ホテル招待券の有効期限も迫ってきたので、伊勢路の旅をしました。三重県はお隣ですのに、なかなか行けない所です。松阪市に入り、まず目についたのは、上の写真の鈴。きっとこれは、本居宣長の離れ座敷が鈴屋(すずのや)という名前がついているからでしょう。宣長記念館にはもう15年程前に行っているのて゜、今回はパス。明和町の斎宮歴史博物館に向かいました。ここも二度目ですが、花菖蒲に期待して・・・花には早すぎたのですが、前より展示が立派になったように思いました。
斎宮とは、天皇の未婚の皇女が潔斎をして伊勢神宮に仕える斎王が住んだ宮殿のこと。奈良時代から南北朝初期までの600年余りの間、70余名の皇女が、多くの側近と共に、輿とか牛車に乗り、京都から6日間かけて、鈴鹿峠の難所を越えてやってきました。博物館のある明和町には、斎宮があり、町全体も碁盤の目のように整備されていました。発掘調査も行われています。斎王の中には万葉歌人(大来皇女ーおおくのひめみこ)もおられます。
この博物館で、ブログ友(リンクしている花筐~花がたみのオーナー)の三重県在住の風さまと、待ち合わせていたのです。あちらもご夫婦で来られる予定でしたが、奥様が急用で欠席。3人で見学しました。朝は快晴だったのに、展示を見終わる頃、予報通りの激しい雨。もう一本のDVDを見ることにしました。見終わる頃小降りとなり、退出。ここで風さまに失礼し、志摩観光ホテルクラシックに向かいました。ホテルに着いた後も再び雷がとどろいていたのですが、日没頃には晴れて雲も明るくなってきました。
志摩観光ホテルクラシック旧館は、昭和天皇、白洲正子夫妻、谷崎潤一郎、三島由紀夫などが宿泊。山崎豊子はここで、「華麗なる一族」を執筆。記念の数々も展示されています。庭には天皇の歌碑と、山口誓子の句碑もあります。建物も一部保存されています。
斎宮歴史博物館入口 (内部は撮影禁止)
博物館前の古墳
博物館カタログ
雷もおさまりようやく晴れて来ました(4階の窓より)
ホテルで出されたお菓子「関の戸」(以前風さまに頂きました)
芳名録には白洲さんの名も・・・
山口誓子の句碑
斎宮とは、天皇の未婚の皇女が潔斎をして伊勢神宮に仕える斎王が住んだ宮殿のこと。奈良時代から南北朝初期までの600年余りの間、70余名の皇女が、多くの側近と共に、輿とか牛車に乗り、京都から6日間かけて、鈴鹿峠の難所を越えてやってきました。博物館のある明和町には、斎宮があり、町全体も碁盤の目のように整備されていました。発掘調査も行われています。斎王の中には万葉歌人(大来皇女ーおおくのひめみこ)もおられます。
この博物館で、ブログ友(リンクしている花筐~花がたみのオーナー)の三重県在住の風さまと、待ち合わせていたのです。あちらもご夫婦で来られる予定でしたが、奥様が急用で欠席。3人で見学しました。朝は快晴だったのに、展示を見終わる頃、予報通りの激しい雨。もう一本のDVDを見ることにしました。見終わる頃小降りとなり、退出。ここで風さまに失礼し、志摩観光ホテルクラシックに向かいました。ホテルに着いた後も再び雷がとどろいていたのですが、日没頃には晴れて雲も明るくなってきました。
志摩観光ホテルクラシック旧館は、昭和天皇、白洲正子夫妻、谷崎潤一郎、三島由紀夫などが宿泊。山崎豊子はここで、「華麗なる一族」を執筆。記念の数々も展示されています。庭には天皇の歌碑と、山口誓子の句碑もあります。建物も一部保存されています。
斎宮歴史博物館入口 (内部は撮影禁止)
博物館前の古墳
博物館カタログ
雷もおさまりようやく晴れて来ました(4階の窓より)
ホテルで出されたお菓子「関の戸」(以前風さまに頂きました)
芳名録には白洲さんの名も・・・
山口誓子の句碑