湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3・22 「ケンちゃんの絵日記」で書く、墓参と研究会

2015-03-23 06:32:15 | 地震津波災害ボランティア

2015/03/22 記
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父の墓参を済ませ、墓苑近くの和食の店で昼食を摂る。一組の老夫婦が奥で食事をとっている。お彼岸というのに店は静かだ。父の宗教が契機になって、親戚が疎遠となった。父には語る言葉がない。「馬鹿野郎」と言って手を合わせてきたが、虚しさのおつりの納めどころがない。

糖尿病というのに天ぷら定食を頼んだ。待っている間、店を眺めていて気になった。老夫婦は明らかに墓参だ。親戚がいないから夫婦だけで来たのだろう。しかし誰の墓だろう。親だろうか、それとも子だろうか。私も充分怪しげだが、考えてみれば老夫婦もまた怪しげだ。

まあいいと意味のない詮索をやめて、茶をやめて冷たい水で清めたつもりにした。気持ちを抱えたまま研究会に出たくは無かったからだ。

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「ケンちゃんの絵日記」と私の尊敬する先生が名づけた文章がある。朝*時に起きて、歯を磨いて、…+時に寝ました」と目的も無く出来事を羅列する日記が、それだ。公私混同の「ケンちゃんの絵日記」様式のブログである。私の大切な友人が私に、「語らねばわからない」と要求したことに答えているつもりだが、実際は書いてもわからないだろう。

やはり祟りがあった。地下鉄が人身事故で動かなくなった。私に協力してくれた##先生を偲ぶ会なので遅刻したくなかった。近隣の山手線駅からタクシーを使って、会場に乗り込んだ。

東日本大震災があって以降、しばらくご無沙汰していた人々がそこにいた。年を食った。お互い様なのだが、私のように社会活動畑から参加している人は、いないだろう。東日本大震災前は、いわゆる社会から疎外されている人たち、それは私にとって「不登校・引きこもり」・「高機能な自閉症スペクトラムと欝・神経症」・「認知症高齢者」が念頭にあったが、社会に再包摂する過程を見つめたかった。また連携することによって、前述の方々の中の特に青少年の変容をいかに支えていくかに関心があった。また特に就労支援のことで「社会的企業・ソーシャル・ファーム」に関心を持った。大きくは私のフィールドは私教育であり、地域社会活動だった。就労支援はその中にあった。

東日本大震災後は、災害弱者の避難生活サポート支援に関心を集中させたので、教育臭さは薄らいだ。それゆえ、しばらく会の企画参加から離れていた。##先生の逝去は、その切れた時間をつないでくれた。

会場は古参の方が多い。私を見てにやりとして通過した方もおり、何はともあれ、被災者に消費した時間を感じ、来週周辺に押しやられた引きこもり青年関係の報告の、ある研究会を経れば、私はまた空転の被災者支援活動に戻るつもりだ。

いくつかの知らない情報が飛び込んできた。私を東北の地縁の閉鎖性を気遣って注意するようアドバイスしてくれた%%先生と##先生が昔組合活動経験者であったり、今は無くなった政党の関連者であり私の古巣である立場を##先生は経験していたりという、研究者としてはどうでもいい暗号情報を%%先生が提供してくれたことだ。

##先生の研究の経歴紹介により、漠然としていた私のつかみ方がより鮮明になった気がした。動きを動きそのものとして、労働や人間関係の生きた過程をつかみだすために、それは私には頑迷窮屈な世界から一時開放されたような気分にしてくれる理解者が、そこにいるという安堵感を得る、束の間の時間だった。

蛇足だが、そういう研究者はなぜ「いま・ここで要求されている課題(時代的要求)」を反映させないのだろう。また、どうでもいいことではあるが、発表者はなぜ自分のPCをプロジェクタにつなぐのだろう。USBメモリにデータを入れておき、主催者がPCを準備しておけば、画面が出ないとごたつくことも無いだろうに、習慣とは目に見えない形で潜んでいることそのものだろう。

我が家の玄関扉を開けると、母が電話にかじりついていた。母に食事が済んでいることを確認して、奇妙な取り合わせの一日が終わった。


夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

 

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