湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

4/29 伯父のホスピスに思う/薬剤師の災害対策マニュアルと講師

2013-04-30 04:52:04 | 引きこもり
2013/04/29 記
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社会活動の空転はいつものことと自分に言い聞かせつつ、気を取り直して伯父のホスピスを訪ねた。父方の親戚は父の宗教の法事荒らしへの反発と、私の奇行(ボランティアへの無理解)から縁が遠くなっていた。そんな関係からか、伯父に会っても悲しみは深くないドライな自分に呆れもする。

明るい個室に眠りこけている伯父の面影がやはり父に似ている。病室には誰もいない。深くしっかりとした呼吸、枕元のログを見てもバイタルは悪くない。今の状態なら激痛が襲っているはずなのに、緩和ケアとはこういうところなのかと、改めて感心する。麻酔薬の効果だ。椿の花のように、ある日突然花が落ちる。

伯父のいるワン・フロアーのどこの病室も親族の姿がない。午前中に来たのだろうか。

目を開けて、ルートがついていない側の手が宙を探っている。掌を包み声をかける。ナースセンターで、マスク着用を要求され、しぶしぶかけていたマスクをはずし、私であることを伯父に語りかけた。父と違い伯父の聴力は落ちていない。それにも関わらず私に向けられた視線は私を見ていなかった。

人間の重要な対人認識の特徴である「模倣」は残っている。うなづきながら問いかければ、私のうなづきにシンクロしながら伯父もうなづく。しかしそれには同意の意味はこめられていない。乳児の微笑みと同じく、相手を理解するために、共通の動作をし、そこから湧き上がる感情の記憶をさぐっている。喉の渇き、空腹感、視覚の効かぬ位置からの怒りのキャッチなど、乳幼児は鋭敏だ。大人になるにつれ、それは潜在化していくが無くなるわけではない。伯父のそれは乳幼児のそれのように、私を探る原始的な認識プロセスを踏んでいるのだった。

私の言葉は、おそらく伯父にとって意味をなしていないだろう。文節と関係なく私はうなづきを繰り返した。注視は長く続かないが、その範囲内で語りかけても、話と無関係に伯父はうなづいていた。推測だが声色、声の調子は伝わるかもしれない。しかし、伯父は私を固有名詞を持って眺めていないのがわかった。伯父が外してしまった酸素マスクをそっとかざしてみた。手はマスクに関心を示さなかった。

看護師の点滴チェックが入って、私は容態を看護師に訊いたが、医師の予約をしてくださいと断られた。ホスピスは、うかつに表現できないシビアなところなのかと、改めて思う。容態の急変したときの親族の怒りが看護師にふりかかる。祖母の臨終の日の介護も私が泊まっておこなった。生き物が無生物へと変容していく、微妙だが厳然とした変化。伯父もまた夢の中にいる。しかし座薬も効かなくなった祖父の憔悴しきった断末魔の姿、身をよじり歯が欠けるほど食いしばって血反吐のなかに死を迎えた母方の叔父とは違った、作られた静穏の中に伯父がいる。

身辺整理は行き届いているので、低い椅子をベッド脇まで寄せて、1時間ばかり昔の話題を語りかけた。ところどころ同意を得るようにして。しかしそれも伯父は10分弱で眠りに落ちた。眠る伯父に語り続けて、母の名代も果たしてきた。

入退出のログに署名しながら、親族のシフトの様子を聞いた。しかしそれも、守秘の壁に阻まれてしまった。私はスイカのカードを持ってきていた。介護に通院する際の交通費の足しにしてもらいたかったからだ。私は親族に会えなかったときのことを考えて、看護師に断られないように、作戦をたてていた。カードを封筒に入れ、「先日、親族に会ったとき、先方がカードを置き忘れて行ったが、返そうと持ってきたが会えなかった。私は遠方にいるので、あす親族が来た時に渡して欲しい」と嘘をついたのだった。勿論親族には、カードを預けた旨をメールしておいたのだが。

私は伯父に語りかけながら考えていた。こうしてひとの中にいて亡くなるのではなく、誰の目にも触れず、世間の谷間で忘れ去られ、亡くなっていく方の孤独のことだ。

辻堂の駅に現れ、しばらくの間、構内で過ごしていた**さんは、急に姿を消したと思ったら、早朝,酔って歩いていたところを日立市の路上でひき逃げされた。私の名刺を大事にしていてくれたので、そこから警察が私に連絡して、彼の消息がわかった。病院関係者の協力を得て、私も交えて親族探しをした結果、豊島区に遠縁がわかり、転院していく車内で、**さんは息を引き取った。警察からの連絡でそれがわかった。茅ヶ崎市の生活保護課の++さんと話したが、声が詰まってしまった。まさに犬死だったからだ。孤独死とは、誰の目からも外れて、ひとの谷間に死を迎える者とは限らない。ひとからひとの受け渡しの最中、誰にも心を通わせられずに他界する者もまた孤独死である。

母と辻堂で外食して帰宅したが、ずっしりとした疲れが襲ってきた。連休中、ご近所は朝が早い。私が寝るときに彼らは出かけていく。ここ数日、睡眠時間が4時間を切っていた。仮眠を1時間半ほど取る。作業が停滞している中でのことなので、なんとも言えない。

この時期、一般就労の3ヶ月目の転職変動到来には早いが、手帳を使った就労の場面も、リクルート業者の合同面接会が再開しはじめる。そのダイレクト広告が入ってきた。しかし、これはほとんどすべてが視覚障がいを除く身体障がい者を対象にしていると言っていい。

昨年は横浜会場に、一名相模原の塾から、塾長担当の成人女性が求職申請を出した。国籍は日本だがブラジル人とのハーフだったために、身体障がいの手帳を持っていながら、そちらの方で門前払いの辛い憂き目をみた。客相手ではないのに、軽いイントネーションの訛りから、職場の意思疎通を問われたという。

これから、数は少ないが補充募集なのか、合同相談会がときどき入るようになる。今年は精神障がいの方の求人が増えているが、影響を見ている。

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K2インターナショナルは、引きこもり青年の社会参画として、災害ボランティアに熱心だ。自分が必要とされている経験ができるからだ。

私が茅ヶ崎に拘束されているから、なおさらに思うのだが、被災地に災害ユートピアの体温が残るうちに、滞在計画をたてて行くといいと思っていて、候補はいないかと探っていた。塾のスタッフが、福島からの避難者が市内にいるからと、彼を連れて行って、彼は彼で、避難家族に何をしたらいいのかわからなかったと、現地出立の芽をつぶしてしまった。災害ユートピアは被災地だからこそ醸し出されるものなのに、スタッフは其の辺が理解できない。塾長のつてから多賀城市を紹介していたが、一度冷えた意欲を引き出しなおすのは困難だ。更なる誘いは同僚の誘いでもあればいいが、その同僚がいないのが引きこもり者の特徴だからだ。うーん、被災地体験のある協力者が欲しい。

薬剤師畑の講師を探している。被災時、内部障がいや、精神障がいの方、持病を持った特に高齢の方の治療薬ルートの確保は難しい。薬剤師会の方では、すでにマニュアルが出来ていると聞く。ここからの講師も考えたい。

夜間傾聴>なし


(校正2回目済み)

コメント
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