湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

7/1 あとりえ・にじの定例会にお邪魔し/理と情を通すこと

2006-07-03 03:27:05 | 引きこもり
7/1(土) あとりえ・にじ に、お邪魔した。翔の会の**さんと会う。育成会の事務所の玄関に応対に出た**さんは、異様なものを見るように私の坊主頭をみていた。しばし絶句。そろそろほとぼりが冷めたころと思っていたが、結局また失敗談を話さなくてはならなくなっていた。

 茅ケ崎にYJS仮設窓口を月1回開きつつ、お互いの信頼を作っていく期間を踏んで、先々YJS湘南を実現するという構想の一歩をつくる段階で、足元が崩れてしまったこと。その迷惑を担当の++さんや、YJS横浜の皆さんにかけてしまったことを詫びるつもりで頭を剃った。古臭い話だがこれしか思いつかない状況だった。最近はファッションで坊主頭は珍しくなくなったが、それも向き不向きがある。すさまじいイメージチェンジに周辺が引いている。また、それがここで起きたのだった。

 事情を説明しながら、**さんの応答を聞いているうち、この茅ケ崎の地の活動の活動経過のなかに、私の知らない事情がやはり横たわっていることがわかった。常にこういうことは、中間支援者はリスクとして覚悟していなくてはならない。その事情を超え出でるほどの、質と実現度の高い構想が練り上げられていなかった。それは引きこもり者・若年無業者・軽度発達障がい者を基軸とした構想であるがゆえに、手を携える障がい者のメリットについて、公的支援の狭間にある軽度発達障がい者への公的支援の流れを拓くものという共通理解を橋渡しに、障がい者就労の新たな形を「考える」と、つまり「先送り」しながら始めた活動の弱点が露呈したのだった。茅ケ崎市との協働事業は19年度は間に合わなかった。しかしその先へと可能性を拓く提案としてYJSを持ち出したが、そこは障がい領域の活動には馴染みの薄い活動であり、二の足を踏んだということ。見通しとメリットが共有できるレベルになかったのだ。ここを超える提案を作らない限り活動は続かない。

 そういう話を**さんに語った。**さんは驚いていた。構想の全体像も交渉の経過も**さんに届いていなかった。つまり構想の議論は参加者個人の胸のうちに仕舞われていて、組織の中で検討された形跡がないことがわかった。これはこれでショックだったが、今となってはより明快な実践を、まず私から始めていかなくてはならないことだけは確かだった。

 **さんとしばらく話し、今後の話として、YJS湘南拡張版作り(拡張がカギ)・就労しゃべり場へと連なるコンビニ紙「わーく」の発刊活動・茅ケ崎市との協働事業作りという大きな柱を伝えつつ、翔の会に話を上げて欲しいと要望した。茅ケ崎の事情は新参者の私にはわからない。それを沈黙としてではなく、言葉としてぶつけて欲しいとも言った。障がい者と共に生きることは、善意の範囲を超えた世界だ。私はそこに踏み出しているつもり。私の描いている構想はボトムダウン型の公益活動をデザインしたものにすぎないが、そこには様々な人生が重なり、出会いを支え、その先を拓く活動だ。「シェルターから社会へ」の道筋を引くものとして、(参加としての)表現を育てるものとして、接点を膨らませて欲しいと願った。

 この話を隣の部屋で、あとりえ活動をされている方たちは聞いていた。突然何の話かわからない深刻な話があって、その関連で自分達の活動に協力要請される恐ろしさというか、異様なこわい顔した坊主頭が接近してきた恐ろしさというか、「わーく」の冊子デザインやHPデザインを手伝って欲しいという要請が強制と取ってしまった。強制する意図は全く無いと伝えつつ、これからしばらくは、坊主頭を挟んでは、初対面の方とはまともな話はできないなと、ため息。髪を落としたとき、それは覚悟のこと、地を這うこと辞さずの思いで、したこと。こういうときだからこそ、透徹した構想の論理が必要なことなのだ。突然の失礼を詫び、お暇した。

 ずいぶん昔のことのように感じるが、私は私塾の中で学習困難児のクラスを担当していた頃、多動の子や、親の強制への反発を塾で爆発させていた子たちと、正直しんどい鬼ごっこをやっていたことがあった。そのとき、服ちぎられ、眼鏡を飛ばし、まずここは矯正の場ではないことを伝えていた。やがてそれは「子どもと歩く」という活動への地ならしとなるのだが、終電間際の東海道線に、服破れ血のにじんだ中年爺ぃは、さすがに嫌がられた。茅ケ崎駅で駅員が私を制止し警察に連絡してしまったこともあった。しかしこれは、私が引き受けたこと。その誇りが私を支えていた。ジャパンフレネの木幡さんのところにも、2階の窓から飛び降りた子の傷の治療と格闘でぼろぼろになった状態でお邪魔したことがあった。びっくりしただろうなと思う。もっと柔軟に状況を裁けるのがプロだといわれればそうだと思うが、下手くそなりに、彼らに心は通してきた。そこにまた差し掛かったのだと思っている。あとりえ・にじの##さん、ごめんなさい。

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 雨だというのに模造紙を買った。「わーく」お試し版は、看板のような大きな見本をつくろうと思う。板に挟んで運べるようなA3版でもいい。7月9日(日)13時半、茅ケ崎サポセン。ここに3人が顔合わせできるだろうか。訳ありのようだからと二の足を踏まれませんようにと念じたり、それは彼らを信用していないことではないかと自問したりする。そんな混沌を情けないが抱えつつ、一日を終えた。

コメント
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