湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

これから出かけるので>閑題「圧縮空気燃料給湯器セールス」

2006-09-17 18:10:50 | 引きこもり
今日は、これから出かけるので、書き込みはこれで堪忍してください。

家にいると、不可解なセールスがやってきます…


出かける準備をしているところに電話が鳴った。電話に出た父は「**さんですか」と祖父母の名前を出されて面食らったようだ。二人とも故人、残った祖母が逝ってから5年が経っている。確認電話の出来ない日曜日に年寄り相手でセールスが来ること自体怪しげではある。セールスマン2人組がやってきて、環境保護につながる給湯器であると父を説得し始めた。

1)来年から光熱費に環境税が加算されるから、対策を打つ必要がある。

2)この給湯器は都市ガスを使わないので、その分の燃料費が安くなり、環境に優しいのだと説く。

3)深夜の安い電気で空気を圧縮して、空気を燃やすから安くなる。

4)「毎月の電気代+給湯器電気代¥1,000-」×0.85(電気夜間割引)

5)燃料が空気に変わることによって約8割のガス代を節減
  「毎月のガス代」×0.2

6)その節約経費は月1万円ほどになる。

???????

父は矢継ぎ早の論法に困惑して、私に代わる。

私:
空気って圧縮するとそれだけで燃えるのか、初めて知った。(燃料の代わり)
電気が安いのは夜間だけ。なのになんで全体に割引かかってんの?
給湯器の値段が入っていないね。
この会社名、インターネット検索してみたら何軒もでてくる。会社の信用を見させてくださいね。
東京ガス・東電に料金確認し、消費者センターに被害が出ていないか確認させてもらいます。

セールス氏:
…御購入の折には、ご連絡下さい。

署名と車のナンバーメモ取っておけばよかったなと。
警察の市民相談係に経過と名刺のすべてをFAX。押さえをしておいた。
油断も隙もあったものではない。

小中学生のお子さんに聞いてみてください。

「圧縮空気って燃料になるのか?」と。



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茅ケ崎養護学校祭、巨大シャボン玉を飛ばしてきました

2006-09-17 06:24:54 | 引きこもり
9時半、巨大シャボン玉液を抱え、茅ケ崎養護学校に向かった。タクシーのボンネットを開けて荷物を下ろしていると、関係者のひとたちとすれ違う。がどうも様子がおかしい。知人の顔が少ないのだ。K先生に中庭に誘導されてやっと理由がわかった。夏休みの流会の穴埋めのために、参加者の規模が縮んでいるのだ。

既にシャボン玉おもちゃを並べたコーナーが出来上がっている。中庭には庭木が植えられていたと思われる玉砂利の部分があって、その脇に資材を並べられるように準備されていた。昨年、シャボン玉が敷石の上では滑って危険という反省を出した件が生かされていた。段ボール箱を開いて周辺に敷き詰めてくれた。

この場所でS子さんは、私の準備を手伝ってくれた。夏日の薄曇りの熱気がやがて激しいにわか雨に変わった。そんな記憶が蘇ってきた。私は客寄せ、バトミントンラケットのネットを取り去ったものをバケツに入れた液に浸す。これを振ると大きなシャボン玉が宙を舞う。S子さんはコップに取り分けた専用液とホース片を配る脇役を分担され、ぼんやりと空を眺めていた。どう観客と接していいのかわからない風だった。

私がバトミントンラケットで模範演技を「やり損ねて」笑いが起きている最中、S子さんは無頓着に両手を合わせては、手についた液の感触を確かめていた。ホワイトノイズが突然聞こえたような気がして、S子さんを廊下に誘導して座らせ、荷物の見張りを頼んだ。黙って頷いていた。

その同じ場所に荷物を置き、私はひとりでラケットを配っていた。誰もいない配布用コップのテーブルの脇にぽっかりと空いた空間を何度となく視線を向けていた。背後から細かいシャボン玉が湧き上がり、小学部の子がシャボン玉銃で私を撃っていた。倒れろというが足の悪い私にはその芸当が出来ない。胸に手を当てて、やられたフリをするが、眼差しはその子から廊下の荷物の方へと流れた。誰もいるはずのない廊下。子どもは白けて、教員に矛先を変えてしまった。不器用な悲しみが子どもを遠ざけてしまった。

シャボン玉は好評のうちに、3人の名人を作って終わった。開会式も閉会式も、私はコーナーを離れられなかった。転倒事故の可能性があったからだった。参加ボランティアの招集がかかり、バスカードの配布があったが、私は呼ばれない。実行委の正規団体ではなく、飛び込みの扱いだったからだ。参加者を眺めてみたが、やはり数が少ない。半分位だろうか。

昼過ぎには店じまいを終え、無事タクシーで帰宅した。あっけなさ。私のシャボン玉は子どもの心を乗せて宙を舞っただろうか。歓声も笑顔も集団の所属感を感じ取ることができてこそ反芻することが出来るものだ。呼ばれて演じ、慌しく帰宅した私には個々の子の顔しか浮かばない。

シャボン銃をむけてきた子、ゆらりラケットを揺らすときが一番大きなシャボン玉ができるというコツをつかんで、1時間近く私の代わりの演示をしてくれた子、どうしてもラケットを握りたいが車椅子からでは、膜面が割れてしまい、何回も何回も、ラケットをその子に渡してやっとシャボン玉ができたときに、閉会のアナウンス。私とその子は、話を無視してラケットの受け渡しを続けた。もう一度、シャボン玉ができたとき、その子の気力が切れ、ラケットが投げ出された。べそをかきながら笑顔を見せている子と、危うく閉会のガイドに従いそうになった私。ひとの輝きは均等ではない。「閉会」を「潮時」と私は読み替えていた。

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養護学校の教職員の皆さん、準備や安全対策、ありがとうございました。

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S子さんの私の一周忌は秘かにこうして終わった。

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コメントを読みました。

キャッチボールはひとりではできません。他者と共同しなければできないことがあるのです。私の怒りや悲しみをたどると、他者と隔てる溝へと誘われます。そのとき、その断絶を架橋する試みに私は力を注ぎます。わからない溝に地の果ての大きな滝や、地を支える象を想定するのは人の営みの常道。密林の奥に災いの化け物を置くのも理由は別のところにありますが、その禁忌を神と置く文化の営みを思い返すべきです。深瀬におののき、対岸に嘆きを返すのもひとですが、その状況を見極めては超えてきたのもひとです。

超越したものを置いて、思考停止することを私は善しとしません。その思考停止の隙間に恣意的な操作を忍び込ませる卑近な輩もいます。ひとは獣にも羊にもなってはいけません。丁寧に道を洗い出し、成しうることを成す。私のいま・ここを踏みしめます。超越論理を捻出するつもりはありません。

あしからず。

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明日は岡山。今夜バスに乗ります。PCは持参します。
では。
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