広報紙つくりの講習会、講師は地方紙の支局長クラスの人。記者が記事を書くためにメモは欠かせない、と取材現場の基本が講座の入りだった。年配記者の署名記事を読むと、ひと昔ふた昔前の取材ノートから引用した記事に出会うことがある。よく残しているなあというのが実感として残る。講師はメモとは、忘れないために書き残すだけでなく自分を育む資源だと話した。
忘れない様に簡単に書きとめたメモがその後の人生を育む力を持っていると気付くことなどなかった。私は、いつもセカンドバックに小形ノートを入れている。単に物忘れを補うための道具として持ち歩いている。最近は、コロナに関するカタカナ語の邦訳を大きめの文字で書いていて新語辞典のようだ。その新語もあっという間に日常語に変わった。
そんなメモ帳が助けてくれた私の話。ある新聞社の定例企画で242文字で書くエッセイの投稿欄がある。昨年の晩秋のこと、テーマはないかなとメモを繰っていた。「モグラさがし」と書き、ぐるっと円で囲っている1行が目に付いた。途端に花畑でモグラ探しをしていた園児とその若い両親の姿が浮かんだ。その時の様子を投稿したらなんとなんと月間賞をいただいた。
それからメモに関する認識が変わった。パソコンの忘備録も用が済めば削除していたが慎重になった。手持ちのノートももっと丁寧に書きつけようと改めた。気づかなかったが「忘備録」は誤りで「備忘録」が正しく「忘れた時の用心に書きとめておく」を改めて知る。パソコンも備忘録に修正した。使用中のメモ帳に暇を出す頃になり「自分を育む」メモつくりを考えたい。
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