湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

1/3 足止めが続く/引きこもり者には針の筵の年始には 他

2014-01-04 05:49:20 | 地震津波災害ボランティア

2014/01/03 記
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予測どおり、母の趣味友達集団がやってきた。ところが人数が多いので、父の骨壷に手を合わせた後、外食すると言い出した。ファミレスは嫌だという。予約せよという母の難題を受けて、三賀日のうちというのに、6人の予約。席がひとつというのは無理で、隣の席2つをつないでもらうとなると店が無い。

さんざん探したあと、藤沢まで移動条件で一件話がまとまった。ところが東海道線沿いではない。皆、東海道線ダイヤは大丈夫なのかと、わいわい注文がつく。大半が都民。帰りは小田急線で帰ることにしたという。新幹線が有楽町駅前火災で止まっていて、影響がでているので迂回するのだという。幸い店は小田急線沿いなので、2台のタクシーに分乗させて送り出した。

私の塾経営していた頃の。知り合いの塾屋関係者からも電話が入った。ブログを見たらしい。彼らは関東全域の広域だから、電話だけで済んだが、大半が私より年上、頭の方の団塊の世代なので、私のような尻尾ではない世代は、かさばるばかり(失礼)。電話で助かった。

ただ案の定、母の地元の知り合いが前連絡なしにやってきた。こうして今日も、家に拘束されて一日が終わった。私のような家族を持たない爺ぃと、家族のことしか話題が無い婆さま(失礼)の母の帰り待ち1時間半は地獄のような時間だった。

「東海道線が遅れているみたいだ」と話すと、「私は昨年1回しか乗ったことがないから関係ない」と、話題を切られてしまう。紅白の話を切り出して、しまったと思う場面も。私は紅白を見ていないのだ。しかしそれも、この方は20時になると寝てしまうとのことで、対話が成り立たず、実は助かっていた。母が帰ってこない。先方が帰り支度をし始めたとき、母は帰ってきた。携帯に何回も電話したり、メールを出したりしていたが、トートバッグの底でマナーモードでは、聞こえない。

母は喪中葉書を寄り道して買い求めていた。安物刺身を買ってきたので、この方は我が家で食事をして帰っていった。市内の方だ。私は別の冷凍物パックを解凍して、平日と変わらない食事。客がいるのでPCも本も開く訳にいかず、ともあれ、母を追い払うのに、ETVの再放送、「戦後証言史PJ/猪飼野」を見ると、母は生あくびをして、寝室に引き上げていった。

やっと時間が取れたと思いきや、昨日まで静まっていた傾聴専用携帯が鳴り出した。案の定、親戚の集まる正月は、彼ら、針の筵だったようで、ひとりは飲み屋で酔いつぶれて年を越したとのこと。もうひとりは、ひたすら寝ていたという、目が腐るほどに。

結局、夜間傾聴、やるはめになって、一日が終わった。しかし、彼らも苦しんでいたが、年相応で「まとも」な家族を営んでいないと忠告されたり、親戚に説教されるのだ。

案の定、傾聴はひとり1時間以上を話し続けた。彼らのリターンマッチの場と契機が欲しい。ため息が出た。


夜間傾聴>ふたり

(校正2回目済み)

コメント
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