湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

11/15 名古屋の元塾(現美術工房)のご夫婦にきついことを言ってしまい…

2015-11-16 06:08:53 | 地震津波災害ボランティア

2015/11/15 記
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私塾の経営者の会の同窓会の会員の半数が他界していたことで、今は美術工房を営んでいる**さんが奥さんと湘南にやってきたので、藤沢で会ってきた。母が徳洲会病院に見舞いに出ている間の話だったので、落ち着いて話せなかったのだが、同窓会の二次会(?)では、東日本大震災のボランティアをしたという会員が結構いて、塾の小中学生を自前のマイクロバスに載せて福島・仙台をまわってきたらしい。彼はスナップ写真のコラージュが得意で、子どもが撮ったスナップをまとめて絵をつくったとの話。

見にきてくれというがクリスマスのとき貼り出すというが、そのために名古屋に行くのは気がすすまなかった。交通費がかかるとかそういう意味ではなくて、会が健在だったころから、私と論争が耐えない不思議な関係だったのだ。彼は戦争の悲惨を教え込もうとして、絵や写真を絵解き物語に貶めてしまうし、災害も悲惨さを教え込もうとするからだった。

この手の活動は、金太郎飴を量産するだけになるから、趣旨をいけないとはいえないが、つまらないのだ。陸前高田についたら皆で奇跡の一本松の撮影をして、工房に持ち帰ったら、そのスナップ写真を皆で貼る。それで東日本大震災の報告作品としたら、一本松だらけ、うしろに一本松が写り込んでいる友達がVサインを出しているなかよし写真というようなスナップばかりというような作品を作りかねない。子どもが見聞きし、自分なりに考える現地対話なら見たいが、ちょっとねと思っていた。

かれのi-Padに子どもが撮ったスナップが入っているというので、見せてもらったが、さすがに奇跡の一本松ではなかったが、結局はプリクラなかよし写真ばかり。案の定つまらなかった。子どもが人と災害を感じ取っていないのだ。そう感想を伝えた。「あいあわらず理屈っぽいな」と苦笑いされた。

彼の話は私が民泊の大切さを語っている部分のブログを読んだかららしい。私はアジアを中心とした訪日観光客の宿泊の受け皿作りによる利益誘導と復興策の意味で「民泊」を提唱しているわけではない。被災した方と出会い、夜でもナイターを組んで、被災体験や宿主さんの意見などを話し合ったり、そこから宿泊者と「家族づきあい」が生まれるといいという、今の被災地の閉塞した状況を溶かしていく活動として提案したのだ。彼は次回、高齢の塾生たちを連れて行くから、いい「民泊先」を教えてくれというのだった。東北食べ歩きのドライブだという。私の知っているところはグルメには向かないからと断わった。せっかくきてくれたのに申しわけなかったが、母を迎えにいくことが控えていたので、つれなくして終わったのだった。

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彼に、亡くなった戸田市の塾の経営者##さんの娘さんご夫婦と住んでいらしたご自宅の住所を教えてもらった。もとの小学校の先生だった方だ。


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峯本氏の特集の懇話会ニュース(No.015)の校正版が仕上がった。明日はたてこんでいるので、火曜日から配布する。今回は地域包括支援センターには,時間をかけて説得する予定。ビッグイシューも火曜日配布だ。

拡大読書機で峯本著「地震災害と高齢者福祉」の第5章を読んだ。第6章は午後に。

大戸屋で母と食事。無事帰宅。

夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

 

 

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11/13&14 PC故障、すみませんでした

2015-11-15 05:30:04 | 地震津波災害ボランティア

2015/11/13&14 記
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常用PC(ノート型)が別作業している間に、ダウンして起動しなくなった。突然の事態に焦った。サブPCもノート型だが、去年の末頃から、フォントを大きくしても私の目には、特にOSコマンドの文字が見えなくなっており、モニターをつけないと利用できなくなっていた。網膜色素変性症の糊状の視野喪失領域が拡がってきていたのだ。

拡大読書機の出力はD-sub15ピンなので、低価格を狙って同D-sub15ピン入力のモニターを購入していたが、サブPCの出力はHDMIであり、モニターにコンバータを挟まないと使えなかった。もう1台は相模原の塾に置いたデスクトップであり、夜間傾聴もオンライン上なので、早急に対応する必要があった。

もしやと思い、テスターを持ち出し、電源アダプタを調べてみると、供給部のLEDは点灯しているのに、PCに差し込むコネクタが断線していることがわかった。

応急措置として、手持ちの利用していない電源アダプタのコネクタを利用するため、離れから居室まで大捜索となったが、適合コネクタはなく、やっと見つけたのが、古い固定電話の電源アダプタのものだった。持ち合わせていた電源アダプタは、すべて規格が違いPCに流用できなかった。固定電話のコネクタをケーブル途中で切断し、現在の電源アダプタのコネクタ部分の交換をした。久々のハンダ付けだった。とりあえずPC本体への充電は可能となったが、古いケーブルは、信頼性に欠けるので、電源アダプタを求めて、ヤマダ電機とビックカメラ藤沢店をまわったが入手不可能。ただHDMI>D-sub15のダウンコンバータを買って、結局、秋葉原でやや大型だが規格内の電源を仕込んで、急ぎ家に戻った。

冷や汗をかいた。コンバータを買ったので、手持ちの古いモニターも使用できるようになった。遅れていた峯本氏の懇話会ニュース特集号(No.15)仕上げの作業をしている。

ブログに書きこんだ前掲文章は、スマホから書き込んだもの。
お騒がせしました。

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金曜日夜、サポセンのワイワイ祭り(2月)参加にあたっての質問メモを作って参加した。それを抱えてサポセンの「ワイワイ祭りキックオフ」に間に合った。「金曜災害ミニカフェ」の拡張版をやろうと思っていた。昨年まではワイワイ祭りの会場が中央公園で、とても懇談する雰囲気ではなかったが、今回は屋内会場(サポセン)が併設されるとのことで、多少期待していた。

しかしそれも空振りのようだ。屋内会場は「こどもむけイベント専用」とのことで、再び要援護者支援の懇談活動公開の場が無くなり、サポセンのたなに冊子を置いたり、ポスターを貼る以外、活動公開の機会がまたしても無くなった。活動の存在をしらせる機会がまたひとつ消えた。祭り仕立てにできるものとできないものがある。

無理押ししても、違うコンセプトのものが割り込んでも、うまういかないのは必至。要援護者支援の活動をお祭り仕立てにするわけにもいかないものは沈黙せざるをえない、ましてや一般参加者というより関係者との出会いを期待する場は、無理と判断した。企画発想が平板、寂しいかぎりだ。

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母が東京の主治医の定期検査をうけてから、浜見平の奥さんの車で帰宅の予定だった。大腸検査は絶食をしていた分、体力を使っているので、先に帰って母を迎えたかった。とんでもないアクシデントだった。

今回もプレ・ジョブの会合にでられなかった。

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母に揚げ出し豆腐と、かれいの煮付けをつくった。ヨーグルト・ドレッシングで温野菜サラダを加えた。回復食である。雨だが洗濯をすませる。縁側の廊下は雨の日でも干すことができて助かるのだが、今は午前2時。夜間傾聴は休業か。

「懇話会ニュースNo.015」は、地域包括支援センターと民生委員を戸別訪問して渡し、参加を呼びかける。ただ民生委員は12月頭に改選なので、2回回る必要が有る。

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峯本氏の「地震災害と高齢者福祉 第4・5章」をチェック。仙台と神戸。よむべえスマイルの読み上げ機能に助けられている。早く使いこなさねば。

夜間傾聴>臨時休業

(校正1回目済み)

 

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PCの電源コネクタの断線があり

2015-11-14 18:16:36 | 地震津波災害ボランティア
書き込みできませんでした。
コネクタを応急で交換し、電源アダプタを探してきました。
すみません。
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11/12 仮設・地域における回復期の要援護者の生活支援&保健活動を切り出す・番外編

2015-11-13 06:19:18 | 地震津波災害ボランティア

2015/11/12 記
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災害時要援護者支援というスタンスは、広すぎるという懸念を持っていたが、私の関わりの基本は、引きこもり青少年の未来作りの寄り添いサポートと社会参加の場作りという柱と、個人の経験からくる、引きこもり青少年のなかでも、主に自閉症スペクトラムや鬱の困難を抱える方の寄り添い支援や、自宅の長期にわたる高齢者介護の経験からの高齢者の地域サポート協力という2本の柱の合計3本の柱から成り立っている。

だから高齢者関係は、介護体験から知り合いの特養や老健、訪問看護や介護関係者や民生委員のつてをたどって、懇話会の形で「被災時、緊急避難後の医療・生活福祉の地域連携」の芽となる「経験交流」を積み上げて行くという場作り程度の関わりしか関わっていない。

その意味で、被災時要援護者支援として「障がい者と高齢者」を基軸に懇話会を進めるとしたが、両者ともに実施課題が大きい。

12月21日(月)の懇話会は「高齢者領域」の順番で、湘南の高齢者と東北の高齢者の課題をそのまま重ねられるだろうかという疑問があって、東日本大震災の生活再建のざっくりとした流れは別として、「家」と「家族」をめぐる発想の差というか、「土地への根付き」の差が、被災後、地域コミュニティを論じたときの大きな差が出てくる予感があった。(詳細略)

そこで都市型災害である阪神・淡路大震災の経験を引き込む必要に至り、20年の年月と南海トラフ地震やその連鎖活断層地震の予想される神戸から、経験を反映した防災論議の状況や、残る被災の現状の語りの導き役を捜した。それが峯本佳世子氏(西宮)である。

湘南の高齢者は生活共有の地付き高齢者というより、便宜上協力の地域と、通院と趣味の知り合いという緩いつながりの、個人に分断されやすい、家族のみに依存した個人の高齢者像がある。発災時と言うより、避難後にその違いが問題になる。

おそらくは、神戸との対話は今後複数回になる。一昨年の故・黒田裕子氏は20年通して、現場に関わりつつ懇話会に、現場の風を運んでくださった。峯本氏は関西、都市の防災の広がりの中の地域ネットワーク形成の見通しを語ってくれるだろう。

そのとき、峯本の懇談で私が問うことは、「(高齢者)地域包括支援センター」と障害者の地域サポートとは無縁であるのかということだ。ここでいう「障がい者」は、視角・聴覚・四肢障がいを含む身体障がい者と、病弱者・重度障がい者が主な出発点となるだろう。それゆえに、来年はこのままだと4月になるが、2月に軽い金曜災害ミニカフェの懇話会版を入れようかと思っている。議会前だから、行政関係者は参加しにくいだろう。貴重な2時間だが、内容の濃い番組を選び論じるつもりだ。

(つづく)

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拡大読書機を使った峯本氏の著書精読を始めている。「第1章~4章」を読み終えた。昨日のブログに書いた「根気の限界」だった。標準から現状を語るという語り口なので、「主張・提案」を読み取るのがかなり粘りがいる。

夜間傾聴:ひとり
     塾長(久々)


(校正1回目済み)

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11/11 仮設・地域における回復期の要援護者の生活支援&保健活動を切り出す(5-3)他

2015-11-12 06:23:17 | 地震津波災害ボランティア

2015/11/11 記
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(続きより)

仮設生活が5年近くなると、人々の家庭の事情と財力によって本当に、被災入居者がいわゆる「ばらけて」くる。被災によって資産は危険地域指定の我が家の土地と家族のみとなっている。しかし経営する事業所・田畑山林を所有している一家は、地域の利用価値と人材確保がままならないという壁がある。しかし最悪なのは、家族を失い、資産を失い、そして負傷や高齢化によって仕事の再出発が切れない、生活保護対象の高齢単身被災者たちだ。生活保護費から家賃を払って災害援助金が無くなることに怯えつつ、仮設から逃げ出せない者たちだ。

私はふと医療介護を必要とし、3ヶ月ごとに病院をたらいまわしにされる傷病老衰高齢者のことを思った。仮設から家賃の高い災害公営住宅(復興住宅)に移り住むこともできず、仮設に軟禁されている方々のことだ。阪神・淡路大震災のときのように、生活保護の中で、最終的には仮設閉鎖を契機に入居というか収監というか、災害公営住宅を終の棲家にすることを余儀なくされる方たちがいる。

こうした方に対して、「地域コミュニティ」による見守りと隠居の日々サポートが準備されているが、健常者の就労支援の中で論じられていた「セイフティネット」の「リターンマッチ」とか、精神障がい関連のところで語られていた「地域的就労」や「ソーシャル・ファーム」のような、「能力に応じて働く」「他者のために働くという緩やかな自主就労の場面(生きがいと論じられることが多い)を「地域コミュニティ」の「内包の試み」としてというより「外延の試み」を組み込みたい。「ソーシャル・ファーム」である。

峯本氏との懇談を前に、社会政策的な視座と社会活動的なニーズがどうすり合わさるか、考えている。

(つづく)

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拡大読書機に峯本氏の「地震災害と高齢者福祉」を章ごとにスキャンさせ、本体内のメモリに覚えさせる。そして読み上げさせながら、同書の誌面を追って行く。私の見えるほうの目は、視野の中央部が霞み、周辺は近視ではあるが晴眼者並みに見える。だから視野周辺部で本の誌面をなぞっていく。

本機を使わない場合は、20分ごとに休まないとひどく眼が疲れるので、全体に読み書きともに1時間がいいところ。ところが上記の読み方を行うと、ダントツに読む速さが速くなる。しかし、耳で聞き、その場所の誌面を追いつつ、意味を構成していくという作業は、決して楽ではないことがわかった。根気を持続するために、眼の疲労度は器官の疲労から、全身の緊張疲労に変わり、ふと意識を失い机に額を打ち付けていた。眼鏡がはずれ耳にひっかかった。原因は私の万年睡眠不足にある。つまり、スポーツのように、体調コントロールがいることがわかった。

一章25ページを1時間で読み終えたが、今日はここまでというところだ。慣れがいる。それが発見点。

もうひとつは、読み取ったデータはテキスト形式で保存されるが、本体はこのテキストデータを読み上げることができないというのだ。本体に記憶させておくので、その分だけが読み上げられる。オプションのプログラムを入れれば、テキストデータを読み上げられるようになるとのこと。

失態犯しつつ、少々前進。


夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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11/10 峯本懇談の会議室決定/チラシ作りの前に

2015-11-11 06:09:35 | 地震津波災害ボランティア

2015/11/10 記
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拡大読書機の利用法がだいぶわかってきた。読み取り原稿は、日本語明朝体ならかなり精度高く読み取るが、丸ゴチック体だと読み取り精度がやや落ちる。驚いたのは、人名も結構辞書を抱えており、注意していれば修正できる。ただ辞書をカスタマイズする方法が、まだわからない。新聞や洋書もまだ試していない。しかし、私の目が書面確認できるうちは、役にたちそうだ。

今日、市役所コミュニティホールA会議室の12/21夜の施設使用料を支払った。これで一安心。峯本氏の昔の翻訳も図書館で見つけたが、今課題となっている「災害時の地域コミュニティの動的形成の議論とは重ならないようなので、懇談後のチェックポイントとしました。

社会政策論の視点から、高齢化社会への処方を描いたとして、その大きな鍵となるのは、年金と生活保護などの社会保障制度、つまり「ゆりかごから墓場まで」の「墓場まで」の前哨戦を、実現可能性を踏まえつつ、かつ活力の有るものとして描けるかということになろうが、近未来、大震災という禊(みそぎ)の余波を経ることで、全国の要援護者としての高齢者が、どのような社会環境を迎えることになるか、多様性を孕み相互扶助的というか有機的な地域の人生サイクルを生み出して行くか、つまり社会管理運営とは別のベクトル、自主性をどう育てて行くかを論じることになろうか。

勿論、そんな大上段振りかぶった懇談を、一晩でやり切れるほどに社会は単純ではない。ただ私達はあまりにも客席に居過ぎた。何度不遇な災いに遭っても、暗雲去って作り直す社会が、昔を準えたものに流れ込む限り、自分をいわば「自撮り」(客観視)できる視点を得ることはできないだろう。笛吹けど踊らずという厄介な課題ではあるが、ひとの生涯を左右するほどの課題だ。だから手探りの一歩に通じる懇談をつみあげる価値を「私は」、いや「私達は」と言えるのなら、「私達は」議論を重ねて行きたい。同じ場で自分なりの判断で終わってもいい。ただ自分が思ってきたことを問う、講演のような知識伝達ではなく、交流懇談であるために、懇談では自主判断や発言が問われる。

私は避難所にたどり着いた高齢被災者が、たちどころに体調を崩したり、中には死に至ることや、成人障がい者の居場所のない長期避難生活と、体力を失った高齢者の孤立化というような繰り返される難関を少し見通しを持って、改善していく方法を考え続けたい。特に私の課題は、専門職と連携する民間ボランティアの活動モデル作りだ。

あと少し拡大読書機をいじってから休む。水曜日は「12/21峯本氏と懇談」の配布チラシをつくる。「我が家」か「サポセン」かに腰をすえる。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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11/9 高齢者施設関係者から提案されている多世代混在の街に思う

2015-11-10 06:02:25 | 地震津波災害ボランティア

2015/11/09 記
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災害という事態を経過して提案されている試みではないが、高齢化していく社会を前提に、高齢者の孤立を防ぐ案として、他世代混在型町づくり提案などが試みられている。

高齢者とくに単身高齢者世帯をとりまくように、幼い子がいる若夫婦世帯や、高齢者支援や町づくりボランティアを義務づける代わりに家賃を大幅に下げた、学生向け単身世帯を住まわせ、ご近所付き合いを生み出そうとしている企画が、新たな町づくりとして賞賛されている。

しかし、私は障がい者のいない、不可解な社会にしかみえない。またひとはすべて善人として描かれるから。仲たがいを起こしたり、衰退した高齢者や、政治的な価値観の違う世帯の対立などが起きたときなど、シビアな対立が起きたとき、笑顔のご近所は抑圧に転じてしまう。

有料ホーム入居権を買い取った高齢者が、実際ホーム生活をはじめてみると、仕切る親分肌の人物がいたり、私物を盗んだと言い出す初期認知症発症の方があらわれ、人間関係がうまくいかなくなって行き詰ってしまう事例も有る。

もともと善良なご近所の絆をベースに描かれる構想は、ひとは過つ存在、裏と表ではなく、場面によって多様な顔を持つ存在として、それこそ「インクルーシブな」受容を含む社会、社会的弱者をつくらない社会を作っていかなくてはならない。

高齢者は様々な経験をしてきた方だ。幼子を見ればかわいいと思うと一面化すると、事故や病気で先に世を去った孫を持った方が、そっとしておいてほしいと願ったとき、幼子との交流の場に、この方をそれでも引き込むだろうか。そういう個々人の自由と孤立回避の契機を提供できる社会の質が大事。

高齢者が豊かな老後を描ける街と言ったとき、家庭菜園をつくる体力がなくなったとき、矛盾は顕在化する。その街はさらに、若夫婦がそこに生活するメリットは、他人ではなく親の介護をどうするかと、ある意味ではエゴイスティックな質を孕んだ問いかけがなされたとき、なぜ若夫婦はその街にいるのだろう。やはり操作配置的に発想された企画は的をはずしている。

これは、次回懇話会のゲスト峯本氏にも聞いてみたいことなのだ。喜びだけでなく、苦しさや悲しみが分かち合えない社会は、やはりおかしい。

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拡大読書機騒動の設置場所では仕事にならないので、DIYショップに行って、移動用コピー台の代用になる整理棚を買ってきた。これなら、普段は縁側の奥のスペースに収納し、仕事のときに部屋に装置を移動できる。母の領分を侵さないで済む。

こうして読書機は二階から下ろすことができた。夜間傾聴を始めた頃…といっても、既に数十年経っているが、そのころ、私が明け方電話している異常さを嫌がり、私が家族の夜間介護を担うことで、しぶしぶ承知した。今は慣れて、極力メールにすれば何も言わなくなった。

引きこもり青年の中の自殺願望者は、魔の時間を持っている。明け方だ。この時間帯は、精神医療関係者やボランティアも機能していない。警察や消防署につなぐ前に、ただその時間の綱渡りに付き合うだけで、乗り越えられる方もいる。勿論私には、連れ添う以外なにもできないが、その仕事は彼の苦痛の一部分を分かち合うことだから、ずたずたになることもある。彼の主治医に、その様子を要領よく伝えることは難しいが、越権に近い私の行為は、魔の時間外は行なってはならず、医療関係者に引き継がねばならない。対象者も塾と予備校経由の方に限定した。そうしなければ私が持たないからだ。このあがきを母は知っているから、黙ったというのが実際のところだ。

読書機への母の反発は、新たに自分には理解できない異常なことが始まるという恐れによるものだった。母は私の目の状態を受け入れない。鳥の目のように治るものと勘違いしている。いや全盲化の危険があることを認めない。その点で夜間傾聴のときと同じだ。結局異常なことではなく、私にとって必要な装置であることが、いわゆる「慣れ」でもいいから、しばらく様子を見ていて欲しいと母に伝えて、やっと母は黙った。

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こうして、やっと拡大読書機「よむべえsmile」が動き出した。当分は、縁側の片隅と私の仕事机脇を往復することになったが、実際テストして気付いたことは、書面の拡大機能を利用するよりは、スキャン後の読み上げ機能を使い、文字フォントが大きければ実際の書面を肉眼で追い、小さなときは、手元拡大用の作業用拡大鏡を使った書面確認を行なう、耳で聴きながら書面を読む方が効率的だと知った。

しかしすごい。エンゲストロームという方の難解な翻訳書を、ほとんど過ち無く読み上げたからだ。目が引きつるような疲労がともなう従来の「片目視野外周部読み」から解放されそうだ。

実際うごかしてみると、なんとも嘘のように読字が進むのだ。まだUSBメモリへの蓄積が課題だが、これは必需品になりそうだ。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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11/8 仮設・地域における回復期の障がい者の治療支援&保健活動を切り出す(5-2)

2015-11-09 05:30:12 | 地震津波災害ボランティア

2015/11/08 記
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(つづきから)

避難所生活は自炊ができない。水の制限もある。協働で食事を作ったり、外部から配食ボランティア製の弁当を差し入れてもらったりして、食事を済ませていくが、食物アレルギーのことや、歯の無い親や乳幼児の食事を考えると、許可を得ての自炊中、子どもや高齢者の方を一時放置しておかなくてはならなくなる。徘徊があったり、トイレに立ったりと、この間も油断がならない。この場面ひとつとっても、避難所生活は協力が欠かせない。トイレも地獄のような待ち列や、汚さ、車椅子利用不可能というような個人の味わう困難に加えて、介助と待機という介護者の困難が加わる。紙おむつは不足。その入手も困難だ。

だから避難所入所者にとって仮設入居は心待ちにするものだった。そう、4年前はだ。

(つづく)

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峯本氏の著書「地震災害と高齢者福祉」の再読のために、同書をいれた袋を片手に家の玄関を出ようとしたところを母に捕まった。小雨も降りそうだったし、家事で捕まることもあるまいと、たかをくくっていたのがいけなかった。母のベッドメイクや、冷蔵庫内の清掃等々雨あられ、一番の難題は拡大読書機の置く場所が洗濯物かごの定位置なので、どかせというのだ。

拡大読書機「よむべえsmile」を仕事用の机の上にスペースが無いため、臨時に縁側に置いて、印刷物読み取りのときは、その場所で一度印刷物をDLし、仕事机のPCで音声や拡大画面に接続して利用する。だからこの縁側から移動しても持っていく先が無い。やたら移動していれば故障の元となる。

母にとっては無用の長物。目の状態をいい、機械の機能を説明しようとするが、別のところをと言って話をきかない。最終的には、いまだに糞尿の匂いが染み付いた故・父の居室の古戦場の部屋(今は利用できぬまま廃墟保存されている20畳の部屋)の入口に、小机を置いてその上に場所を確保した。PCを使うためには、印刷物をスキャン後保存し、階段を降りて、仕事机にUSBメモリを仲介して利用することに。

私には現在必須のものだ。いい方の目の視野の外周部を使って読書をしている。視野の中央部はかすんで見えない。だから長時間読書は無理。よって拡大機能と、徐々に読み上げ機能を利用できるようにしていきたい必需品なのだ。これがわからない。

母が昼寝を始めた隙に、そっと抜け出し図書館へ。しかし今日は17時までだ。周辺の特養の様子は、母が6人目になるから、大体の様子はわかっている。現在母は、理由不明の突発性のめまいと,胃切除の後遺症のダンピングを除いては元気だが、そう長くは健康を維持できまい。半年早く予備校を古参契約講師のくせに定年退職したことをたてに、たまっている家事をやらせようと考えていた。特養に適合する介護度に至るまでの在宅介護や、達して以降の特養入所待ちの在宅期間を支えていくことになれば、外泊・遠方旅行が難しくなる。その間に、進行している目の劣化を考えると、社会活動の自由期間が有限に見えて、納得のいく活動をやりきりたいという気持ちが強まっている。部屋に監禁されようと、ベッドに縛りつけられようと活動はやれる。ただ範囲が限定されてしまう。

そういう焦りは、共有されない。繰り返し焦りは無駄と同じと言葉を反芻するが、地に埋れる覚悟は、活動の基本の共鳴のチューニングを衰退させてしまう。そんな馬鹿なことを考えていることを、母は理解不能と、母は母で苛立ってしまう。

だから「いま・ここ」でなしうることをしておきたいのだ。

携帯が鳴り、帰りに養命酒を買ってきてくれと母。残念、峯本氏の著書は7ページ、読み進むのがやっとだった。汚れたガラス越しのような、古い映画のフィルムの傷跡の雨の降るような視野を閉じて、足の感覚のみで図書館を出てみた。節約のため消燈している玄関先は暗い。段差も危うい。図書館職員ですらこの状態なのだ。

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夜間傾聴>ふたり

(校正1回目済み)

 

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11/7 12月の懇話会の巡回準備が始まった

2015-11-08 06:11:58 | 地震津波災害ボランティア

2015/11/07 記
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久美出版から峯本佳世子氏の「地震災害と高齢者福祉~阪神淡路と東日本大震災の経験から~」のチラシが届いた。私が峯本氏へのメールの中でお願いしていたのだが、峯本氏から、手元に無いので出版社に直接連絡をと返信があった。翌日出版社に連絡してみると、すでに峯本氏から連絡をうけていて、チラシを送った後だった。お手数かけたなとじわり…。

これから峯本氏との懇談を行う12/21の懇話会チラシを作って、関係者巡回を行う。今回は「地域包括支援センター」と「民生委員児童委員協議会」を歩く予定。ただ民生委員は12/1改選なので、この辺が要注意。施設関係は数が多いので、全部とはいかないだろう。病院関係は回るが、望み薄かなと。

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(連載:つづきより)

自閉症者の**君の体調は回復してきたが、とても一般の避難所に入ることはできない。自宅は半壊とは言え、大黒柱が残っていただけで全壊と同じで、避難生活ができる状態ではないために、福祉避難所を求めた。ところが福祉避難所は自閉症者の関係は、知的障がい関係の施設が請け負う形となっており、規模も小さく、すでに満員だった。結局、自閉症家族団体の紹介の形で、隣接県境を越えて、内陸県のスポーツ宿泊施設に身を寄せることになった。家族中が負傷していることもあって、家族が連れそうのが原則といわれたが、全国団体から紹介された災害ボランティアが彼をサポートすることになった。問題は、紹介されたボランティアさんとの相性が合わないと、パニックを起こすだけだ。

大型災害に遭ったとき、多様なニーズを受け止める施設が無い。多くは家族の付き添いを求められる。これがネックとなる。家族が分断生活を要求される。受け入れ施設は、最寄り駅から路線バスで移動する。このバスが震災のために運休となっており、徒歩では、通所はむり。実質、単独疎開となり、避難所を去って新居生活が始まった。

(つづく)

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夜間傾聴。ひとり

(校正1回目済み)

 

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11/6 通じない言葉と被災体験のこと

2015-11-07 05:30:28 | 地震津波災害ボランティア

2015/11/06 記
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昔、私達、フリースクール系私塾の主催者の教材研究会は、毎月集まっては、経験交流をしていた。1990年代、私は介護との両立の困難がある中、自主企画の事件から、続ける気力を失い複数講師のいる塾を閉じ、他塾の講師や進学予備校の学習カウンセラーをしながら、細々と中高生らと塾活動を維持していた;そのころ、阪神・淡路大震災が起き、私は支援活動の企画を湘南にできることを考えさせることによって、自主判断の流儀を残して完全に塾を閉じるつもりでいたため、教材研出席も疎かになっていた。

教材研の世代は私よりも上の方が多かった。いわゆる団塊の世代。その方々を中心に半数を超える方が亡くなっていたのだ。親しくしていただいた方の奥様に、遅ればせのお悔やみをメールで伝えていた。生前のことにふれたた為、奥様の要請によって教材研やら打ち上げの飲み会など、長いメールのやりとりとなっていた。深夜、書いているうちに、とてつもない闇を覗き込んでいるような喪失感が追いかけてきた。

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私はミニFMをやっていた頃の子と、奇妙な場で再会していた。それは、サポセンの地域ミニコミの会合などだった。今は社会人の年齢だから「子」と呼ぶのは失礼だ。「**君」としておこう。以前に2回、会いたくないところで会っていた。座間の今はシアトルにいるA子の孤独と向かい合い、アジア系国際人の家系を認めぬクラスメートからのいじめに、自分は何人なのかと、むきになり、登校に自分を追い込んでいた。引きこもりのすすめを説いて、登校を休むようすすめた私に、A子は熱いお茶をぶつけ、私はびしょぬれになって相模線で帰宅した。その途中、彼女を追い込んだ境遇に泣いていた。二回目は、激しい自傷行動に親御さんから助けを求められ、知り合いのPSWさん仲介で、某精神科に彼を避難させたとき、親御さんを支える私を、睨みつけた彼の眼差しがのしかかっていた。相模線で崩壊していく彼の姿に泣いていた私を、**君が再び見たのだった。彼はアルコール依存症を起こしていた。ただこういう若い子と負の淵をくぐっているときの顔を見せたくはなかった。どう説明しようが、**君に届く言葉が見当たらない、そういう場面だった。

ひとは特異な経験をしているとき、常識という壁が見えてしまう。ありえない標準に身を曝して身なりをあわせようとしている姿に自己嫌悪する自分がいる。そういう「語れない・繋がりが見えない」シビアな子たちと私は対話してきた。

こんな事例がある。戦地から難民としてアメリカにたどりついた子が、アメリア・アレナスの美術批評授業の際、ゴッホの星月夜を見て「これは空爆だ」と語って周囲の子たちの失笑をかった話を聞いた。教師は「君はユニークだね」と笑ったという。彼は孤立した。通じない言葉を山ほど胸に抱える第一歩がそこに始まっていた。

こういう空転は、大災害を生き抜いてきたひとたちの胸の中にある。発災後避難所生活を続ける子たちに、ボランティアが接して感じたことは、こぼれそうな水をたたえたガラス器のような感触だった。大変な親を見て、我慢を積み上げている姿だった。しかし、その空転と孤立感は大人にバトンタッチされている。家族とつみあげてきた人生が清算の憂き目にあり、せっかく仮設住宅の暮らしの中に、生み出してきたご近所さんの絆も災害公営住宅入居等によって、取り残されていく寂しさは、突然現れた巡回相談員や、よそ者ボランティアにも語れない。さあ話なさいといっても、つうじるはずもない。いじめがあれば、アンケート調査を平然とやれる教員の無責任さに似た、響く相手の不在が原因だ。

こうした長い空転を抱えてきた阪神・淡路大震災の先行事例を知りたいと思うのだ。都市型災害被災下の単身高齢者や障がい者の生き残った者たちの> 自分は何人なのかと、QOLをあげる方策をどうたてたらいいか。だからこそ中間支援者の想像力がとわれている。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

 

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11/5 午後、改めて書きます、すみません

2015-11-06 06:33:52 | 地震津波災害ボランティア

2015/11/05 記
--------------

12月の懇話会講師峯本佳世子氏と連絡がとれました。日程は12月21日(月)夜。しかし、宿泊せずにお帰りいただくためには遅くとも20時には散会する必要があります。そんな関係で、懇話会は18時始まり(おむすび付)という異例の事態に。

もうひとつのメールが、私塾の故経営者の家族の方からのお悔やみの返信で、手一杯でした。今回はパス。

すみません。


夜間傾聴>臨時休業

(校正1回目済み)

 

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11/5 午後、改めて書きます、すみません

2015-11-06 06:31:26 | 地震津波災害ボランティア

2015/11/05 記
--------------

12月の懇話会講師峯本佳世子氏と連絡がとれました。日程は12月21日(月)夜。しかし、宿泊せずにお帰りいただくためには遅くとも20時には散会する必要があります。そんな関係で、懇話会は18時始まり(おむすび付)という異例の事態に。

もうひとつのメールが、私塾の故経営者の家族の方からのお悔やみの返信で、手一杯でした。今回はパス。

すみません。


夜間傾聴>臨時休業

(校正1回目済み)

 

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11/04 仮設・地域における回復期の治療支援&保健(5-1番外編)

2015-11-05 06:12:05 | 地震津波災害ボランティア

2015/11/04 記
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実は今日、朝の9時半から、神奈川県主催の「ソーシャルファームセミナー『雇用をつくる会社をつくる』」が行われている。アイエスエフネットグループ 代表 渡邉幸義 氏が「第3の就労の場としてのソーシャルファームについて ~アイエスエフネットグループの取組みとソーシャルファームの展望について~」と講演、その後、進和学園 統括施設長 久保寺一男 氏が雇用事例発表として「たとえ重い障害があっても、労働者として」が紹介講演される。

この時間帯、徹夜は身体がついていかないので歯噛みしながら見送った。東日本大震災の数日前、3/8 に、私は「ソーシャルファーム」の日本への紹介者炭谷茂氏の茅ヶ崎講演の水路を作った。障がい者雇用を作り出すヨーロッパの事例と比較しながら、日本の現状とその担い手の芽をどこに見出すかを探ろうとしていた。障がい者の生活自立困難という現状を打破する方策として、民と官の地域協働が生み出す雇用というひとつの方法だった。障がい者の困難な現実とその解決の方向性として、「社会的企業」が提唱されているがゆえに、従来の「よりよい社会」の新たな収益性を求める生産コミュニティの「ソーシャル・カンパニー」と区別するために「ソーシャル・ファーム」と呼んだ。単純な「公的課題の企業手法を用いた解決力獲得」ではないのだ。

この構想の魅力から、私は東日本大震災が起きなければ、この課題を「引きこもり・自閉症スペクトラム者・精神障がい者・路上生活者等」の雇用を生み出す可能性の高い方法として追い求めていただろう。(現にヨーロッパには、彼らのソーシャル・ファームがある。)

しかし、3.11が私を変えた。あらゆる人々の生活の営みのすべてが、震災津波に飲み込まれて行ったからだ。災害ボランティアを生き辛さを抱える者を排除しない、いやインクルーシブな活動として血脈を通していく活動を行おうと、私は社会活動として集中する領域を変えた。4年半を経て、今日の講演会企画は、「ソーシャル・ファーム(企業)」の進展を表すものとして、また、湘南にこうした活動がどう影響しているか見たく思い、その一方では災害ボランティアの医療・福祉・介護の領域の活動が非専門職の活動としてはなかなか育たないことに、ただ念じるような気持ちで「歯噛み」と表現した。

ひとの生涯を翻弄し、蓄積を吹き飛ばしてしまう、そういう、災害に抗するひとの繋がりの知恵の結集と具現化、それをやらなければならない課題と思うからだ。生活上の余剰のおすそ分けの自由意志によるお手伝いという災害ボランティアを否定するつもりはない。ただ被災が抱える課題は、受け皿の形を問う、そこに深化していくエネルギーとベクトルが違う点に注意したい。私は後者にたつ。各地の災害復興支援の轍を踏まずと思うし、金太郎飴のような支援では、大型災害に立ち向かえない。

いみじくもNHKでは「町内会の衰退」を取り上げていた。地域コミュニティと呼んだとき、それはその「衰退する町内会」の「連合」なのだろうか。都市型災害の特徴は、発災時自然発生的に生まれ、被災負傷者救済を行う地元被災者の面々の活動の中に、地元自治の芽を見ていけまいか。そんなことを考えながらブログを書いている。

(つづく)

夜間傾聴 >なし (校正2回目すむあ
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11/3 私塾OB会と/連載・番外編より

2015-11-04 06:14:09 | 地震津波災害ボランティア

2015/11/03 記
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東京で私が関わっていた私塾関係の会合が10年ぶりにあった。私が参加していないので、心配した友人から電話が入って驚いた。私のところに案内の葉書を出したというのだ。犯人は母だった。私に渡そうとバッグに入れたままにしていた。

残念と応答したが、今どき葉書かよと驚きもした。

小さな補習塾の経営者ばかりの集まりだが、1990年代は、結構面白い実践をしていた。私が2000年の交通事故入院で完全に塾を閉じてから、次第に疎遠にしていた。

話によると、塾ひとつを除いて全滅。残った塾も、経営者の体調不順から休塾して6年、昨年塾を再開したというものだった。養育関係の出版社の嘱託や、工房に転じている者もいるが、大半は高齢化による閉塾。約半数強が亡くなっていた。何とも寂しい。

(高齢化、だから『葉書』なのだ。)

「ビッグイシュー」の配布の件も、休日なので出来ず、12月懇話会のゲスト、峯本氏(『地震災害と高齢者福祉』の著者)の当日のテーマ確認メールを出した。

一部、テーマの部分だけを紹介しておく。

----ここから----

…大きくは都市型災害を蒙る高齢者の課題を東日本大震災との比較の中に大づかみすること。急性期以降の被災の課題を抱える高齢者の、健康と生活を支援する地域のソーシャル・キャピタルを、現場の活動の芽から誰が中心となってネットワーキングしていくかというとんでもなく大きな話を、現場経験に曝し、たぐりよせていく懇談といいましょうか、大災害の経験を活かし、避難後に効果的な長期像の段取りを探って行きたいと思います。

高齢者をめぐる日常的なすべての活動が、閉塞的な状況のまま被災する現状があります。被災後、外的な支援は一時的にありながらも、地元をいかに掘り起こし、活性化していくかというその後の恒常的な支援に結びつけていくかという多職種連携の地域課題をパワーアップしていく見通しが欲しいのです。

私個人の関心からいうと、震災被災した高齢者を地域で包み込んでいくと言ったとき、医療・福祉・介護の専門職に閉じたネットワーキングではなく、家族を含む地域の民間ボランティアを育て組み込んでいく視点を持ちたいと思うのです、笛吹けど踊らずの厄介な領域ですが。…

----ここまで----

連載を再開します。

今回は取りあえず番外編、河北新報の記事関係紹介から。

●「11/1 生活資金・健康に強い不安 避難者調査/山形」
●「社説(11/2):被災者の内陸定住/意向の把握きめ細かく」
●「<集団移転>孤立懸念 支援の輪必要」

仮設生活を終えて、災害公営住宅(復興住宅)入居期である。しかし、高齢化率が高い。地域サポートが途切れれば、たちどころに生死に関わる問題が起こりそうだ。

地域コミュニティの形成と専門職サポートが同時進行する状況が始まっている。災害ボランティアに出来ることはなにか。

また表面化してこないが、身体障がいや、重度障がいの方たちの家族はどのような選択をされているのだろうか。

今回はまずここで。

(つづく)

-------

夜間傾聴:ひとり(あっさりと)

(校正1回目済み)

 

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11/2 「わーくNo.59」配布開始と、P.8災害ミニカフェ11/20に読者コメントあり

2015-11-03 05:17:56 | 地震津波災害ボランティア

2015/11/02 記
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「わーくNo.059」の配布開始。熱心な読者の**さんが、p.8の「金曜災害ミニ・カフェ11月予定」を見ていて、11/20のハートネットTVの「DV」と「阪神淡路大震災単身高齢者の孤立死」の解説が「以前書いたので略」というのはいただけないとの感想をいただいた。いつも番組予定は掲示しているので、掲示用の文を書いた。参考になさってください。

---- ここから ----

<<テーマ:避難生活が覆い隠していた被災者の困難
  ~災害支援>>

●ハートネットTV「明らかになったDV被害~東日本大震災の女性たち~」


 被災前からDV(家庭内暴力)傾向のあった家族では、人生上の強烈なストレスとなる被災体験の抑圧から、狭い仮設の中で、いっそうひどいDVが行われていた。

 仮設は狭く、逃げ場の浜も畑も、自分の部屋も親しい隣人もいない逃げ場の無い空間。育児や介護を抱えた主婦は、自由に買い物に出て行くことも困難となった。嫁姑の問題や、夫婦の問題などを抱えたが、薄い壁の仮設では、耐えて沈黙を守らねば、容赦ない噂に曝された。男性も一から転業となったり、高齢ゆえに転職もままならず、金策の見通しを絶たれ、鬱屈した思いを酒や妻への暴力にぶつけた者もいた。仮設から隣人が災害公営住宅に、次第に転居していく中で、過渡的な「仮設コミュニティ」の箍(たが)がはずれ、実情が表出してきた。

 巡回相談員の圧倒的な人員不足の中で、親しい友人も離れてしまった被災者主婦の孤立は、大災害時毎回繰り返されてしまう。手立てはないのかそれを考える。

 

 

●ハートネットTV「鉄の扉の中の孤独 ~阪神・淡路大震災20年後の”教訓”」

☆ 一昨年前、阪神・淡路大震災の際、1800人が暮らす神戸市西区の西神第7仮設住宅の敷地にテントを張り、常駐の看護を始めた故・黒田裕子さんの茅ヶ崎懇談の際、阪神・淡路大震災は20年を経た今も終わっていないと教えてくれた。災害避難生活が表面上何事も起きていないかのように見えていた入居単身高齢者のアルコール中毒が、高層災害公営住宅入居後、「孤立死」急増という事態を、被災後数十年を経た今もなお、影響が続いている。エントランスに集会所を置いた住宅も、熱心な自治会役員の高齢化によって閑散として、見守りの役割を失ってしまう現状。だから見守り巡回相談と、地域コミュニティ持続の大切さを追体験する番組です。

------ この回は重いが防災は安全避難だけではないということを教えてくれます。避難後の医療・福祉長期支援の議論をしましょう。専門職任せでは解決しないことを踏まえ、民間支援のあり方を考えていきます。


---- ここまで ----

●明け方が寒かった。雨がパラつく中の配布に。いつもの古コートを着るはめに。配布してまもなく気温が上がり始め、暑苦しい状態に。

●今日はビッグイシューの受取日なので、横浜へ。明日は学習カウンセラーの日。

●茶の間にだして、操作法を試していた「拡大読書機」をうっかり出したまま外出したのがいけなかった。部屋の隅に追いやられていたが、接続ケーブルがコネクタ部で折れて、買わねばならぬはめに。母の掃除癖。何の機械か、30万円を超す機械であることや、ケーブルが安くて数千円することなど、発想外。凶。

夜間傾聴:ふたり

(校正1回目済み)

 

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