日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

あれから50年

2013年11月19日 | 回想


 1963(昭和38)年11月23日、この日の朝、日米間初の宇宙中継(当時は衛星中継とは呼ばなかった)が行われた。当時、3交替勤務をしていた。自家用車の時代にはなっておらず、列車やバスを通勤に使っていた。夜勤を終えての帰りのバス車中は中継の話で持ち切り、岩国駅でバスを降り待合室のテレビ下に急いだ。

 映し出されたアメリカからの映像は、大統領から日本国民へのメッセージでなく「ケネディ米大統領暗殺」という衝撃的なニュースであった。 当時の報道のあらましはこうだ。米国大統領ジョン・F・ケネディ(JFK)は、テキサス州ダラス空港からオープンカーで市内の演説会場に向かう途中、何者かに狙撃され病院に運ばれたが30分後に死亡した。事件がおきたのは、アメリカ東部標準時間(EST)午後1時30分、日本時間では23日(土)午前3時30分のことであった。

 当時、宇宙中継を受信する電波は、米国で灯った電球の熱を日本で感じ取るほどの超微弱電波を受信する技術力が必要だったという。それを完成させたのは、技術者の並々ならぬ知と努力があった。今は世界のどの地からでもリアルタイムで茶の間に映像が届く。それが当然のこととなっているが、これは技術者の支えがあったからだ。

 あれから50年。JFKの娘で知日派といわれるキャロライン・ケネディ氏が新しい「駐日アメリカ大使」として、今日、皇居で信任状捧呈式が行われた。明治生命館から皇居までは偽装馬車での送迎を選ばれた。両国関係はもとより、戦争や飢餓のない安心安全な世界構築を願って、大勢の人が沿道に並び手を振って歓迎した。

 オバマ大統領とともに、広島の平和公園に立たれることを願ってやまない。
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