2013/04/09 記
--------------
父の入所している老健の花見に出かけた。まもなく特養に移動するので、ここでは最期の花見となる。昨年は小雨の花見だった。4月も初旬を過ぎると、花に嵐の時期に入ってしまう。今年も曇り空。花は例年になく早咲きで、八重桜以外はすっかり葉桜になっていた。しかし企画はむしろ「外出散歩」に重点が置かれており、実際花が咲いていようがいまいが、当人たちは無関心なのだった。
近くに保育園があり、園児たちのお散歩の時間と重なった。園児たちは慣れたもので、老健入所者の面々に挨拶したり、ハイ・タッチ(ロー・タッチ?)したりとサービスしてくれるが、男性は無骨に黙っているのは、可笑しいというか、侘しいというか、「どこの子だ」と、職員に質問しているのだった。関心の持ちよう、感じ方が違うのだった。
入所者10名ほどのグループ単位で企画が組まれていた。近所の公園をぐるりとまわってくるだけだが、私は9時半集合を10時集合と勘違いしていて、大幅遅刻で合流した。我が家からは、乗り換えも多く、1時間半はかかるので、8時には家を出る必要があった。夜間傾聴が5時に終わる。日誌をつけて眠る準備をしていると就寝時刻は6時になる。だから午前中用事が続くと徹夜連続は辛い。
帰りに図書館で仮眠をとっていたが、たちどころに起こされた。大いびきだったらしい。やむなく某病院の救急外来の端のソファーで仮眠。ここは見逃してくれるのだ。我が家は母が昼間眠るのを許さない。祖父母の介護のときからだから、15年はこの調子で切り抜けてきた。
私が父の入所待ちに申し込んでいた数箇所のうちのひとつに、私がYMCA経由で検査を受けさせ、不登校だった子が大人になって、福祉職員として就労しているところがある。**子と同じ高校を出てから資格を取ったのだが、その子から携帯に電話が入った。駅前で見かけたからだという。
ひとは、他者に必要とされることが、深いところからひとを脱皮させる。ADHDの傾向は残っているが、うまい身の振り方を身につける。大船渡中で出会った子たちもしっかりしていた。被災からの家族の生活再建に役割を見出している感じで、特に女子は、いじめられっ子だった子が、行政職員なみの動きをしており、被災者の若者の全てではないが、ここにも災害ユートピアが影響を広げていた。
先方の終業時間まで待ってから会うという具合にもならず、日は改めて会う事になった。相模大野校の仕事がその時間には始まってしまうからだった。
仮眠後の寝ぼけ顔で、藤沢有隣堂書店でホワイトボードとマーカーセットを新調した。対面指導の時はこれが一番なのだ。しかし、金を支払って商品を置いてきてしまった。慌てて小田急改札に理由を述べて、有隣堂で商品を回収。恥ずかしい。寝ぼけているのだ。思い返すと、また見えない右目の側のいたずらだった。
約束通り、母に中華丼をテイクアウトして買って帰る。母は、にぎり寿司を数個食べて夕食にしようとしていた。食べたから中華丼はいらないという。「食べた」の中身を注意していないと、この前は玉子サンドひとかけらで済ませていた。食事管理をしていると、母の約束の撤回には何度となく振り回されている。私の糖尿病カロリー管理とともに、必要だからなんとか続いている。
気仙地方の生協からメール応答が来ていた。紋切り型の断りメールだった。通信へのケアの視点からの活動寄稿をお願いしたのだったが、なかなかうまくいかない。被災地はいかないと、ことが動かない。某経営者団体経由で、JAの婦人部につなぐ依頼もなしのつぶて。
13日の土曜日、プレジョブの講演会で浅野史郎氏が茅ヶ崎に来る。ここで通信配布をと考えていたが、父側の法事がみごとに重なった。寄稿依頼の不調もあり、それでなくとも間に合わないが、とどめが刺さってしまった。
「やさしいハンカチ展」各地で好評とのこと、これはこれで紹介していこうと思っている。
明日は糖尿病の検査の後、八王子に行ってくる。帰りにJR相模原の塾だ。
夜間傾聴>結局断りきれず…ふたり
(当人が済んだあと、内緒で母親から)
(校正1回目済み)
p,s,
●「東日本大震災 医療と介護に何が起こったのか-震災関連死を減らすために」を購入。某政党系だが、的を射ている。