湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

茅ヶ崎保健所にお邪魔したあと寒川回り…お盆だなあ

2005-08-17 04:46:08 | 引きこもり
 おまけ程度の講座を聴いて、下校。(懐かしい言葉)

 茅ヶ崎保健所に直行した。市内の引きこもり関連かという相談件数とその傾向のデータをいただいた。県青少年サポートプラザのデータとともに、企画書プレゼンで使用させてもらう。

 と言っても「社会的引きこもり」の定義が極めてあいまいで、他の神経症の重複があったり、DVがあったりとどこのカテゴリーにあてはめたらいいものやらという悩みが窓口側にはある。だから極めて曖昧なデータとしてしか提供できない現状だとの話、これは納得がいった。

 これとは別に、最近「労働力調査」の新刊がでたとの話があるので、そちらも置いている図書館を探し始めている。

 さて「懇談会通信ピックアップNo.008」を保健所においてもらっているが、なぜか入口ではなく、県公式チラシなどの欄に並んでいてちょっと困っているが、旧号を回収したら2部を残すだけに減っていた。誰が読んでいるのだろうと首をかしげた。職員しか出入りの少ない場、行政関係の方かしらん?

 近くのバス停から寒川ボラセン(一之宮)>町役場障害福祉課>町社協>教育研究所>個人>喫茶友達と回った。必死の駆け足状態で巡回が済んだ。ここも役場は旧号完配、社協2部(情けない)、ボラセン9部という状況。

 更にバスに乗り継ぎ、17時半になっていたが西久保で下車し、リハ専・茅ヶ崎養護にポストしてきた。(茅ヶ崎養護学校は門が閉じていて投函できないので郵送となった。)

明日は藤沢回り。

 しかし、巡回していて思った。お盆だなあ…である。担当者がいつもと違う部外職員が留守番している。話が通じないから、「通信定期交換」と言って、説明を回避した。ウソではないからだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DVD「ミニ・ミュンヘン」に思う

2005-08-17 04:15:50 | フリースクール
 萌文社から出た新刊DVDの「ミニ・ミュンヘン」(ミニ・ミュンヘン研究会編)を購入しました。子どものまちづくり(社会参画)を推進しようという流れからの発想です。

 毎年ミュンヘン市では夏休みの3週間、子どもたちの擬似都市「ミニ・ミュンヘン」をたちあげます。あらゆる大人の仕事を模擬的に展開できるのです。すでに20年の歴史があります。

 映像を観ていて、子どもたちの貪欲な好奇心と吸収力に、大人の側がわくわくしてしまいます。

 今は叩かれ続けている「総合学習」のなかで「まちづくり」は、机上ゲームのように展開されたり、模型の街をつくることで、連想を論議したりというような展開をされて来ましたが、それよりはずっとすっきりしています。当人が模擬都市の仕事をするのだから。

 教員が采配を仕切り、役割を分担させ報告させるというような世界は、結局は授業だから収穫(結果)を刈り取らなくてはならないし、そこに管理臭さがあります。

 この「ミニ・ミュンヘン」は、そういう感じは一切なく、自由に社会の仕事ごっこを展開しています。これはおそらく換骨奪胎・形式パクリで流行るなという予感があります。

 しかしその面白さに反して、僕の気持ちは冷え冷えとしています。それは見えないところ、見にくいところに困った問題を感じるからです。

 ひとつは「障がい者」がいないこと、「高齢者」がいないことです。「家族」と「生活」がない。ここでいう「いろいろな人」というのは、若い健常者であって、しかも悪意があったり、権力を行使して人を拘束支配する人が想定されていないのです。金の力も「自己実現の媒介物」としてしか入ってきていません。いたずら者を裁く、喧嘩を裁く裁判所はあります。しかし社会的不平等があって、そこから派生する問題を裁く現実の重さはなく、均一平等な市民の交通整理が裁判になっているのです。「いろいろな人と暮らす意味」に視点が深まっていないし、深まろうともしていません。

 もうひとつは、演じられている場所がアミューズメント・パークのような空間であり、資材が整えられていることです。箱庭と言ったらいいでしょうか。ここは仮想の都市、子どもの自治ごっこの都市なのです。その強い庇護の中で「模擬体験」を行う。この構造をなぜ疑わないのでしょう。理想型を体験させる試みになっているといえばいいでしょうか。

 ここでも子どもは実社会では相変わらず隔離され庇護された存在でしかないからです。実社会で働けということを言っているのではなく、社会に正統な位置を与えれてこそ、社会体験は根付くのだし、その重みや矛盾が自己変革を遂げさせていくと思うからです。

 これは小田原の高校生の実践の例ですが、株式会社制の販売店舗を高校生の自治活動として実験展開しています。初期投資は学校がしていますから、完全に「自治」とはいいがたいのですが、ここ数年インターネット・ショップなどで利益をあげ、資本金1千万円の企業になったとききます。
(cf.毎日新聞『ネット商店街の全国展開に意欲 私立城南静岡高』http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20050803ddlk22040090000c.html

 これなどは、実社会に食込む社会体験です。これは出典があきらかではないので噂として聞いて欲しいのですが、この体験ショップの延長で、仙台の商業高校の例だったか、グラミン銀行(バングラディッシュの相互扶助小口金融)流のサポートを積み上げて、個人起業の練習をしている例もあると聞きます。

 いずれも事例は「高校」の実践であり、年齢が違うではないかという批判もあるでしょう。しかし、ことは逆です。義務教育下のがんじがらめの学校体制と、そこから名札をはずした個人になれない環境下の子どもたちの現状があるから、高校からしか、なかなか教科から距離のある展開はできないのです。

まだ明快な形に洗練されていませんが、私のいう「ケア・パートナー」とか「共生」・「協働」というものは、実社会との関連付けの中に置きます。

たとえば野暮ったくても、フリマはその例ですね。

 「ミニ・ミュンヘン」を意味無い試みとはいいませんが、理想型提供を支持するセンスに社会階層を感じてしまいます。

 画像の中には、車椅子の子がでてきたり、職にありつけなかった子が出てきたりします。しかしそれはそれ以上にスポットがあてられることがない。ごっこだからうそっぽいのではなく、提供された環境がうそっぽいのです。

 実はこのミニ・ミュンヘンの日本への紹介者(研究者)は藤沢在住の院生さんです。自治の理念的な素晴らしさを語り、きっと湘南上映と後援も行われるでしょう。「ミニ・ミュンヘン」の子どもの可能性は素晴らしい、でも入れ物が虚構。それが僕の印象です。

----- 引きこもり青年と障がい児者との社会参画をめぐる地域協働も、虚構であるか否かは、これからの実践が決めること。喫茶店は協働と社会参加の重要な糸口・出発点なのです。より年齢層の低い子どもの社会参画とまなびの再デザインも関連付けて始めていきます。詳細はいずれ。


《それでも質が高いのでご推薦》
------------------
●DVD「ミニ・ミュンヘン」(ミニ・ミュンヘン研究会編)
 発売:萌文社 ISBN: 4-89491-089-6 \2,800-
(まだ、出たばかりです。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする