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湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

1/04 眼球の視界深度と調整速度の弱まり/黒田講演に期待するものを

2013-01-05 06:01:12 | 引きこもり
2013/01/04 記
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事務所を借りて、照明の大切さを知った。家主の作業デスクは使わせてもらえなかったが、我が家の真上からの照明は、新聞やら書籍やらを読もうとすると、反射が邪魔をして読みにくいこと。ところが壁面からの拡散光と、面光源テーブルライトの補助光で読むと、食卓兼用ライティングテーブルであるにも関わらず、無理をせずに字にピントが保持でき、ちょっと感動した。

しかし私はもう一つ、恐ろしいことに気がついてしまった。それは私の目の、カメラでいう「被写界深度」の変化だった。例えば新書版の書籍を水平面において、読書を始めたとしよう。一番下、つまり縦書きなら次の行に移る文字にピントを合わせたとしよう。すると、次の行の一番上(奥)の文字がピンボケなのだ。PCの場合、画面は鉛直に近い「縦」の位置にあるから、気がつかなかったが、困ったことになった。

少し前までは、電車の車内や喫茶などで読書に不自由したことがなかったが、ここ数カ月、どうも縦書きが読みにくくなったが、目の疲労と思っていた。水平面に書籍を置いたとき、一番手前の文字と、一番奥の文字とでは、虹彩までの距離が違っている。つまり、ピントが合う範囲をはずすとピンボケになってしまうから、いわばその範囲の奥行きが狭まってきたのだ。

カメラでは絞りの開き具合や、レンズの種類(望遠や広角のような)が関係している。画面が縦ならば、この距離差は小さい。眼球の焦点追従速度も落ちているのかもしれない。眼球機能が衰えているのだ。網膜色素変性症に伴う副次的な症状?ぞっとした。網膜色素変性症の場合、汚れたガラスの視野といえばいいか、ところどころ雲がかかってしまう。これとは様相が違うのだ。

ここの事務所の照明の真似をすることと、書見台をつくることにした。テーブルライトは、以前煎餅作りのとき商品撮影に使った自作デュヒュザーライトを使う。書見台と併用すれば、目への負担は少なくなる。

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今日の作業は、黒田裕子さんの講演、特に「災害看護」という専門性の引き出しと、障がい者・高齢者等、災害弱者の「避災」をどう実現するかという点を明らかにしていくことだ。「向こう三軒両隣り」流防災は、「町内会レベルの地域火災」「風水害」という古典的な災害に対するもので、震災津波のような大規模災害の規模と被害の多様性には対応しきれない。避難所に入ったときでさえ、ニーズは多様化している。

東日本大震災は集落単位、学区を基礎に丁目単位で管理が行われた結果であって、とても6所帯で支えきれる問題ではなかったし、浸水ライン間際の地域や、全壊・半壊の差が見える境界では、避難所の利用も一律ではなかった。ましてや外出時の被災となれば、「向こう三軒両隣」を超えた対策が必要だ。

今回は「震災津波」の件で岩波新書の「津波災害」(河田惠昭著)を読み上げて、災害のイメージを押さえる作業を一段落させた。厄介な話が加わった。震災・津波とも明らかな大きい誤解があって、ここをクリアしていかないと、災害の過小評価被害が出そうなのだ。正確な情報啓蒙がいる。

もうひとつはっきりさせることは、想定を「外出時の被災」という「場面の中で考える」という方法を通すこと。これが領域横断した被災者が、ごちゃまぜ状態から安全をキープできる話は、黒田さんの講演でも避けて通れない。

例えば駅ビルの中で被災したとき、災害弱者の避難するマニュアルを現場担当者から聞いておくという、来年度の課題も浮かび上がった。この辺は、阪神淡路大震災の経験の方の方が課題が見えるだろう。

求めたいことの正確な伝達のテクニック。個人依頼カードの所持をめぐる課題。慶応大学やメーカーで行っている「ICカード」の問題点を明らかにする。「誰が問題を解決するのか」だ。技術の得失云々の問題ではない。ここは次号に続く。

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母が不便だと不満げだ。冬期講習の後期が始まる。夜だから、借用はあと一日だ。

夜間傾聴>ひとり
     & 真夜中に塾長(迷惑)

(校正2回目済み)

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1/3 ○○の正月働きとか

2013-01-04 06:49:14 | 引きこもり
2013/01/03 記
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自由が丘夫妻宅に、駒沢公園君たちが集まっていたらしい。私の大田区の塾講師時代の塾生たちである。10年余の付き合いだから、これからも続いていくだろう。

毎年正月は、父方の親戚関係の新年会に顔を出す習慣がいやでたまらなかった。所帯を持ち子育てに成功する以外の生き方が、無視叩かれてさんざんな目にあうからだった。父が老健に入所し、父の実家の伯母の逝去、甥や姪の進学失敗などが契機となって、つるしは下火になったが、私はこのとき、大田区塾講師時代の塾生たちとの新年会に逃げ出していた。

母とふたりの生活となって、今度は母の趣味の友達のいわゆる(元)女子会が我が家で行われるようになり、再びおしゃべりの肴にされるようになって、偶然OKのでた市内の知人の仕事場をかりることにしたのだった。彼は年末年始を郷里帰りと旅行で大晦日から5日まで外出するので、留守中、作業デスク以外は使っていいと許可されて、なんとかの正月働きとやらで、積み残してきた作業をまとめてやってしまうことにした。

・ペットレスキューの関係が2件。4日、獣医師を訪問調整が1件。
・就労支援関連、K-1インターナショナルの起業関連関係者との面会調整。
・連続セミナー、レポート&黒田裕子氏紹介チラシ作り。
・「発達障害児者の防災ハンドブック」、「津波災害」、「災害時の公衆衛生~私たちにできること」の当座3冊のメモを作ること。
・QRコードによる個人医療情報シール具体化のためのメモ。図版化。
・講師打診メール(2件)
・etc.

ーーーーーーー

4日、就労支援の方はまだ先方が動き出していないので、獣医師の方と、図書館書籍更新1箇所。あとは、事務所こもり。5日より冬期講習後期あり。

夜間傾聴:なし

(校正2回目済み)

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1/2 父の老健に行く/震災津波メモ01

2013-01-03 06:38:14 | 引きこもり
2013/01/02 記
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こんなことは始めてなのだ。左手側の肩が異様に凝って、やたらと怪我をした古傷が痛み出した。母が使っている貼り薬を分けてもらった。笑い話のようだが、昨日弟夫婦と姪や甥が我が家に居座った。狭い茶の間、普段と違う席に座り、身体をひねってTVを見ていたからだ。

しかし、私のように所帯を若いうちに壊した者にとっては、弟の妻が熱く語る、稼いだ給料を元手にどう家計を切り盛りしていくかという話、口角泡飛ばして話しては、消費生活を夢と語る百万の言葉に、悲しくなる。その都度同意を求められると、悲しみを超えてうんざりしてくる。

彼らには他人の家族も、単身者も眼中にない。私は妻を亡くした、親の代わりに家族の介護とともに、両立できる私教育の仕事を行ってきた。ともに教育・福祉活動に生きがいを感じてきた。弟夫婦にも介護は重くのしかかっている。しかし、その現実の隅々に社会の歪みが潜んでいることに、全く無自覚であることだ。東日本大震災の映像は、私たちの積み上げてきた生活が、いつなんどき、根こそぎ裸にさせてしまうが、船板一枚下の地獄の上に踊る寒けのような時代感覚が、片鱗も共有できない悲しさがここにあった。私の部屋に踏み込んで、読みかけになっている本をみながら、「東北のことは国と本人に任せておけばいい」と忠告してくれる始末だった。

「私のお父さんは、私を車で迎えに来て、津波に飲まれました。」

と淡々と語る被災者の子どもの悲しさに、何ができるかわからないが、象徴的な言い方をすれば「寄り添いたい」と思う。その部分を「国と被災者に任せて」と言い切る感覚がわからないと反論すると、「行けるひとが、東北にいけばいいんだ」「防災は大事」という。彼の腰は1mmたりとも、動かない。

こういう徹頭徹尾「普通」のひとには、単身者は見えない、男の介護者もざるの目から抜け落ちる。場面に立ち会わない互いの言葉は通じない、凍ってしまう。

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翌日(2日)、知人の仕事場を拝借していたので、窓を明けに行く。彼は工場機械設計屋だが、どうも余芸稼ぎの痕跡有り。しかし、黒田さんを紹介する文書や、進行する社会状況という「事態」に食らいつく道探し。私の仕事を始めて1時間半、時間が来てしまい、父の入所する老健に向かった。

年末に老健に行った際、父が誤嚥で入院した。事務的には施設出所ということで、所有物、買い物袋4つを持ち帰るようにと押し出された衣類を洗濯した。それを少しずつセーターから老健に戻しておいた。

ところが年始の挨拶もそこそこに、「この荷物は持ち帰ってください」ときた。病院には1週間いたのだが、退院したらもとの老健にもどることになっていた。日が落ち天候も悪かったので、融通のきかない突然の荷物を運ぶのに、我が家までタクシーを使い8千円かかっていた。

融通の効かない対応の矛盾を飲み込んで、「冬場用に暖かい衣類を」と施設からの連絡を受けて持ち込んだセーターだった。それを突き返してきたのだった。

なぜ職員によっていうことが違うのか、誤嚥入院大体1週間という話は入院させるとき、話し合ったではないか。また「規則ですからと逃げずに、釈明してくれ」と正月早々衝突してしまった。男性の尿路感染症、誤嚥性肺炎はケアのきめ細かさを表しているではないか。

父の認知症は進み、初め私が誰であるかわからなかった。家族の記憶の連続性が壊れた。時間記憶、因果率が壊れたからだ。10分ほどの会話だったが、高齢者の体調は段階的に、出来事を境目にころげ落ちていく。片目に白内障の雲が見える。困った。

食材を買い足して事務所に飲料をおいて帰宅した。日曜には部屋を持ち主に返さねばならないが、ここは落ち着く。第一、家庭用照明、部屋の真ん中に吊り下げられている我が家の照明は、本や原稿面に露骨な反射があって字が読み取りにくい、目が疲れる。ところがここは、壁面照明と部分照明がうまく配置されていて、目が疲れない。この差は羨ましかった。

今年は年賀状が極端に少ない。応答を書くものもなく、夕食を急いで片付けて、

「NHK あの日 わたしは~証言記録 東日本大震災~『福島県富岡町 松村直登さん』」

がペットレスキュー活動紹介の起点のような内容なので、これを紹介。記事にした。通信No.14記載。

岩波新書「津波災害」(河田惠昭著)から引用。

・50cmの深さのところに50cmの高さの津波が来たら、その津波は速度2mで砂利を巻き上げており、0.3t強の力をかけるから、立っておられず、人は流される。

・砂浜でこの波を受けた場合、サンドペーパーに磨かれたようになって、「大やけど」を負う。

第一章冒頭から、こんな内容(要約)が書かれている。津波のイメージがいわゆる常識とは、全く異なっていることがわかる。実際大船渡の50cm高の津波は浮遊物の影響もかさなって、1階が突き抜けるように全壊したのだった。(>東海新報10/09/2011『浸水50cmで5割超全壊』大船渡市)

また高さだけの問題ではなく、建物の強度によって、被害は大きく開いていく。

夜間傾聴:なし

(校正2回目済み)

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1/1 年始を受けて…

2013-01-02 06:04:43 | 引きこもり
01/01/2013 記
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弟夫婦はふたりとも教員だ。とにかく妻型の親(**さん)が認知症で、腰が曲がっているために徘徊が始まると転倒の危険がある。だから目が離せないので、むしろヘルパーさんを頼んで、**さんを近くの店に買い物に行かせろと、私が入れ知恵した。身体が疲れれば、夜、眠りが深くなって、夜中・明け方の散歩の数は減るだろう、それだけでも介護者の手がかからなくなる。

前から予定していたので、正月早々ヘルパーさんがついてくれたという。されば早く帰るだろうなという考えは、浅はかだった。子ども(といっても社会人だが)はふたりづれ、夕食前まで家にいた。隣の部屋で作業していても、暇を持て余した甥と姪が作業を覗きにきたり、母が茶を替えよというように、真綿で縛られる。

やむなく弟夫妻と話をしていたが、私の今しているボランティアには全く関心がない。すぐに部活の話になっては、消えてしまう。東日本大震災は、地元に任せていけばいいと言ったり、ゆとりがあるひとがやればいいという。防災の話も地震が起きたら一蓮托生と取り合わない。忙しいから、あすの仕事を済ませることが優先という。

「釜石の奇跡」は「釜ヶ崎?」と問い返してくる始末。おせちと刺身があればいい、ただ、餅は糖尿病だから食べたくない。などと天井をみていると、やっと弟一家が帰って行った。外は既に日が落ちていた。

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今は腹がいっぱいだという母を説得して、早めの夕食をしようとすると、電話が鳴りだした。年賀状を書かなかった連中が、年始の挨拶を電話で済ませようというのだ。

結局長話を付き合わされて、夕食を済ませたところで母のTVがはじまってしまった。

電話の中に、父の入所している老健の担当者から連絡があった。
明日、新年会をするので、てつだってくれという内容だった。
丁重にお断りしたが、2日、老健に荷物を返しにいく用ができてしまった。

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4日から、黒田裕子氏の講演の説得巡回をはじめる。また就労支援の関係資料を某経営者団体の分、巡回予定を組み始める。

いそがばまわれ。やっているうち虎はバターになってしまう。やれやれ。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

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12/31 ドカドカと

2013-01-01 06:33:47 | 引きこもり
2012/12/31~2013/01/01 記
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謹賀新年

本年もよろしく悪文にお付き合いください。

2013.1.1


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まだ年明けでもない、付け焼刃の掃除中、電話が鳴った。
大田区の塾講師時代の知り合いの自由が丘夫妻からの電話だった。職場でパニック障害を深刻化させ、モラトリアムの場感覚で大学進学を志して、私に連絡をとってきた方で、同じ精神科外来の会で知り合った方と結婚されたという方で、私がモラトリアム感覚のおかしさを指摘したので、職場復帰の手伝いをしてきた経過があった。

お子さんが誕生し、PSWの方にときどきお世話になるとのことだが、順調、だから遊びに来いとの話だった。

「悪いねえ、実は青の洞門でね、乗りが悪いのだけれど、会うと余力のガソリンが抜けちゃう気がしてね、つきあいを閉じているわけではないけれど、でも私の節操」と言って、彼らを脅かしてしまった。

ごめん。

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そんなわけで、三賀日とも、我が家にいるとは限らないけれど、黒田裕子さんの講演を地域に活かす方策を考えたり、気仙地方の社会福祉士のOさんの講演実現の金策を考えている。

来年度もすでに説得に入る2候補決めているが、災害弱者支援に結びつく流れを考えている。17日に市防災対策課主催の「行政との連携」の講演会に行ってくるが、来年度の予定を今期の2回に続けた構想を関係者に渡したいのだ。(一般配布ではない。)

近くの知人が五日まで外出するので、隠れ家に使わせてもらうことを了解してくれた。自転車の距離なのだ。自宅にいるとTVを見たい母とぶつかりそうなので、昼間は脱出することにした。

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そういう悪事を企画しているところに、弟がやってきた。いやな予感。先方にも徘徊がある認知症の親を在宅介護してきたが、ヘルパーさんが入ってくれるために、夫婦そろって年賀にやってくるというのだ。しかも元旦から娘連れでくるというのだ。初日から悪巧みは頓挫してしまった。どうしてももてなしに水を使う。ステロイドで止まってはいるが、掌踵膿疱症の母には水回りをさせるわけにはいかなかった。

買い物リストを抱えて買い出し、路上生活者生活者**さんの様子を行きがけにチェックすることにした。

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**さんの居場所(構内)の辻堂駅の彼の寝場所には、段ボールが敷かれていたが、彼がいなかった。南口のパン屋は大晦日は早終い。肝心なパンが買えなかった・・。駅通路まで戻ると**さんがぼんやり柱をながめていた。

「アルコール抜けたかな?」と問いかけて話しかけると、「ここは腹が減ると、高齢者の方がおにぎりと、茶をくれるんで」と、能弁に語り始めた。「寿町にいきたくない」という表現だった。無理しても、ろくなことにならないので、知り合いの民生委員に連絡をとるが、治療のため、了解して欲しい。いやなら、やらないと彼に言う。失踪しないでねと念をおした。

弟と娘の好きな「けんちん汁」を作って準備完了。ため息。


夜間傾聴>ひとり


(校正2回目済み)





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12/30 冬期講習前期が終了/辻堂駅の**さんのこと

2012-12-31 06:41:55 | 引きこもり
2012/12/30 記
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やっと冬期講習前期が終わった。大半が取り出し指導ばかりやっている。今年は珍しく忌避傾向のある子の担当が複数名だったが、いつもなら後日訪問指導と組み合わせることになるが、今年は数が少なく地元勢で解決することになった。拗ねてみれば、私の退職を予測したものだろう。本来進学重点の教室なので、足切りが先々行われのかも知れない。時間講師も専任も、若手も爺ぃも、不始末には始末書を書かせる気風があるなら、相談を受けた子の成績にも、いままでのように偏屈を通せばいい。そう説得しているが、気乗りしないのは若手講師のほうだ。

とにかく冬期講習前期の授業が終わって、あれこれの古株の誘いを振り切って、若手並みに逃げ出し帰宅。庭の掃除と買い出しの要請を振り切って、まずは年賀状を書き上げた。こういう日には、必ず母の友人の空気が読めない人物がコンビニ寿司を持って現れる。家にあげたが最後、日が落ちても居座るので、「これから出かけるので」と、母を制して玄関ばらいした。ひとの予定を聞かないで訪ねてくるのがいけない。

雨が降りそうなので、早めに買い物を済ませようとすると、母が「カレンダーが欲しいから藤沢がいい」と言い出した。辻堂の駅の構内を歩いていると、真っ黒い燻製状の塊が、エレベータ脇にうずくまっている。**さんだった。泥酔している。

ここ数週間姿がなかった。声をかけていると母が不快な顔をして、「先に行く」と改札口に向かっていった。**さんが隅でころがっているうちは、駅員さんは見て見ぬふりをしてくれる。ところが私がいるとなると、苦情を意識して**さんの排除が始まってしまう。長い時間はかけられない。

**さんは、##年前ある中小企業の職人さんだった。退社後、通勤路ではないところで事故に遭い、立ち仕事ができなくなって解雇された。そこから先の転げ落ちる話はがんとして話してくれない。家族を捨て茅ヶ崎に流れ着き、行政と支援ボラを鬱陶しく思い、辻堂に流れてきた。露骨な糖尿病なので、失明や足指の壊疽が近いと見て、声をかけてきた。

辻堂は不幸なプラットホームだ。一昨年、エレベータ前にうずくまっていた%%さんは、私の関与を嫌がって姿を消した。その1週間後、私は茨城県警から夜間問い合わせを受けた。日立市の路上でひき逃げ事故があり、身元確認をしているのだが、大切にくるまれた小銭入れの中に、私の名刺が折りたたまれてしまい込まれていたので、電話しているのだという。

%%さんの故郷が日立市だったのだろうか。早朝、ひと気のない道路を歩いていて跳ねられたという。彼は植物状態で入院しているという。もう意識がもどらないから、日立市の生活保護枠で民間医療施設に移すという。彼はアルコールを飲んでいなかった。日立市警察署の担当者と連絡を取り、身元調査を彼の持ち物から調べているとのこと。私はいわゆる社会的弱者ビジネスのところに送られる。トイレ・炊事場共用の2~3畳間に吸引も未確認に放置されるのがおちなので、寿町で彼を受け止めてくれないかと、寿町の方と、茅ヶ崎市生活支援課・地元GHと確認を取り、日立の民生委員への連絡法を特例として紹介してもらった、もし意識がもどってきたときに見せてくれと病院のMSWに私の民間ボラの立場を明かした上で頼み込んだ。まずは病院滞在期間を延長し、警察・引き取りまでの時間稼ぎをした。引き取りは、日立市が金を出すことを決めていた。ところが警察の身元調査の結果、遠縁の親戚が池袋にいることが判明。即日、その親戚に送られてしまった。植物状態の方をである。このとき知り合ったMSWさんとは、3.11以降も薄いネット交流がある。**さんは遠縁の方が支えるはずもなく、闇に消えた。

こうした前例がある。だから**さんの糖尿病治療は不可欠であり、茅ヶ崎行政は知っているが、辻堂駅は藤沢市行政。引き継ぎしなければならないが、年末年始が邪魔をしている。地元の民間ボラと民生委員に伝えることにし、ともあれ泥酔している**さんを起こした。

彼はすぐに私だとわかった。雨が降ると食べ物を探しにでることができず、寒いので夜、私有地で風を避けてうずくまっていたら警察に逮捕され、釈放されたが寒いから酒をもらって飲んだという。とにかく臭い。夏場の元気も失せて、ともあれ教会にいけと伝えた。しばらく見かけなかった理由がわかった。

ともかく握り飯をと通路のコンビニで買い物をしているわずかの間に**さんは姿を消した。明日大晦日、彼を発見したら寿町に連れて行く。この時期炊き出しや、医療ボラ巡回もある。

3年前の春先、市役所横の中央公園では五所川原さん(仮名)が凍死している。最近では父の誤嚥で入院した大部屋のひとりが、顔見知りの路上生活者だった。泥酔で転落骨折したらしい。

ひとが挫折したとき、リターンマッチが保証されない社会は歪だ。東日本大震災でも、賃労働していた方の会社が流されたり、高齢で再出発が無理な方の保護と就労支援は死活問題だ。**さんのように、怪我が一層のハンデとなり、再就職の道が閉ざされるとき、政治家のさじ加減の棚の上に預けていいとは思えない。私とて、2000~2002年の交通事故入院からの復帰は知人と以前の職場からのOKが出なかったら、家業だけでは食べていけない。再採用してくださった方の感謝は忘れない。

「向こう三軒両隣りの絆」は決して**さんを救ってはくれないだろう。その冷たさに気がつかなければ、生活支援は決して解決力を持たないだろう。

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藤沢で母は不快感をあらわにして、関わるなと私に迫った。**氏の生死は、個人が請け負うものではないというのだ。世間もそうなのだろうなと思いつつ、行政に連絡したと嘘をついた。母との間でさえ、高い塀が見える。

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仮設の&&さんに年始の新古書と湘南タコ煎餅を、ブックアーチの@@さんを通じて送ってもらった。そうだ被災地民生委員の□□さんや、もと市議の■■さん、味噌製造元の◇◇さんに年賀状ではなく、年始のご挨拶を送らねば。Sくんは、年度明け就労情報仕込んでからにしよう。

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1月17日に茅ヶ崎市の防災対策課が「行政との連携について」の講演会を開く。申し込めるように、仕事調整、済み」。


夜間傾聴:なし


(校正2回目済み)


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12/29 連続セミナー第一回目を終えて(3)

2012-12-30 05:40:33 | 引きこもり
2012/12/29 記
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相模原の塾の方で、来年早々、小学生に震災津波関連の話をすることになった。気仙沼から1家族が避難していたから、ひととおりの経験談は聞いているので、福島の原発被爆避難を塾長が、私は陸前高田の震災津波の街の様子と、人間社会の家畜・愛玩動物の保護の話をすることにした。実のことをいうと気仙沼か陸前高田の被災地サイクリングを呼び集めているので、夏休みに出かけようという誘いを昨年もかけたが、危険だからダメと親御さんに反対されて、今年は2回目になる。入試の時期を実は、はずして欲しいのだが。

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(つづきから)

藤沢に元看護師さんたちの有償災害ボランティアの「キャンナス」がある。菅原さんという方が代表で、元看護師の方々を被災地に派遣し、被災者への看護活動を行っている活動がある。今、仕事と仮説生活の高ストレス生活下、特に高齢者の「命と健康」を維持していく時期だという認識がある。いつかお邪魔しようと思っているのだが、基本は有資格者による専門職の活動なので、接点の取り方が難しいが、状況認識は一致しているように思う。1月に入ったら、本部にお邪魔しようと思っている。

先日の永井氏の講演のセミナーの際、大きな枠組みとして提案し残したのは、災害対策支援を時系列に沿って、場面設定して議論していくという方法を根付かせたかった。

実のところ、永井氏の保健師さんの被災時活動の連携話は、ほとんどできなかった。ここには、被災直下、災害看護を行う医療スタッフと消防署の救命士さん、そして薬剤師さんが走り回るが、保健師さんはどこで、どう関係をもって活動をしているかを、浮かび上がらせたかった。そして被災しつつ動き出す地元災害ボランティアがその時点で、登場するのは、保健師さんと防災リーダーさんたちとの合流が出てくる。

向かう避難所での活動だろう。その接点をもう少し焦点化しておきたかった。とにかく今回は「向こう三軒両隣論」「津波より震災」「津波2.5m」という昔からの防災活動の提案をめぐる論議と「要援護者」の「障がい者の立場」の中でも、障がいの違いによって、防災活動は様々で、それを高齢者や妊産婦と乳幼児と母子や外国人となると、接点を持つ意味が見えないという論議(実は『場面の中で考える』という方法が必要)が提案されて終わって行った。その先の議論になったとき、16時というタイムリミットが来てしまったということだ。

「向こう三軒両隣り論」は、外出時と都市型防災との齟齬があること、「浸水域2,5m」は、震災想定が異なると最大7.5mほどの幅があること、「要援護者」に論を合わせたのは、大規模災害の混乱のなかで有効な防災議論は「場面の中で考える」という枠組みが非常に大切であること。これを後日どこで論じるかということだ。黒田さんの2月講演では、防災看護の立場から、阪神淡路大震災(都市型?)と、東日本大震災(ローカル型)の被災と対策の差を踏まえ、いわゆる善意余暇の環境整備と元気づけ型支援が引いた地元孤立期の要援護者焦点の生活再建の活動が、手を打つ段取りを提案してもらうために、議論が少し異なっているからだ。

とにかくレポートをもって、再巡回にはいる。生活支援活動を育てること。(一応、終了)



cf. 「『津波 小田原は2分後 県予測 関東大震災型なら』
   2012/03/28(朝日湘南版)」(茅ヶ崎:7.95m)

●「たった1mの津波で・・・」
●「津波(Wikipedia)」

夜間傾聴:ひとり

p.s. 冬期講習前期は12/30で終わります。1月は4日から。


(校正1回目済み)

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12/28 冬期講習30日まで&メールで遅れています、夜書きます

2012-12-29 06:22:37 | 引きこもり
すみません、書き込み間に合いません。
追って夜に書き込みます。

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12/26&27 連続セミナー第一回目を終えて(2)

2012-12-28 05:00:19 | 引きこもり
永井氏の話は、保健師という立場から被災者支援に向かった自分の経験を織り込んだ、被災者の生活支援の形を紹介する論旨の話だった。環境整備や産業復興支援の公私の公の部分の支援と異なり、生活支援の根の部分は、「命と健康」を原点にしている。その立場に立った講演は、保健師という仕事の重要性や災害に対するアクティブな関わりという、普段あまり気がつかななった話が印象的だった。

しかし会に参加した方々は、被災地に出かけるのが難しい立場の方々であって、よりエピソード的な語りを集積していかないと、被災と「命と健康」保全活動がどのように自分と関係付けられるかが見えてこない、というよりその活動は、保健師としての活動であって、そこを一歩超えて、被災者の生活という場面で、一般の方がなしうることを語るということにつながっていかない。被災地に入っての支援の現場から、見えてくるものを出来事の中に語るという方向になっていなかった。

例えば私の大船渡市立大船渡中学校避難所の訪問時、隣接している校庭に移住が進み、後片付けを進めているのは、全国からのボランティアさん達だった。(2011年7月)

しかし撤収作業をしているのは若手ばかり。しかも校庭の仮設住宅に人影が見えない、被災者はどこだと迷うことに驚いた。しかしそれは、避難所生活では体力が持たない方から優先的に仮設入居を進めていくため、最後の撤収時には被災者が数名が移動しただけという状態だったということが、指導者への質問でわかった。私は、このあと避難所周辺をたどって、いろいろなことがわかってくるのだが、ここで「被災者を徐々に仮設に移住させた」ということが、被災者を受動的にさせているそんな背景が見えてくる。

被災者が自主的に成す活動と、支援者が従う活動とを切り分けているとみるか、行政+ボランティアによる管理指導が自主活動生育にとってこの段階では障壁ととるか否かという問いかけがある。これは分散入居か地域集団入居かということでも生活支援活動には自主性という点において、大きな影響が出てくる。

これはシステマチックな側面の問いだが、同時にひとを基本単位に考えていくか、地域集団を基本単位に考えていくかというところにも問いは届いている。あなたはどちらが正しいと思いますかというといかけになる。だが必要なのはその結論なのだろうか。被災地という現場では、そういう、今後を左右される目に見えない出来事が、日々生成し流れているという実感を共有することだろう。

体験はそのまま経過を語っても、相手に届かない。その自己評価という咀嚼を経ることが相手を動かすことになる。

つまり咀嚼を経た経験語りや、意見提案から各自が考えるという本セミナーの基本姿勢でもあるのだ。

「私の場合は、こうだった」と語り合えるには、複数の経験者がいなくてはならない。私はそれを市行政担当者の方に期待した。その方は現れなかった。今必要な議論という共通認識作り、それが甘かったということだ。

今回の集まりでは、永井氏と私との対話から、参加者の立場から見た湘南の防災に通じる話題を膨らませるべきだった。私は集まった方々の立場から、永井氏の講演への質問はないかと問いかけてしまった。話が未成熟のため、永井氏と参加者とが取り結ぶ糸が見えないという事態のなかで、各自の主張が噴出した。

(つづく)

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参加者の方から語られた「向こう三軒両隣の協力」という言葉が、気になっている。東日本大震災の災害への整然とした対応の素晴らしさというところが、今後被災時の受け継ぐ価値であるという考え方とセットになっているのだ。前回の感想の中に書いたことだが、地域の絆(結束)によって、災害避難から復興までの原動力となるという「隣人の絆」礼賛は「ないものねだり」に聞こえてならない。民衆の受け止めかたも「災害を最小限に食い止め、復興への街の原動力となる"絆"」という話が刷り込まれていった。それがいつのまにか「災害と家族の絆」という具合に、「家族の協力」が忍び込み、地域の絆がすり替えられ、誰も問題にしない風潮で証明されるように、この発想が非常に先験的なのだ。まず絆ありきなのだ。

この「向こう三軒両隣」論は、ご近所が均一、つまり「はっつぁん」、「くまさん」社会が全体となっている。ところが家族のそれぞれが、それほど「サザエさん」式に平坦な生涯を送っているのではない。誕生から墓場まで、個人はそれゆえに、名を持った個人であるような唯一無二のドラマを抱えて生きていく。誕生・結婚・子の誕生・親の死・己の死そしてその間の事故とか就職とかが錯綜し、個人はもっと立体的なのだ。当然そこには、他者に通じない言葉もあり、対局は普遍性をもつ出来事もある。

奇妙な実話を話そう。

私が父をまだ在宅介護していたころ、大急ぎで近隣バス停に通勤のために出て行った。そのときのことだ。バス停でご近所さんと出会って、バス待ちの間に世間話をしていた時のことだ。。

ところがふと私の左足の腿(もも)の部分に目をやると3cm四方に父の大便がついていたのだった。当然臭う。それは私の出がけ、父が便意を催して、歩行困難なのに自室の2階から急な階段を勝手におりようとして、私と格闘になったときについたものだった。父を2階の便座に座らせ母とヘルパーさんに引き継ぎ、大急ぎでバス停にたどりついた。そんな経過がかくれていた。

このバスに乗り遅れると、授業に間に合わない。そんなジレンマの中にいた。私は行動不安定な子を担当してきたこともあって、眼鏡割れ、服破れたまま帰宅した経験もあって、職場に着替えを置いてあった。それを頼りに、とにかくハンカチで部位を抑え、ご近所さんに唐突ではあるが会釈してバスの最後尾に離れて乗った。

ところがその行為は、ご近所さんの女性にとっては、急に言葉を遮断し、逃げるようにバス内に離れて座った私の失礼な行動と写った。それ以来、すでに数年、彼女は私を見ると走り去るようになった。ではどうすればいいのか。

ひとの関係はそういう意味で、通じない関係の谷間にすぐに落ちるように危うい。家族内ではそれが超えられるのは、どうしようもない血縁と生計、そして近い共通体験を経ているからだ。農林水産業のような地域単位の経済活動を残す地域ならまだしも、お互いの生計も家族の事情もばらばらの地域にあっては、うんこひとつで人は絶たれてしまう。

ひとの噂話と悪態の好きな爺婆がそこにおり、災害時にその悪態隣人を助けなければならないとしたら、それは生命の尊さという高邁な思想に頼るか、それでもなお非情になれない互いの関係性によるものだろう。

そうした不安定な地域の人間関係に、「向こう三軒両隣」礼賛論者は、平板な人間関係の偏狭さを背景に持っていることを知るべきだろう。幼児のころからの知り合いで、これからもその集団の中で生きていく地域閉鎖集落の人間関係というより、互いの怪物一家の隣人が助け合うと考えたほうが実は自然だと思うのだ。私なら必要に応じた隣人共同、それこそ「生き残るため」の地域連携をのノウハウを探るべきだと思う。

夜間傾聴>橋本3君の母親


(校正3回目済み)


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12/25&26 連続セミナー第一回目を終えて(1)

2012-12-27 06:02:13 | 引きこもり
2012/12/25&26 記
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第1回の災害時要援護者支援連続セミナーは、何とか済んだということが実情だった。これは予測されていたことだが「要援護者」というくくりが非常に広範囲のくくりで、「障がい者・高齢者・妊産婦、乳幼児を抱える親子・傷病者・外国人等」を抱える概念で、とりとめがない印象がある。このため、セミナーの特徴である、互いに他領域の被災時抱える困難の具体像を貫いて、災害の曼荼羅のようなイメージを作り、その全体の中で自分の領域を見直すという、災害イメージの豊富化を通じて、互いに響きあう部分を探し出していくという方法論が共通認識になっていないこともあって、それは自分たちには関係ないのにという戸惑いを生んだ。

この戸惑いを整理するのは、「場面」ということだ。今回の議論のなかで、防災リーダーの方から指摘されたのは、茅ヶ崎の場合、津波論議より、震災による倒壊や火災が、より重要という指摘だった。

災害時大切なのは向こう三軒両隣だというご意見もあった。しかし、これはないものねだりのような気がするし、そこで救出者となるのは隣人という場合、外出時、学校通学中のような場面が想定されていないことになる。実際障がい者や高齢者の場合、在宅の場合が多いだろうけれど、精神や発達・知的の障がいの場合、差別や軋轢がそこにある場合も多く、先験的に「向こう三軒両隣」と指摘されても澱のようなものが残ってすっきりしないのだ。

特別支援校にいたり、作業所や、高齢者デイサービスの施設にいたり、中には道途中の場合だってある。そういう想定、つまり「場面のなかで考える」視点が語られなかった。ここがはっきりしてくると、議論が変わるのだが、「地域コミュニティ復活」のために「災害」が論じられるのは、違和感がある。

お互いが既知の関係の方ばかりだったので、途中から議論したのも、つかみどころがない一因だったかなと感じている。

(続く)

(校正2回目済み)
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12/25 今回はセミナー前日で、次回合併して書き込みます

2012-12-26 05:33:48 | 引きこもり
2012/12/25 記
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連続セミナーを明日に控えて準備をしています。
成功しますように。

25日レポートは、夜合併して書き込みます。すみません。

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12/24 来年度仕事の契約更新通過/連続セミナー資料作りから

2012-12-25 04:55:26 | 引きこもり
2012/12/24 記
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毎年のことではあるが、クリスマスは冬期講習につぶされる。今年の私が受けったプレゼントは、65才定年の職場で、年度更新契約の際、契約講師は次年度だけの延長を繰り返すのだが、今年は定年前の「肩たたき」があって、そろそろ終わりかなと覚悟を決めていた。時間講師として生き延びるか、退職後独立開業かの道を取る。その契約更新、来年度OKと、取り敢えず生き残ることができた。ただここは、年齢・貢献度に関係なく、間違いを犯したとき、全員始末書を出さなくてはならないことだし、私設の引きこもり者の越学年バイパス授業コースが今年いっぱいでなくなり、低学力コースに編入されることになった。現役定学力の子と、教室復帰した者の過去の欠落履修のバイパスを必要とするか否かという場面で、コースが分かれていた。一応クリスマスプレゼントだと思っている。

しかし寒い。プラットホームで寒いと思ったのは久々だった。

早々に帰宅し、とにかく連続セミナーの掲示物を作った。配布物はあえて万全に作らない。それぞれの領域で検討している実践者だからだ。皆が思いを語ってくれなければならない。私が語りすぎてはならないのだ。

私からは、東北の被災者への支援を継続していくには、長期滞在者しか支援を語れない現状への悔しさ、そしてこれが、湘南被災の時にも、支援の退潮が必ず有り、同様の壁にぶつかる場面がくる。それが生活再建の場面だ。高ストレスのまま、長期戦に、世間と家族という孤立の壁を作って苦しむ、そこに手を差し伸べることはできないのかという思いがあることだ。そのことを述べたい。東北の被災者を語ることは、近未来、災害が起きたときの私らを語ることだ。

私からの報告は、3月末の大船渡と陸前高田の一部の仮設巡回したときのこと。医療情報のQRカードの提案実体化の話だ。

夜間傾聴>ひとり
     橋本3君の母親

(校正1回目済み)
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12/23 被災犬猫の譲渡会に参加したが/連続セミナーは大きな転換点の意味を持つ

2012-12-24 17:25:41 | 引きこもり
2012/12/23 記
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原宿の被災犬猫の譲渡会に行ってきた。いつものことであるが、私には相性の悪いひとがいる。笑い話のようだが本当だ。基本的に私は「怪しい人」らしい。「何々に決まっている」という先入観の対話となり、常に「弁明」の底なし沼に引きずり込まれていく。話の筋をたて返せば、「次の疑惑」に引きずりこんでいく。しばらく譲渡会に行っていなかったものだから、知り合いがひとりもいなかった。

こうしたペットレスキュー関連の団体は、動物愛護の体現のような活動スタイルを持っている。種の多様性やエコロジーの観点からの主張や、人にとってのペットの意味というような視座は共感できる。しかし、生命の尊厳からアプリオリに始まったり、かわいい論から始まる動物愛護は苦手なのだ。

仔猫のケージの前で健康状態を眺めていると、主催者のひとりがやってきた。自己紹介をすると、自分たちは被災地に行って保護してきたのだから、譲るわけにはいかないという話になった。私は仲介者であり、新しい飼い主さんを希望する方をそちらに結びつける活動をしていると応答。

「仲介者」がいけなかった。直接会場に来なければ渡せないといいだした。保護した命である、きちんと飼育してくれる方に譲渡するのは当然のことだ。しかし、依頼者のひとりは杖を離せない高齢の方で、同居の息子さんたちは、共稼ぎでいる。前の別団体の犬の譲渡の話のときは、やはり仲介ボランティアさんが犬をつれ、「お見合い」のために茅ヶ崎に来てくださった。難しいケースだが、飼いたいと希望する方と、出会いの場を作るために、どなたか湘南に来てもらえまいかと話すつもりでいたが、「あなたに渡すことはできません」とまた言い出した。悪質業者のレッテルを貼られたようで不快だったが、「飼い主」の条件

「20年以上譲渡する猫を飼ってくれること>高齢者はダメ」
「予防接種や不妊手術などを自費で行うこと」
「完全室内飼いを行うこと」
「家を6時間以上空けないこと」
「ときどき様子を会にレポートすること」
「以前、猫を飼っていたことがあること」
「これは、被災地の飼い主さんからの一時預かりであり
 飼い主さんが現れたら返す、つまり長期一時預かりで
 あって、所有権移譲ではないこと」
「譲渡契約証に署名・捺印すること」
etc.

という条件がつく。家族構成や、主な飼い主のチェックが行われる。私はこれを湘南に来ていただいて、この家族とで合わせようとしている。ところが先方は、なぜ地元の団体に行かないのかという。私は寒川町行政が異様な反応をしていたり、見学会から帰ってきた方の苦情話を聞いているので、横浜の某団体か東京の大きな団体を仲介しようとしていることを告げた。表情が一層険しくなり、あなたを認めないという具合に話だし、私が預かった2件の相談のうち、1件は原宿に当人を連れてくるのは難しい、しかし、もう1件は次回の日程に合わせて来れるように調整するとした。

地元を避けることが怪しいと思われたようで、当事者間で合わせたら、私は仲介者だから「消えますよ」、「これらの方々は地元の獣医師からの紹介で、こちらの団体とつなげるつもりでこちらに来ている。信用できないなら、出会わせた時点で帰ります」と告げた。

「とにかく原宿に当人が来てください」と主催者スタッフ

それで険悪な雰囲気で話が終わった。幸い1件目の依頼者は譲渡会に同行し、契約をしてくださることになったが、もう一件は「高齢」「6時間以上家を空けない」「20年以上飼う」というところにひっかかった。紹介してくださった獣医さん交えて話をするが、「せっかく助けた命、大切にしてください」というメッセージは正しいので、実現の方策を練ることになった。

しかし、詐欺師のようなレッテルを貼られた澱のような不快感が残った。ペットレスキューは、信頼をつないでいく活動であると思っている。それを確実なものにするために「契約」がある。その微妙なニュアンスがすれちがうと、希望者をふるいにかける売り手(?)市場(?)に、なってしまう。偏見にはしょっちゅう出会う。だから次回は、先方の私の知人に間に立ってもらうことにする。

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被災時要援護者支援を焦点にした連続セミナーの申し込みがあった。しかし、前の11人のうち確約が8人なので、10~13人というところなのだろうか。視覚障がいの関係者の方が入るので、被災現場とその対策のイメージに広がりがでてきた。

しかし、準備資料が皆、紙メディアなので当日の説明はしっかり伝わるように心がけ、報告はテキストファイルでも出していこうと思っている。

それぞれの領域で、皆さん、防災論議をされてきた方の出会いなので、いわゆる「避難」「福祉避難所」あたりのところから話し合いを持とうと思っている。

県の関係者へのメールは、応答がない。やはり行かないと無理かなと思いつつ、市行政担当者の方々の出席を待っている。あと社会活動・市民活動畑が動き出さねば、生活福祉の支援の連携の芽は育たないだろう。公私の私の領域に踏み込んでいく活動なのである。

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神戸の黒田裕子さんの事務所にメールを出した。黒田さんの災害看護の思いがかみ合うような受け皿というか、通じる耳を準備しておきたい。このセミナーが東北の新たな支援と、災害弱者を決して出さないひとの交流ネットワークに育ってくれることを願っている。有効な手立てを打てる基礎作りの活動である。

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初め「双葉病院の患者さん50名の死」の経験から、災害弱者保護の議論ができないかと、サポセン3月の「ワイワイまつり」の上映会企画は、母のBDディスク消去事故で流れてしまったが、時間が49分では大きすぎるかと思い直している。いずれにせよ、受付に行かなかった。このテーマの重さと落差が沈黙の壁をどう超えるか、とにかく26日のセミナーが終わってみないと掴みきれない感じがあって見送った。しかし、別個に企画をたてていけないか、思案中である。


夜間傾聴>ひとり


(校正2回目済み)
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12/23 緊急性は低いのですが、傾聴がまだ終わりません

2012-12-24 05:52:50 | 引きこもり
書き込みは、午後にします。すみません。
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12/22 連休というのに冬期講習です/セミナーの価値について/他

2012-12-23 05:39:36 | 引きこもり
2012/12/22 記
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今日は市社協福祉大会があったが、冬期講習と重なり参加できなかった。連休も講習がある。そんな中、帰宅してまもなく、電話が鳴った。

その電話は「被災猫」を飼いたいという、茅ヶ崎市内の方からの電話だった。災害弱者援護の連続セミナーに集中していたので、12月の通信が配達できないままでいた。それが影響したか、市内の別々の獣医師さんの紹介で、それぞれ連絡を下さったのだった。

譲渡(一時預かり)会は月2回ほどのピッチで行われている。私は仲介者なのだが、私はいわゆる動物愛護精神から動いているのでもなく、マニアとして動いているのでもない。私は、特養ホームや通所施設で、訓練された犬猫が沈黙を続けるお年寄りから、感情あふれた言葉が出てくるシーンや、緘黙児と犬猫を飼育している場面で対話が生まれたり、これは情報の受け売りだが、自閉症の方が対話と人間関係性を育てていく話など、ペット・セラピーの有効性を感じているからだった。

そのために、飼育者の方々や、獣医師さんとの関係を密にしたいと願うからだった。以前の中型犬を紹介したときもそうだが、浪江町・双葉町の被災ペットを飼い主希望の方に話をした。そのペットを通じて、ひと気の去った町の様子を伝えることができた。犬猫がメッセンジャーとなったのだ。こういう意味で、私にとっては災害ボランティアの理解者、協力者を得る活動でもあったのだ。

明日は授業が夜で、時間にゆとりがないのだが、会場の原宿に行ってくる。

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セミナーのひと集めは、この連休と25日しか残されていない。しかし県保健福祉事務所の永井課長の講演が、空転するこわさもあるが、様々な防災活動がある中、本セミナーの価値はどこにあるかということだった。

それは、特に情報が届かない東日本大震災の災害弱者の様子であり、環境整備ボランティアが退潮する中の、生活支援の絆を見出すことが一点目である。被災から2~3年目、生活と収入の道が立たれまま、仮設住宅生活を強いられて、特に家族を失った単身者の方や、高齢夫婦のみの所帯の方たちのアルコール中毒や老いの病いのために、絶望のなかで病死する方たちが忍耐の限界から、病死することが一気に始まる時期となる。大きく言えば、ソーシャル・インクルージョンと就労支援・生活再建支援の活動をどのように提案したらよいかということを意見交換会しておこうということが二点目。

東日本大震災の被災者支援活動は、行政・医療現場で支援チームが派遣されてる。しかし1週間を超える長期滞在型の支援者は少なく、現地滞在型支援でないと、意味がないような状況になっている。本当に手はないのか。従来の局地地震と台風水害から身を守る避難訓練の防災活動に被災者支援活動を集約しては、平常性バイアスの世論のなかで縮小するだけだ。

第一、湘南に想定されている震災津波被害は、ケタ外れの広がりと被災者数となる。過去の震災体験を交流させながら、関係者の意見交換会をそれぞれ専門職の立場から出し合うことによって、横断的な出会いを育て、被災時、支援の複合化や、災害ネットワークの芽を準備していくことに意味がある。

本セミナーは、「要援護者」保護と支援の話題を提供していく場の契機になればいいと思う。また災害の大型化により、特に医療活動に医療関係者の過重労働とか、避難所の整備・資材搬入・家族探し仲介等、行政や地域自治会などの方々の過労などが予測される中、災害ボランティアへの仕事の切り出しを考えておく必要がある。

セミナー自身は、関係情報を提供できるテーマに沿って体験紹介と意見交換を行う場であり、諸活動を活性化させる開かれたセミナー・勉強会であり、専門職と災害ボランティアの交流の場である。活動団体ではなく、ヒントを各自の活動に持ち帰る場である。それゆえ、一般向けの話題と一味違う要援護者テーマを積み上げる会である。むしろ意見の違う方の参入は節度を守ってくださるなら歓迎という集団である。

災害発生時一番真価が見えるはずなのだ。初回は講師交通費・礼金等運営実費の収入見通し(会費制・助成金確保等)の件も話される。

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14日にA子の福祉作業所と親御さん交えての話し合いがもたれていたのだが、連絡がぷつりと切れたままだ。どうしたか気になっている。

S君は、横浜湘南若者サポートステーション登録となった。もともとここは、社会参加が困難な方の起業体験が主だった。S君のように、仕事のやる気があるのに、障碍が重しとなって、就労できないという方は、話がピンとこないかもしれない。しかしここは、いくつかの起業を行い就労開拓しているK2インターナショナルの受託運営しているところなので、とりあえず障がいの障壁はないところなので、体験就労してみると、案外見つかるかもしれないという意図があった。

私は並行して、中小企業経営者団体や、ハローワークを通じて就労先をさぐり続ける。しかしそれはK2の就労体験をまず初めて見るといいのだ。そんなにすぐに話は見つかるはずもないのだからだ。

今年はもう求人探しは無理で来年7日過ぎから巡回を再開する。

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母から紙ゴミ大掃除をしないと、毎年恒例行事のように、不満がぶつけられる。しかし無理だ。冬期講習がある限り年賀状さえ大晦日という状態なのだから。<ならばなぜ明日、原宿に行くのだと追求を受けている。耳からタコを出すマジックでも見せないと収まりそうにない。頬かむり。

夜間傾聴:ひとり


(校正1回目済み)

p.s.そうか、冬期講習もあと数年で退職か。他の職より5年長いのをよしとすべきなのだろうな。納得していないが。



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