湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/10 「わーくNo.072 表紙」より/他

2017-11-11 06:26:33 | 地震津波災害ボランティア
2017/11/10 記
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「わーく OnlinePicUp No.072」Top タイトルより

<<「ティーンズの防災の契機づくり」の会をはじめませんか?>>  

●東日本大震災という大災害から私たちは、ひとの生涯に訪れる深刻な危機は突然現れるということを学んだ。平穏な日常が日々の営みに支えられており、大切な家族・隣人とともに生きていたことを、災害に断ち切られることによって、愚かではあるが、各人がいまさらに気付き「これからどうするか」という今後への問いを抱えた。しかしこのことは、社会が一度立ち止まったことであり、エアポケットに落ち込んでいる若者や大人たちに社会との関係の結び直しの契機であり、自分が大人になっていく若者にとっても、進路変更を迫られる判断の岐路でもある。

●防災は被災からの復旧や人命救助・災害弱者の保護という現場の課題に応じ、刻々と解決していく活動(共助・公助)だが、それを当事者の目で見れば、岐路に立つ者の新たな出会いであり、普段で会うことの少ない大人たちの現場活動や専門職との出会いであり、見慣れたひとの意外な行動の様の発見でもある。

●災害はひとを変える、そのことは発災以降の混乱した現場の中で黙々と個々人の胸の内に起きて、地下茎のように、表に出ることなく流れ去ってしまう。これを教育的観点といえば抜け落ちる「新たな、ひとの絆の結び直し」という連携の実現と考えると、このことは、発災前にも、初動させていくことが可能だと思う。特に若者は必要の即時対応に翻弄されるのではなく、自分の近未来のモデルとなる人物やその活動との出会いが重要な意味を持つ。

●発災時、地元の若者が、自ら何をしたらいいのか戸惑い、「お手伝い」(補助活動)に終始する例を被災地で見てきたが、もしここに「災害が起きたら○○さんのところに行こう」という各自が連想する出会いが事前にあったなら、その限界を超えて、彼らなりの参加・創造がありうるのではないかと考える。私の活動でいえば、普段関係の少ない災害弱者(障がい者・高齢者等)との接点づくりにつながるが、防災関係者が「それぞれの立場から」テーマの中の出会いを若者開拓の意味をこめて「絆の研修」を実現したいと思う。鶴嶺高ボラ塾がヒントになっているが、分科会を公募し、各分科会の運営は各自に任せ、年数回、若者参加希望者を公募、体験学習と専門職との出会いを作る実行委はできないだろうか。

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「わーく」の再校正だが、呼びかけ人募集のチラシを別刷りすることにした。今回は表紙。

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やっと抗生剤が効いたか、母の咳が治まった。咳をすると足が痛いと行っていたのが、おとなしくなった。酸辣湯が食べたいと言っていたので作ったが、麺を吸うときにむせていたが、今回は何とか食べられた。さっそく起きてきて、TVを占領し始めた。

早朝、燃えるゴミを捨てに出たが、お隣のご主人と出会い、少し世間話をした。まもなく定年なのだという。ランニングをしてきたのだが、次の勤務地が遠くなったので、続けられるかどうかとのこと。昼夜逆転の私には縁遠い話だと応答。そんなやりとりから、先方が仙台の出身者だとのことで、帰省のときは災害ボランティアをしてくるのだという。今度様子を教えていただいた。母は「早起きは三文の得」というのだと的外れなことをいう。日の出は私の就寝時刻だ。早く寝ないと昼になってしまう。「三文の得」どころではない。

教材屋から給与が入る。焼け石に水だが嬉しい。

夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)

コメント
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