなかったかもしれない…
***


さて、海といえば…

・聖徳太子が中国に送った遣隋使・遣唐使
・260年の鎖国を破った黒船・ペリーの来航
・日露戦争での日本海海戦勝利

など、歴史を通してみても
島国日本の外交関係は
「海」の事情なしには語れません。

そこで、本日のメルマガでは、
スタンフォード大学フーヴァー研究所に
40年以上在籍する歴史学者・西鋭夫教授から
現代でも日本を悩ます「捕鯨問題」について
語っていただきました。

ペリーが日本に来航した真の理由は?
なぜ、世界は日本の捕鯨を非難してくるのか?

ぜひその真相を、以下で確かめてみてください。

日米和親条約の真相

私たちは学校で、
「日本の近代化は黒船来航から始まった」
と習ってきました。

ペリー提督が日本に来て、空大砲を撃ち、
「徳川幕府よ、開国せよ。鎖国をやめろ」
「開国せねば、江戸城を潰すぞ」
と圧力をかけた。

黒船に驚いた江戸幕府のお殿様たちは
恐れ慄き、圧力に屈した。

そして米国との間で不平等条約を
結ばざるを得なかった。

これが一般的に信じられているストーリーです。

しかし、なぜペリーたちは、
大砲を打ち鳴らして脅しまでかけたのに、
結局のところは軍事基地などを作るわけでもなく、
水や食料、燃料を求めたのでしょうか。

そもそもペリーたちは
なぜ遠く離れた日本まで
やってきたのでしょうか。

これらの疑問に教科書は答えてくれません。


鯨を求めた欧米諸国

ペリー提督が日本にやってきた
大きな理由は捕鯨です。

捕鯨をジャンジャンさせてくれる
海域と港が必要だった。

米国の次にやってきたのは英国でしたが、
英国もまた捕鯨をさせてくれるところを
探していたわけです。

民主主義や自由貿易なぞ美辞麗句に過ぎない。
アメリカもイギリスも捕鯨という
強欲に駆られて日本にやってきた。

この流れの延長線上で、
ペリーが日本海域に派遣されたのです。

ペリーが日本にやってきたとき、通訳者としても、
アメリカのことをよく知る知恵袋としても、
大抜擢された人物がおりました。
ジョン万次郎です。


ジョン万次郎を救った捕鯨船

ジョン万次郎の日本名は
中浜万次郎と言います。

彼は、江戸と今の和歌山のあたりを
行ったり来たりしていた、
小さな船会社の乗組員でした。

それが15、6歳の時、台風にあって
鳥島というところに流されます。

鳥島にはアホウドリがたくさんいました。
アホウドリは、人間が近寄っても逃げないので
アホウドリとか言われる。
ジョン万は、その鳥を食べて、生き延びていた。

その様子をたまたまアメリカの捕鯨船が見つけて、
ジョン万を含む7人をホノルルへ連れて行った。

当時のジョン万は15歳でしたが、
船長がその資質を見抜き、
アメリカ東部の自分の家へ連れてゆき、
学校に行かせたわけです。

彼は優秀で、英語を習得し、
学校でも最優等生として卒業しました。

その後は、捕鯨船の副船長に任命され、
大西洋と太平洋で捕鯨をしていました。

そんな彼が1851年に日本へ帰ってきた。
ペリー来航の2年前のことでした。


調査捕鯨

日本がIWC(国際捕鯨委員会)の顔色を
うかがいながら進めている
「調査捕鯨」という言葉は、
その響きも、示唆されることも良くない。

日本のこれまでの捕鯨の歴史を知る人からすると、
「調査をするために鯨捕します」
というのは、国際社会の笑いものです。
誰も本気で信用していないのではないか。

日本ほど調査力が進んでいるところで、
今後、何百年、調査を続けるのでしょうか。

捕鯨をしていて、「調査です」と
言い続けることは非常に難しい。
日本は嘘をついているのではないかと思われる。

「捕鯨をしています」「捕鯨が必要です」
となぜ言えないのでしょうか。

日本は、捕鯨という分野で
世界一の優れた技術を持っていますし、
鯨という資源を食べ物としても道具などとしても、
余すところなく全て使っています。

そうした技術や方法を伝授しましょう。
そう言える日本外交であって欲しい。


高タンパク源

欧米諸国はかつて、単に鯨油のためだけに
捕鯨を行なっておりました。

肉は一切食べません。
しかしその肉は高タンパク源として、
日本人にとっては必要不可欠な栄養源でした。

日本の南極捕鯨が始まったとき、
それはGHQ支配下でのことでしたが、
マッカーサーは日本人の腹を満たす
鯨の重要性を無視できなかった。

戦後の食糧難の時です。
飢えた日本人がたくさん出てしまっては
何が起こるか分からない。
反乱が起きてはまずいわけです。

そこでマッカーサーは許可せざるを得なかった。

しかし日本人が復活し、どんどんと強くなり、
経済的にも豊かになることは避けたかった。

故に1951年にIWCに加入させた。
日本からお金をぶんどりつつも、
日本の捕鯨を監視することとした。


食糧安全保障

日本が「捕鯨」という文化を失うことは、
日本の食糧安全保障にとっても
深刻な影響を与えます。
鯨を獲るための優れた技術も失います。

世界的な戦争が起きた時、
あるいは世界的な干ばつや大地震が起きた時、
謎のウィルスが世界に蔓延した時、
今まで日本に食糧を運んできた国が突然、
運んで来なくなる可能性もある。

経済封鎖だけでなく、災害などのために、
輸送船が容易に海を渡れないことも
あるかもしれません。

皆さん、そんな無茶な話をと
考えるかもしれませんが、
これらは近未来に十分にあり得る話です。

その時、食糧の多くを海外に頼っている
日本は大打撃を受けるでしょう。

五百円で買えたものが、
五千円、一万円なることもあるかもしれない。

日本人の食を守るために何が必要か、
再考すべきではないでしょうか。

写真はイタリアンレストランで。

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フェリチタ

2023-01-22 | わが家

 昨日はまた息子が、仕事で上京したついでに寄ってくれて、夫と三人で、ディナーに出かけました。予約してくれていたのです。イタリア料理の「フェリチタ」、つまりイタリア語でFelicita。日本語で「幸せ」。岐阜市内に7年前に開業。東京の青山で修行し、故郷にオープンされました。

 さすがに他のどこにもひけをとらない味付。絶品でした。前菜の野菜は一切れずつ別の味に仕立ててあります。金柑はとろりととろけるまで煮込んであり、とても真似はできないです。ブロッコリーも牛蒡も人参もそれぞれ別の風味。これまで食べていた味とまるで違うものに見えます。お肉に飾ってある紫のチコリは地元のものではないようで、見たことはありません。パスタは古来の形らしく、断面が四角く、タリオリーニと言います。

 30年前に行ったイタリアではとても食べられなかった品々でした。なんでも日本に来ると一流の味になるようです。シェフの腕前に脱帽です。美味しいデザートをいただき、帰ろうとすると、シェフの野田さんが挨拶に出てこられました。

洋梨ジュース

シェフの野田さん

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公民館短歌会 182

2023-01-21 | 短歌

 昨日も寒い日でしたが、予定通り今年初めての短歌会を開催しました。骨折で長く休まれていたHさんも回復され、お元気な姿を見せて下さいました。昨日とりあげた歌人は、福岡出身の幕末に活躍した大隈言道。10年ほど前、幕末は橘曙覧(たちばなのあけみ) を取り上げましたが、この歌人ははじめて。彼は、緒方洪庵など医師との交流があったため、こんな歌も作っています。

徒にわが身フルゴロオトガラス水に虫ある事も知らずて

 フルゴロオトガラスは、顕微鏡のこと。医師に顕微鏡を覗かせてもらったのです。

今月の一首

骨折と知らずに耐えし六日間七日目の夜救急車呼ぶ     Hさん

 彼女は自転車を降りようとブレーキをかけたのに先に足がついて、知らぬ間に骨折をしていました。何日も痛みが消えないので、病院に運び込まれ、レントゲンで骨折が判明。恥骨だったようです。その周辺には大切な神経が密集しているため、手術はできず、骨がくっつくのを待つだけだったようです。今はリハビリに専念されています。

写真は頂き物の「蜂谷柿」と由来書。桐箱入りです。

 

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音楽療法 4

2023-01-20 | わが家

 我が家で開くバイオリンミニコンサートも昨日は第4回目。バイオリニストの濱島さんに来てもらいました。新年は、いつもお決まりの曲があるみたいで、バイオリンでの「春の海」。琴と尺八の音まで、バイオリンで表現されました。宮城道雄は、瀬戸内生まれ。8歳で視力を失いますが、瀬戸内の景色を思い出しながら、「春の海」を作曲されたと言われています。昭和31年、東海道線夜行列車で移動中、刈谷駅近くで、明け方、トイレに行かれるとき、連結器あたりからの線路に転落。周囲を捜索され、助け出されて豊橋の病院に搬送されますが、亡くなられます。無念だったことと思います。享年63歳。

 宮城道雄の弟子の女性が岐阜に健在されているらしく、濱島さんと所属される在宅医療センターで、思い出話をされたそうです。彼は宮城道雄の手書きの楽譜も持っておられるようです。

 「春の海」は、レベルが高く、60年前お琴を習っていましたが、その域まで到達できませんでした。

 昨日は夫の義妹も来てくれて久しぶりの出会いをしました。彼女は趣味で地元のコーラス部に入り、歌っています。指導者は東京芸大出。そのとき歌った曲の楽譜を持参してくれました。その中で、芭蕉布は、昨年のNHK朝ドラ「ちむどんどん」で上白石さんが歌われた曲。他の曲は、懐かしい司馬遼太郎の「坂の上の雲」で歌われた、「Stand Alone」。バイオリンで聞くのもよかったです。夫の友人も来て下さり、10年ぶりにゆっくり話しました。

 

この日は正座で演奏

 

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あなたはコオロギを食べますか

2023-01-19 | 講演会

 昨日のサンサンの会は、Oさんによる「あなたはコオロギを食べますか」というテーマのお話でしたが、内容は日本の食料危機は楽観できないというもの。以前から危惧されていたのですが、数字を聞くと何とかしなければならないということが分かりました。食料自給率は37%では・・・この数字は先進国中、最低です。その他ここに書ききれないので、とにかく勧められた著書「世界で最初に飢えるのは日本」(鈴木宣弘著) という本を取り寄せてみたいです。

 植物を育てる肥料の、リン、窒素、カリのほとんどを輸入に頼る日本です。もちろん動物を飼育するためのエサも外国に頼っています。鶏卵は輸入していませんが、そのエサはほとんど輸入品。3倍に高騰していても買わねばなりません。

 フードマイレージ、つまり食物を得るための輸送費(輸入量X輸送距離) も日本は世界一。輸送上排出する炭酸ガスやバーチャルウォーター(輸入作物の栽培に消費される水) も極めて多いのです。フードロスも見逃せません。世界で13億トンロスされていて、日本は、600万トン。日本の食料備蓄もとても低く、20日分。100万トンしかありません。

 昆虫は、生物の200万種のなかの半分、つまり100万種いるそうです。昨日は、それ以上のことには触れられず、食糧危機の問題に終始しました。

 

 

 

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