湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3/31 朝日新聞湘南版「地域ケア会議」の紹介記事にふれて

2014-04-01 06:08:37 | 地震津波災害ボランティア

2014/03/31 記
--------------
「『わーく』PicUp No.41」を書いている。懇話会と違って、広場作りの苦労が無く、代わりに実践提案やら、まだ未消化な課題の探索の公開など雑然としているが、主張を形作る「走りながら考える」というポリシーを持っている点がコアな気分になれる。書いてサポセンに置いても、一枚もチラシが減らない状況は万年一日、変わらないから、物好きの登場の期待すら持つべきではないが、私のなすべきことを成すという意味で、吉田兼好を気取るでもなく、ドン・キホーテに徹して行く気分になる。昔、「沈黙は共謀を意味する」という言葉がはやった。知っている方は白髪頭だろうが、そうなのだと思う。

3/31朝日湘南版に「介護の課題実例に学べ」という記事が出た。「地域ケア会議」という「横断型カンファレンス」が神奈川県内に始まっているという内容だった。これからの高齢化社会を見つめたとき、施設収容型介護から在宅介護型を増加させていく方向が必要になってくる。このとき家族の負担は極限に増大するため、地域サポートが重要になる。さまざまなステークホルダーの連携が必要になる。

この発想が大事なことなのだと思う。私が提唱している「懇話会」と基本的な発想が似ている。違うところは、「地域ケア会議(カンファレンス)」は、個別事例の改善という目標があり、ただそれを個別事例として終わらせるのではなく、「経験として蓄積」していく観点が入っている。

「懇話会」は、基本は「災害対策」という場面が設定されており、「大人数の一斉長期サポート」という困難な課題に対処する、ステークホルダーによる知恵を練る場(結節点)であり、次の実践課題の地域サポートチームの萌芽であることだ。「懇話会」は「実践チームではない」、緩いが被災地の現場のゲストの語りを触媒にした対話の公共空間を目指している。即実践の地域チームではなく、それを必要に応じて結成するときの「種」や「芽」を内包するものだ。それは災害対策という場に適応した形であると思う。

例えば「車椅子は押すよりも、人力車風の取っ手をつけて引く方が速い」という話題と「被災体験が障がい者にPTSDの傷を長期にわたって引きずる」という話題なら、後者の話題が優先する。より普遍的に災害弱者とその家族を保護する実践的課題がそこに横たわっているからだ。しかし前者も切り捨てることをすべきではない。彫像と塑像の関係というか、懇話会は緩やかに彫像型対話を中心におく。塑像のように知識を加えていく方法を捨ててはいないのだが。「被災イメージ化」と「対策検討」という課題を持っている。

だから、私は組織と縁に分断されている行動単位を、無視した提案になっている。これを夢物語とするか、それなら市に審議会を作りとか考えるだろう。果たして金額的にも非常識な、被災地現場のリアルを引き込む価値を審議会は行うだろうか。現場主義というカフェインは、懇話会の個性として、被災地ゲスト対話の形で継続していきたいのだ。

この思いは災害対策担当者の思いであって、前回の小山氏企画の失敗にあらわれる空転のように、安全避難・集団行動=防災という固定観念や、平常性バイアスによる外見「風化」論が流れていても、それにオオカミ爺ぃ飛田パージがあろうと、私は私の企画や、他者が始めた飛田抜きの「災害ネット対話」活動も、参加・外野応援いずれかでもかまわないから、登場を願う者だ。その際も、提案を続けて行くだろう。

JDFに4/2 寄れたら立ち寄る。母が午前中、墓地を見て、帰りに東京の病院外来にいく。私は連れ添うので、後者の様子次第で出かけたい。カンパを預かっているので、当日だめなら数日後にJDFにお邪魔する。

相模大野校の元事務長定年退職後、電話があった。飲もう…と。

夜間傾聴>元・事務長

(校正1回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする