湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

10/22 大船渡から歩き始める~仮説住宅にお邪魔して・美容サービスの現状 (2)

2011-10-23 05:53:04 | 引きこもり
2011/10/22 記
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神奈川災害ボランティアネットワーク主催のボランティアバス、今回はG便という岩手遠野・県金太郎ハウス行きのバスを使って岩手入りした。宮城行と違い今回は経験者のみの岩手便ということで、バスはがらがら。たった13名が特大バスを占領した。朝6時、遠野市の風の丘PA着。ここから数分で金太郎ハウスに着く。

私は企画立ちあげ屋として、セットメニューの環境整備と仮設喫茶応援とは、別行動を取った。横浜の本部の方々の判断でバスに乗ることができたのだが、結局私のようなフリーランサーは、自家用車や長距離の夜行バス2泊で動かざるを得ないのかと思う。県の支援はその場合届かない。

大船渡には、路線バスで朝8時台に到着。サンリアSC横の路地の朝市を覘いたがやっていなかった。知人宅に連絡を取った。私は前の訪問で行政関係者や複数の市議、地元教員や商店主の方々と知り合いになっていた。この時間に会っていただけたのは市議の**さんだった。

恐縮してしまったのだが、大船渡の主要な目的地までの運転手をしてくださった。初めタクシー乗り継ぎを覚悟していただけに、嬉しかった。東海大学金目キャンパスの方々と交流があるとのこと。湘南メディアネットワークの会員の方で、子ども放送局をされている。セレスタン・フレネがフランスのフリースクールを立ち上げたとき、彼は子どもに新聞を作らせる教育を行なった。私は教育の髄は再構成にあると思っている。その意味で面白い試みだと思うが、ツール体験の奇異さに振り回されないようにリードしていく必要がある。

世間は狭いものと思う。**さんの車で初めに飛び込んだのが、丸森にある元開業美容師さんの協働のお店「絆」を訪問した。前回交流した++さんがお休みとの事で、話が空転するのが目に見えているので、ご挨拶のみしてきた。この活動でも支援活動は矛盾を抱える。

それはこの活動が、被災した元開業美容師さんの自立復活支援に焦点が置かれているが、美容師(理容師)資格の無い私たち非被災地支援者は、仮設を中心とした被災者に美容(理容)サービスを届ける間接支援に焦点がある。このずれは、実際には「まちうけ店舗」型の活動と、「仮設巡回」型の活動との差異になっている。丸森は大船渡から陸前高田に向かう途中の「丸森景勝地」というところにあり、人家は離れている。高齢者が徒歩で来るのは無理で、健康な大人でも碁石海岸線や大船渡一関線の本数のない路線バスに乗らなくてはならない。美容師さんは7名。協働出資者であるが、日々の来客は7月時点で3~10名で、7名の美容師さんの生計も立たない。最近美容師さんたちの支援ネットワークの支援の会が盛大に行なわれた。盛岡にある本部が給与を出す形で、美容師さんたちは生計を立てている。釜石店に引き続き、宮城にも気仙沼だろうか本格的に資本投入した店舗が広がりつつある。

被災者が避難所生活をしていたころ、無料奉仕の形や、ワンコインなどの形で非営業的なカットサービスが避難所巡回する形で行なわれていた。そのころのサービス提供者の方とは気仙地方訪問前に電話連絡が取れ、お話を伺ったが、その方は年齢を理由に仮設の移転の済んだ現在、巡回してサービスを提供する意志は無いとのことだった。

ただそのお話の中で、よその美容師さんたちが来ても、本来は法的には活動できないのだそうだ。営業免許のエリアがあるのだろう。加えて、被災者へのサービス提供は、地元に任せてもらわないと、地元復興の開業自立の妨げと地元同業者からの抗議があったという。つまり地元業者が仮設に出向いて有料サービスを行うという形になるという。その結果が「待ち受け店舗」型支援となっていた。

サービスを被災者に届ける側としては、カットのみでいいと思うのだが、仮設を訪問してもらうことはできないものかと、考え続けた。ひとつは「絆」さんとは別に地元美容師さんと連携すること。これは実際、巡回している方がいらっしゃるので、可能だが出会うことがいまのところできていない。もうひとつは「絆」さんに訪問サービスを平行しておこなっていただくように掛け合うこと。この後者の交渉が盛岡の本部となされていた。ここで「カット券発行」という話が浮かんできている。実際、店舗待ち受け型では、見た限り失礼だが未だ閑古鳥が鳴いている状況に見える。地元開業者の仮設店舗が次第に、仮設地域に出来ている時期に、このサービスを届けるメリットを何処で出すかということになるが、大きな点では、生活必需サービスであるが、失業保険や生活保護でここしばらくは、仮設生活者の多くが窮乏生活に入っている。だから「無料」「割引」カット券を提供していくことには意味がある。

この「カット券」を一気に全体の仮設にというのではなく、仮設地域の的を絞ったり、独居などの弱者向けに提供する形でデザインし、その購入運動を立ち上げて行くという道をさぐるべきだ。私たちに地元美容師さんを束ねる力は無い。ならば、いずれ矛盾が顕在化する協働のお店ではなく、美容受注パッケージとして「カット券」のアイデアを膨らませるべきだろう。

このことについて、**さんは私をある仮設住宅の自治会長さんの御宅に案内してくれた。「命の旗】の件とともに美容サービスの話を聞いてみた。近くに美容院が復活しているので、不自由ではないという。やはりそうかとも思う。すべての仮設が不自由ではないとは断言できないが、対象を独居などの弱者に絞る必要があるのだ。ならば「カット券」は美容師さんの理解者が登場すれば、その方と組むべきだし、現段階は「絆」さんへの提案を深めていくべきだろう。

今回の訪問した仮設は急坂の頂点にあって、足の不自由な高齢の方は外出が無理だ。こういう場面でこそ、訪問サービスが生きてくるのだ。

次回、仮設にお邪魔してのレポートにつづく。



(つづく)


夜間傾聴:橋本2君(仮名)朝


(校正1回目済み)

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10/22 ボランティアバスに乗って、大船渡・陸前高田の企画立ち上げ交渉へ(1)

2011-10-23 05:49:39 | 引きこもり
2011/10/22 記
--------------
18日か21日夜まで、大船渡・陸前高田に行ってきました。
7月の訪問を土台に、今回はいくつかの目的を抱えて行ったのだが
なかなか日程が組めないのに困らされた。一番大きいのは、路線
バスの、一日4本程度という本数の少なさだ。通勤通学時間帯の
最低限の本数に制限されているために、昼間の行動時間帯の移動
だけでなく、乗り継ぎがうまくいかない。自家用車で動かないか
ぎり、巡回の組み換えの自由さが大きく制約されてしまう。この
ため、アポを取った訪問や、訪問の結果次の訪問先が変化してい
くという自然な追求が制限されていた。

18日夜、大和市役所前からボランティアバスで遠野に向かい、
翌朝6時台から行動スタート。初日、遠野から大船渡にでて、こ
の日は大船渡重点でまわり、この日は吉浜の民宿に泊まって、翌
20日は、陸前高田重点で巡回することにしていた。

大船渡では、

1)地元の関係者である知人と再会すること。
2)「命の旗」構想&「カーシェアリング」を行政関係者・市社協
  に打診すること。
3)11/22県立鶴嶺高校ボランティア塾の講師探し。
4)冬休み高校生体験学習宿泊所探し。
5)さんさんの会、サンマ試食会情報収集。
6)余力があれば、以下の場所を訪問する。
  ・被災後、大船渡に仮設校舎に入っている高田高校
  ・仮設住宅にプランタを提供している県立気仙光陵支援学校
  ・美容師さん、協働の店「絆」再訪
  ・東海新報社再訪
  ・仮設住宅遠景撮影
  ・ホテル福留周辺撮影

を実行すること。


翌日予定の陸前高田では、

7)地元の関係者である商店会関係の知人と再会すること。
8)「命の旗」構想&「カーシェアリング」を行政関係者・市社協
  に打診すること。
9)11/22県立鶴嶺高校ボランティア塾の講師探し。
10)大洋会青松館作業所訪問
11)陸前高田ドライビングスクール(朝市体験許可再確認)
12)余力があれば、以下の場所を訪問する。
   ・被災した高田高校の被災状況確認
   ・鳴石団地(仮設)訪問、仮設店舗撮影
   ・酔仙酒造との連絡(ゆめたい小箱ショップとの仲介)

とまあ、欲張った計画を立てていた。しかし前述したように路線バスの制約は大きく、結局「大船渡<>陸前高田」はタクシー(往復約1万2千円)これは不可欠。
「大船渡>遠野」(最終日朝、民宿泊の場合)(片道1万5千円)
「釜石>遠野」(最終日朝、民宿泊の場合)(片道1万4千円)
「大船渡>吉浜」(19日夜、民宿へバス乗り遅れ)(片道7千5百円)
これらは状況に応じて必要に。

長距離夜行バスで池袋<>大船渡をしても1万5千円である。法外な値段に感じてもしかたがない。結局あきらめて、20日は民宿泊を諦めて、サンリアSC(盛駅隣)16:23発盛岡行最終で遠野の金太郎ハウス泊へ。16時台に行動を終えなくてはならなくなった。これは岩手県交通が本数の少ない釜石>盛岡線を10/1から1本バスを間引いたのが原因。帰りの遠野発のボランティアバスに間に合わなくなったのだ。巡回先は、いっそう厳選されることになった。自家用車で動かないと身動きがとれない、そういう印象がある。

ボランティアバスは、いわばセットメニューである。環境整備と仮設喫茶運営のために、基本的には個人を束ねて被災地に人材を送り込んでいる。瓦礫の撤去や湘南を仲介する企画立ち上げ屋は、はみ出てしまう。最終日、金太郎ハウスの職員(神奈川県職員)の方に情報を残すつもりで、陸前高田の洋式トイレ難と比較し、ここのトイレは洋式でほっとした話をしたとき、行政マン特有の過剰ガードに入ってしまったのには、がっかりした。私は交通事故の後遺症で、しゃがむことができない。だから仮設トイレが和式ばかりの陸前高田は冷や汗をかいたという話だ。

また大船渡・釜石からボランティアバス出発13:30に間に合わせようとするが、両方とも13:28遠野駅前着で、数分差でバスがでてしまうことだった。この日、バスと調整して13:30発を12:00発に変更した。おかげで帰路、終バスに間に合ったのだが、その自由が効くなら時間を14時発なり、数分待つことができると、フリーの連中が使いやすくなるという感想だった。恐ろしい形相でそれは、本部にということと、それは皆の承諾を得る必要があるという応答が戻ってくるのだった。大船渡市・陸前高田市の行政・社協と交渉した時と同じ化け物が、ここにも潜んでいた。

帰りのバスの中、リーダーと私語を交わしていたいたとき、私のよをうなフリーのつなぎ屋がボランティアバスを使ったのは、私が初めてだということ、今後もいないだろうという話が出てびっくりした。民宿を取るとき、復興のための関係業者が宿を占領している状態で、大船渡市内で予約ができたのが奇跡のようだったのだが、このときも災害ボランティアと名乗るとあからさまな侮蔑対応が行われた。両者ともに、災害ボランティアのイメージの貧困が隠れている。この刺さった小骨のような不快感は今回の訪問を貫いていた。現地訪問型ボランティアの総数は、8月を境にみごとに半減している。日常生活支援期に入った現在、心を蝕む生活不安と対峙しなくてはならない時期に、非被災地の人心が離れていく。善意に基づく現地訪問支援ボランティアが後方支援地への関心を失い、自分に閉じた行動原則を取ることさえ半減の状態は看過できまい。新たな活動への拡張を支援の現場では硬直化している状況がある。構想力の問題だというのに。

(つづく)

p.s. 11/22講演会会場がふさがってしまい、やっと1ヶ所確保した。50名ほどの大きめの部屋だが、冷や汗をかいた。しかし17時半開場なので、講師が帰る時間を確保できなくなる可能性がある。開場探しの結果、ペットレスキュー通信No.02が配れなかった。明日は休み。本当に土日が邪魔。ことが進まない。

明日(10/23 日曜)、14?15時、茅ヶ崎サポセンにて報告会、準備レジュメ作成中。

図書の延長手続きを忘れていた。平塚図書館と茅ヶ崎図書館済み。明日、寒川図書館と辻堂図書館が必要。月曜日県サポ。平塚図書館からの帰り、サンシティに立ち寄ろうとしたところで、夜間傾聴の**の母親から電話。専用端末以外の番号を誰が教えたのだろう。昨夜から再開している旨を伝えた。こちらの携帯にかかると長時間電話なので困るのだけれど。


夜間傾聴:案の定、数が多い。
     橋本2・3両君(仮名)
     南大沢君(仮名)
     **君(仮名)

(校正1回目済み)


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