湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/29 大掃除という儀式/学習カウンセリングの闇

2016-12-30 05:27:22 | 地震津波災害ボランティア

2016/12/29 記
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大掃除始まる。風邪薬を飲んでいるので、雑巾を濯ぐのに頭を上下するとクラクラする。母が便利屋を頼んでおいたからと言い出して、やらざるをえない雰囲気で、ガラス窓を拭いた。1時間後、私と同世代の男性が現れた。近所だというが、おそらく嘘。作業分担を確認して、高いところを頼んで、足の悪い私は、もっぱら低いところばかり。

雨どいに枯葉が詰まっているのは、さすがに頼まざるを得ない。しかし、この時期はかき入れ時なのに、よく頼めたものと思っていたら、やはり10月頃に、母が私があてにならないと読んで、予約していた。母が余計なことに、私の居室に彼を招きいれたから、大声があがった。チラシ資料と積ん読書のケルンができている。これは他人が片付けられないと説明している。裸を見られたような恥かしさがあって、トイレ掃除のまま、こもっていた。母には、このデリケートな感覚がわからない。

つるべ落としの日が暮れて、彼は帰って行ったが、4時間1万円近く持ち去って、私は畳に寝そべって、血の気が失せていくのを感じていた。庭の裏手と物置きが時間切れということで、明日やらされる。2000年の頃、突発性難聴を右側にやって、耳鼻咽喉科の救急対応が可能な平塚に出て、早期対応で助かったことを思い出した。あのときの側頭部の締め付け感がそっくりなので、警戒をして動くのをやめていた。片眼が見えない網膜色素変性症と、片膝の粉砕骨折の後で踏ん張りが効かないポンコツである。これ以上は沢山。

考えてみれば、例年私は冬期講習で家にいなかった。大掃除は小正月に、ちょこっとやって、逃げ出していた。

面白いものが見つかった。塾を自営していた頃の補習用プリントだがジアゾ・コピーなのだ。紙は黄色に変色していたが、このころ、自作謄写版も生きていた。塾生のひとりは翔の会にいて、もうひとりは弟の方が、やはり翔の会にいる。そのひとりに出したプリントで名前が刷り込んであった。

ひとりは、相模線車内でリストカットをしていた子の傾聴を済ませたあと、人の存在のどうしようもない孤立への伴走の余波を泣いて洗い流していたときに、偶然出くわした。恐ろしい形相で私から離れていったが、見られたくなかった。このリストカットの子は、思春期外来を通じて入院となったが、その後のことは、連絡が絶たれてわからない。私が担当した子の多くは、他の引きこもり関連団体が手放した子が、いじめや挫折を抱えてやってくる。受け入れれば、その余波は私もかぶる。PSWさんに手渡していくことも多いが、その跡が夜間傾聴。明け方の魔の時間、よりそう活動だ。しかし、裏の私の浄化の時間を彼は見てしまったのだ。

3.11のような極限状況では、彼らの居場所がなくなる。そのケアは、迷惑論で一層の沈黙をする方を支援者と安定的に結びつけることだし、一掃されてしまった地域に動的に結びつける知恵を投入するデザインを生み出す場ともなる。だからこそ現場と実情にこだわるのだが、宇宙人の歯軋りでしかないかもしれないが、手を引く訳にはいかない。

あと2日で年がかわる。高萩の地震に背筋が寒くなりつつ、災害の取り組みの平常性バイアスの分厚さを感じている。

夜間傾聴:ひとり

〈校正1回目済み)

 

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