日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

坂のうえの家

2008年10月25日 | 回想
                

子どものころは小さな川沿いの坂道を上ったところ、近所では1番高い場所に住んでいた。出かけるときは小走り、帰りは足腰鍛える坂道と楽しんだ。

道の両側には家が並び途中には子どもの遊べる広場もあった。柿や無花果、ビワなどの生り物の木が幾本もある。遊びの途中で「おばさん貰うで~」と哮けって試食したことは数知れない。

終戦からほどなくのころは、多くの家が自家用の農作物を作っていた。我家でも葉ものはもちろんのこと薩摩芋、ジャガイモ、玉ねぎ、里芋、麦などかなりの品数を思い出す。

両親が収穫から帰るころは坂の上り口で待つ。車など無い時代、収穫したものはリヤカーや大八車に積んで持ち帰る。坂道にかかると車の後押しする。弟と一緒に。どれほどの助けになったかしれないが「助かった」という親の言葉と石ころ道を記憶している。

父が逝って40年以上、母のそれからでも20年以上が過ぎた。園児らの楽しいそうな薩摩芋堀の映像を見ながら、子どものころのひと場面を思い出している。

(写真:手すりのある坂道の上に住む人はどなた)
コメント (2)
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