昨日は、ふるさと歴史研究会の秋のイベントがあり、平家物語、平治物語に登場する渋谷金王丸に縁のある、羽島市最古のお寺・西方寺を拝観し、大竹先生の講話を聞きました。ご住職の説明も聞くことができました。正式名は、寺田山渋谷院西方寺。寺院に山と付けるようになったのは江戸時代。お上に上納するお金が多い順につけられたそうです。
近くの羽島市にこのような由緒のあるお寺があることは知らなかったです。推古天皇の時代に遡るお寺。再興した渋谷金王丸は、歴史の脇役であまり知られていないのですが、遺品にはおどろくべきものがあります。
まず家康の書状。なぜこの地にあるかは、秀吉統治の時代、家康は寺から寺へと逃げ回ることがあり、この寺にも隠れていたからです。かくまわれたある寺では、追手に迫られ、覚悟を決めて、潜んでいた戸だなの扉に辞世の歌まで書いていました。そんな時代のものが近くに残っていました。徳川から拝領されたものもあるのはそのためです。光圀の書は、源とありますが、徳川と名乗らず、源氏姓を書くこともありました。
当時は鎌倉街道で往来することが多く、この地はその街道筋でもありました。
渋谷金王丸は、頼朝の父、義朝の家来で平治の乱で戦い、京の常盤に訃報を伝えた人。生誕地は岐阜県安八郡。近くには、満福寺という熊谷直実と縁のあるお寺もあります。直実は若い敦盛を討ったことから、悩み、仏門に帰依。その縁のあるお寺です。
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本堂
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中庭のみごとな松
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本堂の前の見真大師お手植えの菩提樹
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家康の書状
秀忠の書状
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光圀の書
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徳川家から拝領されたもの
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渋谷金王丸の書跡を説明されるご住職(25代目)
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寺宝の聖徳太子像と七高僧図 (カタログより)